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ツインブレイバー  作者: 月城 響
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君に会いに

 深い暗闇の中から響いてくる声に柾人は目を覚ました。だがまるでまぶたがくっついてしまったように開けることが出来ない。闇の中から響いていたように聞こえていた声は、やがてはっきりとした言葉になって聞き取れた。


「おはようございます、風見さん。大丈夫ですか?」


 約束通り田中が起こしに来たのだ。柾人は目をこすりながら体を起こした。


「おはようございます・・・」


 かろうじて挨拶を返す。冬の朝の5時と言えば、まだ外は真っ暗であった。田中はまだ頭がぼうっとしている様子の柾人の側にフェイスタオルと歯磨きのセットを置いた。隣の部屋との間にトイレと洗面台があることを告げて田中が出て行ったあと、柾人はまだ重いまぶたをこすり、布団から出た。


 隣の2つの部屋は空き部屋なのか、誰か居てもまだ眠っているのか物音ひとつしなかった。歯を磨いて眠気まなこの顔を洗う。京都の冬の水は東京のそれよりはるかに冷たかった。布団を上げて身支度を整えて待っていると、田中がトレイに乗せた朝食を運んできた。


 ご飯とみそ汁と漬物と味付け海苔。卵は温泉卵だった。そういえば関西の海苔は焼き海苔じゃなくて味付け海苔だったな。以前来た修学旅行を思い出しながら、トレイを乗せるために小さなテーブルを用意している田中に尋ねた。


「あの、仁科さんは・・・」

「もうお客が来てはりますから、リビングの方に」

 

 客って昨日と同じように?一体いつ眠るんだろう。驚いている柾人に田中はにっこり微笑んだ。


「そうそう、隣の部屋には子供たちが寝てるんで起こさんようにしてください。その朝食は奥さんが作りはったんですよ。温泉卵が絶妙ですやろ?」

「はあ・・・」


 トレイの上の温泉卵に目を移した後、もう一度田中を見上げた。


「本当に普通の家なんですね。俺、仁科さんってお坊さんだと思ってました」

「出家して仏道を修める者も居れば、世俗にあって人を救う手助けをする者もいる。出家するより世俗の垢にまみれながら修行する方が、より厳しいとも言われます。


 どんなに力があっても、そういう人は決して政治には関わらへんし、人を救ったからと言って金品を要求することもありません。金を受け取った瞬間、その力は神仏に依るものではなくなりますから」


 田中は一息置くように立ち上がると、入り口近くに置いてあった米櫃を持ってきて、テーブルの横に置いた。


「たくさん食べていきなさい。長い旅になるかもしれんと仁科も言ってましたやろ?」


 そういえば“あてにならない旅”と昨日の夜言っていた。“気に入らん人間には扉を開けてくれへん”とも・・・。


「扉を開けてくれないんなら、開けてくれるまで待ちます。俺、根性は無いけど・・・でも絶対会ってもらいます」


 田中は少し困ったように微笑んで、米櫃のご飯を茶碗によそい始めた。


「そういうのとはちょっと違うのや。根性あってもあのお人に会うことはでけへん。なにせ住所もわかれへんから」

「え?」


 一体どう言う事だ?住所もわからないなんて“少々あてのない旅”どころじゃないじゃないか。


 急に絶望感が襲ってきた。もしかしたら仁科との出会いも、あの銀色の羽が生えた化け物の仕組んだことかもしれない。だってこんなに遠くに居る人が、朗の事やこの一か月に起きた事まで分かっているはずないじゃないか。


 昨日の仁科との会話もすべて嘘だったように思えて、柾人は泣きたくなってしまった。


「あんな、よう聞いてや。確かに当てがないとは言うたけど、ほんまに駄目やったら仁科があんたをここに泊めてまで行かすはずはない。会うた事がない言うても、仁科はあの人の事をよう知ってるはずや。そしてあの人も・・・。自分の名前が出た以上、ここでの会話もあんたの事も全て分かってはるはずや。あの人らはそういう人達なんや。


