第二章 ③
「ただ、あまりここを使う人はいませんね。ここにある資料は持ち出し禁止のモノを除いてすべてデバイスで閲覧することが出来ますから」
「こんな拾いの覚えられる気がしないんだけど……」
「大丈夫ですよ。私たちの中にだって、施設の位置すべてを暗記している人はそうそういませんから」
「そうなの?」
驚くルーミックにクスッと笑って種明かしをするみたいに彼女が突き出したデバイスには、見取り図のようなものが写っていた。
「実は、デバイスにはGPSがついていて、学内の地図と自分の居場所がわかるようになっているんです。私が案内できたのもそのおかげです」
「へぇ……」
便利なもんだと感心するルーミックだったが、逆に言うと長年通っていてもGPSなしでは迷うことがあるということで。そのことに気づいて乾いた笑みを浮かべる。
他にはグラウンドや中庭、食堂などの紹介を受けて、最後に案内されたのはドーム状の建物だった。
今日見た施設の中では一番こじんまりしている。拍子抜けとまでは言わないが少しがっかりした様子のルーミックに、エイリスは微笑み交じりに。
「他の建物と違って、ここは用途が一つしかありませんから。中もすごいんですよ?」
一度に大勢が出入りできるようになっているゲート。それをくぐって奥に進むと――そこは客席だった。
三六〇度を囲むようにして広がる客席には一体何人が座れるのか。見上げれば四方を向いた大型のモニター。視線を下げればそこは広大なフィールドだった。
「この場所がランク戦以外で使われることはありません」
となりに立つエイリスの声は柔らかく、けれども強く。ここに張り詰める空気のようだ。「ランク戦専用の闘技場――」
「はい。どうですか?」
「……さっきの言葉は訂正するよ。今日見た建物の中で一番ワクワクする。早く強い人と戦いたくて」
「……高等部の生徒は学年に関係なくランキングに参加すると、先生はおっしゃっていましたよね」
彼女の視線は一点に固定されている。微かに変化したトーンには気づかずにルーミックは頷きを返す。
「数字が低い者ほど強くなりなります。四ケタは『Quatoro』(クアトロ)、三ケタなら『Triple』(トリプル)、二ケタだと『Double』(ダブル)。……一ケタは『Single』(シングル)。中でもシングルの校章は特別製で、それぞれが自分のランクの数字を象ったデザインになっているんです」
強者の集う学園において、まさしく頂点と言うべき九名。
もちろん知っているとも。ルーミックはそこに辿りつくために来たのだから。
「その末席に、進学と同時に名を連ねた人がいるそうですよ」
まさか、という考えが頭をよぎる。目の前にいる彼女が――
「私ではありませんよ」
ようやく彼の方を向いたエイリスの顔に浮かんでいたのは苦笑い。
「中等部時代に何度か戦いましたけど、一度も敵いませんでしたから」
「でもエイリスさんは学年首席だったんじゃ……」
ああ、と驚きまじりに声を上げて。ご存じだったんですね、と。
会話した中にないのなら残りは一つだけ。入学式だけだ。そしてその中で同い年が壇上に上がる機会など、新入生代表の挨拶以外には存在しない。
「それは試験や訓練の成績です。入学以来、私は常に二番手でした」
そう語る彼女の心情は厚く覆われていて読み取れない。表情にも声色にも。出会ったばかりの人間に内に秘めた感情はさらけ出すはずなどなく。
普通なら十分に誇っていい順位ではあるが、一度も一位になることも出来ず、かといって三番手との隔たりも大きく。彼女がずっと感じていたのは狭間で一人きりになっているような疎外感だった。
とは言っても、エイリスがそうであるからといって、ルーミックもそうであるとは限らないのだ。
「なら、悪いけど、これからは三番手だな」
無遠慮かつ無神経に、臆面もなく彼は口にする。それが人を逆なでするとわかっていながら。
「俺はこの学園で一番になる。そいつが立ちふさがるって言うなら、倒して進むしかないな」
「ハッ――」
不意に漏れたのはエイリスらしかぬ嘲りにも似た声だった。
「あなたには無理じゃないかしら」
「やってみくちゃわからないだろ?」
「…………」
「…………」
空気は一変。交錯する視線から穏やかさは削がれて。
つまらないとでもいうように逸らしたのはエイリス。
「まぁ遅かれ早かれ身を以って体験することですし、ルーミックさんがどこまでいけるか、楽しみにさせていただきますわ」
「そんな丁寧な喋り方しなくても、ルーミックでいい」
「そう? なら私もエイリスって呼んで」
一気に砕けた口調。これまでの振る舞いが演技だとは到底思えないけれど、こっちの話し方も堂に行っている。どちらが彼女の素なのだろうか。
入学早々にこんな強敵と巡り合えたことに感謝しつつ、少年は右手を差し出す。
「これからよろしく、エイリス。口だけじゃないってことを証明してみせるよ」
「こちらこそ」
握り返される手。決して健全ではない笑顔の応酬。
そうしてルーミックの一日目は幕を閉じたのだった。