インの最期
「イン様!」
カイがインを支え、コアはその隣に座った。インは側に居るコアを呼ぶと、その傷に手を当てた。薄紫の光がその手の中で輝き、彼の傷を癒していった。コアはもう涙を止められず、インの名を呼び続けていた。
「友よ、泣くな。これでやっと私は・・・苦しみから解放される。愛しき者達の元へ・・・行ける・・・」
すべての力を使い果たしたインは弱々しく息を吐きつつ、目の前に立った朗を見上げた。
「導主の使いよ。これですべての罪が許されるとは・・・思っていない。だがどうか・・・この者達を責めないでやってほしい。すべては私の罪・・・。王である私が己を見失い、全てを巻き込んだのだ」
「その言葉、パルスパナスの善導者に伝えます。きっと彼女は戦いを終わらせるためなら、例え忘れる事が出来なくても、すべての遺恨を封印すると言うでしょう」
インは微笑むと、何かを呟きながら目を閉じ、息を引き取った。彼は最後に愛する亜妃と王聖女の名を呼んだのだろうか。コアの押し殺すような泣き声と共に、目が覚め、全てを見ていた高吏達も泣いていた。
「イン様・・・・」
王であり、そして尊敬する友だったインの死に顔を、カイは信じられない瞳で見つめた。そして決意したように素早くインの手に握られていた剣を取り、己の胸に突き立てようとした。その瞬間、剣がはじかれる音がして、カイの手にした剣が前方に吹き飛んだ。朗が彼の剣を弾き飛ばしたのだ。そしてとても怒った顔をしてカイを見つめていた。
「死ぬなんて許さないよ、カイ。分かってた。あなたが王に殺されに来たって事。でもインはあなた達を生かす為に死んだんだ。本当に犯した罪を償いたいのなら、インに託されたこの国を立て直し、守っていくのがあなたの努めなんじゃないの?
あなたにとっては、死ぬ方がずっと楽でしょう。でもそんな逃げ方はあなたらしくないよ。カイ。その人と一緒にこの国を導いて行って。王はあなた達2人にすべてを託したんだよ」
カイが顔を上げると、もうこれ以上涙を流せないだろうと思うほど泣いているコアが居た。
「コア・・・・」
小さく自分の名を呼びながら頭を垂れた友の肩を、コアは何度も何度も優しく叩いていた。
王の死後、王宮に多少の乱れはあったものの、多くの支持者を持つカイと、王の側近で知恵袋と呼ばれたコアの指揮は非常に敏速で、騒ぎは一応の収集を見た。カイ達よりずっと以前から城に仕えている古株の中には、彼らのような若い者に全てを委ねるわけにはいかないと息巻いている者も居るようだが、カイとコアなら何とか対処してうまくやっていくだろう。
インの葬儀は1週間後に行われるようだが、朗と柾人は早くパルスパナスの人達に事の全容を知らせたいと、その日のうちに帰る事にした。カイとコア2人が、城の外まで朗と柾人を見送りに来た。
「しばらくは忙しそうだね」
朗の言葉にカイがうなずいた。
「とりあえずは1週間後の葬儀を誰が取り仕切るかでもめるだろうな。まあコアの事だ。抜かりなく手は打ってあるだろうが」
カイの言葉にコアはニヤリと笑った後、優しく微笑んだ。
「本当にお2人には感謝しています。あなた方のおかげでやっと戦いを終える事が出来ました。今回は本物のオルドマは出て来なかったし、あの小さなオルドマでお許し願えたのでしょう」
コアは朗の見事な剣を見て言った。
「あっ、これは借り物で。そうだ、カイ。忙しいのは分かるけど、時々はアデリアに会いに行ってあげてよ。分かってるでしょ?彼女の気持ち」
「あっ、あれは・・・・」
カイは生まれて初めてというほど、真っ赤になって目をそらした。
「あの時は、私の命を助ける為に抱き付いて来ただけだろう。彼女がそうしてくれなかったら、首を斬られるところだったからな。それ以降は目も合わせておらぬ」
