妖精の剣
朗がパルスパナスに来た日、奇襲をかけてきて以来、天空族はなりを潜めていた。朗が倒した天空族はすべて捕虜になり城の地下牢に閉じ込められたので、天空族の王は兵が全滅したと思っているだろう。それで様子をうかがっているのではないかとマクベス達が話していた。
今日朗はアデリアを筆頭とする戦略会議に出ていた。マクベスとアルテウス以外に軍の総隊長であるメディウスと衛兵の隊長ゴラン。飛行部隊の隊長ケーニス。地上部隊の隊長カクト。それからこの妖精国で王聖女の次に権限を持っている2人の老齢の大臣、アザールとオクトラスが参加していた。
後から知ったのだが、マクベスとアルテウスは剣の腕だけでなく、霊術の使い手としてもとても優秀なのだそうだ。彼らはアデリアの護衛だけでなく、兵たちに剣や霊術も教えていた。
何千年もの間戦争が無かったので、兵と言っても城に仕えている者や国を思って集まった若者たちで急遽作られた寄せ集めの部隊だった。剣や槍の使い方もやっと形になってきたところで、霊術も隊長などの役職についているもの以外はほとんど使えなかったのだ。
それに比べ、天空族は少人数の部隊でも戦術に長け、兵の統率も行き届いている。この一年間、国のあちこちで妖精を襲って殺してきた彼らは、とうとうこの妖精国の王聖女の居る城に攻め入ってきたのだった。
「天空族が一気に攻め寄せたら、とてもではないが我々には対処できません。もっと兵を集め、しっかりした部隊を編成しないと」
カクトが身を乗り出して言った。
「森は木霊王の力で守られ、城は簡単に見つからないようになっていたはずなのに、とうとう見つかってしまいました。今度は人数を増やして一気に押し寄せるのではないでしょうか」
ゴランは城を守るのが役目なので、今まで天空族と直接戦ったことは無かった。今回朗のおかげで城の中への侵入を防げたが、もし城内に入られたらと思うと気が気ではなかった。
「何とか兵の数を増やせないのか、メディウス。剣の使い方もおぼつかん奴らばかりではどうにもならん」
憤ったように右大臣のアザールが叫んだ。
まったくこの大臣どもは、自分たちは前線へ出もしないくせに偉そうに命令ばかりする。総隊長のメディウスばかりでなく、どの部隊の隊長も同じ事を思った。
「これが精いっぱいです」
口惜しそうに答えたメディウスの気持ちなどお構いなしに、今度は左大臣のオクトラスが言った。
「こうなったら国中の妖精を集めたらよい。皆で戦えば勝機もあるであろう」
この意見にメディウスははらわたの煮えくり返る思いがした。
天空族に襲われた同族は、どれほど無残な殺され方をしていたろう。奴らが空中から雨のように降らす槍が何本も体中を貫き、何とか飛んで逃げようとした者も、すべて追いつかれ剣で惨殺された。おびただしい血の跡。むしり取られたように散乱する銀色の羽根。
寄せ集めとはいえ、やっと兵を集め部隊を作り、天空族が襲撃してきたらすぐに駆けつけることが出来るようになった。だがまだ剣の使い方も慣れていない若い兵たちが、あの白い悪魔たちに同じように殺されるのをどれだけ見ただろう。それでも彼らは剣を捨てなかった。あの悪魔どもに必死に立ち向かった。それが何故なのか、お前たちは知らないと言うのか?
