朗と柾人
諸伏 朗の朝は竹刀の素振りから始まる。
「198・・・199・・・200!ふう、今日もバッチリだ」
笑顔で空を見上げ汗をふき取った時、キッチンから母の声が響いて来た。
「朗、何してるの?柾人ちゃんが迎えに来たわよ」
「ゲッ、ヤバい。着替えなきゃ」
急いで部屋に飛び込み制服に着替えると、バタバタと足音を響かせながら2階から降りた。テーブルの上のパンをかじりながらスカーフを結んでいる娘に母は軽くため息をついた。
「まったく毎朝毎朝、柾人ちゃんを待たせて困った子ね」
「ママ、柾人ちゃんじゃないったら。私も柾人ももう17歳なんだよ。柾人君って呼んでやって」
「ああ、そうだったわね。小さい頃から知っているものだからつい・・・。ほら柾人君をお待たせしないの」
母に背中を押されて最後のパンを無理やり牛乳で押し込むと、朗は玄関に走り出た。
「おはよー、柾人!」
「おはよ。急がないと遅刻するぞ」
「うん。行ってきまーす!」
玄関で見送る母に手を振ると、2人は走り出した。
彼、風見 柾人と朗は母親同士が親友ということもあって、生まれた時からの幼馴染だ。幼稚園も中学も一緒で、高校も同じ星辰高校に通うことになった。朗はたまたま同じ高校に受かったのだと思っていたが、その陰では柾人の献身的ともいえる努力があった。
とにかく朗はスポーツ万能で頭もよく美人で人気者だ。学校ではバスケと剣道、陸上部を掛け持ちでやっていて、生徒会役員でもある。たくさんの友達に囲まれて毎日走り回っている朗と比べ、柾人は普通の男子高校生だった。成績も中の下くらいでスポーツも苦手、入っているクラブも地味で目立たない、まだ部にも昇格できない囲碁研究会。
そんな柾人にとって唯一の救いは、朗と近所で幼馴染であることだけだった。だから彼はどんなことをしても朗と同じ星辰高校に通わなければならなかったのだ。
だが喰らいつくように必死に勉強してやっと高校に受かったものの、朗は以前にも増して輝いているようで、柾人は毎日彼女を目で追うだけで息切れしてしまうのだった。
そうは思うものの気が付くと目は朗を追っていて、今日も運動場で陸上部の練習に出ている彼女を3階の教室の窓から見ていた。
コーチの笛の音と共に5人の女子が走り出す。朗は真ん中から一気に先頭に走り出て、そのままゴールに飛び込んだ。
やっぱ速いや。朗。
陸上部員に囲まれて楽しそうに笑っている朗を見つめる柾人の両側から、男友達の三宅と中村が話しかけた。
「俺の朗、眩しいぜー」
「とっとと告っちまえばいいのに。俺が代わりに言ってやろうか?」
「なっなっ、何言ってんだ、中村!俺と朗は・・・ただの幼馴染だ」
そう言いつつ、幼馴染という言葉に何となく胸が痛くなった。
「へええ。黒板見てるより朗を見てるほうが長いくせに」
三宅の言葉に息が止まりそうになって、柾人は思わず黙り込んだ。
「今日だってクラブが休みなのに、朗を待ってるんだろ?」
「一言好きだって言えば済むことじゃん。片思い17年は長すぎるぜ」
そんな会話が聞こえたのか、クラスに居た女子も机の向こうから叫んだ。
「そうそう。そういえばAクラスの長澤君、朗の事いいって言ってたなぁ」
長澤・・・?亀梨ばりの学年一のイケメンじゃねーか。
「そうだ。生徒会長の東野君も朗の事好きなんだって」
東野?学年一頭のいいあいつまで・・・?
