13人目の亜妃候補
「まったく、何なのよ、何なのよ、あのスドゥークっていう善導者はぁぁぁっ!」
部屋の中でいきり立つアデリアを、朗はなだめるように彼女の両肩に手を置いた。
「落ち着いて、アデリア。あんまり大声で叫ぶと他の人に聞こえちゃうよ」
「聞こえたっていいわよ。まったくあの男ってば、人が一生懸命援軍の話をしようとしているのに、のらりくらりと逃げ回って。挙句、アキラを俺の亜妃にするなら考えてやっても良いぞなんて、どんでもない男だわ!許せない。絶対に許せないわ!」
「スドゥークは悪い冗談が好きなんだ。ね。とにかく落ち着いて。座って話そう」
朗は興奮して肩で息をしているアデリアを石の長椅子に座らせると、自分もその隣に座った。
「この国はね、パルスパナスとはちょっと違うんだ。スドゥークの他に8人の王族が居て、ほら、この間の宴の時に会っただろ?あの時は7人だったけど、彼らは皆スドゥークと同じように王位継承権を持っていて、何事も彼らの賛成なしには政治が動かないんだ。だからスドゥークも援軍を送りたくても送れないんだよ」
「アキラはあの男の味方をするの?」
「そうじゃなくて、私はスドゥークより王族から説得する方が早いと思うんだ。それで調べてみたんだけど・・・」
朗はディーオから聞き出した話をアデリアに話した。スドゥークには2人の弟と1人の妹が居た。皆、年老いて亡くなってしまったが、この間朗が牢で会ったドラクルールは第2王聖子の息子であった。ドラクルールがスドゥークを暗殺しようとして捕まってから兄弟はすべて追放されたので、今は第2王聖子の血筋は誰も王族として残っては居なかった。
今は亡き王聖女の息子は5人。全員王族としてこの間の宴に参加していた。そしてスドゥークの2番目の弟、第3王聖子には3人の息子が居て、その内2人は王族として残っているが、長男は亡くなり、今はその一人娘であるルドアルラが8人目の王族として加わっていた。
「彼らは皆、スドゥークに何かあれば王になる可能性がある。以前は第2王聖子の長男であるドラクルールが1番の候補者だったけど、今は継承権を失っているから、第3王聖子の2人の息子が最有力候補かな。だから議会でも彼らの意見は重要だ。説得するならまずこの2人をターゲットにすべきだと思うんだ」
朗の意見は実に的を射ているとアデリアは思った。それに朗は真剣にパルスパナスの行く末を考えて行動している。それがアデリアには嬉しかった。
「やっぱりアキラは私の王士になるべき人なのね。今はっきりと確信したわ」
「え?でも私は女の子だよ」
朗はアデリアの瞳をどぎまぎしながら見つめた。
「それは・・・確かに今はそんな気になれないけど、パルスパナスに戻ったらアキラはきっと男の子に戻るわ。だってアキラは木霊王が使わしてくれた私の王士なんだもの。長い間そんな人には出会わなかったけど、それはきっとアキラに会う為だったんだわ」
実に女の子らしい表現だったが、朗はどうしていいかわからず、アデリアから目をそらして立ち上がった。
「とっ、とにかく私はその2人の王族に何とか接触できるよう、スドゥークに頼んでみるよ。アデリアはこの部屋から出ちゃだめだよ。敵は居ないけど、一人で出歩くのは危ないから」
「それじゃあ、ナーダにこの部屋に来るように言って。彼女は信頼できるわ」
「そう?じゃあナーダに声をかけておくよ」
アデリアにしては珍しいと思いつつ、朗は部屋を出た。彼女なら異種族の娘など信用できないと言いそうだ。だがアデリアは知っていた。アルテウスに惹かれているナーダなら、自分を裏切ったりはしない事を。それにナーダにアルへの気持ちを聞いてみるのも面白いかもしれない。アデリアはにこっと笑いつつ朗を見送った。
広い城の中を歩きながら、朗はスドゥークがどこに居るか考えた。この時間なら政務にいそしんでいるかな。でもその合間をぬって、よく剣の稽古をグールとしているはずだ。とりあえず庭に行ってみよう。
