アルテウスの出発
時告げの鐘の音と共にアルテウスは目を覚ました。ナーダはすでに起きていて水を汲んできた桶を抱え、外から家の中に入って来た。テルマはまだ眠っているようだ。ナーダの姿を見ると、アルはケットにくるまったまま「おはよう」と言った。
「おはよう?あなたの国は目覚めたらそんな風に挨拶するの?この国はいつも闇の中だから、いつ出会ってもヤーオ(やあ)よ」
「そうか・・・」
アルは微笑むとケットから出て、暖炉の側にある椅子に腰かけた。
「そんなに寒くはないけど、火はつけておくわね。あなたはずいぶん薄着だったから暖かい国から来たんでしょう?」
「ああ、助かる。炎を見ていると安心するから・・・」
暖炉の炎に照らし出されたアルの横顔をちらっと見て微笑むと、ナーダは昨日のスープを火にかけ、戸棚から出したパヌタのような食べ物をテーブルまで持ってきた。
「その言葉遣い・・・」
「え?」
「昨日までずいぶん丁寧だったけど、やっと普通になったわね」
アルは「ああ・・・」と思いついたように頭に手をやった後、ナーダの方を向いた。
「普段はなるべく丁寧な言葉で話すようにしているんだ。身分の高い人の側に仕えているから」
「身分の高い人って?」
「妖精の国の善導者だよ」
「まあ!」
ナーダはすごく感動したように両手を胸の前で組んだ。
「善導者様のおそばに仕えられるなんて素敵!妖精の国の善導者様ってどんな方?さぞかし素晴らしいお方なんでしょうね」
「え・・・と、どうかな・・・」
王聖女に仕えて100年近くになるが、思い出すのは何とか月絡(結婚)をして王になってもらえるように促すと、必ず「絶対イヤよ!」とか「そんなにしたければお前がすればいいじゃない!」と怒られた記憶しかなかった。アルが目をそらしている間にスープが出来たのか、ナーダはスープを器によそいながら、楽しそうに話した。
「この国の善導者様も素晴らしい方なのよ。灯木は国のものだから勝手に切ってはいけない事になっていて、私達のように貧乏な者の家は自分で火を起こすしかなかったの。でも今は家を立てて余った分を私達に回してくださるようになったのよ」
「灯木が国の物なら、あの光り輝く町は・・・」
「もちろん善導者様が作らせたのよ。今の善導者様が灯木を増やして徐々に街を明るくしていかなかったら、この国はまだ闇の中にあったと思うわ」
いつも自然の光の中で生きている妖精にとって、あの色とりどりに光る街はずいぶん悪趣味に映ったが、暗闇で生きる彼らにとっては太陽と同じようなものなのだろう。それにしてもこの国の善導者は随分と民に慕われているようだ。そう言えば昨日も霊力のこもった暖炉の石を善導者が配っていると話していた。
さっきから話を聞いていると、善導者の話題しか出ないので、この国も妖精の国と同じく王が不在のようだが、どうしてそんな立派な善導者が木霊王の使者である自分達を襲わせたのか分からなかった。
「ナーダ」
アルは立ち上がると、テーブルにスープをおいて食事の準備をしているナーダに近づいた。
「私はパルスパナスの善導者に依頼され、国を救うためにこの国へ来た使者なんだ。早急に王城に行かなければならない。場所を教えてくれないか?」
ナーダはちらっとアルの顔を見た後、手元に目を戻した。
「でも貴方は善導者様に追われているんでしょう?」
一瞬アルは腰の剣に手をかけそうにになった。だがもし彼女が善導者に知らせるつもりなら、昨日疲れ果てて眠っているうちに兵がここに来ているはずだ。
「どうして知っている?」
「町中その噂で落ちきりだもの。さっき井戸で近所のおばさん達が話していたわ。街で妖精が大暴れしたって」
