決着の時:1
リュカオンの大きく開けた口からは砕けた薄金鎧の破片がこぼれ落ちる。
何とか繋がっているとはいえ、デメトリオスのダラリと垂れた腕からは絶え間なく流血している。
「なるほど……拙者が大鎗と投げ槍を同時に使えぬようにでござるか」
「師匠!!!」
「なぁに案ずることはござらん。これでも壁くらいの役割は……」
ズガァァァァン!!
だが、言い終わる前に空中からのリュカオンの降下による衝撃がさらに何度も大地を揺らす。
防戦一方となった二人も辛うじて迎撃するも、ことごとくがリュカオンによけられていた。
投石機の弾が意思を持って襲いかかるようなその攻撃は、繰り出されるたび木々をなぎ倒し、大地を抉り幾重もの土砂を降り注がせる。
「フィオナ!! これでも僕は戦っちゃいけないのか!!」
「リアム。貴方の中にいる魔精霊なら奴とも戦えるかもしれない。でも、これは貴方を守るための戦いなのよ……」
フィオナとメディア、二人を抱きかかえたままリアムは拳で壁面を叩く。
満身創痍になりながらもヘリオスとデメトリオスが外で戦っている姿を見て、騎士であるはずの自分が何もできないのが悔しい。
人間の何倍も丈夫とはいえ機動力を封じられた人馬族では人狼族には勝てないだろう。当たってからでもかわせるという言葉の通り、あらゆる攻撃は回避されてしまう。
打って出たところでリアムの実力ではリュカオンを視界に捉えることすら難しい。
もちろん彼が弱いのではない。
リュカオンが強すぎるのだ。
「リアム。今は二人を守るのがお前の責務だ。なに、いざとなれば俺にも勇者の奥の手というものがあるさ」
その気持ちを察したのかヘリオスは場違いな程明るくそう告げた。
勇者は諦めない。
どれほど速かろうと軌道さえ読めれば迎え撃てる。その自信はある。
それに……相手が魔人王の一人ならば勇者の力を使う覚悟を決めるのも当然のことだ。
口調こそ軽い物だが、さすがにその顔には疲労の色が見える。
気力が尽きたとき。すなわち加護障壁が尽きる時まで彼は一歩も引くつもりは無い。
「その心意気、さすがは誓約の勇者といったところでしょうか? 降伏するならこちらはいつでも受け入れますよ」
致命的な一撃を繰り返しながら、リュカオンは問う。
風よりも早い無敵の怪物の口ぶりは、まだまだ余裕を感じさせる。
「俺は最後まで戦う」
その様子にメディアも立ち上がり精神の集中を始める。
「ヘリオス様、限界までわたしも戦います。」
「だめだ。二人を守るんだ。いざというときはメディたちは逃げてくれても構わない」
「命令でもそれはできません。わたしはヘリオス・ジェイソンの紋章官です。ごめんなさいフィオナ先生、わたしが倒れないように支えてください」
抱きかかえられていた無言で支えようと寄り添ったフィオナは、彼女が震えていることに気づく。
そうだ。他の4人とは違いメディアは2年前までは普通の少女だったのだ。
フィオナはどこかに感情の鈍さを抱えていることは自分でも自覚している。
そんなメディアが伝承に語られるような最強の魔人と戦うなんて恐いに決まっている。
「なにを話しているのかは存じませんが、そろそろ諦めてはいかがですか? あなたがたがどれほど足掻こうとも、この人間族の世は始めから不完全だったのですよ。変化の神が望むように世界は完璧に作り替えなくてはいけません」
「その完璧とは随分と安いものでござるな。勝利のためなら平気で信念を曲げるなど人馬族であれば追放ものの大失態よ!」
「黙りなさい! 裏切者」
人馬族には飛礫による攻撃は効かぬため、再び音の壁を生む前足の一撃が振り下ろす。
それはデメトリオスの狙い通りだ。タイミングをあわせて前足を斬り落とそうとするヘリオスの一撃を、リュカオンは慌てて飛び退いてかわす。
「あなたたちが王都を去り、七つの丘にただ一人残された我らの始祖こそが父神アトラスの世界をやり直すという大義を守ろうとしたのです。その志を理解なさらないのであれば、不本意ですがここで死んでいただくしかありません」
1500年、気の遠くなるような長い時間、帝国と世界とを滅ぼすために人狼族は存在してきた。今の帝国にいる6人の王が彼らが守護する七つの丘を捨てた後、残された魔人族と人間族を束ねて君臨した帝国全ての敵。それが人狼。
その圧倒的な力を持つ化け物が、仕切り直しとでも言うように、積み上がった岩の上でまさに睥睨といった様子で、こちらを見下ろしていた。
「大丈夫よ。必ず私が勝たせるわ」
なおも震えるメディアを抱えながら見上げるフィオナ。
ほんのわずかな違和感が小骨のように思考の端に引っかかる。
自分は何かを見落としてはいないか?
「はい。あのヒュドラーがいたら大変でしたけど、敵は一人です。一騎打ちならヘリオス様は絶対に負けません。それにデメトリオス様もわたしたちだっています」
「そうよね。あのヒュドラーと挟み撃ちにでもされてたら、こちらは手も足も出なかったかも……」
フィオナは自分の言葉に今まで以上の違和感を覚える。
「ちょっと待って。リアムなら人数が少ないことを承知で、味方を殺すような真似をする?」
メディアを支えるフィオナを更に後ろから支える形になっているリアムに問う。
「リュカオンは僕の紋章の力は知らない。それならばヒュドラーをけしかけるか、殺して毒を撒いた方が僕たち相手に有利に戦えたはずだ」
「どういうことでござるか?」
腕に応急処置用の布を巻き付けながらデメトリオスが問う。
メディアに止血してもらえれば、まだ少しは戦えるはずだ。
「こちらに毒が効かないこと知らないのにわざわざ毒を出さないようにヒュドラーを殺す意味はないわ。それにいきなり馬車を狙ったのも、もしも私たちが狙いで無かったとしたら?」
リュカオンは力を見せつけるため、すなわち脅迫の材料としてヒュドラーを殺した。ケンタウロスの機動力を封じるために敢えて信念を曲げて皇帝戦車を狙う作戦に切り替えた。
それはとても一貫性のある戦術に見える。
しかしリアムのいう通り、ヒュドラーを殺すことで有利にならないのなら、ヒュドラーの巣に誘い込んで挟撃すれば良かったはず。
それはつまりヒュドラーを殺しデメトリオスを狙うことにこそ意味があるのだ。
「メディア、デメトリオスさんの治療が済んだら、奴に魔法を撃って!」
「え? でもリュカオンはあらゆる魔法を弾き返すことができるのでは?」
「撃つのは破壊の魔法じゃ無いわ」
耳元で囁かれた魔法の名にメディアは驚きの表情を浮かべる。
「わかりました。先生を信じます」
聖印を握りしめ、止血の祈念を始めるメディア。
フィオナは世界辞典を手繰り、古い人狼の記録を呼び出す。
そうだ。人狼は過去に倒されている。
このわずかの間に他にも不自然さを見落としてはいないか?
その事実を武器にして、逆転の一手とする。
この思考こそが戦う力を持たないフィオナの刃。
この局面を打開するためには正しい答えを突きつけなくてはならないのだ!
今回で決着と行きたかったのですが長くなりすぎるので分割します。




