第陸話 神山赤塚、龍泉青井
リアルが忙しくなった+プロットすら仕上がらないでこんなに遅くなってしまいました。ごめん茄子野菜。違った、ごめんなさい。
また、作者は関西人の為、一連の放置に大震災は何ら関係はありません。
「…で、何の用だ」
7月は最初の金曜のこと。その昼下がり、今日の講義が終わった赤塚浬は何時もの如く神山学園大学社会学部民俗学科研究室、つまりは青井と乾の本拠地に押し掛けて当たり前の様に茶を啜っていた。
何時の間にか青井のキャスター付きの椅子は彼に占領されている。その椅子の本来の主は部屋にあった客人用のソファにドッカリと腰を下ろし、何時も迷惑事しか持って来ない悪友をジト目で睨んでいた。今日もまた迷惑事を持って来やがったのか、と。
「やだなあ、今日は切咲の乙三に会いに来たんだけど」
赤塚はそんな青井の様子など気にもせずに椅子を前後逆にして座り、背凭れに寄り掛かって足をブラブラと揺らしている。
「ん?俺かい?」
それを少し遠くの本棚の側でコーヒーを飲みながら眺めていた切咲が此方へやって来た。
「そーそー。あ、研究室一緒だし涼にも関係はあるから、聞いてきなよ」
そう言って、赤塚はコトリとカップを机の上に置く。
「あのねえ、明日の土曜にウチの神社の宝物庫の虫干しするんだけどさあ、来ない?」
「へぇ」
「面倒だ」
切咲が興味深げに顎を撫でたのに対し、青井は興味無さそうにマグカップの中身を喉に流し込んだ。
「話は最後まで聞きなって。で、なんだけど、何百年か前にソコに突っ込んだ気がする箱が見つかんなくってさあー」
未だに不機嫌な青井を尻目に、赤塚は話の最中にくぁ、と欠伸をする。
「…ま、中身はただの巻物?確か、涼んとこの見取り図かなんかだった気がするのよ」
考え込んでいるのか、二人からの返事はない。赤塚は心配そうに肩を竦めた。
「ホラ、研究課題にぴったし?」
「…要はオレ等に神社の掃除を手伝え、ということか?」
軽くおちゃらけた赤塚の態度に、更に不機嫌モードが加速する青井。
「んまぁ、涼さん、人聞きの悪いこと言っちゃってぇ。ま、でも?何か重要なモノが出てくるかもしれないじゃない」
然し赤塚は、こんな時でも青井へのおちょくりは忘れなかった。寧ろ機嫌が悪い時ほどきちんとやる。流石は赤塚さんクオリティ。
それに対し青井の返事は機嫌のわりに意外な物だった。
「ま、確かに一理あるわな。お前、よく俺ん所の宝物掻っ攫ってくとか莫迦なことやってたし、それが残ってるかもしんねェ」
…全く、ツンデレも良いところである。
「ホラ乗ったぁ!」
「まだ行くとは決めてねぇだろ、教授が」
「ちぇっ、釣れないねェ」
再びツンモードにはいった青井を、赤塚はニヤニヤ顔で見つめていた。
「学生は連れてっても大丈夫かい?」
暫くして、それまでの微妙な沈黙を破る様に、さっきまで黙っていた切咲がこう切り出した。
「お、前向きなご意見さね。俺ぁあのツンデレ壮年よりはそーゆう乙三の方がよっぽど好みだわ」
ツンデレ壮年とは勿論、青井のことである。
「そりゃ重畳」
切咲はくすりと笑うと、マグカップに視線を落とした。
「誰がツンデレ壮年だ」
そして、勿論青井は赤塚の言葉に噛み付いた。因みに壮年期とは30代から60代あたりのことを指す。青井涼遥は自称35歳。何も間違っちゃあいない。
「あっこで吠えてんのは無視して、えー、そっちの研究室って何人?」
「10人も居ないね」
ふーん、と赤塚は視線を泳がせる。彼曰く、蔵の床部分が大分脆くなっており、人数が多過ぎると床が抜けるかもしれないのだとか。
「ま、その人数だったらイケるか」
中身を出す場所も近いしね、と赤塚は頷いた。
「それじゃあ、参加させてもらおうかな」
「んじゃシロに連絡しときまっさぁ」
☆☆☆
