パルスパナスの5人
パルスパナスの森の向こうに鮮やかなオレンジ色の夕日が沈むと、辺りはゆっくりと闇に包まれていく。暗闇を好む霊獣たちが遠くで叫び声をあげるのを、メディウスは城の窓からじっと聞いていた。この時間になると思い出す記憶がある。もう20年も前にこの森で出会った人間の女・・・・。彼女は今、どうしているのだろうか・・・・・。
彼は小さくため息をつくと、いつも寝泊まりしている隣の部屋へ行こうとドアを開けた。だが総隊長室のドアを激しく叩く音に振り返った。
「総隊長!入ってもよろしいでしょうか。総隊長!」
男の声に何事だろうと思いつつ入室を許可すると、若い兵卒が5人、なだれ込むように部屋へ入ってきた。
「おい、ドアを閉めろ!」
ジョアンの声に一番後ろに居たデーシィがすぐにドアを閉めた。
「こんな時間に申し訳ありません、総隊長。どうしても聞いていただきたい話がありまして…!」
「本当はカクト隊長に話して隊長からお話しするのが筋ですが、今回は非常事態だと思い、ご無礼を承知で直接来させていただきました!」
なんだか分からないが、5人の兵達の顔は非常に緊張している。メディウスは机の椅子に腰かけると「話を聞こう」と言った。
皆を代表してジョアンが、先程自分たちが見た全てを話した。オクトラスが牢に居る敵を解放し、聖王殿へ連れて行った事、そこから善導者を殺させる為にエルドラドスへ敵兵を送り込んだ事。あまりに突拍子のない話だったが、メディウスは黙って彼の言う事を聞いていた。ジョアンが最後まで話し終えると、メディウスは静かに尋ねた。
「それで、牢の中は確認したのか?」
「い、いえ・・・。とにかく急いでお知らせしなくてはと思って・・・」
ジョアンは内心失敗したと思いつつ答えた。こんな話、にわかに信じてくれるはずはないのだ。だが牢を見れば、自分達の話が本当だと分かってくれるはずだとも思った。
メディウスに命じられて一番ドアの近くに居たデーシィとクロビスが牢を確認しに行った。しかししばらくして戻ってきた彼らは、口もきけないほど青い顔をしていた。
「どうした。牢はもぬけの殻だっただろ?」
ジョアンの質問にデーシィとクロビスは顔を見合わせた。
「それが・・・牢の中の捕虜は全員揃ってて・・・」
「なんだって?」
「そんな馬鹿な!」
マークルとロットが叫んだ。
「俺が見に行ってくる」
「ジョアン・・・」
駆け出していこうとしたジョアンをメディウスがとどめた。
「もういい」
「でも、俺達見たんです。本当にオクトラス大臣が・・・・」
「ジョアン!」
もう一度メディウスが強い言葉で言った。
「もういい。各自部屋へ戻って休め。この事は忘れるんだ」
「でも・・・」
ジョアンにはそれ以上の言葉は出なかった。彼らは5人そろって総隊長室を出てきた。しばらく黙って歩いていたが、ジョアンがたまらなくなって叫んだ。
「なんでだよ。そんな事ってあるか?俺たち全員、同じ夢でも見てたって言うのか?」
ジョアンは隣に居たデーシィの肩を掴んで揺さぶった。
「お前だって見ただろ?捕虜になってた奴らが全員エルドラドスへ行っちまったのを。なのにどうして牢の中に戻ってるんだ?」
「ジョアン、やめろよ。俺だって牢の中に奴らが居るのを確認したんだ」
クロビスがジョアンの肩を掴んで止めた。皆それぞれ不満はあったが、今はメディウスの言う通りにする他はないようだ。彼らは仕方なくそれぞれの部屋に引き揚げて行った。
ジョアン達が出て行ったあと、しばらくメディウスは机に肘をついて考えていた。いくら若いとはいえ、あんな見え透いた嘘を総隊長である自分につくだろうか。悪くすれば罰せられるかもしれないのに・・・。彼はおもむろに立ち上がると机の上を照らしていた灯木を持って部屋を出た。
長く連なる廊下と階段を降り、地下牢の扉を開け中へ入った。以前朗と来た時と同じように牢の中は暗くじめじめとした雰囲気が漂っている。天空族が捕まっている牢の前まで来るとメディウスは立ち止まり、周りを見回した。捕虜はみな、うつろな顔で牢の奥に座り込んでいる。メディウスはそれをじっと見た後、足元にあった小石を拾い上げ、牢の奥に座っている男に向かって思い切り投げつけた。すると小石は男に当たらず、奥の壁に当たってころころと転げ落ちた。小石が通り抜けた男の体は空気に溶け込むようにすぅっと消えた。
