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村娘が世界を変えてもいいじゃない!  作者: 紀伊国屋虎辰


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序章~フィオナと勇者主従の出会い:1


――雪割り谷――


 中央山地の奥地、ヴァルドシア山の中腹に位置するこの谷は、

薬草の産地であり、温泉の街としても名高い。


 街道から更に二日半も山道を歩いて来なければならない僻地である。

それでもここは帝国最古の温泉地であって、皇帝アウトクラトールの直轄地とされている。


 ゆえに代官として本物の帝国貴族が領主に任命されてきた歴史がある。

【本物】の、というのは皇帝に紋章を賜った直参の貴族だ。

 

帝国ヘレネス』が成立して1500年。一人の皇帝が人類の帝国全てに君臨した時代も今や昔。

皇帝と十人の王によって統治される現代においては、由緒という面で見れば完璧であるが、来ることさえ難儀な秘湯の村など、過去の遺物ともいえる。


 以前は訪れる者といえば、傷を負った騎士や裕福な市民の病気療養。

薬草や鉱物を求めた商人といった風情だったが、ここ数十年は観光という風習も定着し、普通に旅人がやってくることも多い。


 そんな雪割り谷の外れ、森を抜けた丘の上に続く長い長い坂を上る少女。

ややくすんだ藍色の髪と象牙のような白い肌。背は女性にしては少し高い方だろうか?


 ここは元々が内陸の寒い地方だ。彼女の出で立ちはというと、細い革のベルトで結んだ膝下まである長いワンピース。その左手には分厚く赤い羊皮紙の本。


 村を見渡せる丘の頂にある目的の場所を目指し黙々と坂を登る。


 そこには先祖代々の墓所があった。


「随分と暑いわね。こう暑いとため池の水が気になるわ」


 そう呟くと左手に抱えた本を開く。やや赤茶けた、ため池の水面を思い浮かべつつ導水に関する記述を探し出す。


 対策は導水用の水車を設置して枯れない山からの湧水を木製の水道管で、ため池へと誘導すること。


 水車を作るのに適した木材は有ったかを思い出す。乾燥小屋には、まだ十分な量があったはずだ。 


 村の西の外れの台地の栗の林は何世代にも渡って管理されていて、秋には貴重な食料になるとともに木材としても利用される。


 防水性が高く台所などにも使われているが、この場合はどうだろう?


 今度は水道管の種類と特性についてのページを開く。

そこには農業のこと気象のこと薬草や毒草の種類農業技術に関する知識。


 祖父や父が記した後に彼女が記し、さらには彼女の子孫達が記していくだろう知の記憶。


 それが所狭しと刻み込まれている。


 子供の頃から慣れ親しんだこの本だけが彼女に残された最後にして最大の遺産。

本を開く。それだけでずいぶんと重労働だが、それでも片時も手放さない。


 彼女、フィオナ・グレンは村娘である。


彼女の持つ本の名は『世界事典マグナ・コスモス』共通語で大きな世界という意味であるが、この本は未だ未完成。


 だからフィオナも新たな知識を学びこの本に記すことになる。

それは、いわばグレン家に受け継がれた使命のようなものなのだ。


 春から秋には四季折々の作物を畑で育て、請われれば村々を巡り人々に学問を教える。そういう生活をフィオナは続けている。


「導管は栗よりも檜がいいのかしら……」


 そんなことを呟きながら坂を登る。

 家に帰ったら村長に話しておこう。他にも準備しなければいけないことが多い。

明日には村を発ちしばらくは戻れなくなるのだ。


 森を抜け長い坂道の終わりが見えて、暖かい初夏の日差しが眼前に拡がる。

普段は彼女以外には訪れる者のないその場所に、今日は先客がいた。


 そこにいたのは一組の男女らしき姿。

長身で筋肉質といった感じの男は、後ろでやや乱雑にまとめた赤髪で、一見すると旅人のようだ。


 ただ、旅人にしては腰に帯びている剣は随分と立派だ。


 あれは有角族タイタンが鍛えたチタニウムの剣だろう。


 チタニウムは有角族の鍛えた金属。腐食もせず傷も付かない。

 

 工芸にも優れた力を発揮する有角族の仕事は、鞘に彫り込まれた女神の意匠にも現れている。


 歳はフィオナよりも少し上くらいだろうか?