いつもスドゥークが剣の稽古をしている中庭につながる入り口を入った朗は、驚いたように前を見つめた。低く腰を落として息を切らしながら、柾人が剣を両手で握りしめている。彼の前には冷たい表情のアルが、片手で剣を構えて立っていた。
「そんな及び腰で敵に勝つつもりか?来ないのならこちらから行くぞ」
アルが剣を高く上げたのを見て柾人は「うあああっ!」と叫び声をあげながらそのまま真っすぐ突っ込んだ。目を閉じていた柾人は剣の背で思い切り両手を叩かれ、そのまま前に倒れこんだ。
「柾人!」
思わず駆け寄ろうとした朗を、マクベスの野太い腕がとどめた。
「どうしてあんな事をさせるの!止めさせて!」
「別にいじめてるんじゃないぞ。剣を教えておるんだ」
「でも今までアルが誰かに剣を教えるなんて無かったじゃない」
「マサトの方から頼んで来たんだ。剣を教えてくれとな。俺達は戦いの最中に居る。あいつだって自分の身を守る術を知っておくべきだろう」
「それは・・・そうだけど」
朗が柾人を見ると、彼が再び地面に転がり込んだところだった。彼の名を呼びながら駆け寄りたいのをこらえて、朗は両手で口を覆った。柾人をこの戦いに巻き込んだのは自分だ。小さい頃から争いごとが大嫌いで、運動も苦手な彼をこんな目に遭わせる事になるなんて・・・。
「マクベス。マサトに無茶だけはさせないで・・・」
体中の痛みをこらえて再び剣を握ろうとする柾人を辛そうにみると、それだけ告げて朗は去って行った。
きっと柾人は、何の力もない人間と言われて辛かったのだろう。柾人の気持ちを考えると、朗は力のない自分が悔しかった。私がもっと強かったら・・・。スドゥークにも誰にも負けないほど強かったら、柾人を守りきる事が出来るのに・・・・。
落ち込んでいく気持ちを晴らすように顔を上げると、目の前から5人の女性が歩いてくるのが見えた。5人とも人間で言えば中年から初老くらいの年齢で、なぜか朗の事を食い入るように見ていた。彼女達は朗のそばまで来ると、彼女の行く手を阻むように立ち止まった。
「おやおや、スドゥーク様の14番目の亜妃候補の方ね。本当に人間だったなんて驚いたわ」
真ん中に居る一番年上の夫人が声を上げると、他の女達も口々に言い始めた。
「それにしてもスドゥーク様も物好きだこと。緑の目の女なんて気味が悪い」
「嫌だわ、ヘレナ様。スドゥーク様の気まぐれに決まっているじゃありませんか」
「そうよ。きっとペットでも飼う感覚でしょう。スドゥーク様もご政務ばかりで疲れておいでだから」
見知らぬ女達からいきなり悪声を浴びせられ、朗は訳が分からないまま彼女達を見つめた。
「いきなりなんですか?言っておきますけど、私はスドゥークの亜妃候補じゃありませんから」
朗の反撃に、女達は悲鳴にも似た声を上げた。
「まああぁっ!なんて生意気なの!スドゥーク様の事を呼び捨てにするなんて!」
「お前などこうしてやるわ!」
一人の女が片手を振り上げた時だった。
「おやめなさい!」
後ろから響いて来た良く通る声に、女達は驚いたように振り返った。一人の妙れいな婦人が怒りをあらわにしつつ歩いてくる。彼女の黒いドレスはそこに居る婦人たちの豪華なドレスよりさらに美しく、背中には王族である事を示す6枚の羽が生えていた。
「ルドアルラ様・・・」
一人の婦人が呟くのと同時に5人はすぐさま両脇に下がり、頭を下げた。
「こんな若い女の子をいじめるなんて、恥ずかしい事だと思わないのですか?」
ルドアルラの言葉に一番年上の女がムッとしたように顔をそらしながら答えた。
「いじめるなんて。ちょっと話をしていただけですわ。ねぇ、皆さま」
他の女達は答える代わりに頷いた。
「そう。私もこの方にお話があるの。2人だけにしてもらえるとありがたいのだけど」
女達はそれぞれ軽く会釈をすると去って行った。
ー ルドアルラ・・・この人が8人目の王族・・・ -
朗は凛としたその横顔を見ながら思った。女達の姿が見えなくなると、ルドアルラはにっこり笑って朗を見た。
