旅立ち~出会いの夜:1
フィオナを先頭に三人は村の中心を目指す。
村の両側にそそり立つ絶壁の上部には、初夏だというのにまだ雪が残っていた。
見渡す景色は切り立った崖と深い森。
その間の僅かな盆地に雪割り谷村はある。
温泉地というだけは有り、家々に沿って冬でも凍らぬ用水が流れ、所々で湯煙が立ち昇る。
その流れは、村の中心で雪解け水と温泉水が入り混じった川になり、その中州が村の中心部。
そもそも村の名も、湧き出した温泉が雪を割って冬でも凍らない土地を作ったことに始まるのだ。
それでも冬になると深い雪で閉ざされるこの地において、断崖に囲まれたこの村は人が住むのに元々は適してはいない。
昔から耕作可能な土地は少なく、麦や米の収穫は期待できなかった。
それでも家畜を飼い薬草を取り、猫の額のような田畑に作物を植えてきた。
男たちは春から秋に行商に行き、女達は冬の間に機を織る。
農作業はもっぱら行商を引退した老人や子供の仕事だった。
そして長い冬の間、旅で得た知識を村人皆で分かち合い、集めた物品を収蔵していった。
そんな生活が帝国成立以来1500年も続いている。
村の入口から奥へと続く、二頭立ての馬車が行き違えるほどの石畳の大通り。
そこを歩き続けて、村の中央の尖った三角屋根を持つ館に到着する。
雪割り谷代官所。城とも呼べぬ館だが、そこがライアン家の屋敷であり、隣接する離れがグレン家。つまりフィオナの家。
用水路と川はこの館を囲むように流れていて、天然の堀の役目を果たしている。
帝国の国章が刻まれた頑丈な石橋を渡ると、羊や牛が中庭を行き交っていた。
小さな屋敷ではあるが、これでも皇族を迎え入れる本陣でもあるのだ。
小さいとはいっても全ての部屋を開放すれば50人はゆうに泊まれる広さだ。
もちろんヘリオスとメディアもこの家に泊まることになる。
樫の木でできた両開きの扉を開けて中に入る。
短い石畳の廊下を抜けて、今度は先程より小さな両開きの扉を開ける。
そこは奥に暖炉の有る部屋だった。大人が20人は入れる広さで、中央には御影石で出来たテーブル。
奥にある暖炉の前の安楽椅子から壮年の男が立ち上がり、出迎える。
「ただいま。おじ様」
「帰ったかフィオナ。候子殿下はご一緒か?」
「はい。ここまで一緒に来ました」
「ありがとう男爵。グレン師の墓参りも済ませてきたよ」
「それはそれは。師も喜ぶでしょう」
リアムの父、つまりフィオナにとっては義理の父になる予定の男。
それがこの村の代官にして村長。クレイグ・ライアン男爵。
ダイアー・グレンの弟子の一人で薬草学に優れている。
幼いころに両親を亡くしたフィオナにとっては兄弟子であり、師であり、父の代わりであった。
やや白髪交じりの茶色の髪の持ち主で、口周りには有角族のような立派な髭を蓄えている。背中にヤマユリを象ったライアン家の紋章が刻まれた皮のチョッキを着ていなければ、どこにでもいそうな中肉中背の男である。
「それよりもおじ様、殿下がリアムの捜索に同行していただけるのは本当ですか?」
「そうだ。候子殿下、息子のことをよろしくお願いします」
「帝国としても一人でも騎士は欲しい。ライアン男爵家には2つの旗に3人の騎士。期待せねばなるまい」
「ありがたきお言葉に御座います」
村長が深々と頭を下げる。
いくらヘリオスは形式だったやり取りが嫌いとはいってもそれはそれである。
村長との会話でもフィオナ達とのように砕けた調子とはいかない。
「あらあら、おかえりなさい」
その言葉とともに暖炉の右手の厨房へと続く扉が開く。姿を見せたのはクレイグの妻ハンナ。
元は島の王国ミケーネの漁師町の出身だったが、この山奥に嫁いできた。
嫁いできた。というよりは薬売りの押しかけ女房になったら、相手が男爵でビックリという話だったようだ。
それから二十年。今は村長婦人という役割も板についてきた。
数世代前に人魚族の血が入っているため、濃い青色の髪を持ち、見た目は本来の年より10は若く見える。
フィオナは大人びているいる上に目つきが少しキツめなので、知らない人間には二人が並ぶと姉妹だと告げても信じてしまうだろう。
「そうそうあなた。儀式の衣装は用意しておきましたよ」
「ありがとうハンナ。今日は珍しく客人も多いからね」
「あと村の皆にも準備を整えるように伝えておきました。候子殿下も頑張ってくださいましね」
「そうだな。今晩は世話になるのだし、俺も初めてだが、できるかぎり努力はする」
「おば様、やっぱり出迎えの儀式はやるんですね?」
「そうよ。フィオナ。数年ぶりの儀式だから、お父さんも張り切っちゃってね」
「あの、出迎えの儀式ってなんですか?」
これから何をするのか熟知してるフィオナ達と違い、メディアには何をするのかサッパリだ。
「この村では選帝侯以上の爵位を持つものが来た時には代官が出迎えるんだよ」
クレイグが説明するが、いまいちメディアは理解できないようだ。
慌ててフィオナが助け舟を出す。