「ここに居る兵たちは皆、己の国を守るため、大切な者を守るためにここに居る。命を懸けて戦っている。それをあなたは踏みにじって、彼らの大切な者を敵の前に差し出せとおっしゃるのですか?ではあなたや我々は何の為に存在しているのですか?」
メディウスや他の隊長の冷ややかな視線にオクトラスは「誰もそんな事は言っとらん!」と憤慨しながらそっぽを向いた。
「朗。何か意見は無い?」
アデリアが場の空気を換えようと、黙って考え込んでいる朗に尋ねた。
「天空族に攻められるのを待ってるだけじゃ勝てないでしょ?天空族の城にこっちから奇襲をかけることは出来ないのかな」
「我らには羽根があると言っても、連続して飛べるのはせいぜい300羽(2~300メートル)だ。とてもじゃないが、天空族の城までたどり着けはしないさ」
飛行部隊の隊長ケーニスが馬鹿にするように言った。このケーニスは初めて会った時から朗に対してかなり上から目線だ。
妖精は羽根の枚数で地位が決まっている。一般の妖精の羽根は2枚だが、彼らのように4枚の羽根があるものは霊力も強く、高吏と呼ばれ、たいていは城に仕えている。
アデリアのような王族は6枚の羽根を持っていた。だから人族のように1枚の羽根もない一族は彼らのような高吏にとって一般の妖精よりも下の、取るに足らない存在でしかなく、いくら木霊王の選定者とはいえ、まだ朗の事を認めていない者もたくさん居たのだ。
だがそんな事をいちいち気に止めない朗は、めげずにもう一つの意見を出した。
「それじゃあ他の種族に協力を求めるっていうのは?」
皆はざわめいた。誰も他の種族に助けを求めることなど考えなかったからだ。
「それは・・・。しかし掟を破ってまで我々に協力してくれるとは・・・」
「でも、天空族の目的がもしこの地上のすべてを己の配下に置くことだったりしたら、人族も魔族も人ごとじゃなくなるんじゃないかな」
全員がハッとしたように顔を見合わせた。確かに何千年もの間守られてきた掟を破るには、それくらいの理由があるかもしれない。
「我らから掟を破るというのか?そんな事を木霊王がお許しになると思っているのか!」
ケーニスが話にならないという風に机を叩いた。
「木霊王は私達のすることにいちいち口出しはしないんでしょ?だいいち、人間である私がここにいること自体、すでに掟破りじゃない。それを木霊王が指示したんなら助けを求めるために他の国へ行くことを止めるはずはないと思う」
朗の言葉に反論できなくなったケーニスはムッとしたように黙り込んだ。
「掟は別にしても、今まで全く交渉のなかった別の種族の支配する国に行くのです。交渉する者は命がけになりますよ」
メディウスがじっと朗を見つめながら言った。それは私に行けと言っているのだろうか。ふと思ったが朗はその場ですぐ返事をするのは避けた。頭の中ではとりあえず人族を説得するするのは自分しかいないだろうと思っていたが、自分はあまりにもこの世界の事を知らなすぎる。もう少し色々な情報を仕入れてから、この決意は話すべきだろうと朗は判断したのだった。
他の国に救援を求めるという意見は彼らにとってあまりにも突飛すぎて、アデリアやマクベス達以外の高吏には受け入れられなかった。彼らはその後も天空族との戦いについて話し合ったが、誰もよい意見を出せないまま会議は終了した。
会議の後、アデリアは疲れたと言って朗を伴い自室に戻った。ここへ来てから3週間、朗は年の近い(もちろん見かけだけだが)アデリアやマクベス、アルテウスとずいぶん親しくなった。特にアデリアは王聖女という立場上親しい友人もおらず、気さくに話しかけてくれる朗の事をとても気に入って姉(兄?)のように慕っている。朗もアデリアのちょっとわがままなところもかわいいと思っていた。
「どうしてみんなあんなにまとまりがないのかしら。嫌になっちゃうわ」
部屋に入ると、アデリアがムクれた顔をした。
「仕方ないよ。みんな予期せぬ状況に戸惑っているんだ」
イライラしながら部屋を歩いているアデリアを慰めるように、朗は微笑んだ。
アデリアの部屋は朗の部屋と同じように緑の草の絨毯が敷き詰められ、時々大きな赤い花が顔を出している。この花に触れて話しかけると連絡したい者に伝わり、その者を呼び出すことが出来た。
花は必要のない時は絨毯の中に姿を消している。霊力を持つ者が手をかざすと、伸び上がってくるのだ。
部屋の壁にある電球の無い木だけのライトは灯木といって、夜になるとその木自体が発光して明かりになる。ここに来た夜、ゆっくりと明かりが灯っていく木を見て朗は驚いたものだった。
朗は木のツルと花々が複雑に絡み合ってできた1人がけのソファーに座ってため息をついたアデリアの側に跪き、手を握った。
「大丈夫だよ。今はまだみんな自分の役目に慣れていないだけだ。その内きっとみんなが協力し合えるようになるよ」
「でもケーニスなど、選定者のアキラにまで横柄な態度をとって」
「私はそんな事ちっとも気にしない。さあ、もう夜も遅いからベッドに入って。善導者が体を壊したら大変でしょ?」