日付変わって、土曜日の午前中。赤塚浬は神上山の麓にある、赤塚神社の境内で楽しそうに辺りを見回した。彼はどこから持って来たのか、黄色いビールケースの上に立っている。
「さあて、皆さんよーこそ、赤塚じん…ぐぇっ!」
しかしまあ、何故か妙にノリノリである。青井はそんな赤塚の首根っこを掴み、無理矢理台の上から引き摺り下ろした。
「そんな御託はどーでも良い。で、宝物庫とやらは何処にあるんだ?さっさと教えろ」
「すず…いや、青井助教!調査協力者を殺すのはマズいですって!」
朝の清々しい空気に満ちた境内のなか、乾のツッコミが響き渡る。あと一歩で昇天しそうな位真っ青な顔をした浬は、もう力が入らないのか、ずるりと青井にしなだれかかっていた。
「コイツだったら死なんだろ」
そんな彼の調子などどこ吹く風で、青井は赤塚の襟元をパッと放す。赤塚はその体勢のままどしゃり、と地面に倒れ込んだ。
「げほっごほっ、うぇぇ、青井さん、そりゃ非道い…つか、絶対アンタ知ってるでしょーに」
そして、きっかり3秒後に復活。どうもこの手のやり取りは初めてではないらしい。寧ろ往年のネタの様にも見える。
「ほら、死んでねぇだろ。で、んなモン忘れた」
「そーゆー問題じゃなくて…」
そう言いかけて、乾は口をつぐんだ。これ以上言っても無駄なのは経験から分かっているからだ。
(はあ…)
妙に自信満々な助教とそれを惚けて見ている"一般の"学生二人を脇目に、彼はちいさく溜息を吐いた。
☆☆☆
「うをっ、眩し!」
「眩しー!」
「キャー日焼けするー」
「溶けちゃう~」
(…はぁ、ここもなの…)
やる気が削がれる、とはまさにこの事を指すのだろう。準備で遅れる男共より一足先に蔵に到着した御拠はその戸を開いた瞬間、直ぐに後悔した。神社の蔵なんだから、ウチの蔵ほど煩いヤツは居ないだろうと嘗めていたのが間違いだったのだろう。
しかし実際は、境内から外れた山中に建てられた蔵の中身の方が、彼女の実家の蔵の中身よりもかなり煩かった。体感で言うならおおよそ2倍ほど、だろうか。
(でもまあ…やるっきゃないか)
御拠はふぅ、と溜息を吐く。実家のことを考えてみれば、こんなのには慣れっ子なのだ。今更どうということではない。
「お邪魔しまーす…」
彼女は一歩、じめじめとした蔵の中へ足を踏み入れた。
☆☆☆
御拠のやる気がジェットコースターの如く一気に低下していたその頃。
「全く、空でも飛べば楽なのに…」
赤塚、切咲を除いた男三人衆は各々レジャーシートを抱えて黙々と山道を歩いていた。全員そこそこ運動が出来るのか、あまり疲れは見えない。しかし、ほぼ獣道な道中、キツイものはキツイ。それは暫く無言でいた青井が溜息がちにそう呟くほど。
「へ?青井助教、どうかしたんす、か?」
そのすぐ後ろにいた哉灯は上手く聞き取れなかったのか即座に聞き返す。大きな木の根を踏み越えながら。
「い、いや、何でもないさ。鳥達は羨ましいなと思っただけで」
「はあ」
哉灯は青井のはぐらかすような返答に、納得いかないような声を上げる。しかし、こう言われるとどうしようもないので、彼はさっきの言葉を推測してみることにした。ほんの少し聞き取れたのは、空だとか飛ぶだとかそんな言葉。
(空を、飛ぶ…)
まあ確かに、この凸凹すぎる道をえっちらおっちら歩くよりは、一気に空を飛んだ方が楽そうではある。だけども。
(誰が飛べるってんだよ)
人間、空なんて飛べるわけがない。
(じゃあ…何だったんだ?)
確かにちゃんと空と聞こえたし、飛ぶとかどうとも聞こえたのだ。しかも、飛べればではない。飛べば、である。まるで飛べることが前提のような言いっぷりだ。
『山で遊びすぎちゃあイカンぞぉ、何つったって天狗が出るんだからなァ!見つかったら終いさ、お前なんかまだ小っちぇーからガブっ!って一口で喰われちまうんだ』
ふと、哉灯の脳裏に昔の父親の言葉が過る。
(…あー、天狗って空飛べたっけ?)
