戦いの理由(わけ)
アルテウスとナーダは途中幾度か休憩を取りながら、丸一日飛んだり歩いたりを繰り返していた。ナーダは一般の魔族なのでアルほど長い距離を飛べるわけではなく、どちらかと言うと歩いているほうが長かった。多分地上ではもう夕方になっているだろう。
街の灯りはほとんど見えなくなり、周りには民家もない。灯木の灯りだけが頼りだった。距離を飛べないナーダのせいで王城に着くのは遅れてしまうが、それでも一人なら確実に迷子になっていただろう。アルはナーダに心から感謝した。
ここに至るまでナーダとは色々な話をした。パルスパナスの国や善導者のこと。どうしてエルドラドスに救援を求めにやって来たのかや、共に来た仲間の事も話した。そしてナーダは亡くなった両親の事を話した。彼女の母はテルマを産んですぐに病気で亡くなり、父親は2年前に石切り場の事故で亡くなったそうだ。
ナーダの父親は昔、城に仕えたくて剣を学んだ。城に仕える事は一般の魔族にとって、とても名誉で夢のような報酬を得る手段だからだ。だから皆、自分の得意なもの、剣術や勉強をきわめて3年に一度開かれる昇城試験にのぞむ。だがそれは決して安易なものではなかった。たった10人の枠に国中から何千人もの魔族が押し掛けるのだ。
父は第一関門を突破したが、第二関門で落ちてしまった。次の年に再挑戦したが、今度は第一関門さえ通り抜けられなかった。彼らに与えられるチャンスは2回だけ、3回目はない。
生計を立てる為、石切り場で働きだした父親だったが、幼いナーダに剣の才があるのを見抜き、仕事の休みの日は付きっ切りで教えるようになった。父は娘に己の夢を託したのだ。
だが父が亡くなり、ナーダは剣の修行どころではなくなった。今度はナーダが働き、幼いテルマを育てていかなければならなくなったのだ。
「だからもう、昇城試験はあきらめたの。暮らしていかなきゃならないもの。とても剣術を極めている時間なんてないわ」
「でも練習は続けているんだろう?その剣、よく手入れされている」
アルの言葉にナーダは苦笑いした。
「あたしも父さんもあきらめが悪いのね。きっと・・・」
そろそろ疲れてきたので、野営を張ろうと事になった。ナーダは灯木を岩の上に置くと、革袋の中から丸い石を取り出した。家で使っていたかまどの石だ。暖炉の石より小さいが、これにも霊力が込められているので、一晩中火をともすことが出来る。それを見て、アルが驚いたように言った。
「そんな重たいものを持ってきたのかい?木があれば私が火を点けるのに」
「ここは地下の国よ。導主の恵みである灯木が無い所では、ほとんど木は育たないの。だからこのあたりも岩ばかりの荒野でしょう?」
深い森の中で生きる妖精にとって木のない世界など想像もできなかった。善導者がなぜ灯木を国の物にしたのかよく分かる。朗が言ったように灯木は彼らにとって太陽と同じなのだ。ナーダは次に袋からマーを取り出した。
「ごめんなさい。今日はこれしか無いの。残ったものはすべてゾーマにあげたのよ。みんな貧しいからテルマの分くらいは渡しておかないと・・・」
今まで聞いた話でアルはナーダ達の生活が決して楽なものではない事は分かっていた。彼は微笑むと「水を探してくるよ」と言って立ち上がった。
パルスパナスの王城の地下、暗い牢獄の中で男はじっと上を見つめていた。この地下牢は太い木の根が牢獄中を覆うように張り巡らされている。右を見ても左を見ても、苔むした茶色い木の根がびっしりと周りを覆っているだけだ。
すべてに強い霊術がかかっていて、その根を傷つけてもすぐに修復されてしまう。何度か脱出を試みたが、霊力は使えない、剣も無いでは、天空族の高吏でさえどうすることも出きなかった。
「フン。妖精の奴ら、よくこんな湿っぽい場所で生きられるものだ」
馬鹿にしたように呟いた時、隣の牢屋から声がした。
「カイ様。起きておられますか?」
自分達が来る前に捕まった隊を率いていた、隊長のユリウスだ。カイは木の根にもたれかかったまま答えた。
「どうした、ユリウス」
「王はどうしておられるのでしょう。あれから軍を降下されたのでしょうか」
「いや、それはない。多分な・・・」
そう言いつつカイは地上に降りてくるまでの事を思い出していた。
先日地上に降り立ったユリウスの部隊が誰一人戻って来ないことを聞いて、カイは王に会いに行った。今まですべての部隊は妖精族との戦いに勝利し、戻ってきたはずだ。ユリウスは2枚羽だが、指導力に優れた勇猛な武人である。そんな男が軟弱な妖精共に敗れたというのか?