自分の身を気遣う朗に微笑むと、アデリアは言われた通り大きな羽を折りたたんで横になった。
「アキラ。眠るまで手をつないでいてくれる?」
「うん。いいよ」
アデリアの寝息が深くなると、朗は彼女の美しい髪をそっと撫でて部屋を出てきた。たとえ何百年生きていても、家族のいない寂しさはぬぐいきれないのだろう。ましてや彼女はこの国の代表者で、たくさんの国民の命を背負っている。アデリアにとって朗は両親以外に自分をさらけだして甘えられる、唯一の存在だったのだ。
自室に向かう廊下を歩いていると、野太い声が呼び止めた。さっき会議室で別れたマクベスだ。隣にアルテウスも居た。話があるというので、彼らの後ろについて人目につかない貴賓室にやってきた。どうやら内々の話があるようだ。
朗がソファーに着くと、アルテウスが外の様子を確かめドアを閉めた。よほど聞かれてはいけない話なのだろうか。
「アキラ、折り入って話がある」
重い声で話し出したマクベスに朗はうなずいた。
「さっきアルとも話したんだが、君が言った他の種族に協力を求めるという話。我々だけでやってみようと思う」
朗は驚いたように2人の顔を見た。先程の会議でその話は却下されたはずだ。
「みんなに秘密で行くの?それってマクベス達の立場が悪くなるんじゃない?でもアデリアが承知なら大丈夫か」
「姫にも秘密で行きます。王聖女が会議で通らないものを許可したとなれば信用に関わりますから」
「じゃあ、私たち3人だけで行くってこと?」
朗の質問にアルテウスはニヤッと笑った。
「それはアキラも行って下さるということですね?」
「最初からそのつもりだったんでしょ?命令違反したからって死刑にはならないでしょうしね」
「ええ。アキラは提案だけをして人に責任を押し付けるような方ではないので必ず行って下さると思いましたが、一応確認をと思いまして」
もちろん彼等と共に行く事に異存は無かった。だが朗は少しうつむいて考えていた。
「行ってもいいよ。でも一つだけ条件がある」
「条件?」
「私、嘘は嫌いなんだ。一つ嘘をついたら、その嘘を守る為に又嘘を付かなきゃならなくなる。そんな事になるくらいなら、最初からちゃんと言っておくべきだと思う。みんなに反対されても私達は行く。それだけはアデリアや他の高吏にもちゃんと話して欲しいんだ」
マクベスとアルテウスは顔を見合わせた後、しばらく考えていた。朗の性格はその太刀筋を見ても分かるように真っ直ぐで揺るぎがない。嘘を付くのが下手だから最初から嘘を付かないのだろう。
「分かった。姫にも他の高吏にもきちんと話す。それからアキラ。君にこれを受け取って欲しい」
マクベスは立ち上がると、朗に剣を差し出した。朗に剣を渡そうとするのは2度目だ。彼女がこの世界に来た次の日に妖精に伝わる霊術のかかった剣を渡そうとしたが、朗は「私はこれでいい」と前の世界から持ってきた竹刀を放そうとはしなかった。
そんなもので戦えるはずはない。天空族も今は下級兵ばかりだが、やがて力の強い高吏が戦いに出てくれば、霊術同士の激しい戦闘になるのだ。
だが朗は「私の剣は人を殺すためにあるんじゃない」と頑なに言い張った。その時はそれ以上無理を言えずに剣を収めたが、これから危険な旅に出るのだ。必ずこの剣が必要になる。
そう言うマクベスの顔を朗はじっと見つめた。
「私はね、マクベス。天空族が戦うにも、きっと何か理由があるのだと思う。もちろん他の国に勝手に侵攻して人を殺すなんてあってはいけないことだけど、戦わされているのはこの国に居る兵と同じ立場の人たちじゃないかな。みんながみんな、戦いたくて戦っているわけじゃないと思う。だから私には殺すための剣は必要ないんだ」
きっと朗はそう言うだろうと知っていた。まだたった3週間だが、朗の人柄はよくわかっている。彼女はさらわれてきたことも姿を変えられてしまったことも、一度質問しただけでそれ以上は何も言わなかった。ここに居れば何の関係もない人々の為に命を懸けることになると知っていても、不平を言ったり、元の世界に帰してくれと頼むこともしなかった。
妖精の国には“あるがままに運命を受け入れる”という言葉があるが、もし自分がたった17年しか生きていない時、同じ立場に立たされていたら、彼女のように冷静で居られただろうか。そう思うと彼女の人徳を尊敬せずにはいられなかった。だからこそ彼女には絶対に死んで欲しくないのだ。
「もちろん分かっている。だがアキラならこの剣で人を殺さずに戦う事が出来るだろう?霊術は必ず必要だ。人族には霊術を使える者はほとんどおらんが、魔族は全くの未知数だ。どれ程の力のあるものが居るか我らには分からん。頼む、アキラ。この剣を使ってくれ。これは君の友としての頼みだ」
そんな風に言われると、これ以上かたくなに拒むことはできなかった。剣の道は幼い頃から歩んできたが、真剣を手にするのは初めてだった。差し出した両の掌の上に置かれたずっしりとした重み。これが人の命の重さなのだろうか。朗は決意したようにギュッと剣を握りしめると、マクベスとアルテウスを見つめ頷いた。