守れる力
自分の名を呼びながら必死に手を差し出す少年の瞳を見ながら、柾人は小学生の頃を思い出していた。
あれは小学4年の時だった。俺たち2人はウサギの飼育係になって学校の校庭に居る2匹のウサギを大切に育てていた。ウサギは2匹ともかわいくて、俺はすごくかわいがってたんだ。
ある日、俺が風邪を引いて朝の当番に行けなくなり、朗が一人でウサギ小屋に行った。だがウサギは野犬にでも襲われたのか、2匹とも体中に傷を負って死んでいた。朗はウサギを抱きしめて一人で泣いた。そして泣きながら俺がこの事を知ったら、どれほどショックを受けるか考えた。それでお前はたった一人でウサギを校庭の片隅に埋め、荒らされた小屋を片付け、俺にはこう言ったんだ。
「隣町の学校からウサギを欲しいって言われて、2匹ともその学校にあげちゃったんだって。さみしいけど、しょうがないよね」
だけど俺は分かったんだ。必死の笑顔のその中で、お前の瞳だけは泣きそうだったのを・・・。
金色の光に包まれた少年が急降下する鳥のように向かってくる。彼が自分の首に抱き付くのと同時に少年の周りで輝いていた光が2人を包み込み、急に落ちる速度が緩まった。ゆっくりと地面に降りた朗は目の前に立ってじっと自分を見つめる柾人から目をそらすようにうつむいた。
そうだ。初めてこの少年に会った時、あんな強い言葉を発しながら、その瞳は泣いているように震えていた。あの時と同じように・・・・。
柾人の手がそっと自分の頬に触れるのを感じて、朗は驚いたように顔を上げた。
「朗・・・なんだな・・・?」
柾人の声に朗はギュッと唇をかみしめた。ああ、とうとう柾人に知られてしまった。こんな姿でだけは会いたくなかったのに・・・。
そう思いながら朗も、初めて柾人に嘘をついたあの日を思い出していた。
― ウサギは隣町の学校にあげちゃったんだって ―
そう嘘をついた私を、柾人は今みたいにじっと見つめて言った。
「ウサギ・・・本当に行っちゃったのか?」
「・・・うん」
「朗。一度嘘をついたらその嘘を守るために、一生嘘を突き通さなきゃならないんだぞ。俺、朗にそんな辛い事させたくないんだ。分かるか?」
あの時私はただ泣き出すしかできなかった。かわいがっていたウサギを失った事。たった一人であの子たちを埋めなきゃならなかった事。初めて柾人に嘘をついた事。そんなすべてが覆いかぶさってきて、胸が痛くて仕方なかった。泣きながら本当の事を話した。そして柾人はそんな私の肩をギュッと握って言ったんだ。
「ごめんな。俺が風邪ひいて休んだばかりに・・・。ごめんな・・・」
そうなんだ。私は柾人に嘘をつけない。絶対見破られるから。それが分かっていても私は柾人に会いたかった。
小さくうなずいた朗に微笑むと、柾人は「良かったぁー」と言いながら空を見上げた。
「柾人、驚かないの?私、男の子になってるんだよ」
「そりゃびっくりしたけどさ。とにかく生きてて良かったよ。もう心配で心配で・・・」
「ごめん」
2人は微笑み合うと、すぐ側にあった石垣に座って、離れていた間の事を話し合った。
「それにしても、どうして柾人だけ私の事を覚えてたのかな」
これが一番不思議だった。柾人以外の朗を知る人々が完全に朗の事を忘れているのに、柾人には全く霊術が効いていないのは何故なのだろう。
「さあな。それは朗が男になったのが分からないのと同じじゃないか?とにかくあっちの世界に戻ったらすべて元に戻るんだし、いいじゃないか。でも朗はこの国を守る為にしばらくは帰らないつもりなんだな」
朗は黙ってうなずいた。本当は朗を見つけたらすぐにでも戻るつもりでいた。でも実際は朗がそのつもりにならなければ、柾人だけの力では戻ることなどできないのだ。
本当に朗はすべてが終わったら帰ってくれるんだろうか。でも戦争なんて、そう簡単には終わらないんじゃないか?
やっと朗に会えたというのに、今度は別の不安がどんどん湧いて来る。ちょっと待てよ。朗はこの国では男のままだ。当然幼馴染で親友では居られるけど、それ以上になる事はない。(俺も男を好きになる趣味は無い)
おまけに永遠の命だって?朗は永遠に少年のままなのに、俺はどんどん年を取ってオッサンになるのか?