烏天狗だったらアレだけど、と哉灯はすこし顔を顰めて前の男の背中を見つめた。ふと漏れる微かに人でないような雰囲気。
(いやー、天狗じゃない気がする。翼では飛ばない、というか)
流石は"当たり年"。こういうオカルト事情にはかなり敏感である。
そして、彼はもう一つ父親の言葉を思い出した。
『なァ、チカ。水辺でも遊びすぎちゃあイカンぞぉ。あすこはなァ、龍神様が出るんだあ!お前なんてヒヨッコ、すぐに飛んで攫われちまうさ』
ついでとばかりに、ガハハ、と笑って酒を飲むイカツイ顔の住職の姿を嫌でも幻視する。いや、別に嫌いなわけじゃないけどさ。
(龍神?龍ねぇ。翼は無いけど飛べるよなぁ…)
そんなことは捨て置いて、哉灯はさらに思考に耽る。元々人間じゃない何かを感じ取ることは出来るからオカルトとは馴染みがあるし、思考がこっち方面に傾くのも変ではない。ついこの間も、明らかに意識不明の重体に陥っているはずの遠い知り合い(たぶん生き霊だろう)に恋愛相談を持ちかけられたくらいである。まあ勿論、彼が解決できるような案件ではなかったので、適当に理由を付けてすぐに(父親曰く)お隣にいるらしい本職を紹介したのだが。
それは兎も角。
何となくではあるが、始めて会話した時から哉灯は、青井が、いや彼だけでなく赤塚や藤堂、乾までもがヒトではないのではないか、と感じていたのだ。
(青井さんが龍神?…まさかぁ)
哉灯はもう一度青井の背中を見遣る。ついでに木々の先に小さく開けた場所があるのを見つけた。目的地はもうすぐだ。
(いや、でも変じゃあ…ないよな…。どうしよう)
肝心の当人はまだ考えていたが。
☆☆☆
「で、結局年増含め学生三人って、どういう了見だァ、乙三?」
赤塚が全員解散号令を出したしばらく後。さっきと同じ、しかし少々ドスの効いた声がやはりさっきと同じ場所に響いた。ついでに、おまけとばかりにかなりの怒気を含んでいる。
「ま、まあ…昨日の今日、だったからね…」
赤塚はその分楽できるかーと思ってたのに、と切咲をジト目で睨む。彼から目を反らしながら、中年の民俗学教授は苦笑いした。
(彼らがゼミ生じゃなくて、ただの知り合いの助っ人だってことなんて、言えやしないよ…)
本日集まった学生メンバー三人とは、乾はもちろん、あとは辻北御拠と市野原哉灯の二人のみである。彼等は二人とも二年生であり、無論ゼミなどにはまだ入ってはいない。それどころか市野原は社会学部ですらないのだが、我が道を歩む赤塚さんの知ったことではないらしい。その為か彼はそれ以上何の追及もしなかった。
(…はあ)
窮地を脱した切咲は、赤塚に気付かれない様にそっと冷汗を拭った。
☆☆☆
蔵の中も、奥を残して粗方片付いた頃。
「ったく、外に出るのが嫌だとかカンだとか、ちょっとぐらい我慢してもらいたいもんよ。煩くて仕方ない」
御拠まだそうブツブツ文句を垂れていた。つまるところ、彼女の機嫌はまだ直ってはいなかったのだ。眉間に軽くシワを寄せたままの彼女は辺りを一度見回して、最奥に残っている棚から溢れた荷物を整理しようとその場に屈みこむ。
「ンァ?嬢ちゃん、もしや俺らの声が聞こえンのかい?」
どうもさっきまでの呟きはあちらにも聞こえていたらしい。御拠が上から降ってくる声の発信源を探すと、丁度蛸唐草模様の古ぼけた飯茶碗が彼女の視界に入った。
「そーそー、俺俺」
何だか軽そうな性格の茶碗である。この蔵が煩いのはこういった性格の奴等が多いからかもしれない。御拠は妙に納得してしまった。
「しっかしまぁ、おったまげた。俺らの声を聞けるのは赤塚青井の神さんだけだと思ってたからなァ」
黙々と作業を続ける御拠を他所に、飯茶碗は半ばウットリした様な状態で話を続ける。
「…神様なんて居ないでしょうに」
茶碗の言葉に引っかかることがあったのか、御拠はまたもボソリと呟いた。物の声が聞こえるというまごうことなきオカルト体質だというのに、彼女自身は割と現実主義なのである。
神様は居ない、いや居るはずがない。
しかし、
「いやいや、嬢ちゃん。それは大間違いさ」
蛸唐草はフフンと得意気に笑って御拠の言葉を否定した。
「確かに、アマテラスとかキリスト教だとかの唯一神が本当に居るかは俺も知らねェよ」
そして、彼は御拠の「ホラ、居る訳ないじゃない」という呟きを華麗にスルーして話を続ける。