「善導者も君も誤解しているだけだ。我々は魔族の兵が仕掛けて来なければ霊力は使わなかった」
鋭く自分を見ているアルをナーダが見つめ返した時、隣の部屋から眠そうに眼をこすりながらテルマが起きてきた。
「あっ、妖精のお兄ちゃん!やっぱり夢じゃなかったんだ」
テルマはアルを見て目が覚めたのか走って来ると、彼の脚に抱き付いた。テルマが来たことでアルとナーダの間に流れていた張りつめたような空気が緩んだ。
「私、昨日お兄ちゃんの名前聞いてなかったの。妖精さん。お名前はなんて言うの?」
「アルテウスだよ」
「素敵な名前!じゃあアルって呼んでいい?」
「もちろん」
彼らの会話にナーダが割り込んだ。
「テルマ、顔を洗ってらっしゃい。そこの桶に水を汲んであるわ。あなたもよ、アル。顔を洗ってしっかり食事を取って。王城は近くないわよ」
アルははっとしたように顔を上げると、にんまり笑っているナーダに微笑み返した。
ナーダの言う通り食事をとって身支度を整えると、アルは再び自分に幻術をかけ、魔族の姿に変えた。テルマはその様子をずっと近くで見ていたが、アルが荷物を肩にかけると寂しそうに呟いた。
「行っちゃうの?アル・・・」
彼は優しくテルマを見つめると、彼女の側にしゃがみ込んだ。
「テルマ。君が居なかったら私はきっと寒さに凍え死んでいた。命の恩人だよ。本当にありがとう」
「アル・・・」
テルマが泣きながら首に抱き付いて来たので、アルも彼女を抱きしめた。
「もしいつか・・・妖精の国と魔族の国が仲良く出来るようになったら、必ず会いに来るよ」
「うん」
そんな日は来ないだろうとアルは思った。今回は特別なのだ。何千年もの間、天空と地上と地下が交わる事はなかった。それでもまた、この姉妹に会いたいと思う事があるだろうか。
「そう言えば、ナーダはどうしたんだろう」
「うーん。さっき物置を開けてゴソゴソやってたけど・・・」
アルが立ち上がった時、ナーダが扉を開けて入ってきた。それを見てアルは驚いた。彼女が旅に出るような外套を羽織って革製の大きな袋を持っていたからだ。
「ナーダ?」
驚いているアルの所に歩いてくると、ナーダはニコリと笑った。
「あら、アル。黒髪も似合うわね。そうそう。王城はとても遠いのよ。口では説明できないから一緒に行ってあげるわ。テルマは隣のゾーマおばさんの所に行ってて。少しくらい我慢出来るわよね」
テルマが答える前にアルが言った。
「ナーダ。この旅はとても危険なんだ。いつ王軍が襲ってくるか分からないし」
「私はこう見えても剣が使えるの。死んだ父さんに教えてもらったのよ。自分の身くらいなら自分で守れるわ」
「しかし・・・」
それ以上アルに反論させないように背中を向けると、ナーダはさっき入ってきた出入口に向かった。
「急ぎましょ。あなたは善導者様に誤解を解いてもらって援軍を頼まなきゃならないんでしょ?」
外に出ると、ゾーマが立っていてテルマを呼び寄せた。
「ゾーマ、悪いわね。いい子にしているのよ、テルマ」
テルマはニヤリと笑って、腰をかがめた姉の耳にささやいた。
「いいわよ。姉の恋に協力するのは妹の役目だもん」
「な、何言ってるの?」
思わず上を見上げると、ゾーマもニヤリと笑っている。
「いい男じゃない、ナーダ。そろそろあんたも幸せにならなきゃねぇ」
「ちょっ、彼は違うわよ!そんなんじゃないわ」
「ナーダったら照れちゃって。“口では説明できない”なんて口実作って、父さんの剣まで持ち出して、けなげなんだから」
「ばか!そんなんじゃないって言ってるでしょ?」
妹のからかい言葉にナーダは真っ赤になって立ち上がると、わけの分からない顔をしているアルを引っ張ってすごい勢いで歩き出した。




