序章~フィオナと勇者主従の出会い:3
やはり…………そうだ。
リアム・ライアン。彼女の婚約者にして村長の息子。
この地の次の代官となるべき少年は、二年前から行方不明となっていた。
フィオナが今日祖父達の墓参に訪れたのも、彼を探す旅への出立を報告するためであった。
しかし不意に現れた勇者主従は、その旅に協力したいという。ただの善意だけとは考えられない。
「……そこまで深刻な事態なのですか?」
「それはわからない。それでも色々と考えて、俺が出向く必要を感じたからここにいる」
「フィオナ先生。グレン家とライアン家の旗をお借りしたく、我々は来たのです」
「まさか私がリアムを探すのを知っていて?」
紋章旗を使うのであれば、継承者であるフィオナが必要だ。
彼女の左手に宿る紋章は、彼女を紋章旗の――すなわち爵位の継承者と認めているのだから。
「グレン師は我が父の師。亡き君の父上も我が父の友。手を貸すのに理由はいらないだろう?」
「それでも祖父や父との縁だけではないはず。候子が我が家の問題に介入するほどの大事ですか?」
「ただの任官拒否の出奔であれば問題ない。でもリアムはそんな人物ではなかったのだろう?」
「少なくとも私の知る彼は、そんな無責任な人では無かったはずです」
そうだ。彼女のよく知るリアムは責任感の強い少年だった。
何かを放り出して逃げ出すような人間ではなかった。
なぜ何も言わずに居なくなったのか? それがわからない。
「だからその理由を知りたい。余り例のないことであるし、発見次第騎士認証を済ませようと思う」
ヘリオス達の目的はわからない。
それでも何の手がかりもないのに、帝国最強の一角である騎士が動くというのだ。多少の不安はあっても今は縋るしかないのも事実。
秀才だ、賢人の娘だともてはやされようと、本当は自分のことすらわからない。
だからこそ頼れる人間がいるというのは心強い。決心するようにフィオナは大きくため息をつく。
「どんな事情にしろ、私は彼を探し出したい。それだけです」
「大丈夫ですよ、先生。ヘリオス様が何とかしてくれます。ね?」
メディアの期待に満ちた眼差しを受けてヘリオスはいう。
「そうだ。俺が何とかする。まあ積もる話は麓に降りてからでもいいだろう」
「ええ、私も墓参は済ませておきたいわ」
目をそっと閉じて、祈りを捧げる。
この場所から見る景色もしばらくは見納めになるのだ。
リアムを連れ戻すその日まで、決して忘れるものかとフィオナは誓う。
「ありがとう。待たせたわね」
「さて……フィオナ。麓まで歩いて帰るのも疲れるだろう?」
「えっ? どういうこと!?」
「ちょっと動かないでいてくれよ」
「まさか! まさかヘリオス様! またっ……」
いうやいなや、背後から両手でフィオナとメディアの腰をガッシリと抱きかかえ、そのままヘリオスは飛び降りた。
眼前の崖を!!!!
垂直に!!!
「うっ。キャァァァァァァァッ」
普段は叫び声など上げないフィオナだが、今回ばかりは話が別だ。
何しろこの丘は400ペーキュス(約200メートル)近くある崖。
まともに落ちれば、魔人族ならともかく人間族など跡形もなく砕け散る。
人間族の誰もが持つ加護障壁といえど無傷で済むのは60ペーキュス程度。
その7倍近い高さから落ちて生きていられるわけがない。
普通の女子なら気を失いそうなものだが、フィオナの頭脳はある結論に至る。
フィオナより後から出て先にこの場所に着いていたこと。
魔人族の血は弱いと言いつつも、勇者として一人前の力を持つという話。
それに見た目以上に気遣いができることも確認した。
それでも崖から飛び降りるような真似をするならば考えられる結論は一つ。
(この男は間違いなくこの状況を何とかする手段を保持している)
つまりこの勇者サマは、状況を楽しんでいるのだ。
悪趣味にも程があるだろう。
「ちょっと、ヘリオスっ」
抗議すべくヘリオスを見上げるが、彼は何食わぬ顔で笑みまで浮かべている始末。
反対側に抱えられたメディアは慣れたとでもいうように、感情のない瞳で虚空を見つめていた。
「喋るなよ。舌を噛むぞ」
彼はそう叫んで崖に思い切り踵を突き立てると、崖を猛然と駆け下り始めた。
そして中程まで来たところで飛び立ち、空中で一回転、二回転。
天地の区別もつかなくなり景色が暗転する。
猛烈な勢いで地面が近づく中、ヘリオスは叫んだ。
「鎧よ。来たれ!」
言葉と同時に白銀色に輝く鎧が姿を表し、ヘリオスの全身を覆う。
そしてパチリと指を鳴らすと、キラキラと光る羽毛のようなものが舞い上がる。
宙を舞う木の葉のように、落下する三人の身体は徐々に速度を落とし、
ヘリオスは何事もなかったかのように、二人を抱えて地面に降り立っていた。
「到着だ。やっぱりこのやり方が早かっただろ?」
「早かっただろう? じゃないわ!」
フィオナは怒気をはらんだ声で抗議する。
彼は魔法の鎧と卓越した体術の技量で無傷で降りられる自信があった。
しかも天地無用の体術は噂に聞く人馬族の技だろう。
だから一見自殺行為でしかない真似をやってみせた。
「こういうことだろうとは思ったけど、メディアなんかショックで死んじゃうわよ!」
「大丈夫だ。最初の何回かは気絶していたが、今は慣れたらしい」
「うぅ……慣れたと言ってもやっぱり恐いものは恐いですよぅ」
両目に涙を浮かべながら、メディアは悲しそうにそういった。
「だがな、戦士としての力量を示すには十分だっただろ? 論より証拠だ」
何故に――と訪ねようとしたフィオナは、その言葉を飲み込んだ。
鎧を出したのは傀儡族の華学術だし、防御魔法も発動させたのはヘリオス。
それに断崖絶壁を駆け下りるケンタウロスの体術。
さらに腰に帯びている剣はタイタンの仕上げた極上の品である。
まさに帝国の全ての強さを兼ね備えていることをフィオナに見せる。
それ自体が勇者。ヘリオス・ジェイソンの目的だとしたら?