「それは本気だからだよ。カイって女心が全然わかってないね」
恥ずかしさのあまり声も出ない親友に、コアがニヤニヤして聞いて来た。
「アデリアとは誰だ?お前から女の話題が出るなんて、初めてだな」
幼い頃からの悪友に冷やかされ、カイは両手で顔を覆いながら叫んだ。
「見かけは少女だが、我らより300歳も年上の女だ!」
「ほう。まさかパルスパナスの善導者?それはいい!」
コアは両手を叩いた。
「結婚したらきっと子供は2人生まれる。一人は妖精、一人は天空族の姿でな。これでパルスパナスにもサラーシャにも善導者が誕生する。サラーシャの未来は安泰だ」
「何を勝手な事を・・・」
真っ赤な顔で反論するカイに朗も言った。
「うん。きっと導主ならそんな粋なこともしてくれそう。じゃ、2人共元気でね。カイ、約束だよ。でないとアデリア、100年でも200年でも待ってるから」
月鬼と千怪に乗ってふわりと浮かび上がった朗と柾人に、コアは手を振り上げた。
「お元気で、導主のみ使い。あなた方を勇者と呼ぶべきでしょうか」
「アキラとマサト。友達なら名前を呼ぶべきだよ」
遠く去っていく新たな友の姿を見送りながらカイは「約束か・・・」と呟いた。
空を風を切って飛びながら、柾人は少し前方を飛んでいる朗を見た。アデリアがカイを助けたい為にあんなに大勢の前でわざとカイに抱き付いたと聞いた時、本当に俺は何も分かってなかったのだと思った。あの時は彼女のいつもの独占欲でそうしたのかと思っていたのだ。だが確かに王聖女が公衆の面前で、敵の大将にそんな事をするなんて、いくらなんでもおかしかった。カイも朗も気づいていたのに、俺だけは分かっていなかった。
そして今、一緒に飛んでいる朗の気持ちも、俺には全然わからない。ずっと小さい頃から一緒に居て、一緒に戦ったのに。本当に女心が分かってないのは俺だよな・・・。グチグチ考えていると、朗と会話も出来なかった。さっきまであんなに話をしていた朗も一言も話さないので、そのまま2人は長い距離をずっと黙ったままパルスパナスに戻って来た。
もう月が暗い夜空に高く上り、あたりは静まり返っている。朝一番に飛び立った大きなバルコニーまで降りると、月鬼と千怪は朗の礼だけ聞いてすぐに姿を消した。疲れているだろうに、なぜか朗は月を見上げたままその場から動こうとしないので、柾人も黙って彼女の隣に立っていた。不意に朗が「柾人」と呼んだ。返事をするまもなく、朗の顔が目の前にあって、彼女の唇が自分の唇に触れていた。
あまりにびっくりして、柾人の頭の中はパニック状態だった。
え?何?つまりこれって朗も俺の事、好きって事?でも朗、今男だし、つまり俺のファーストキスは男に奪われたってのか?でも相手は朗だし・・・。えーっと、えーっと・・・。
柾人がどうしようもなく慌てふためいているので、朗はちょっと頬を赤らめてうつむいた。
「柾人、嫌だった?」
うつむいている横顔がすごくかわいらしく見えて、柾人はもうどっちでもいいと思った。
「いや、ぜんぜんいい!だって朗だし。俺、朗としか一生キスしないし、も、全然大丈夫。なんならもう一回してもいい」
朗はくすくす笑うと、「柾人、大好き!」と言って抱き付いた。その途端、大歓声が上がり、城のバルコニーに灯木を持った人があふれ出し、あちこちの窓からも灯木をかざしながら人々が手を振っていた。バルコニーに出てきた人々の中からアデリアが飛び出して来て、朗に抱き付いた。マクベスとアルも病室の窓から手を振っている。ナーダが柾人の前に来て「やったわね!」と言いつつニヤリと笑った。