「湯治の際に武器をお預かりする儀式をするのよ。ヘルメス皇帝が剣を預けて、アトラスとの戦いで受けた傷を癒やした故事にちんだ儀式ね」
「ふふふ。そちらのメディアさんもフィオナにも、もちろん手伝ってもらうわ」
「わたしとフィオナ先生もですか?」
「メディアは紋章旗を掲げて俺の家名を読み上げるだけでいい。あとは男爵が滞り無く行うはずだ」
「え? そうかわたし紋章官なんだから当然ですよね。でも大丈夫なんでしょうか?」
ヘリオスの言葉でようやく事態がつかめてきた様子だ。
「そうねぇ、私なんか最初は大慌てだったもの。でもなんとかなるわよ。フィオナも助けてあげてね」
「わかりました、おば様。夕刻までは時間があるからその間に基本的なことは教えておくわ。まぁ、特にやることもないのだけれど」
「なんだか緊張してきました!」
「大丈夫よ。今日はお客さんが多いけど、なんとかなるわ」
「そういえば、今日はわたしたち以外にも、ずいぶん人が多いみたいですね?」
ヘリオス達が今朝村についた時には明らかに村のものではない人々が村の周りを散策していた
「そうですな。毎年この時期になると訪れるミケーネの隊商です。魚と薬草の貿易をしております。妻が来てからは毎年この時期に避暑も兼ねてやってきます」
とんでもない僻地とはいえ村から帝国貴族の妻を送り出したのだ。
大変に名誉なことと考えられていて、それ以来ハンナの村では毎年魚介や港の名物を持って雪割り谷にやって来るのが恒例になっていた。
そして浜辺の町特有の蒸し暑さから逃れるにも、雪割り谷は格好の場所。
彼らは釣り上げてすぐに氷結魔法で閉じ込めた新鮮な魚を毎年運んでくる。
新鮮な魚を運ぶため、人魚族が凍らせた氷塊が谷川沿いに転がっている。
この景色は今ではこの時期の村の河原の風物詩だ。
「おじ様、そろそろ準備にとりかかりましょう。メディアは私についてきて。ヘリオス……殿下はおじ様にって、これは言わなくてもわかるわね」
そうして、とるものもとりあえず、慌ただしく儀式の準備が進められる。
天頂をすぎた太陽が傾き始めた頃、儀式の始まりを告げる花火が上がった。
大通りに居を構える村人は戸口を開けて楽器を打ち鳴らし、それ以外の村人達も思い思いに歌ったり楽器を鳴らしたりしている。
避暑に訪れていた隊商の人々は何事が起きたのかと沿道の様子を興味深そうに見つめていた。
「ここにおわすは、デルフォイの王となるべき帝国元帥、皇帝の親愛なる友人にして秩序の女神に祝福されし誓約の勇者。正法教会の守護者にして全ての紋章の裁定者。コリントス侯爵イアソンの名を継ぐべき者。コリントス候子ヘリオス・ジェイソン殿下である。これより雪割り谷を一時の御座所といたす」
メディアはその言葉とともに候家の紋章旗を掲げた。
村の目貫通りをヘリオスがゆっくりと行進する。今回は二人で来たため供回りの者の役は村の者が変わりを務めることになる。
これが皇帝であれば騎乗のままで村の中心まで来るのだが、王やその太子の立場であれば、徒歩で行進することが一般的である。
全身鎧に剣を帯び、龍が描かれた帝国旗を外套に仕立て直したマントを羽織り、その裾を持つのがフィオナの役目である。
「候子殿下の御成りである。皆の者頭を垂れよ!」
道程の中ほどでぐるりと周囲を見渡してフィオナが告げる。
ヘリオスが手を上げると人々は膝をつき頭を垂れる。観光客達も見よう見まねでその動作を真似る。
そして代官所の前で膝をついて出迎えるクレイグの前まで到達すると、ヘリオスは腰の留め具をはずして剣を手にすると、それを目の前に差し出した。
「男爵、出迎えご苦労である。我が剣をそなたに預ける故、逗留中はそなたが我が剣となり盾となり我を守るべし!」
「御下命、謹んでお受けいたします」
男爵が剣を受け取ると村中から歓声があがる。たかだか湯治ではあっても、これが本来のこの村の存在意義なのだ。
たとえ今回ヘリオス達の訪問がリアム捜索のための情報収集だったとしても、こればかりは省略できない。
「候子殿下の格別のごはからいにより、明日、明後日と皇帝浴場を開放いたす。心して使うがよい」
締めは代官による皇帝浴場の開放の宣言である。
この儀式の報酬として、普段は年に二回、冬至と春分の日にしか開放されない浴場が村人にも開放されることが習わしになっていた。
そのため村人にとっても皇帝や王の来訪は待ちに待ったものだ。再び大きな歓声が湧き上がり、その音は周囲の山々にこだまして村を包み込む。
だが、フィオナは心のどこかにわだかまりを感じていた。
本来であれば自分の隣にいるリアムの姿がここにないのだから当然である。
しかしそれでも次に村に戻った時には、絶対に彼は隣りにいるのだ。
旅立つ前に自分たちが大好きだった村の様子を目に焼き付けておくことができると考えれば悲観したものでもないのではないか?
そう考えていたフィオナにこの後、以外なところからリアムの手がかりがもたらされるのであった。