なんだか考えすぎて囲碁試合の時、悩みすぎて吐き気がしてきたのと同じ気分がしてきた。
「柾人?」
朗に顔を覗かれてハッと我に返った。
「とにかくアデリアに紹介するよ。とってもきれいな妖精王聖女なんだ。あっ、王聖女っていうのはあっちでいう王女様なんだよ」
「ふうん」
「アデリアはさぁ。ちょっと甘えただけど、そこがまた可愛くって、寝る時は手を握っててあげないと眠れないんだ。それにねぇ・・・」
嬉しそうに話しながら前を歩いて行く朗を追いつつ、柾人はますます不安になってきた。
朗。まさか体が男になって、心まで男になっちまったんじゃないよな・・・・?
聖華殿の入口を守っている兵にアデリアに会いたい旨を伝えると、今アルテウスが来ていて広間で話をしていると言う。廊下を歩いてドアの前に立った時、中からアデリアが憤ったように叫ぶ声が聞こえた。
「お前は臣下のくせに、私の王士を横取りすると言うの?」
「横取りではありません。アキラは姫とは結婚しないと言っているのですから、私の妻になってもいいでしょう」
朗?妻?しかも言い争っているのは男と女?
驚いたように柾人に見られ、朗は今、アデリアとアルとの関係がややこしい事になっていると説明していなかった事を思い出した。
「いやよ!絶対にアキラは渡さないから!」
「どうぞご勝手に。姫がなんと言おうと、私はアキラと月絡の契りを交わします」
「この不忠義者!!」
「恋と忠義は別物です」
朗が中に入るタイミングが計れず悩んでいると、怒ったアデリアがアルに霊術をぶつけ始めた。ドアや壁は揺れ、何かが割れる音が響いてくる。当のアルは得意の防御壁を周りに張り巡らし、アデリアの攻撃にも涼しい顔だ。
「もう諦めなさいませ。300年もすればアキラの気持ちも変わるかもしれませんよ」
「うるさい、うるさい!」
アデリアは両手を上にあげ特大の霊術の球を作ると、それを思い切り投げつけた。だがそれはアルではなく、丁度ドアを開けた朗の方に向かって一直線に飛んでいった。
「アキラ!」
アルとアデリアの声が響いた次の瞬間、彼女の霊術の球は銀色の小さな光の粒になって飛び散った。息をのんで見つめたアルの目に、背中で朗をかばっている柾人が映った。どうしてこいつがここに居るんだ、と思わずムッとするのと同時に、やはりマクベスの言ったように柾人には霊術が利かない事が分かった。
「柾人、大丈夫?」
「うん。全然平気。朗は?」
「私も大丈夫」
柾人に霊術が利かないことを知らない朗は、アデリアがアルに怪我をさせない為に幻術をぶつけていたのだと思った。
アルだけでなくアデリアも、朗と親しそうに話す男を不審そうな目で見た。
「なんなの?その男は」
朗が柾人を紹介すると、アデリアはますます怪訝な顔をして、柾人を上から下まで見つめた。
まあ、本当。アルテウスの言うように冴えない男だこと。どう見ても剣は使えないし、アキラのように霊術も使えないわね。
そしてアデリアの女の感は、朗が柾人をただの友達以上に思っている事も見抜いた。
許せない、許せないわ。アルテウスもこの男も。やっと見つけた私の王士を横取りするなんて。でも大丈夫。だって私には導主が付いているもの。木霊王がこの世界にアキラを呼んだのは、私の王士にする為に違いない。だから誰が相手でも負けやしないわ。
アデリアは確信すると余裕の表情で微笑んだ。
「そう。アキラの友人ならこの国に居ても構わないわよ。滞在を許可します」
「良かったね、柾人!」
「う、うん」
嬉しそうな顔で叫んだ朗の後ろで、2人の妖精が冷ややかな目で自分を見ているのが柾人には何となく怖かった。
その日の夕食は朗の部屋で柾人と共にとった。柾人に会ったら男の自分を否定されると思い会うのをためらっていたが、柾人が以前とまったく態度を変えなかった事が朗はとにかく嬉しかった。それでこの世界に来てからの、もっと詳しい話を食事もそこそこに夢中になって話した。柾人は笑ったり感心したりしながら、その不思議な冒険に耳を傾けた。
特に柾人が興味を持ったのは霊力についてだ。朗は霊術を元の世界でいう魔法のようなものだと思っていたが、柾人は霊術を使う力である霊力は、人の世界でいう“気”のようなものではないかと言った。そう言われると、剣道を志す朗にはよく理解できた。
