ナーダとテルマ
異臭のする裏通りで呆然と立っていたアルテウスは、何かの気配を感じて後ろを振り返った。自分のすぐ真後ろに魔族の子供が立っている。この私が子供に後ろを取られるなんてと思ったが、あまりの異臭にどうやら感覚が鈍っていたようだ。まったく気配に気付かなかった。
思わず剣を抜こうとしたが、周りにはこの子供以外は誰も居ないようだ。子供相手に剣を振りかざす事も出来ず、アルはただじっと小さな女の子を見つめた。赤い髪を背中まで伸ばしている少女は、好奇心いっぱいに瞳を見開いてアルを見上げていた。
「ねえ、お兄さん。導主様のお使い?」
見た事のない白い肌や地上の光をすべて集めたような美しい金色の髪、何より灯木の光を受けて淡く虹色に輝く羽は少女にとって、自分たちに光と恵みを与えてくれる導主の使いに映ったのだ。導主のみ使いなど見た事はなかったが、そんな高貴な者に間違えられて、アルは少し照れたように答えた。
「いや、私はただの妖精だが」
「じゃあ、光の妖精さんね。闇の国にお使いに来たの?知らない場所だから間違ってゴミの中に落ちちゃったのね」
なんだかよく分からないが、いいように勘違いしてくれているならそれに越したことは無い。アルはこの状況を利用することにした。
「うん。このあたりは明るいから急いで飛んで来たんだけど、降り方を間違ったみたいだ。どこか水浴び出来る場所はない?」
「うちに来ればいいわ。井戸があるから水をかけてあげる」
それはちょっと寒そうだと思ったが、こんな臭いを発したままでいるよりはずっといい。アルは「目立つといけないから」と言って再び幻術で魔族の姿になると、楽しそうに歩き始めた少女の後に従った。
途中の道すがら少女の名を尋ねると、テルマと答えた。彼女は姉と2人で町はずれに住んでいるらしい。テルマと2人でしばらく歩くと、粗末な石造りの家がポツポツと立ち並ぶ区域にやってきた。
このあたりの魔族たちは灯木で家を建てることが出来ないのか、あちこちに街灯のように立っている灯木以外は、家から薄く漏れている光しかなかった。通りには先程通ってきた町のように人々の姿は無く、静まり返っている。テルマは小さな家を指さして「あそこが私の家よ。井戸はここ」と、家から少し離れた共同の井戸を指さした。
テルマと一緒に井戸の水をくみ上げ頭からかぶると、あまりの冷たさにびっくりして幻術が解けてしまった。
「寒い?もうやめる?」
肩を震わせているアルを気遣ってテルマが言ったが、アルは「いや、臭いが完全に取れるまでは浴び続けよう」と再び桶に手をかけた。
その時、外の物音に気付いたテルマの姉が、家のドアを開けて顔を出した。
「テルマ?帰ってきたの?」
帰りの遅い妹を注意しようと思って出てきた彼女は、テルマの隣に立っている見た事のない姿の男にびっくりして息をのんだ。アルもテルマの姉に妖精の姿を見られて動揺した。魔族の兵に追われている事を彼女が知っているかどうかは分からないが、子供のように異種族を柔軟に受け入れてくれるとは思えなかった。
「ナーダ姉ちゃん!」
テルマは小さな羽を広げながら姉の方に走り寄り、足に抱き付いた。
「光の妖精さんだよ。妖精さんを連れてきたの!」
ナーダはテルマを見た後、黙ってアルを見つめた。ここは騒がれる前に逃げるべきだ。アルが背中に力を入れた時、ナーダがにっこり微笑むのを見た。
「本当。光の妖精さんね」
彼女はゆっくりとアルに近づくと、びしょ濡れの彼を見上げた。
「どうして水浴びを?この国は寒いわよ。太陽が無いから」
「少々事情があってゴミ箱の中に落ちました。出来れば水浴びだけさせて欲しいのですが」
「ゴミの中に?それは大変ね」