絹のブラウスに革のズボン。それに靴の仕立てからすれば、どこかの騎士か貴族の子弟だろう。


 隣にいるもう一人は、やや背が低い。


 フード付きの外套から覗く利発そうなクリクリとした瞳が印象的だ。

たぶん女性なのだろうが、もしかしたら少年なのかもしれない。


 落ち着いている男と比べ、周囲を見回す仕草も多い。

一般の旅人が持つ小剣を腰に差し、首からは聖印を下げている。

 

 聖印?


 おかしい。聖職者だとして修道院を出られるのは20歳からのはず。


 大学や魔法学院などと違い、修道院には飛び級などはない。

そうなると聖印を世襲する職業ということなる。


 世間広しといえど、そんな仕事はあまり多くはない。何者だろうか?


 ガサッと、足元から大きな音がした。


 思案していたせいで枯れ草の塊を踏みぬいてしまったのだ。

こちらの足音に気がつくと、二人は振り返り深々と頭を垂れる。


「やっと来たようだな。お邪魔させてもらっている」


 乱暴そうな印象とは裏腹に、男の方はかなり洗練された所作の持ち主だ。

お付きのフードの方は、やはり少し動きがぎこちない。


「こんにちは。珍しいわね、こんな所に来客なんて」


「こんにちは。お嬢さん」


「おじゃましております」


「ここは村が見渡せる良い場所だ。いかにもグレン師が好みそうだ」


「ええ、祖父は隠居してからは毎日ここに来ておりましたから」


 フィオナの祖父、ダイアー・グレンは世に名を知られた大賢者。

一代で薬売りから帝国宰相となった伝説の人物である。


 年少の頃より国中生薬を売り歩きながら、その地に暮らす人々の生活や風俗といったものを書物に記してきた。


その書は10年経つ頃には行商人たちの教科書となり、


20年経つ頃には今度は為政者たちの教科書となり、


30年が過ぎ去った時には王や貴族達もその教えを請うようになった。


そして40年。ついには皇帝の代理として帝国の全てを教え導く立場となった。


 もっとも、生前の祖父に言わせれば、人より少しばかり多くの世界を見てきた結果に過ぎなかったらしいが……。


 フィオナの持つ世界事典はその知識を継承するためのものなのだ。


「グレン師にはずいぶんと世話になった。改めてよろしく。フィオナ・グレン」


「祖父をご存知なのですね?」


「子供の頃、幾度か我が家にお招きしたこともある」


「そうでしたか。わざわざご足労いただきありがとうございます」


(でも……お爺ちゃんのお弟子さんってわけではなさそうね)