しかし柾人は呆然としていた。つまり俺は男とキスしているのをみんなに見られたって事か・・・?かなりショックだったが、もういいやと開き直った。男でも女でもたとえどんな姿になっても、俺は朗が好きなんだから・・・。
しかしやはり朗が本当の男だと思っているジョアン達は青い顔で囁き合っていた。
「なあ、今のって・・・」
とマークル。
「男同士・・・だったよな・・・」
デーシィも呟いたが、ジョアンは考えたくないと言う風に首を振った。
「俺は何も見てない、見ていないぞ!」
夜も更けていたが、朗はアデリアが早く報告を聞きたいだろうと思い、今日起こった出来事を全て話した。インの最期を聞いたアデリアは、妖精の一族としては許せないが、妻子を思う彼の気持ちは分かると言って涙を浮かべた。
次の日の夜は朗と柾人、そしてエルドラドスの善導者であるスドゥークの為に宴が催された。これはパルスパナスの一日も早い復興を祈っての宴でもあったので、城中から酒を集め盛大に行われた。スドゥークはナーダに酒を注いでもらいながら、豪快に酒を呷っている。その隣でアデリアも楽しそうに笑っていた。アルとマクベスももちろん参加だ。宴と聞いて、黙ってベッドで寝ていられる男達ではなかった。
メディウスは自慢の娘を部下たちに紹介し回っている。その横で生まれて初めて着たドレス(本人は似合わないと嫌がっていたが)を着て、シオンが赤い顔をして立っていた。そんな仲間達の様子を微笑んで見ると、朗は隣でバケモノツル(本当の名は別にあったが、朗と柾人はこう呼んでいた)のソテーにかぶりついている柾人に声をかけた。
「柾人、少しだけ話があるんだけど、いい?」
朗がこんな言い方をする時は、誰にも聞かれたくない話がある時だ。柾人はうなずいて、2人で宴の会場を出た。何も言わなかったが、彼等はこの間、旅立つ前に話しをした中庭へ向かった。その時座ったベンチに腰を掛けると、朗は思った。ここはきっと、ずっと思い出に残る場所になるんだろうな。柾人に告白された場所だから。
「話って?」
柾人に聞かれて朗ははっとして「うん」と答えた。
「多分スドゥークはあと2、3日もしないうちに・・・早ければ明日にでも、エルドラドスへ戻ると思うんだ。周りの人達には何も言わずに来たみたいだし、ディーオもすごく心配しているだろうから。私達ももし帰るならその時だと思う」
いきなり帰る日の話をされて、柾人は戸惑った。確かにここへ来た時は、朗を連れて元の世界へ帰るつもりでいた。帰れるものならすぐにでも戻りたかった。だがなぜだろう。近頃はその事をすっかり忘れていた気がする。
確かに元の世界にも友達は居た。でもこの世界で出来た友達は違う気がする。すごくぶつかり合ったり、励ましてもらったり、一緒に知らない世界をさまよい、共に戦った。心の底から仲間と思える人達に会えたのは、柾人にとって初めての経験だった。だから彼らを守りたいと思った。彼らの為に出来るだけの事をしたかった。その人達と別れる?こんなに急に・・・・?
「もしその時を逃したら、帰れなくなりそうで怖いんだろ?」
柾人の言葉に朗はうなずいた。きっと俺より長く彼らと共に過ごした朗には、思う事がたくさんあるのだろう。それにきっとアデリアやマクベス達に引き留められそうな気がする。アデリアに泣かれたら朗の心も揺れるだろうし、やっと仲良くなれた気がするアルに引き止められたら、俺も迷うだろう。
「柾人はどうしたい?元の世界に帰りたい?ここに残りたい?」
「俺は・・・朗が生きる世界で俺は生きたいと思ってここへ来たんだ。だから朗が居たいのなら、俺は別にかまわない。朗の好きにしたらいいよ」
朗は目を閉じ、しばらくうつむいていた。そして瞳を開けて月を見上げた。
「私は・・・・・」