ナーダはテルマを連れて家に戻りながらニヤリと笑った。
「水浴びが終わったら家の中にどうぞ。何もないけど温まるくらいは出来るわ」
自分が臭くないと確信が持てるまで水を浴びると、アルは凍り付いた手でナーダの家のドアを開けた。もしかしたら彼女たちが親切にしてくれるのは何かの罠かもしれないが、とりあえず温まることが出来るのなら、あとはどうでもいいような気がした。
小さな家の中でまず目についたのは、粗末なテーブルと椅子だった。奥には半円形にかたどった暖炉があり、その中にある大きな丸い石が赤々と炎を上げている。アルが入ってきたことに気づいたテルマが、左側の台所に立っているナーダの隣から走ってきた。
「こっちに来て、妖精さん。あったかいよ」
濡れたアルの手を引いて、テルマは暖炉の側に連れて行こうとした。
「その前に体をふくものと着替えを渡してあげて。奥の部屋にあるでしょう?」
ナーダの声にテルマは今度は右側の入口へとアルを導いた。中はテーブルと同じく石のベッドがあり、そこで姉妹2人で寝ているようだ。すり切れた粗末な布で体を拭いていると、テルマが服を抱えて持ってきた。
「亡くなった父さんの服だよ。ナーダがこれしか無いからって・・・・」
母親の姿も見えないので、どうやら彼女達は2人きりで暮らしているようだ。アルは礼を言って服を着替えた。先程の部屋に戻ってみると、テルマが暖炉の前の椅子に座るように手を振っていた。おとなしくそこに腰かけると、テルマがアルの足元に座って楽しそうに彼を見上げた。
「今は暖炉をつける時期じゃないけど、ナーダが妖精さんは光の国から来たから寒いだろうって。でもこの国は地下にあるからそんなに温度の変化はないんだよ。導主様が私達の暮らしやすいようにしてくれてるんだって」
テルマは久しぶりの来客がうれしいのか、自分の話を聞いてほしいようだ。
「この暖炉の石やかまどの石もね、善導者様が高吏に命じて霊力をためた石を作らせて、無償で配ってくれてるんだよ。じゃないと霊力の少ない私たちは火を起こすのも大変なんだって。それから・・・・」
長い話に終止符を打つように「もう寝なさい」とテルマに告げると、ナーダは湯気の立ったスープをアルに手渡した。
「いや。もう少し妖精さんと話をする」
「もう時告げの鐘が10回鳴ったわ。寝る約束でしょ?」
「でもぉ・・・」
上目づかいでテルマはナーダとアルを交互に見つめた。ナーダはため息をつくと腰に手をやってアルの方を向いた。
「それで?妖精さん。今日は泊まっていくのよね」
「え?」
エルドラドスは一日中夜なので時間の感覚はなかったが、そう言えばここに来てからずいぶん時間が経っている。それを思い出すと長時間朗を抱えて飛び続けた事や、着いた早々、魔族の兵と戦った事が思い出され、どっと疲れが出てきた。
「泊まらせてもらってもいいんですか?」
ナーダはそれには答えずにんまり笑うと、今度はテルマを見た。
「妖精さんは明日もここに居るそうよ。だから寝なさい」
テルマは「わーい」と歓声を上げると「約束よ。テルマが起きるまで光の国に帰らないでね」とアルに言って隣の部屋へ駆けて行った。ナーダも隣の部屋へ行ってテルマを寝かしつけた後、体に掛けるケットを持って戻ってきた。
「あなたはここで適当に寝てもらうけどいい?」
「寝させていただけるのならどこでも・・・」
ナーダの手からケットを受け取る時には、すでに眠気を感じた。夕食の片づけを終えてナーダが隣の部屋へ行ったあと、アルは急いでスープを平らげ薄いケットにくるまり床に寝転がった。離れ離れになった仲間たちの顔を思い出しながら、アルは深い眠りに落ちていった。