天空族の国、サラーシャは空中に浮かぶ浮島から成り立っている。あちこちに散らばっている島から島への移動はほとんど自分たちの羽で行うので、天空族は他の種族に比べ、飛行能力が高い。だから地上に降りても高い天空まで戻って来られるのだ。
彼らは又、身分を重んじる種族でもある。高吏には本当の名の他に別の呼び名があり、たいていは本名より短く呼びやすい名で、カイと言うのも別の名だ。なぜ別の名を付けるのかと言うと、高貴な方の名をそのまま呼ぶことを避ける為であった。そして高吏は高吏だけで街を築き、それがサラーシャの都となっていた。その中心に王が住む城があるのだ。
天空族で歩いて登城する者は居ないので、城の入口も下ではなく中腹に設けられている。たくさんの高吏に交じってそこに降り立つと、カイは王の居る部屋に向かった。
天空族の王、インはまだ王位を継いで100年ほどの若い王だ。カイはまだインが王聖子であった時代から王に仕え、彼を支えてきた。そんなカイと共に王を両極で支えてきたのはカイの親友であり政府の高官であるコアだ。
インは年も近く実力のある彼らを重用し、中央政府の大臣や軍の将軍よりも信頼していた。
「ですから王。今までの事を考えますと、奴らは強力な助っ人をどこからか連れてきたように思われます。全面戦争を仕掛けるのはもう少しお待ちください。敵の様子を探り王城を見つけ、善導者を倒すのが一番の策と存じ上げます」
王の霊力を示す床まで伸びた長い髪の中に隠れて王の表情は見えない。それでもあの方はきっと深い悲しみと後悔にさいなまれておられる。2年前のあの日から。その思いが王を戦へと駆り立てた。心の痛みを怒りに変えなければ、きっと狂ってしまっただろう。
「王、どうか怒りをお納め下さい。全面戦争を仕掛ければ、こちらの被害も甚大なものになるでしょう。どうか・・・・」
コアの説得はまだ続いている。彼は最初からこの戦争には反対だった。高官の中でただ一人、最後まで戦いに反対し続けた。それは最もな事だった。
もとより何千年もの間平和だったこの国の高吏たちは、己の霊力を高めるより快楽を求めた。戦える兵力もさほど大きくない。カイのような優れた武人が居なければ、今の統率のとれた形態の軍を作る事さえ出来なかったのだ。
「王・・・・!」
もう一度インに呼びかけたところで、コアはカイが後ろから歩いてくるのに気付き振り返った。幼い頃から共に生きてきたカイにはコアの気持ちは痛いほど分かっていた。
― 導主に背き、掟を破れば、我ら天空族に未来はありません ―
だが、彼に言われるまでもなく、我らにはもう導主の声は聞こえない。滅びを待つだけなのだ。2年前、亜妃とのちの善導者になるはずの王聖女が惨殺されてから・・・・・。
その日、亜妃は王聖女を連れて王家が所有する小さな浮島に来ていた。そこは小さいが湖や切り立った山が美しく、亜妃は良く王聖女を連れて訪れていた。飛行能力の高い天空族だが、亜妃や王聖女を自ら飛ばしたりはできないので、王族が移動する時は巨大な白い羽と虹色の尾羽を持つオウルという霊鳥に取り付けた籠に乗る。
その日も亜妃たちと2人の乳母が載った籠をはさむようにして数人ずつ乗った護衛の籠が前と後ろを飛んでいた。
険しい山間部に差し掛かった時である。亜妃たちの乗った籠をつるしたロープがいきなり切れた。いや、切られたのだ。一本の矢によって。兵達が外を見ると、周りは剣や槍を持った何十人もの男に囲まれていた。覇空族だ。彼らははみ出し者や荒くれで軍を退役させられた者達が集まってできた集団で、身分の高そうな人間を狙ってはこういった見通しの悪い場所で襲ってくる。近頃の高吏は霊力を持ちながら力のないものが多いので高吏も例外ではなく、王家の所有する島だと分かっていて襲ってきたのだ。
護衛の兵はすぐさま籠から飛び出し、空中で戦いになった。2人の護衛が亜妃の乗った籠に向かおうとしたが、地上からまた別の矢が籠をつっているロープに放たれた。矢は再びロープを射抜き、籠は大きく斜めに傾いた。揺れる籠の中で乳母たちが叫び声を上げ、亜妃は王聖女を抱きしめた。重心が崩れたためオウルが体勢を保てず失速しそうになった時、矢が最後のロープを切った。
オウルは解放されたように飛び立ったが、亜妃たちの乗った籠は突風にあおられ、凄まじいスピードで地上へと落ちていった。中では亜妃が体を壁に叩き付けられながら、必死に王聖女を守っていた。何とかここから脱出しなければ地上に叩き付けられ、誰も助からない。そう思った亜妃は閉じていた瞳を開け、周りを見回した。