「嫌な思いをさせてごめんなさいね。あの方達は一番古いスドゥーク様の亜妃候補なの。スドゥーク様がいつまでも亜妃をおとりにならないので、独身のまま年を取ってしまって、それで少しひねくれておられるのよ」
それを聞いて朗は、やっと先程の女達の嫌味な態度が理解できた。
「でもスドゥークなら、ちゃんと結婚したいから候補をやめたいって言えば、喜んで許してくれると思うけど・・・」
「その通りよ。亜妃候補という肩書にしがみついて偉がってきたのはあの方達の勝手。あなたはそういう事も良く分かっているのね」
王族達はみな年老いて妖精や人間の事を毛嫌いしていたようだが、ルドアルラだけは違ったようだ。とても素敵な女性と知り合いになれた嬉しさで、柾人の事で落ち込んでいた気持ちも明るくなった。朗はルドアルラと別れたその足で、スドゥークの執務室に向かった。庭で剣の稽古をしていないのならきっとそこに居るだろう。
いつもスドゥークの護衛をしている兵が入口に立っていないのでおかしいなと思いつつ、執務室を覗いてみると、そこにはディーオ一人しかいなかった。彼に聞くとスドゥークは少し外の空気を吸ってくると言って散歩に出かけたそうだ。
「きっともうすぐお戻りになられますよ。それよりどうしたのです?なんだか嬉しそうですね」
ディーオの質問に、朗は少し興奮気味に話し出した。
「うん。8人目の王族ルドアルラに会ったんだ。すっごく綺麗でびっくりした。それに頭もよさそう。聡明って言うのかな。それに何だかカッコいいし」
ディーオはくすっと微笑むと答えた。
「それはそうでしょう。あの方はスドゥーク様の13番目の亜妃候補でもあらせられますから」
「ええ?」
朗はびっくりして叫んだ。以前スドゥークは亜妃候補が13人居ると言っていたので、ルドアルラが一番新しい候補になる。今日会った年老いた候補以外朗は知らなかったが、ルドアルラのような人が亜妃になるならだれも文句はないだろう。
「余計な事は言わなくていいぞ、ディーオ」
スドゥークの声がして彼が2人の官吏を連れて戻ってきた。ディーオが頭を下げて2歩下がると、スドゥークは朗の前までやってきた。
「どうして余計な事なの?」
「余計な事だ。亜妃の事などお前は知らなくていい」
なぜかスドゥークはそっけなく答えた。
「そんな事ないよ。スドゥークが結婚するならお祝いしたいもん。ルドアルラなら王族だし賢そうだし、スドゥークとすっごくお似合い。なんたって美男美女だもん。ああっ、結婚式、見てみたぁい!」
スドゥークは少し困ったように笑いながら、子供のようにはしゃぐ朗の頭を軽く撫でた。
「お前は呑気でいいな」
「なんだよ、呑気って・・・」
口を尖らせる朗に笑いかけると、スドゥークは側の椅子に座った。
「そんな事より俺に用があったのだろう?お前がここへ来るなど、初めてだからな」
「うん。そうなんだ。スドゥークにお願いがあって」
「お願い?」
ニヤリと笑ったスドゥークを見て、朗は思い出した。そうだ。彼にお願いをするには交換条件が必要だった。だがこれは絶対に聞いてもらわなければならない願いだ。無理難題はとりあえず後から解決する事にした。
「スドゥークの2番目の弟、今は亡き第3王聖子の2人の息子と話をしたいんだ。会ってもらえるよう、頼んでくれないかな」
スドゥークは少しの間言葉を出さず朗の顔を見つめていた。
「善導者にいくら掛け合っても話にならないから、周りから攻める事にしたか」
スドゥークは少し怒っているようだった。確かに王族から説得したいというのは、スドゥークの意見が王族に左右されていると言っているのと同じ事だ。朗は王族の事をスドゥークに頼んだのは間違いだったかもしれないと思った。
「スドゥーク、怒らないで。私の国でもトップの人が何かを言うと、すぐ周りの人たちが反対して、いつまでたっても法案が決まらないんだ。それで国会が長引いて税金もかかるしで、そういうのを見ていると凄くイライラするというか・・・。つまりどんなに偉くてもうまくいかない事っていっぱいあって、私もそんなスドゥークの気持ちは良く分かるって言うか、その・・・つまり・・・」