「成程。これだけの幻術を仕えるのは高吏以上の力を持つ者。本当に左大臣が善導者を敵に売ったのか・・・」
次の朝ジョアンは同室のデーシィと共に、いつも自分達が剣や槍の訓練をしている広場へ向かっていた。途中、別の部屋に居るマークル達に会ったが、皆昨日の事もあって、朝の挨拶もそこそこに交わした後は黙ったまま歩いていた。
「俺達、夢でも見てたのかなぁ・・・」
ふとロットが呟いた。
そんなわけはないとジョアンは思ったが、口に出しては言えなかった。昨日の夜中、どれだけ考えても、捕虜が牢に戻っていた理由を思いつかなかったからだ。他の兵達は皆、足早に広場に向かっていたので、まだ暗い石の廊下を歩いているのはジョアン達5人だけだった。
「早く行こうぜ。集合に遅れる」
マークルがせかした時だった。後ろから彼らを呼び止める声が響いて来た。彼ら地上部隊をまとめる隊長のカクトが急ぎ足でやって来る。彼はジョアン達の所まで来ると、少しうろたえたように言った。
「お前達、一体何をやったんだ?メディウス隊長がお前ら5人を呼んでいるぞ」
彼らは思わず顔を見合わせた。
カクトの後ろをついて総隊長室に向かいながら、ジョアン達はここから逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。総隊長は昨日、この事は忘れるんだと言った。それはつまり、自分も忘れてやるという意味だと思っていた。だが違ったのだ。総隊長を謀って無事に済むわけがなかった。それも国の左大臣が反逆を企てているなんて大それた嘘をついたとしたら、悪くすれば投獄されるかもしれない。
国の為に良かれと思ってやった事がこんな結果になるなんて・・・。
カクトが総隊長室のドアを叩いた時、ジョアンは大声で泣き出したい気分だった。そしてカクトの後ろに着いて部屋に入った5人はメディウスの顔を見て、もうおしまいだと思った。いつもは穏やかな彼の容貌は一晩ですっかり変わってしまったようだった。こんな固く冷たい表情のメディウスを見るのは初めてだった。
隊長のカクトもそれに気付いているらしく、声も出せずに横を向いて座っているメディウスの前に立っていた。
「カクト。悪いが君は席をはずしてくれ」
部屋の中に響いた声にカクトは一瞬「え?」と言ったが、すぐに頭を下げ“まったく、何をやったんだ、お前らは!”と言う目でジョアン達をにらみながら出て行った。カクトがドアを閉めた後、デーシィはたまらなくなって叫んだ。
「総隊長!俺達嘘をつくつもりなんか、ありませんでした。本当です。信じてください!」
5人はそれ以上何も言えず、うつむいたままメディウスの言葉を待った。
「お前達5人に極秘の任務を命ずる」
「え?」
予想していなかった言葉に、彼らは驚いて顔を上げた。
「オクトラス大臣の動向を探り、逐一私に報告するんだ」
それはつまり、自分達の言った事を信じてくれたと言う事だ。どうしてメディウスが信じてくれたのかは分からないが、とにかく罰せられることは無くなった。そう思ったジョアン達はホッとしたように仲間同士顔を見合わせた。
「もしお前たちの言う通りなら、我が国の善導者に危険が迫っている事になる。これはゆゆしき問題だ。だが残念なことに私には他国へ通じる道を通すことなどできない。それに確たる証拠もないまま、左大臣を追求する事も出来ない。いいか。姫を助けるにはまず、オクトラスの陰謀を暴かなければならないのだ。
だが表立って動けばこちらが始末される恐れがある。隊長達の事は信頼しているが、オクトラスはあざとい男だ。知っている人間は出来るだけ少ない方がいいだろう。だからお前達だけに頼みたい。誰にも知られずオクトラスの事を調べ上げるんだ。出来るか?」
自分達を総隊長が信頼してくれた事、そして生まれて初めて与えられた重要な任務に、ジョアン達は心が勇み立ち体が震えてきそうだった。互いを見つめうなづき合うと、ジョアンが仲間を代表して答えた。
「必ずオクトラスの陰謀を突き止めて見せます。俺達に任せて下さい」
「しばらく自由に動けるよう、カクトに図っておこう」と言うメディウスの言葉の後、彼らは5人そろって総隊長室を飛び出していった。




