シリアスは嫌われてるのか?
今シリアスが嫌われるというのがある。果たしてそうか?私は読んだ後の面白さと読む前に選ぶ選択を同一に扱わないほうが良いと思う。読んだ後のシリアスが嫌われてるのではなくて、読む前にシリアスを避けているが今の読者の正解だと思う。さてさて作者の多くは読んで判断してくれと言う文句が無茶苦茶多い。それは作者のエゴだと私はばっさり切る。
私は作者であり読者であるけど、作家活動は読者のついでにやってる。だから読んでもらえるだけで有難いと思ってる。だから最初から避けられるであろう作品は書かない。分かってるのにイチイチやるほど私は書きたくない。
私はシリアスが嫌いか?と言うと読む前の選択だけ見ると私は多分シリアスを避けている。だが読んだ後は面白いと思った作品が多い。そこで気がついたのは、私は他人にシリアスを読ませて、ランキングが上の作品だけ読んでる。下の物と比較はしてない。ただシリアスだとあらすじで訴えるような作品は大体後から読んで、確かにコレはシリアスだと私は感じている。だから大体なろうでは分かる。高い確率で当たる。
これ文句言われるような事だろうか?私はつまらない作品が読みたくないのであって、シリアスが読みたくないわけじゃない。そしてシリアスな作品は自分の中で楽しい読書体験じゃないとして、外れる確率が高いのを知っている。そして数多くの他人が面白いと言うシリアスは当たる確立が自分の中で高い。自分の時間を楽しいものにするのにとても合理的な判断を私は読む前から出来る。それにしたがって行動してるだけだ。シリアスが嫌いなんじゃない。つまらないと感じる時間を体験させた作者が悪いんだ。何故シリアスは確率が低いのか?は個人的なものだと私は思ってない。
シリアスは陳腐だと感じる表現が多すぎるんだ。コメディなら飽き飽きする笑いをしつこくやられるのに近い。シリアスは受け手にむかつかれる確率が高い。これは確率の問題であってシリアスがつまらないと言う全否定の話じゃない。根本的にシリアス嫌いのアレルギーな人もいるだろう。その人に執拗に攻撃された作者も居るだろう。私の話しはそういう話じゃない。物言わぬサイレントマジョリティとして、キチガイじみたシリアスアレルギーより、こっちが多いんじゃないか?と見てるからだ。
力量も無いのにシリアスなんて頑張るんじゃねーよタコ作者って多くの人が思ってて言わないだけじゃないの?って話。
作家のエゴだと言うのは、多くの作家は読者に受けたタイプを研究して作る。これは読者の選択とあまり違わないのじゃないのか?何故読者だけが批判されるのか?大半の読者は物を言わないからだ。お前が言うなーってやつだ。当然読者に批判的な作者は自分はさそオリジナリティ溢れる冒険的な作品を作っているんでしょう。他人が冒険した後をほいほい回って、受けたらパクる様な作品を当然作って居ないんでしょう。
作者も読者も誰かが外れを引くのを待ってる。自分だけが当たりを欲しい。やってる事は同じだと思うんだけどな…。