一番近いのは小さなのぞき窓だ。亜妃は王聖女を抱いたまま壁をはいずりながら窓へと向かった。窓のふちに手をかける。外は地上の景色を映し出していた。
― 早く、早く出なければ・・・! -
渾身の力を込めて亜妃は窓から脱出した。そこはすでに深い森の上空だった。何とか外へ飛び出した亜妃もその勢いのまま森の中へ落ちた。バキバキという木々が折れる音がした後、地面に落ちた彼女はしばらく気を失っていたが、体中から感じる痛みに目覚めた。そしてすぐに腕の中の王聖女を見た。小さな娘は気を失っていたが、生きていた。
「良かった・・・」
ため息と共に呟いたが、体中の痛みで起き上がる事も出来ない。
「誰か・・・」
弱々しく呟いた後、彼女は獰猛な息遣いを感じ、ふと周りを見回して凍り付いた。
やっとの事で族を打ち破った兵達は地上に降り、行方不明の亜妃たちを探した。最初に見つけたのは、バラバラに砕け散った籠の残骸と、地上に叩き付けられて亡くなった2人の乳母たちの亡骸だった。きっと亜妃様達もこの近くに居る。彼女たちの生存を祈りながら探し回った彼らが見たのは、無残にも体中切り裂かれて死んでいる亜妃と王聖女の遺体だった。
そしてその周りに薄く透き通る羽をつけた妖精が4人、剣や槍を持って立っていた。同族が異種族に殺された。それも彼らにとってもっとも守るべき亜妃とのちの善導者を・・・。
怒りのあまり、彼らはその場で4人の妖精を惨殺し、殺された亜妃と王聖女の亡骸を天空族の王城に連れ帰った。
亜妃と娘の無残な死にざまを見た王はあまりの悲しみに三日三晩、彼女達の遺体の側で泣き崩れた。なぜ護衛の兵をもっと付けておかなかったのだ。いや、行かせなければ良かった。そうすればこんな事にはならなかったのに・・・。
激しい後悔と悲しみで、周りの者達は王がこのまま狂ってしまうのではないかと思ったほどだった。そして4日後、重臣達の前に姿を現した王は、もはや以前のインではなかった。げっそりと痩せほそり、怒りと憎しみに目は血走り、その声は氷のように冷たかった。
― 妖精共を皆殺しにせよ。王城に火を点け、善導者を血祭りにあげよ。亜妃と王聖女の敵を討つのだ ―
「王!お怒りは最もなれど、どうかお心をお沈め下さい。戦いは導主の御心に背くこと。どうかそれだけは・・・!」
怒りに燃えた王にはコアの必死の説得も耳に入らなかった。まだ王聖女に善導者を譲っていなかった王は導主の言葉を聞く事も出来たが、彼はそれ以来、導主を祀る天王宮に足を運ぶこともなかった。だから我らにはもう導主の声は届かないのだ。
形だけの将軍に代わって軍をまとめてきたカイも戦いの準備を始めた。カイが実践で戦えると認められる兵はわずか150名ほどだった。あとは剣もまともにもてない烏合の衆にすぎない。妖精の兵力も分からないのに、全面戦争など無謀だった。
カイはとりあえず実力のある者に20名ずつの隊を組ませ、少しずつ奇襲をかけて妖精を襲っていくという作戦を立てた。そして2年間、それぞれの隊はカイの思惑通り、襲った妖精は必ず殺し、戻ってきた。そうやって勝利を上げていくカイをコアはじっと冷めた目で見ていた。初めて兵を地上に送ったその日からコアは二度とカイに笑いかけることは無くなった。
ユリウスの隊を見送った時もそうだった。彼はただ悲しそうな目でカイをじっと見ていた。親友とのそんな関係に耐えられなくなったカイはコアの側に詰め寄り、彼をにらみ上げた。
「言いたい事があれば言えばいいだろう。この私が妖精殺しを楽しんでいるように見えるか?」
「見えない。だから悲しいんだ」
コアは静かな瞳で答えた。それが余計カイをイラつかせた。
「私を憐れんでいるとでも言いたいのか。お前は私がお前の味方にならなかったのを恨んでいるんだろう!」
コアは悲しそうな目でカイをじっと見つめた。
「どうして味方になれる?お前は武人だ。そして私は王を支える官としてやれる事をやっているだけだ。だが、カイよ。本当はそんな事はどうだっていい。私はただ・・・ただ王に、イン様に昔のようなイン様に戻っていただきたいだけだ。穏やかで情け深く、優しかったあの頃のイン様に・・・・」
カイにはコアの気持ちが痛いほど分かった。私だってそうだ。あの温厚で人々の敬愛を集めていた王にもう一度会いたい。だがきっとそれはもう叶わぬ願いなのだ。王は心から亜妃と王聖女を愛していた。こんな事になってしまった今、誰が王の心を救えようか・・・・。