そう考えれば村で待たずにここまで来た理由も納得がいく。
「ほら、怒った顔がグレン師にそっくりだ」
「聞き捨てならないわね。大体……」
「うん。悲しんでいるよりはよっぽど、今の顔がいい」
彼の意図を悟り、フィオナの動きが止まる。
この破天荒な振る舞いも、全てはフィオナのためとは。
ここで怒り続けるのは、どうにも相手の策に乗ったようで気に入らない。
「いいわ。詳しい話は家に帰ってから聞かせてもらいます」
掴みかからんばかりに振り上げた腕を下ろし、深呼吸。
本当にどうしようもない男だが、彼なりに気を使ったのだろう。
でも、いくら緊張を解すためとはいえ、あんな高さの崖から飛び降りるものか?
この男、ヘリオスはどうにも油断ならない。
怒りを収めるべく話題を変えることにする。
「ところで今のはニケーの防御壁? 衝撃を緩和するって聞いたけど?」
「そんなこともわかるのか?」
「ええ……魔法でも祈念でも見たものは記しておけるわ。これは貴方の今のやったことと同じで実際に見せたほうが早いわね」
日頃農作業や薬品を作っている割には白くて細いフィオナの指が辞典に触れる。
『この書に記されし名付けられしものと、この書に未だ記されざる名付けられるべきものよ。フィオナ・グレンの名に置いて命ずる。その意義を示せ!』
その言葉に世界辞典『マグナ・コスモス』のページが独りでにパラパラとめくれ始める。
そして今しがたヘリオスが使ってみせたニケーの障壁術が記されたページを示していた。
【ニケーの障壁術は空気の流れを操り空を駆ける翼人達が生み出した空気そのものを鎧とする魔法である。元々は空に舞い上がるための上昇気流を生み出すことや、不測の落下に対する備えとして用いられた魔術。翼人ニケー達は防御の他に拳の先でこの魔法を発生させて武器として用いることもある】
これこそがこの事典の真の力、帝国にそして世界に存在するあらゆる事象と知識を書き留めるために、祖父の友人であった先々代の皇帝オデッセウス二世。
つまり現在のアッティカ大公ウーティス4世でもある吸血鬼族が生み出したものだ。
この事典一つに帝国図書館全てを詰め込むことも理論上は可能だろう。
それはこの世に二冊しか存在しない持ち運べる大図書館なのだ。
おそらく先程ヘリオスが見せたのは、その魔法を華学術と呼ばれる術だ。
それは物の状態を操る技に長けた傀儡族の魔法で宝石の中に閉じ込めたのだろう。
華学術は非常に便利で有益だがお金がかかる。それこそ大人一人分くらいの荷物を指輪一個の中にしまうのに金貨30枚は下らない値段になってしまう。
金貨30枚は帝都なら二月分の生活費に相当する。
「それが世界辞典か。噂に違わぬ品だな」
「魔法や知識だけじゃないわ。私は料理のレシピなんかも記してるわ」
「うわぁ……そんな使い方もできるんですね」
「文字通り何でも記しておけるのよ。なんでもね」
いたずらっぽく微笑むフィオナの言葉に半ば呆れたようにメディアが応える。たしかに何でも書けるとはいえ、そういうメモ書きのような使い方をするのは予想外だったようだ。
「そういえばフィオナ。さっきの話なんだが、大体なんだったんだ?」
さっきまでの怒りをサラッと流そうとしたのに、ヘリオスはまだ話題を覚えていたようだ。まあこのまま押し流してしまおう。
「ああ、あれね。怒る気も失せたわ。それよりあなた達も長旅で疲れたでしょう?」
「はいっ。少しお休みしたいです」
「荷物があるなら貸して。私が持つわ」
「大丈夫です。荷物は先に置かせていただきました」
「だから、大体なんなんだよっ!」
それでもヘリオスは納得がいかなかったようだ。
無視してしまおうか?
「も~~~。ヘリオス様は大雑把に見えてそういう細かいことを気にするのは良くないですよ」
「そうはいうがな、メディ。私は候子として自らへの意見には耳を……」
「ヘリオス様。また私と仰ってます」
「ふーん、意外と細かいことを気にするね。ヘリオス」
「ははは、俺はそんなことは気にしないぞ。豪快だからな。なっ、メディ?」
「はい。はい。それよりも今は早く帰って休みましょう。2日も山道を歩いたからクタクタです」
「う、うむ。わかったメディがそういうならそうしようか。お願いしようか」
メディアに押し切られるように不承不承とでもいうようにヘリオスは返事をする。そんな二人を先導するようにフィオナは歩き始めた。
これが勇者主従とフィオナの出会いであった。