気が付くと、教室に残っているクラスメイトがみんな、にやにや笑いながら自分を見ている。
「だから・・・俺たちはただの幼馴染だって言ってるだろ?」
呟くように言葉を吐くと、柾人は鞄を持って教室を出て行った。
ー まったく、意気地なしだな。あいつは・・・・ ー
友人たちは今頃そんな軽蔑の言葉を吐いているだろう。それでも柾人は怖かった。もし気持ちを打ち明けて、朗に拒絶されたら・・・。きっと明日から一緒に登校する事さえできなくなるだろう。幼馴染でさえ居られなくなる位ならずっと見ているだけでいい。でも・・・・。
柾人は立ち止まって廊下の窓から運動場を見下ろした。朗は他の部員たちとコーチの指示を受けた後、後片付けをしている。
そうだ。長澤や東野じゃなくても、いつか朗が誰かと付き合うことになったら、毎日朗を迎えに行くのも一緒に帰るのも彼女の笑顔でさえ、きっとそいつが独占するんだ。そうしたら幼馴染という関係さえ、何の意味も無くなってしまうんじゃないか?そんなことになるくらいなら・・・。
それでも決心がつかないようにため息をつくと、柾人はいつも朗を待っている校門へと向かった。
片づけを終えると朗は部の女友達と共に着替えをする為、部室に戻り始めた。
「朗」
呼び止める声に振り返ると長澤が立っている。柾人は知らなかったが、すでに長澤は朗にアプローチ中であった。
「部活、終わったんだろ?一緒に帰ろうぜ」
「ごめん。柾人が待っているから」
「柾人?」
長澤はむっとしたような顔をすると、部室の壁に朗を押し付けるように顔を近づけた。
「あんな冴えない奴のどこがいいんだ?頭も悪いしスポーツ音痴。おまけに囲碁研究会なんて笑っちゃうよな」
柾人に対する侮蔑の言葉に、朗は思わず右手がうずいた。今竹刀を持っていたら確実に長澤をぶちのめしていただろう。
「柾人を馬鹿にするな。言っておくけど私、あんたなんか全然カッコいいと思わないし、好きじゃないから」
「へえ、それじゃああんなダサい男が好きなのか。趣味悪すぎんじゃねーの?」
「ああ、そうだよ」
朗は胸を張ると堂々と答えた。
「柾人はね、世界で一番の幼馴染なんだ。あんたなんか比べ物にならないんだから!」
悔しげに顔をゆがめる長澤に背を向けると、朗は友人たちと一緒に部室に入り、思い切りドアを閉めた。
「見た、見たぁ?あの長澤の顔!」
「ちょっといい男だからって自惚れていたからね。いいザマだわ!」
女の子たちが騒いでいる中、親友の美嘉がまだふくれっ面をしている朗の顔を覗き込んだ。
「世界一の幼馴染ねぇ。世界一好きな人って言っちゃえばいいのに」
「え?そ、それはちょっと・・・」
急に真っ赤な顔になって朗はうつむいた。
「柾人君は小っちゃい頃から朗の王子様だもんねぇ。いまどき王子様なんて乙女なこと言ってるの、朗くらいだけど」
「何よ。乙女で悪いか」
朗は再び頬を膨らませながらセーラー服を頭からかぶった。
「男らしい見かけに乙女の心じゃ告白しにくいのは分かるけど、もう17歳なんだもん。言ってみてもいいんじゃない?」
美嘉の言葉にちょっと困った顔をすると、朗は彼女と共に部室を出た。
試合が近いバレー部は、まだ校庭で特訓中だ。朗も本当は県大会を控えているので剣道部にも顔を出さなければならなかったが、クラブのない柾人が自分を待っているのを知っていたので今日は帰ることにしたのだ。
「私ね。今は柾人に何も言うつもりは無いんだ。私たちはこれから高校を出て大学に入って、また一杯勉強したり友達を作ったりして社会に出る。それからも色々な経験をして大人になって・・・。柾人に気持ちを伝えるのはそれからでもいいと思うんだ。だって周りがどんなに変わっても、私たちはこれからもずっと一緒に居られるって信じているから・・・」
親友の心が乙女だとは知っていたが、ここまで純粋無垢だとは思わなかった。美嘉は驚いたように朗を見た後、にっこり笑って彼女の背中を押した。
「ほら、柾人君が待ってるよ。朗の王子様がね」
読んでくださって、ありがとうございます。
龍 李改め、月城 響です。
1年半ぶりの新作です。
よろしければ長らくお付き合いくださいね。