南へ~街道の向こう:2
「そういうわけでリック・ヴィオラという商人にお心当たりはありませんか?」
「確かにその男なら知っている。だが、人間族の老人だったはず。そうだな?」
「ここ半年は見ませんね。ミダスのいう通り我々の知るリック・ヴィオラは60もとうに超えた老人だ」
「それでは彼の名前を騙っているということですか?」
「そうなりますが……ですが、そうなると一つ問題がありますね」
「ギルド証は本人以外が触れると色が変わる。正式に譲り受けたか我々の知らない不正を使ったか」
帝国内で商売を行う者は身分保障のための護符を身につけている。
それは魔法で処理されていて、持ち主以外が持てば赤く変色する。
もしも彼が商人としてデルフォイの門を通ったなら普通は正体が露見するだろう。
「名前を騙っているだけなら問題はないが、商人として活動していたのなら話は別だ。テオドリック、明日までに調べられるか?」
「承知しました。しかし皆様が明日出立となると、ゾエお嬢様が悲しまれますな」
「それは私から伝えておく。フィオナ殿もまた娘の勉強を見てやって欲しい」
「それはもちろんです。帰ってきたらみんなで雪割り谷に来てください」
その言葉に岩のような肌を紅潮させミダスは何度もうなずく。
外見こそ恐ろしいが、彼自身は善良な人間だ。
これを機会にもういちどライアン家、ひいては雪割り谷との商売が再開できるのなら、それが良い。
その日の午後、日輪宮からミダス商会にとんでもない物が運び込まれた。
商会の高い壁の向こうには一目それを見ようと黒山の人だかりができている。
「急ぎの旅だっていうのはわかるけど、ちょっとこれはやり過ぎなんじゃない?」
「いや、これ以上に速い手段はない。当然の決断でござる」
腕組みして目の前の物体を見つめているデメトリオス。
「これの許可を帝都に取るのに時間がかかってしまったが、何とか間に合ったな」
「それにしても皇帝戦車とか、ちょっと極端すぎるわ。さすがに私でも気が引けるわよ!」
皇帝戦車、皇帝とそれに準じる者だけが利用することを許される専用馬車。
屈強な騎士で有るケンタウロスが牽く帝国の権威の象徴。
それは小型の箱形馬車で、黒光りする壁面に装飾品のごとく投げ槍が並べられており、本来御者台が有る場所には騎兵槍が装着されている。
骨組みや内装には豊富に銀が使われていて、天井には聖印が刻まれている。
つまりは、聖職者さえいれば短時間なら祈念によって籠城することも可能ということだ。
元々は皇帝が戦場で指揮を執る際に戦車として用いられたことに由来するが、今ではもっぱらパレードなどに用いられることが多い。
ミダス商会にヘリオスが滞在している噂は市民の間でも広まりつつあり、それだけにお祭り好きのデルフォイ市民が押しかけてきたのだ。
本物の皇帝戦車は二人のケンタウロスが牽くのだが、これはそれよりも小さい。
しかし誇り高きケンタウロスに馬車を牽かせることは一般人には禁忌感が強いのも事実。
「気になされるな。弟子を助けるのに四の五もござらん」
「フィオナ。デメトリオスはテッサリアの騎士だ。そう遠くない将来これを牽くことになるだろう」
「あああ、やっぱりそうなんですね!」
さっきまでフィオナの隣で石のように固まっていたメディアが声を上げる。
彼女はヘリオスと皇帝戦車に乗る意味について必要以上に考え込んでしまい思考停止したのだ。
普通は皇帝とその家族しか乗ることを許されないのだから当然の結果である……。
「そうでござる。我がテッサリアのディアネイラ侯女殿下は、そのうち皇后となられるであろうお方。そのために拙者も武者修行をしておったのでござる」
「ディアネイラ侯女、というか今は執政官か。は皇帝陛下の右腕だったわね。メディアは彼女を知ってるの?」
「知ってるも何も魔法学院時代の同室の先輩です。先輩の推挙がなければわたしがヘリオス様にお仕えするなんて。とてもできませんでした」
人の縁とは本当にわからない。つい一月前まで他人だったはずなのに、こうして思わぬところで繋がっていたのだ。
「そういうことなら納得したわ。ヘリオス、この前の召喚状を貸してもらえる?」
「それは構わないがどうする気だ?」
「こうするのよ」
目の前に拡げられた召喚状、デメトリオスの名前の下に一人分の余白を空けて、フィオナは自分の名前を書き込む。
「フィオナ・グレン、騎士としてヘリオス・ジェイソン侯子殿下の召還に応じるわ。何ができるわけでもないけどね」
「そうか……」
召還状に書かれた名と空白の意味を悟り、ヘリオスは短く応える。彼やデメトリオスの意思にフィオナも懸命に応えようとしている。誓約の勇者としてその空白にリアム・ライアンの名を刻まねばならぬと、強く誓うのだった。




