デルフォイ~強欲のミダス:1
「そうなんですね。あの時の商人の方がもう着いておられたと」
「そのリックとかいう商人、リアムは拙者には何も話してはおらなんだ」
「向こうもデメトリオスさんのことは知らなかったようです」
リアムは、そういうことは話しておく方だと思ったのだが、どうにもそこが引っかかる。
「なに、例え何があろうとデルフォイの街の中では仕掛けてはこれんよ。それよりももうじきデルフォイが見えてくるぞ」
ヘリオスは特に気にとめるでも無くその話題を遮った。
もしやフィオナの考えすぎとでもいうのだろうか?
フォキスの町からデルフォイまでは馬車を使えば半日ほどの道程だ。
デルフォイの町は帝都アクロポリスが落ちた場合の副首都と位置づけられており、計算し尽くされた都市計画を元に建設されている。
ここには正法教会の神殿や帝国大学、医学院、など様々な施設が集められており、それ故に賢者の王国とも呼ばれる。
元首はデルフォイ総主教、デルフォイ市長、帝国大学学長、医学院長の四人の中から選挙で選ばれるデルフォイ副王が努めるという他の国とは違う統治形態を取っている。
二重の城壁と堀に囲まれた市街地へは、街道から続くイアソン記念門を通って侵入する形となる。
外壁部をぐるりと周り内堀との境目にある大きな屋敷がミダス商会。
内堀の向こうは城壁と物見のための尖塔であり、町の中でも最も王宮から遠い場所となっている。
館の周りは人の背丈の倍ほどもある壁で遮られているため、市中に別の城壁があるような印象を受ける。
「こちらにおわしますは、デルフォイ王位請求権者ヘリオス・イアソン・コリントス4世であらせられる。ミダス商会会頭、ミダス殿への面会を要請するものである」
紋章の刻まれた左手を高々と掲げたヘリオスの前で、メディアが白紙の命令書を読み上げる。
略式ではあるが、こうして紋章官を通じて正式に訪問したという事実が、相手にとっては栄誉として目に見えぬ利益になるのだ。
「少しお待ちいただきたい。今すぐお取り次ぎいたします」
「これはまた、拙者達の時とは大違いでござるな」
「そうなんですか?」
「拙者も念のためと思い伝馬士を送っておいたのだが、ずいぶんとあちらの建物で待たされた」
「やはりそこは騎士と貴族の違いなのでしょうね。形式上とはいえこの国の人間はコリントス候に忠誠を宣誓しているわけですから……」
デメトリオスが指さしたのは商談などを行うであろう離れ。雪割り谷でいえばフィオナの家のような場所ということになる。
「デメトリオス殿、あの男は何者だ?」
手を掲げたままのヘリオスが振り返らずに、デメトリオスに問う。
「この家の家令でござるな。拙者も名を聞いたことはござらぬ。頑なに名乗らぬところを見ると、名の知れた破落戸なのかもしれぬ」
奥から現れたのは執事風の壮年の男性。口の周りを黒々としたラウンド髭に覆われ、装いは黒の上下の執事服。手だけは真っ白な皮の手袋。
だが、腰に帯びた奇妙な剣は彼が普通の家令ではないことを示していた。
ヘリオスが使うような幅広の長剣とは明らかに違う。槍よりも細いそれは刺突を目的とした剣にみえた。
「ようこそおいでくださいました。ヘリオス王太子殿下。デメトリオス様。そしてフィオナ・グレン様に紋章官のメディア殿ですな」
強面からは想像もつかない満面の笑顔と穏やかな声で、家令は歓迎の意思を示す。
「こちらに世話になっていたリアム・ライアンの件で尋ねたいことがある。フィオナ殿とミダス殿との面会をお願いしたいのだが、よいだろうか?」
「その件につきましては、我が主ミダスに直接お尋ねください」
そういうと懐から鈴を取り出して人を呼ぶ。その合図と供にメイドやフットマン達がわらわらと現れる。あっという間に荷物などを持って行かれ、あれよあれよという間に屋敷の中に導かれる。
家令の男はその様子をやはり喜色満面で見送っていたが、その目は笑ってはいなかった。
「思ったよりは暗いんですね。それにこの匂いはお香でしょうか?」
「おそらくクレタ産の香油よ。この家は玄関からアトリウムに繋がっている典型的なドムスね」
ここは大商人が住むに相応しい邸宅といえる。玄関ホールを入って目の前の中庭には池。
奥にはおそらく館の主の執務室があるのだろう。
ミダスは自分の姿を見られることに抵抗があるようで、照明類が一様に暗いのが一目でわかる。
すぐに新鮮なフルーツ類が用意されて、先ほどの家令がそっと後ろを通り過ぎる。
そして奥からずるりずるりと岩の塊のような生き物が這い出してきた。
「よぐぞ……おいでぐだざっだ。でんがをおぶがえじでみにあばるごうえいにございばす」
ジャリジャリと岩を砕くようなささやき声。全身を溶けた岩のような鉱石に覆われ、錦糸で彩られたローブを着たその男。頭部には有角族独特の角になり損ねたとしかおもえない無数の瘤。
ロバを思わせる毛むくじゃらの耳に頬の半ばまで裂けた大きな口。
普段は人間より小さなタイタンであるが、目の前のミダスは人間よりも少し大きい。
戦闘の際に周囲の鉱物と融合して巨人の姿を取る有角族のできそこないのような外見だ。
「ようこそおいでくださいました。殿下をお迎えし身に余る光栄にございます」
そう告げたのはミダスに寄り添うように立つ一人の少女。
「ヘリオス様!」
その姿にメディアが思わず叫び声を上げる。
無理も無い話だ。少女は目隠しをされ、服というのもおこがましいぼろ切れを身にまとっている。
メディアでなくても目を背けたくなる光景に違いない。
「どういうことでござるか? 殿下の前で奴隷を使うなどさすがに無礼ではござらぬか?」
「ミダス殿。自らお迎えいただき感謝いたすが、デメトリオス殿の申したとおり、奴隷の所持は帝国法により禁じられている。どのようなおつもりか?」
「そこは私がお答えいたしましょう」
そういって前に出たのは先ほどの家令。
「ご存じの通り、ミダスは手に触れたものを何でも石に変えてしまいます。故に身の回りの世話はこのように奴隷に行わせる他ないのです」
「つまり、誤って触れてしまってもいい人間ということでしょうか?」
フィオナは問う。
「ぞうだ。じようじんもりっばなざいざん。ぶれればごわでるがぞれはいがぬ」
「そうだ。使用人も立派な財産である。触れれば壊れるがそれはいけない。奴隷であれば替えが効くということです」
自分の命のことなのに、奴隷の少女は平然とそういった。
触れれば壊れるなら服もぼろ布で良いと言うことか?
いや……何かがおかしい。
「フィオナ、ミダス殿の言葉は真実か?」
ヘリオスからの問いに、フィオナは熟考して結論を出す。
「いいえ。ミダス殿は嘘をついています」
2/19日 改訂。