気の概念はとても難しいものだが、武芸をたしなむ人間にとっては体内にある気を高める事はとても大切な事だ。もとより気はすべての生命の源であり、エネルギーの元であると言われているので、体内の気が充実している人間ほど健康であり、判断力に富み、成功する事が出来る。
合気道で気の力だけで人を吹き飛ばす人間が居るように、彼らの霊術も彼らの中にある霊力が彼らを生かし、敵を吹き飛ばすほどのパワーを発揮するのだ。
「木霊王が朗を選んだのは、きっと剣を使えて気の力も充実しているからだろうな」
柾人が食後に出されたカトゥールを飲みながら言った。
「でも私より剣が使えて、気が充実している人はいくらでもいるけどな」
朗がちょっと不服そうに口を尖らせた。パルスパナスに連れて来られた事を恨むつもりは無いが、やはりどうして自分が・・・という思いはぬぐいきれなかったのだ。
「それは木霊王に聞かなきゃわからないけど、でも朗はどんな事があっても困っている人を見捨てたりしない。だからこそ朗はこの国に必要なんじゃないかな。まっ、俺は必要もされてないのに来ちゃったって感じだけど・・・」
柾人の言葉に朗は大きく首を振った。
「そんなことないよ。私、柾人が来てくれてすごく嬉しい。だから柾人がここに来るのを手伝ってくれた仁科さんも、それから狐童子って人にもすごく感謝してるんだ」
楽しそうに話し合う二人の側にミディがお茶を持ってきた。
「良かったですね、アキラ様。お友達に会えて。お二人の言葉はわかりませんが、アキラ様が楽しそうで私も嬉しいですわ」
「あっ、ごめん、ミディ。つい二人だと元の国の言葉で話しちゃって。今ね、マサトが来てくれてとても嬉しいって話してたんだ。だってもう一人ぼっちじゃなくなったんだもの」
朗の言葉にミディは、はっとしたようにお茶を入れる手を止めた。朗はいつも明るくふるまっているように見えたが、本当はさみしかったのだ。確かにここには朗以外の人間は居ない。もともと人と妖精が交わることなど有り得ないからだ。
「アキラ様。本当はおさみしかったのですね。それなのに私達の為に・・・」
ミディが声を詰まらせて泣いているのを見て、朗はびっくりした。
「ミ、ミディ。そんな事ないよ。私はただマサトが来てくれて嬉しかっただけで。この国もミディの事も大好きだし、だからあさって魔族の国に行くのだって、ちっとも嫌じゃないんだよ」
思わず朗が言った言葉に柾人はどきっとした。魔族の国ってなんだろう。朗の話でこの地上にあるのが妖精の国と人の国で、ついこの間まで人族の国に行っていた話は聞いていた。そこでも仲間が捕まったり、朗自身もラスゴラスっていうちょっと危なそうな男(彼にソファーに押し倒された事はさすがに柾人には秘密だが)に捕まったりと色々あったらしいのに、魔族の国なんてもっと危なそうじゃないか。
泣いているミディを一生懸命慰めている朗を、柾人は不安そうに見つめた。
結局その夜、柾人は朗に魔族の国へ行く話を聞けずに部屋に戻ってきた。ここを抜け出そうと椅子をぶつけた窓の太いツタは今はもうすっかりなくなって、部屋にある3つの窓からは星空が見えている。
「そうか。この国にはガラスなんてないんだな」
柾人は窓の側に行って空を見上げた。日本からは見た事もない、まるで夜の空を覆いつくすように星空が広がっている。
本当に異世界に来たのだ。例え二度と戻れなくても、朗が自分の側で笑っていてくれるのなら後悔はしない。でも自分に何が出来るんだろう。せっかく会う事が出来ても朗のように剣を持って戦う事も出来ない俺が居て、それで何が変わるんだろう。
朗は元の世界に居た時と同じように、どんどん前へ進んでいく。どんな危険も顧みず、その最中に乗り込んでいく。なのに俺はそんな彼女を守る事もできないんだ。
柾人は自分の腹のあたりに握り拳を当ててみた。確かあの日、狐童子は月鬼と千怪という妖魔を柾人に与えてくれた。だが初めてそれが体の中に入って来た時に衝撃を受けて以来、一度も彼らの存在を感じる事は無かった。
握りしめた拳を何度も体に当てながら柾人は呟いた。
「居るんだろ?月鬼、千怪。だったら俺に力を貸してくれよ。どうしたら朗を守れるんだ?」