オロオロしている朗を見て、スドゥークはくすっと笑うと「もういい」と静かに答えた。
「ゲルドーマとアランドールか。目の付け所は良いが、あのジジイ共を説得するには100年はかかるぞ」
「そんなにガンコジジイなの?スドゥークよりずっと若いんでしょ?」
「体が老いると心は頑なになるようだ。それに王族は皆、妖精など一日でも早く追い出したいと思っている。会わす事は出来ても、交渉できるかどうかは分からぬぞ」
「それでも会わなきゃ。みんなが援軍を待っているんだ。例えどんな小さな希望でも、私はそれに賭けたい」
「ふむ・・・」
スドゥークは少し考えてから答えた。
「いいだろう。会わせるだけなら簡単に出来る。少々策は講じねばならんがな。所で・・・・」
スドゥークは立ち上がると、ニヤリと笑いながら朗に顔を近づけた。
「俺に何をしてくれる?」
「えーと、えーと・・・」
条件ならスドゥークの方から出すと思っていた朗は戸惑いながら彼を見上げた。
「な、中庭の掃除なんてどう?」
「お前はバカか?あの庭を一人で掃除したら3日はかかるぞ」
「じゃ・・じゃあ・・・」
「ファーストキス」
「は?」
「お前のファーストキスでどうだ?」
「そ・・・・」
朗は真っ赤になって顔を下げた。
「それは・・・ダメ」
「ではセカンドキス」
「それもダメ!もう、スドゥークは!どうしてそう意地悪なの?」
くすくす笑いながらスドゥークは片手を上に向けた。すると手の平の上に透明のボール状の丸い球が2つ浮かび上がった。その球の中には黒い煙のようなものが立ち込め、渦を巻いていたが、やがてそれは文字になって、一列に並びながら球の中をゆっくりと動いていた。スドゥークはその球を官吏の1人に渡しながら言った。
「ゲルドーマとアランドールに明日の朝来るよう、通告を書いた。ただし彼らが来るのは俺に会う為だ。お前が最初から居れば彼らは俺に騙されたと思うだろう。だからお前はそこに居てはならない。言っている意味は分かるな?」
「うん」
当然だろう。スドゥークには善導者としての立場がある。彼がパルスパナスの妖精を表立って支援する事はできないのだ。
「偶然を装えばいいんだね」
「まあ多少白々しいが仕方あるまい。へたな演技はするなよ」
「うん。みんなと相談してくるね」
急いで執務室を出て行く朗を見送った後、ディーオはスドゥークの近くまで戻って来て、彼の耳にささやいた。
「実は先程ドラクルールの破った牢を調べていた者から知らせが参りました」
スドゥークはほんの少し表情を硬くした。ドラクルールは朗が会った地下牢に閉じ込められる前は、城の北側にある張り出した塔の中に幽閉されていた。いくら王族の身分を取り上げられたとはいえ、スドゥークに一番近い血筋の者を地下牢に入れる事はためらわれたからだ。しかしその塔の壁を破壊して脱出を図った為に再び捕えられ、地下牢に入れられる事になった。
だがドラクルールの両手首にはその霊力を封じる手枷がはめられていたので、どうやって壁を破壊できたのか謎だったのだ。
「やはりスドゥーク様のお考え通り、壁は内側ではなく、外から破壊されていたようです。つまりやったのはドラクルールではなく、奴を逃がそうとした第三者の仕業だと思われます」
「第三者か・・・」
スドゥークは小さくため息をつきながら呟いた。
「では俺の命を狙うものがドラクルールの他にも居ると言う事だ」
ディーオは暗い表情のままうなずいた。
「必ず・・・必ず捕えてみせます。そして二度と、誰にもあなたを狙わせはしない」
スドゥークはふっと微笑むとディーオの肩を叩いた。
「あまり気負うな。俺はそう簡単に死んだりせん。それより明日朗達があのジジイ共を相手にどう戦うか楽しみだ」
スドゥークは軽く笑いながら、壁際に控えていた官吏に仕事を始めると合図を送った。