 ええか。自分の信念を見失ったらあかん。男が腹をくくったんや。もう迷うたらあかんのやで。自分を信じてまっすぐに歩いて行き。そうすれば必ず道は開けるんや。開けへん扉も開くんや。ええな、柾人」



 彼が自分の名を呼んだ時、それが朗の声のように聞こえた。にじんだ涙をふき取り強くうなずくと、柾人は朝食を勢いよく食べ始めた。





 柾人がこの家の門を出たのは6時過ぎで、あたりはまだ薄暗かった。結局仁科とは会っていなかったが、きっと彼はすべてが分かっているからそれでいいのだろう。田中が一人、門まで見送ってくれた。


「とにかく真っすぐ歩いて行くんや。もうすぐ太陽が昇る。その方向に向かって真っすぐにな」


 本当に当てのない旅になりそうだ。それでも柾人はにっこり笑って頭を下げた。


「お世話になりました。仁科さんによろしくお伝えください。それから奥さんにも、温泉卵おいしかったって」


 田中の「伝えとくわ」と言う返事を聞いて柾人は歩き出した。田中が手を振りながら呼びかけた。


「気いつけて。狐童子があんたの事気に入ってくれるよう、祈ってるわ!」

「ありがとう。俺、田中さんの事、忘れません!」


 照れたように微笑みながら、田中は遠くに消えていく背中を見送った。門を閉めリビングに行くと、いつものように足を上げたままソファーにどっかりと腰を下ろしている仁科が居た。


「行きよったか」

「とても心細そうでした。何も言ってやらんで良かったんですか?」

「わしがいう事はもう何もない。必要な事は弟子が全部言うてしまいよったしなぁ」


 田中は再び照れたように笑った。



「なんだか弟みたいに思えて、つい熱弁をふるってしまいました。狐童子が会うてくれはったらええんですけど・・・」


 仁科はそれには答えず、ただ唇の端をゆがめて微笑んだ。


「さあ、わしも愛妻の作った朝飯、食べよかぁ」






 稜線の向こうから朝を連れてきた太陽が、今はすっかり登り切っている。柾人はもうどちらを向いて歩いているのか全く分からなかった。とにかくここは山の中で、右も左も木とやぶしか見えない。ただ時々人が通るのか、一応さらに山の奥へと導く道筋が地面に残されていた。それで山に入ってから誰かに出会わないかと期待したが、時折通り過ぎる冷たい風以外は、人にも動物にも会う事はなかった。


「行くしかないんだよな」


 とっくに昼も回っているので空腹を覚えたが、とにかく歩いた。たった一人でこんなところを歩いていると、いろいろ考え事をしてしまう。このまま夜になってもこの山を抜けられなかったらどうしよう。こんな名前も知らない山で、しかも冬に野宿なんて絶対無理だ。上に来ているコートはそんなに厚手ではないし、荷物になるから、あまり服も持ってきていなかった。


 とにかく明るいうちに山を抜けるんだ。今まで山歩きなどあまりした事のない柾人は、山の中を一人で歩き続ける孤独に息がつまりそうだった。早く人が居る場所に出たいがために先を急ぎすぎたのか、疲れと空腹で足が重たくなってきた。太陽も幾分傾いてきている。


 ため息をついて立ち止まった時、目の前にある空間がまるで陽炎かげろうが立つように少し歪んで見えた。眉をひそめて見ていると、だんだんその歪みが円形を保ちながら大きくなっていった。


 まさか、又あいつらが来たのか?だが朗がさらわれた時はあたりが薄暗くなって、まるで小さな嵐のような空気の渦が巻き起こっていたはずだ。


 身動きもできずに見ていると、その歪みがあった場所には全く別の風景が現れた。目の前に道があり、その先に瓦屋根のついた古い大きな木戸がある。扉は両開きで片方だけが開いていた。


