6枚羽の男
王聖女アデリアが王宮の聖王殿から消えてしまったという報告は、彼女が朗達を追ってエルドラドスに行ってからしばらくしてアザールとオクトラスの耳に入る事になった。
もとより聖王殿は特別な場所なのでアデリアの他には司祭くらいしか出入りする事はないのだが、彼女の帰りがあまりに遅いのを心配したお付の者達が司祭に探させたところ、聖王殿のどこにも姿が見えないとの事だった。それで大騒ぎになり城中くまなく探したが、それでも見つからず、早朝朗達と聖王殿に入っていくのを見た後、一度も出てきていないと言う一人の司祭の証言により、彼女が朗達と共にエルドラドスに行ってしまったのは間違いないという事になった。
それを聞いたアザールは何か事故でも起こったのではないかと心配したが、オクトラスはあの姫の事、朗達が居ないと退屈なのでついて行ったのだろう、と軽く流した。
「退屈だから善導者が城を勝手に抜け出し、未知の危険な旅に出たと言うのか?エルドラドスがどんな国かもわからんのに、これはゆゆしき事態だぞ!もし姫に何かあったら・・・」
「導主の恵みは絶え、パルスパナスは崩壊する。だがアザールよ。それが本当に真実なのか・・・?」
こんな事件があったらいつも自分と同じように憤慨するオクトラスが、妙に落ち着いているのがアザールには何となく気味が悪かった。
「どういう意味だ?」
「人族の国を見てみよ。王とは名ばかり。善導者は導主のみ言葉を聞くこともできない。それでも人の住む地はどんどん広がり、国は発展し続けている。あんなに命が短いのにだ。ちゃんとした指導者さえ居れば、国が崩壊する事は無い。我が国の善導者のように、いつまでも王にならず善導者のまま何百年も長らえるより、そちらの方がよほど国は繁栄するのではないか?」
オクトラスのささやきはとても危険で魅力的だった。もしアデリアが居なくなれば、もはやこの国に王族は誰も居ない。だから次に国の実権を握るのはアザールかオクトラスしかいないのだ。つまり自分達のどちらかが王になると言う意味だった。
だがアザールは自分の心に沸き起こった闇を打ち消すように首を振った。そんな事は大臣の自分達が考える事ではないのだ。我らはあるがままに運命を受け入れる。王には王の役目があり、彼らは生まれながらにして王だ。そして大臣には大臣としての役目がある。王を中心に国を両側から支える者、それが右大臣と左大臣なのだ。
「よいか、オクトラス。我らの命はすべて導主のものだ。導主の恵みが無くなれば、我らの命も人と同じように短命になっていくであろう。人族の世の発展など、我らには何の魅力もない。そんな事はもう何百年も前から分かっているだろう」
オクトラスはニヤリと笑うと、アザールに背を向けた。
「無論、分かっておる。少し冗談を言ったまでだ」
オクトラスが静かに去っていくのをアザールはため息交じりに見送った。
あたりに漂う強烈な異臭に、アルテウスは目を覚ました。慌てて起き上がろうとしたが、手が気持ちの悪い感触の中に沈んでいく。どうやらここは路地裏に置かれた大きなゴミの山のようだ。何とか防御壁は張れたのだが、先程の激しい爆発でそのまま吹き飛ばされて、こんなゴミの中に投げ込まれてしまったようだ。だがおかげで敵の目から逃れられたらしい。
妖精と魔族の霊術がぶつかると、あんなに激しい爆発が起こるとは思わなかった。あれでは近くに居た下級兵の何人かは、死ぬことは無くても大怪我をしているかもしれない。
アルテウスは周りに誰も居ないことを確認すると、吐き気のするゴミの山からはい出た。朗とマクベスはどうしただろう。姫もあんな頼りない男と一緒では、いつ追手に見つかるか分かったものではない。
「くそっ、臭い」
アルテウスはこの自分に似つかわしくない臭いに顔をゆがめた。幻術で姿を消したとしても、においに敏感な魔族にはすぐ見破られてしまうだろう。かなり上空を飛べば気づかれないかもしれないが、それでは朗達を見つけることはできない。
「どうすればいいんだ?」
アルテウスは鼻を手で押さえながら呟いた。
