そして彼と彼女の話をしよう:2
村に帰ると、ようやく綺麗な水が流れ始めたようで、まだ濁りはあるものの赤茶けた水面を切り裂くように青く清浄な流れができていた。
「待たせたな皆の者。水源の問題解決した。だが、まだ魔獣の問題が解決しておらぬゆえ、明日の朝もう一度森へ向かう。心配は無用である。歓待などは不要であるが一晩の宿を所望したい」
魔獣という言葉に一瞬ざわめきが起きる。
「そうでしたか。殿下がおられるなら魔獣も恐るるに足りませんな。何も無い村ですがごゆるりとお寛ぎください」
しかしコリントス侯家の強さは彼らのよく知るところである。
村人だけで手に負えねば領主の助けが必要になり、彼らを救うのはまさに目の前にいるヘリオス達だ。
その後は村人達も各々の仕事に戻りようやく普段の平穏を取り戻していた。
「ヘリオス殿。まずはやらねばならぬことがございますな」
「そうだな。一度宿に帰ろう」
この村には雪割り谷のような本陣は無いが、街道沿いの村であるので一軒以上の宿がある。
村の宿屋は酒場が併設され、宿泊客が居ない時は村人の憩いの場となっている。
フィオナやリアムの生まれ育った本陣は、基本的に定められた者にしか開かれていないため、夜ごとに村人達が集まるということは余りない。
村のすぐ南にはコリントスの入り口であるメガラの街が有り、特別な用事が無ければこの村の宿を利用する者はとても少ないという。今日は二階を借り切ることになった。
これから大切なことを行わなければならないのだ。
「それでは始めます。ヘリオス様もリアムさんも準備はよろしいですね」
「よろしくお願いします」
机の上に置かれた皇帝旗の分身にヘリオスと、リアムが手を乗せる。
騎士認証――それは帝国騎士を目指す者にとって最初にして最大の試練。
メディアは紋章官のキトン、フィオナも普段と違い布を巻き付けたトーガである。
男性も本来は古式ゆかしいトーガの着用を推奨されているが、現代は鎧姿で臨む事も多い。
特に今回は二人の騎士は儀礼用も兼ねた鎧なのでヘリオスもデメトリオスも鎧姿。
『我は紋章官、メディア・ラプシス。神紋よ、我が問いに答えよ。心正しき者、心健やかなる者、心強き者の声を聞け。神域への門を開き裁定を下すべし、紋章よ。開け!』
メディアの宣誓によって机の上の手のひらほどの紋章旗が浮かび上がる。
そして空中に小さな光の点が生まれ、宙に紋章を描いていく。
これこそが紋章の解放。解放された紋章は神の奇跡をこの世界に現出させる。
空に刻まれた女神の似姿を背にヘリオスが宣言する。
「我らが偉大なる秩序の神よご照覧あれ! 我は女神の僕にして帝国の支柱となりし皇帝の代行者、デルフォイ王太子にしてコリントス侯子、ヘリオス・ジェイソンなり。神の名の下にここに問う! 汝、リアム・ライアン。その身を帝国の剣と為し、盾と為し、鎧と為すことを誓う者か!」
「我は雪割り谷男爵、クレイグ・ライアンの子にして皇帝陛下と帝国の奉仕者、リアム・ライアン。神の名の下に、礼節、忠義、信仰、友愛。全ての善行をその身に宿し、その身を帝国の剣と為し、盾と為し、鎧と為すことを誓う者なり! 女神よ、我にその奇跡の力を授けたまえ!」
リアムの誓いの言葉を聞き、フィオナが手に香油を塗る。
彼が紋章を受け継ぐに相応しい人物であれば、手に紋章が浮かび上がるはず。
だが、フィオナの時と比べても紋章の裁定が下るには時間がかかっている。
皇帝旗自体が消えたわけでは無いので、不適格と判断が下されたわけでもない。
(まさか……僕では駄目なのか……)
心の中に迷いが生まれる。これまでどんな絶望的な状況でも諦めなかったのはこの日のためではないか?やっとフィオナにも会えた。それなのに、紋章は自分を選ばないというのか?
「リアム。自分を信じるのでござる」
見届け人であるデメトリオスが思わず声をかける。彼だけがこの一年半の騎士を目指した少年の努力を知っているのだ。これで報われなければ意味が無い。
「そうよ。あなたが正しい人間であることは何より私が知ってるわ。だから自分を信じて!」
師と婚約者、二人の言葉にリアムの心に灯が点る。
そうだ。例え魔精霊に憑かれようと、自分の心には迷いなどない!
そう思った瞬間、手の甲に光が差し込む。
焼かれるような刺激とともに、リアムの手にヤマユリの紋章が浮かび上がる。
神は彼を騎士として承認したのだ。
「おめでとう。そしてようこそ新たなる帝国騎士」
ヘリオスの祝福。その言葉にしばらく呆然と自分の手を見つめていたリアムもようやく事態を理解する。
「ありがとうございます! やったよ! フィオナ!」
「うん……うん」
「ふぅ~良かったです。フィオナ先生もリアムさんも本当に良かった」
紋章の解放にもかなりの精神力を使う。
もしも認められなければ自分のせいなのではないかと、メディアも内心ではとても不安だったが、成功したことに安堵のため息を吐く。
「今日は拙者の奢りだ。みんな好きなだけ飲むでござるよ」
デメトリオスも我が子のことのように喜んでいる。自分の初めての弟子が騎士になったのだ。
これが喜ばずにいられようか?
フィオナはこの一瞬が夢でないことを神に祈らずにはいられない。
ようやく失っていた時間が動き出した。あとは元の静かな生活を取り戻すだけだ。




