つかの間 平穏な日々:2
「へぇ……こうなってるのね。釜は外の煙突のところよね?」
ミダスの屋敷は、屋敷の敷地内に堀から直接引いた用水が流れていて、その水を二機の水車でくみ上げて分配している。
この建物に入る時に使用人の姿が見えなかったことから、浴場には外で沸かしたお湯を供給しているように見える。
「我が家の浴場は、そんなに珍しいものなのでしょうか?」
ミダスの屋敷の浴場は公衆浴場をそのまま小さくしたような感じだ。
一人一人がすっぽりと入れるような椅子のような浴槽。腰の辺りと足下に湯が溜まる場所がある。
ただ、この浴槽は以前に帝都でフィオナが見たものとは違い、肩口から自動でお湯が出る仕組みがありこれは珍しいものだ。
都市部にある、いわゆるヒップバスには湯桶で湯を運び体を洗う給湯師(日本でいう三助に相当)がいるのだがここにはいない。
なにより壮観なのは壁一面にきら星の如く輝く宝石。
ミダスにとっては病の副産物かもしれぬが、使い道のない屑石といえども浴場の壁に所狭しと並んでいれば、それだけで壮観な光景だ。
「すごいわね、この規模の浴場を個人で所有するのはなかなかできることではないわ」
「そうでございますわね。お義父様も水の豊富なこの街でないと無理だと」
「雪割り谷の役目を考えたらお風呂のことが気になるのは当然だと思います。でもでもですね……さすがにそれははしたないですよ~!」
その仕組みに興味津々なフィオナは、へばりつくように浴槽を眺めてはどのような構造か調べている。
そのたびに隣でくつろいでいたメディアは、フィオナの大きな胸や形の良いお尻が目の前で揺れる光景を目の当たりにすることになり、目のやり場に困ってしまった。
「いいじゃない。誰も見てるわけではないのだし。それより雪割り谷の湯量ならこれは再現できそうね?」
「ええ、はい。って、そういう問題じゃありません。こうなれば実力行使です!」
旅の途中でも感じていたが、こういうときのフィオナは危険だ。
目の前に何があろうと目的を完遂する、知性を持った猪並に厄介なのだ。
メディアは、なおも浴槽を調べ続けるフィオナに強引に大きめのタオルを巻き付けた。
「そこまで気にすることはないと思うけど、ありがとうメディア」
渋々と言った感じだが、それでもフィオナは礼をいう。
「私は気にしませんけど、ゾエさんも気になると思います!」
「そんなことはございませんわ。殿方も居られませんし、メディア様も気にしすぎなのでは?」
ゾエは特に気にもとめていない様子。そんなゾエの肢体は同じ女性のメディアから見ても美しい。
イーリスだから美しい顔なのは当然なのだが、それに加えてお椀を横にしたような柔らかそうな胸。
肉はつきすぎているわけではないが、艶やかで弾力のありそうなお尻。
透き通るような石膏のような白い肌。身体まで全部美しいとか反則じゃないだろうか?
フィオナだってきちんと化粧でもすれば、相当な美人の部類だ。
そのまま浴槽にがっくりと腰を落とし、メディアはうなだれてしまう。
「うん。わたしが気にしすぎてたのかな。世の中は不公平です」
なかなかに複雑なメディアの心境を知ってか知らずか、フィオナはなおも思索中だ。
「これ、お湯のくみ上げは水車を使うのね。石臼を挽くのと浴槽への湯の供給ができて、さらに蒸気は向こうの蒸し風呂に有効活用。ミダス商会は公衆浴場を始めてもいいんじゃない?」
「いえいえ、あくまでもこれはお義父様とテオドリックの趣味のようなものですし、それに……ミダス商会は世間からは恐れられておりますもの」
「残念、それはもったいないわね。ここ、リアムもすごい興味をもってたでしょ?」
「ええ、リアム様は自分から進んでこの浴場を清掃しておりましたわ」
「おそらく図面に起こして、石の材質とか書き留めていたのでしょうね」
ゾエの返事に何度かうなずきながら、フィオナは浴槽を優しく撫でる。
「うふふ。その通りですわ。宝石を眺めてはフィオナがいればってボヤいておられましたもの。正直、妬けてしまいました」
「ええっ!! そうなの?」
思わぬ告白にフィオナの手がピタリと止まる。
「はい。フィオナ様とご婚約なさってなければ、是非とも私を妻にとお義父様も乗り気でしたもの」
「ごめん。ほかのことはいいけど彼を譲るのだけは無理だわ」
珍しく顔を真っ赤にしてフィオナは即答する。
「いえいえ、確かにリアム様は素敵な殿方ではございますが、フィオナ様もとっても立派なお方ですもの。私も諦めざるおえませんわ」
虹色の瞳をキラキラと輝かせながらゾエはそういった。
「そういえば疑問だったんですけど、先生はリアムさんのどこがそんなに気に入ったんです?」
「ああ、それ話さないとだめ?」
「知りたいです!」
「私も聞きたいですわ。どこまでも探しに行こうなんて普通はできるものではないですもの」
「そうね。簡単に言えば私にとっては雪割り谷とライアン家の人が全てだからよ。両親は幼い頃に亡くなってしまったし、祖父も多忙だったから私にとってはそれだけが全てだったの」
「それじゃあ、小さな頃からリアム様とはずっと一緒だったのでございますね」
「私にとってはあいつは弟みたいなものだったわ。リアムからすれば自分の方が兄だっていうでしょうけど……三年前までは半年離れたことはないくらい側にいたわね」
その時のことを思い出すかのように、フィオナは目を閉じた。
「ところが三年前に祖父が亡くなって、そのあとグレン家の濃い人間族の血を求めて、とある貴族から縁談の申し込みがあったのよ」
「ヘリオス様から聞いています。コリントス候家がヘリオス様の奥方にって申し出たんですよね?」
「勇者様のお嫁さんにフィオナ様が? 本当なのですか?」
「フィボス元帥も祖父の教え子の一人だったし、アトラスの血が濃くなり過ぎていたのは事実だしね。もっともそんな理由がわかったのは雪割り谷にヘリオスにこの前聞いたんだけど」
「でも、そうならなかったんですよね?」
「そう、その話を聞いたリアムはそれならば自分が。と、先に私に結婚を申し込んだの。最初は驚いたけど、見ず知らずの、しかも大貴族の家に行くよりはよっぽど良かったから……」
「兄弟同然に育った幼なじみと結婚なんて、とっても素敵なお話ですわね」
「そうなのよ。それなのにあいつってば、帝都にこなかったのよ! そりゃあ、やむにやまれぬ事情があったんでしょうけど、せめて連絡くらいは欲しかったわ!」
「それももうじき解決ですよ、写本を作りにいってる司書の方が帰ってこれば、リアムさんの失踪の原因もわかるはずです」
「うん。それまではゆっくりさせてもらうことにするわ。ゾエにももっといろいろ教えるわ」
「楽しみにしておりますわ。ですが勉強慣れしておりませんので、お手柔らかにお願いいたしますわ」
ちょうど担当だった司書が写本の受け取りのために出払っているらしく、帰ってくるまであと数日はかかるという。その間は二人に勉強でも教えながら身体を休めるしかない。
それからしばらく二人の思い出話や、この町での様子などの話が続いたのだった。
2018/03/01
全体的に野暮ったい会話部分を修正。