この町で一番高い建物の屋根の上で、一人の男が寝転がって真っ暗な空を見ていた。緑色の光を放っている屋根の上には、彼の他にまるでコウモリのように黒い大きな羽を持つ鳥が止まっている。先程の兵たちが乗っていた霊獣より一回り大きく、長い尾の先には、羽根と同じように黄色く光る模様があった。
男は暗い闇の中にそれと同じ模様が放つ光が近づいてくるのを見ていた。彼らの乗っている霊獣の羽や尾の先にあるこの黄色い光は闇の中で互いの場所を知るのに役立つ。霊獣に乗った兵は、あっという間に男の前に現れ叫んだ。
「スドゥーク様!妖精を一人捕えました!」
「どんな奴だ?」
「一番大柄な男です!」
「フン、あいつか・・・」
スドゥークと呼ばれた男が立ち上がると、隣にいた霊獣も大きく羽を広げた。
「他の奴らも探し出せ。俺はあの金色の光を放っていた奴を追う」
光が飛ばされた方角を見ながら命じると、スドゥークは霊獣に飛び乗った。
朝いつものように竹刀の素振りをしていると、キッチンの方から母が呼ぶ声が聞こえた。
「何してるの?朗。柾人ちゃんが迎えに来ているわよ」
急いで部屋に飛び込み、制服に着替えて玄関へ向かった。
「おはよー、柾人!」
だが柾人はいぶかしそうな顔で自分を見つめるだけだ。
「どうしたの?柾人」
「朗・・・お前、男になってるぞ」
「ええーっ!?」
自分の叫び声で、朗ははっと目を覚ました。
― 助かったんだ・・・ ―
朗は倒れたまま思った。所々に灯木がトーテムポールのように枝を切られ、まっすぐに立っている不思議な空間だ。下は土ではなく、芝のような短い草が一面に生えており、それで落ちた衝撃がずいぶん弱まったのだろう。おかげで怪我は無いが、長い間気絶していたようだ。遠くに町の灯りが見えた。
「随分飛ばされちゃったみたい」
朗は頭を押さえながら半身を起こしたが、一瞬ぎょっとして身を縮めた。朗から3メートルも離れていない空中に、大きな霊獣に乗った男が自分を見下ろしていた。彼の乗っている霊獣の長い尻尾の先がゆらゆらと黄色い光を発しながらゆれている。男はニヤリと笑うと、折りたたんだ羽も広げずに霊獣から飛び降りた。
無意識に右手は剣を探したが、どこかに落としてきたらしく何も掴むことはできなかった。このままでは殺されるかもしれない。朗は地面に腰をついたまま、まるで闇のような気配の男が近づいてくるのを見ていた。
朗の目の前に立つと、男はかがんで朗の顎をぐいっと持ち上げた。
「思った通り、随分と美しい。赤毛の癖に女じゃないのは残念だが、しかし・・・女のにおいもする。妖精とは不可思議な生き物だな」
朗は男の闇と同じ瞳を見つめながら、なぜか心臓がドキドキした。魔族の嗅覚は心のにおいまでかぎつけるのだろうか・・・・。
「私は妖精じゃありません。人間です」
「人間?ほう、これはまた面白いものを拾った」
“面白いもの”と聞いて、朗はマクベスが見世物になって売られたのを思い出した。もしかして魔族は妖精を見世物にしようとして捕えようとしているのだろうか。
思わず立ち上がって逃げようとしたが、男が朗を抱き上げる方が早かった。
「ふむ。近くで見ると益々面白い。緑の瞳をした者など、この国にはおらぬからな。気に入った。お前をわが城に連れて行ってやろう」
― 城・・・? -
朗が声を上げる前に男は背中に折りたたんでいた羽を一気に広げ、空へ飛び立った。
― 6枚羽・・・? -
朗は驚いて男の顔を見つめた。闇の中に溶け込むような漆黒の6枚の羽。この男は王族なのだろうか。もしかして魔族の善導者?
さっきまで遠かった町の灯が徐々に近づいてくる。男の肩越しに後ろを見ると、先程の大きな霊獣が彼の飛ぶ速度に合わせて後ろをついてくるのが分かった。
「あ、あの・・・」
朗は男のほりの深い顔を見上げた。聞かなければ。彼が善導者かどうか。もし善導者ならみんなを捕えないようにお願いすれば助けてくれるかもしれない。朗の瞳に気づいて男はニヤリと笑った。
「俺の名はスドゥーク。城の位置を知られるのはまずいからな。お前には少しの間、眠っていてもらおう」
― え・・・? -
朗が「待って」と声をかけようとしたが、その前に男はふっと彼女に息を吹きかけた。一瞬で朗の意識は遠くなり、深い眠りに落ちた。