 普通なら気味が悪いと思うのに、不思議とその空間の中は春のように穏やかで暖かそうに見えた。柾人は目を閉じ、大きく息を吸い込んだ。


「真っすぐに・・・進め」


 自分に言い聞かせるように呟くと、一歩その空間の中へ足を踏み入れた。ゆっくりとその木戸に近づきながら振り返ると、もうもと居た山の道は無く、まったく別の場所だった。


 外から見た時に感じたように、なぜかここには緩やかな暖かさがあった。木戸から中を覗くと、奥に古い日本家屋が見える。勝手に入ってもいいのだろうか。少し迷った。


― 入らないの? ―


「え?」


 どこからか声が聞こえて来て思わず上を見上げた。頭の上には白い蝶がふわふわと飛んでいるだけだ。


 蝶?こんな時期に? 


 不思議に思って見ていると、蝶は羽を揺らせて木戸をくぐり、中へ入っていった。それを追って自分も足を踏み入れた。


 ふわふわと漂うように進む蝶に導かれるように屋敷に近づいていくと、外に張り出した縁側に一人の少年が胡坐をかいて座っているのが見えた。年の頃は10歳ぐらいで、白い作務衣のような着物を着ている。


 彫りの深い印象的な顔立ちをしていて、長いまつ毛の下の瞳は来訪者を確認するでもなく、額の上の何もない空間を見つめていた。やがてふわふわと飛んできた蝶に手を差し出すと、蝶はすうっと彼の手のひらの中へ消えていった。そのあと少年はやっと、呆然と立っている柾人を見た。


「ほう。周りに術がかかっとる。まあ、そなたには効いてないようやが・・・」


 よく通るその声はとても落ち着いていて子供とは思えなかった。


「あの、あなたが狐童子さん?」

「京の狸殿がおもろいぼんが行く言うてはったから、つい扉を開けてしもうたわ。なあ、白虎、緋龍」


 彼が後ろを向いて話しかけると、閉じられた障子の向こうから猛獣が低く唸るような声で返事があった。


「久しぶりの来客じゃ」

「だが長居は出来まいな」


 どう聞いても人間ではない声だったが、深くは考えない事にした。


「そうや。長居をしている暇はない。行く為に来たんやろ?」


 柾人は反射的に答えた。

「はい」


「では行くがいい。例えそれが底なし沼の底より深い闇の中であっても。己の心の欲するままに・・・」


 狐童子が握りしめた手のひらを天に向けて開くと、再び白い蝶がそこから飛び立ち、柾人の目の前にふわふわと飛んできた。


「ああ、そうや。今回は狸殿の紹介やから、付加サービスも付けたるわ」


 少年の両側にいきなり2匹の猛獣が現れたと思うと、それは目に見えぬほどの速さで走り、柾人の体の中に吸い込まれるように消えた。体の真ん中に重い衝撃を受け、柾人は驚いたように自分の腹のあたりを見つめた。


月鬼げっき千怪せんけや。どちらもわしの妖魔の中ではおとなしい方やけど、怒らせたらあかんで。体の中から出てくる時に喰い尽くされるからな」

「ひぇっ、は、はい」


 きっとあの障子の向こうに居るのも人間ではないのだろう。自分の体の中がどうなっているのかを考えると、なんだか悪いものでも食べてそれが腹の中で居座っているような気分だ。そんな柾人を見て狐童子は微笑むと、手を差し出した。


「では行くがよい。会いたい者の姿をひたすら望みながら。さすれば蝶がその者のところに導くであろう」

「あ、ありがとうございました!」


 頭を深く下げ、蝶を追う。彼の姿は門を出る前にすうっと光の中に消えていった。


「良かったのか?行かせても。もう二度とこの世に戻って来れぬかも知れぬぞ」


 長いひげが障子に映り、ゆらゆらとうごめいている。そうすると隣に映った鋭い牙のある顔が答えた。


「仕方あるまい。愛しい乙女の居ぬ世界は、あの者にとって闇の中に生きるようなもの。奴は光を探しに行ったのじゃよ。のう、童子」


 呼ばれた彼はふっと笑うと、またいつものように何もない空間に目をやった。








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