それにしても……と、フィオナは首を傾げる。


 祖父の直弟子は四人しかいないとはいえ、帝国大学などで教えていたこともあるそうだから、教え子は多い。それでも弟子にしては若すぎる気がする。


「村に来て最初に挨拶をしておきたかったんだが、君はもう出発していたのでね」


「はい。それでわたし達はここで待たせてもらうことにしたんです」


「そうだとしたらどうやってここに来たのかしら? 道は一本しか無いのだけど」


「それはですね、フィオナ先生」


 フードの方、どうやら少女であるらしい……は、フィオナを先生と呼んだ。

既知ではないと思っていたが、この声で思いだした。


 フィオナはこの少女を知っている。


「メディ。俺が説明する」


 そして目の前の男は彼女をメディと呼んだ。これで確定。

 用事があるなら手早く済ませた方が良い。フィオナはそういう手間を惜しむ性格なのだ。


「いいえ。説明しなくてもわかるわ。メディア。久しぶりね」


「え!? 私のこと覚えていてくれたんですか?」


 驚きのあまり名前を呼ばれた少女は裏返った声でそう応える。


「当たり前よ。紋章官で魔法使いなんて帝国広しといえどあなたくらいだもの」


「あ、そうか。聖印で気づかれたんですね」


「神官か紋章官でない限り職業を示す聖印を持つことはできないし、神官ならあなたは若すぎるわ」


 メディアと呼ばれた少女は、フードをめくり上げた。

帝都人に多い黒髪を、やや短めにまとめた少女は紋章官の聖印と魔法使いの法印。

二つの証を首からぶら下げていた。


 主と揃いの色のブラウスにスカート。それでも旅に向くように生足を晒すことはせず、ももの当たりまである紐で編んだ長靴下をはいている。


 紋章官は神より与えられた貴族の紋章を開放する【誓紋術せいもんじゅつ】の使い手だ。


 皇帝によって貴族の紋章を与えられた帝国貴族は、紋章を通して秩序の神の力を顕現させる。


 温泉代官とはいえ、この地を治める領主であるライアン家は、初代皇帝であるヘルメス一世の側近だったエイドス男爵家の血を引く古くからの一族。


 もちろん、神の奇跡を起こす紋章旗を所有している。


 紋章旗に込められた高位正法を開放することのできるのは紋章官だけ。

力の開放がなされなければ、貴族といえどもやすやすと神の力を行使などできない。


 そのために紋章官は、貴族を補佐し法や戸籍の管理をする。

また聖印を用い神の力である正法を行使する正法騎士と並ぶ法の番人。


 眼前の少女――メディア・ラプシスは紋章官にして魔法使いという珍しい存在。


それだけにフィオナは自分より2つ年下のこの少女のことをよく覚えていた。


 二年半前にフィオナは騎士認証を受けたのだが、その時に帝都の魔法学院で薬草学や、家政学を教えていた時の教え子の一人である。


「魔法使いと言っても力の言葉は3つまでしか使えませんし、正法もまだまだです」


「それでも、十分にすごいわよ」


 一般的に魔法は言葉を重ねるほど強さを増す。

普通はひとつかふたつだが、魔術師は3つ以上の言葉を操る。


 魔術に長けた種族であれば8つ以上使えるものもいるようだが、

そんなものは世界中でも片手で数えるほどしかしない。


「フィオナ先生だって、学者と騎士を両立しておられます」


「そんな良いものではないわ。あの時の講義だって叔父の代理だったもの」


「それにね、メディア。平時の私はただの村娘よ」


「いえいえ。そんなご謙遜しなくても先生の凄さは私がわかってます」


 煩わしい話ではあるが、爵位の継承は放棄していたとしても、騎士認証を受けることは多くのメリットを持つ。


 帝国の招集に応じて軍務に従事する義務を負うのだが、通行手形の免除、旅館や商館の優先利用権、乗り合い馬車や渡し船もタダで乗ることができる。


 いくら治安は良いと言っても、やはり女性の一人旅は心細い。



 安心が得られるのなら、それは何よりも大切なものだ。


 しかも困ったことにフィオナは剣も魔法もまるでダメなのだ。

人より少しだけ多く物を覚えることができ、少しだけ早く思い出すことができる。

後は作物を育てたり、料理を作ることくらいしか取り柄はない。


 そんなフィオナが自由に旅をするためには、騎士認証は何としても必要だった。


 そして称号を受けた以上は騎士として働かなければならず、そのために魔法学院で教鞭を取るはめになったのだ。


「私のことはフィオナ。もしくはフィオナさんと呼んでほしいわね」


「わかりました。フィオナ先生!」


言ったそばからこれである。


「しょうがないわね。おいおい直してくれればいいわ」


そうだ。すっかりペースを乱されてしまったけど、最初に聞かないといけないことがある。


「それよりも正式に紋章官になってるってことは、そちらの方が貴方の領主様?」


「はい。そうです! こちらが我が主。コリントス候子、ヘリオス・ジェイソン様です」

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