街道にて
馬車は進む。
帝国の誇る街道は1500年もの時間をかけて整備された道で、テーベの首都テバイから五王国全てに張り巡らされている大動脈だ。
道の両脇には街路樹が植えられ、正法教会の巡察士が定期的に警邏を行っている。
有角族達の住むエトナや翼人の住むイリオスも、その辺縁部までは街道が続いていて、帝国の一大事となればすぐにでも駆けつけられるようになっている。
街道沿いには50スタディオンごとに【祈念石】の石柱が立てられていて、そこには旅人が休養する場所が設けられている。祈念石の立てられた場所は精霊力が安定し人の住みやすい環境になるため、街道の続く場所までが帝国領。その先が辺境ということになる。
側道の整備も進み100年前には雪割り谷まで街道が開通したほどだ。
もっとも街道の維持と整備はその地域の領主の義務でもあるため、常に最良の状態にあるとも言いがたいのも事実ではあるが……。
「ふぅ。少し急ぎすぎたかもしれぬな」
あれから一週間、いくら途中の関所でも止められないとはいえ、通常であれば15日かかる道を7日で駆け抜けたのだ。
都市部を抜けるとき以外は軽装に着替えているとはいえ、このペースは人馬族にとっても飛ばしすぎだ。
今日の目的地まではまだ時間があるので、祈念石の下の休憩所に飛び込んだのだ。
人馬形態になったケンタウロスは体温が上昇するため、頭上で水桶をひっくり返したデメトリオスからは、霧のようにシュワシュワと湯気が立ち上っている。
「十分に早いです。テーベ領を抜けたら数日休養をとりましょう」
「フィオナ殿、拙者には一つ気になることが有るのでござる」
「気になること?」
「あれから拙者も考えておったが、鷲獅子も翼人も一撃で屠れる種族に一つだけ心当たりがある」
その件についてもフィオナは考えていた。デメトリオスがこうも急ぐのは魔精霊と同じく最悪の事態を想定しているに他ならない。
「ありえないと思いたいわ。奴らは壁のこちら側には絶対にいないはずだもの」
「それはそうでござるが、人馬族より早く動ける種族など一つしかござらぬ」
「つまり人狼族ということか」
「まさか……そんな。嘘ですよね、先生」
人狼は吸血鬼と並び最強と目される魔人族であり、全ての獣人族の祖だ。
魔法を使うことこそできないが、その身全てが破壊の塊ともいえる存在で、魔法を弾き返す体と首を刎ねられなければ即座に傷を回復させる驚異的な生命力を持っている。
そして全ての魔人族の王としてアトラスの王国の深奥、つまり大陸の最南端である旧王都に君臨しているはずである。
「そのまさかかもしれないということよ」
「でもそういえば、森でわたしのことに気がついていたんですよね。魔法も使わずに」
「うん。それと私もひとつ気になったのは、ギルド証の護符の効果を受けなかったことよ。テオドリックさんがいうには、リックが持っていたのは確かにマケドニア~テーベ間のギルド証だったそうよ」
「つまり魔法は効果を発揮しなかったんですね」
「そういうことになるわね」
「メディア、それはそんなに大事なのか?」
「そうです。ヘリオス様。ヘリオス様の鎧も、そこにあるデメトリオス様の槍もそうですが、一度魔法が込められた品は壊れない限りは魔法の効果は消えないんです」
この旅ためにデメトリオスが急ぎでテッサリアから取り寄せた彼の槍は魔法の槍だ。
その効果は土の魔法の増幅。弾き上げた石や土を足場に空中を自在に駆けることができる。
翼人族が風を操り、有角族が炎を操るように人馬族は土を操る。
もっとも人間族との混血が進んだ彼らは、主に槍術の強化にその力を使う。
「人狼なら持つだけで護符の魔力を無効化することも可能だけど、それでも信じられないわね」
「念には念をということでござる。まあ例え人狼であろうと拙者とヘリオス殿で何とかするでござるよ」
「俺もやりすぎかとは思ったが、これを用意しておいてよかったな。いざというときはフィオナは皇帝戦車の中に籠城してくれればいい」
やっぱりやり過ぎ感はあったのかと、疑っていたヘリオスの常識力を少しだけ見直し思いを巡らせる。
ハッキリ言って歩くだけで大地が裂け腕を振るうと旋風が起こると伝えられる人狼相手ではフィオナは足手まといにしかならない。
多少障壁は他人より強いとはいえ、相手は神話に語られるような怪物だ。
触れられただけで物言わぬ肉の塊にされてしまうだろう。
ヘリオスの言葉にはゆっくりとうなずくしかなかった。
「わかったわ。それでも何もできないのは勘にさわるわ。時間はあるのだし少しでも対策は立てておく」
まだ道のりは半ばほど、今は最悪の予想が外れてくれることを祈るしかない。