「でもなァ、赤塚青井の神さんは違ェンだ。実際にこの世に居るンだよ。現に俺なンて、赤塚の神さんが使ってた茶碗だしよ」
「はぁ」
御拠はイマイチ意味が分からないという顔で惚けた声を出した。
「信じられねェってか?ま、分からンこともねェな。俺だって、使われ始めてから10年位は信じられなかったモンだ」
茶碗はウンウンと声だけで頷いた。その気持ち良く解ります、そんな感じで。
「でも、10年たってもあいつァ最初に出会った時のまンまなんだぜ?そりゃァ嫌でも信じる他ねェさ」
な?と蛸唐草は楽しそうに笑う。御拠はますます意味が分かりません、という顔をした。そんな存在がいるんなら、もっと前から都市伝説とか怪談とかになっていたに違いない。『不老不死の人がいる』とか。だから。
「あー、一つ言っとくけどな、この町にゃ多いぜ?そういった存在はなァ」
そう言うと、飯茶碗はむむ、と唸ってひぃ、ふぅ、みぃと何やら数え出した。
「…赤塚青井のお付きの狐もだし、終日の現人神も良く似たヤツだろ?あとは…あァ、思い出した!神宮司の初代もだ」
そして茶碗は、あー、確か昔、あいつァどっかの大学作ったらしいンだよなァ、と感慨深げにぼやく。御拠はそれを聞き流そうとして、しかしそれに失敗してフリーズした。
神宮司彩。神山大の創設者であり、神山大の人間なら誰だって知っている有名人である。御拠も、入学パンフレットに妙に恰好つけた彼の白黒写真が載っていたのを覚えている。
「ンなモンだから、みぃンな集まって知恵出し合って、カクカクシカジカでちゃあんとバレない様に隠してンだ」
どうだ、と言わんばかりの茶碗の言いっぷりに、御拠は小さく溜息を零した。相当自信があるらしい。その所為か胸などあるはず無いのに、堂々と胸を張っている様子が幻視出来た。
「…墓は?」
ただ、御拠には気になる事が一つ。
「ンァ?墓?」
「そう。ウチの大学の神道学科の奴らが毎年墓参りに行ってるんだけど」
何故神道学科オンリーなのか御拠は知らないが、割と学内でも有名な行事であったりする。
「あンなモンフェイクだろ、フェイク。実際にゃあいつァ死んじゃいねェ。というか、平安の手前から生きてるってのに今更死んだってのもオカシイだろ。どーせ今日もそこら辺をフラフラしてんじゃねェの」
しかし、茶碗はバカらしいとそれを一蹴にした。
「………」
御拠はもう呆れて何とも言えなかった。というか内心、『神道学科の皆さん、毎年毎年、意味無い墓参りご愁傷様です』などと思ったのは内緒だ。
「辻北さぁん、何か目ぼしいモノとかあったあ?」
そんな時、妙に間延びした声が蔵に響き渡った。赤塚だ。
「え…と、その…」
御拠は何故か焦って辺りをキョロキョロと見回す。ぶっちゃけ、奥には空の木箱くらいしか残っていないのだが。
「ちいっス、ダンナ!俺!俺がいるって!」
…訂正。蛸唐草の飯茶碗を一つ忘れていた。
その茶碗のマヌケ声に御拠は少しは空気を読めよ、と思った。が、普通なら聞こえないことを思い出したのか、諦めてちいさく溜息を吐いた。空気を読むのはヒトガタだけでいいのだ。
しかし。
「あらぁ、お前、こんなとこにいたの」
赤塚の反応は意外なものだった。
彼は御拠の頭上を越えて棚へと手を延ばし、むんずと茶碗を掴み取る。彼にも物の声が聞こえるのだろうか。
「いやー、てっきり失くしちまったと思ってたぁ」
と彼は少し懐かしそうに茶碗を眺めると、先に出てるねと言ってくるりと方向転換し蔵の外へと歩き出した。
「ダンナ、また俺を使ってくれるってか?」
「よぉし、じゃ、早速今晩から使ってやらァ」
噛み合っているのか噛み合っていないのかわからない会話もどきをしながら、赤塚浬with蛸唐草の飯茶碗が蔵から出てゆく。御拠はそれを眺めながらしばらく惚けていた。
しかし。
(ちょっと待って…)
御拠には、またも気になることが一つ。むむ、と彼女はお得意の推理を始めた。
(アレは赤塚浬の茶碗で、アレ曰く、アレは赤塚の神様の茶碗…赤塚?)
混乱しているのか、妙な言葉遣いな気もするが、そこまで来ればその結論に辿り着くのはそう難しいことではない。
(ま、まさか…ねぇ)
彼女が真実に触れる日は、近い、かもしれない。
次のネタもない。
どうしよう。