第伍話 Le café "nuit d'une lune brumeuse"
直訳すると、喫茶店"霧の深い月の夜"。
…あるぇ?
そしてまたすみませんが、修学旅行に行くので来週の更新も有りません。ご容赦下さい。
では、邂逅話をどぞ。
6月の梅雨真っ盛りのある日。
「ねぇちょっと、御拠。聞いた?」
「…何よ」
ずっと降り続けている雨の所為か、この頃調子が悪いーー幼馴染曰く、梅雨バテと呼ぶらしいーー御拠はゲッソリした顔で思わず級友を睨んだ。
苦しいんだから放っといて!などと考えている辺り、相当機嫌が悪い様である。しかし、級友はそんな御拠の状態を気付いてか気付いてないのか、御拠の疑問に「さあ、何でしょうねぇ」と勿体ぶって答えずにニヤニヤと笑っている。どうも、何か答えないと先に進まないらしい。
「…哲学のジジイが死んだ」
取り敢えず、御拠はこの学園で死にそうにないランキング一位の、哲学科の名物爺さんを亡き者にした。
「違いまーす」
まあ普通に考えてそうだろうが、やっぱり違うらしい。んー、と唸って、御拠は机に突っ伏した。未だに級友はニヤニヤと笑っている。このままの状態が続けば、ネタが尽きる前に御拠のヒットポイントが尽きそうだ。
「………」
現に、御拠はもう瀕死レベルらしい。脳の隅の方で、ピコンピコンとお決まりの警告音が鳴り響いている。
「…早く教えなさいよ」
暫くの沈黙の後、痺れを切らした御拠は突っ伏したまま唸る様に声を出した。
「あのね、赤塚浬の目撃情報が入ったの」
「…はい?」
一瞬で頭痛が吹っ飛んだ。
◇
「…で、何処に居たって?」
ぢゅー、と友人に買わせたミルクティーをストローで啜り乍ら、幾らか回復した御拠はペンをカリカリと走らせる。それはそれは、何処かの新聞記者さながら、いや確実に彼女の幼馴染ならそう指摘するだろう。それ程見事に様になっている。
「えーと、彼、喫茶店でバイトしてるらしいのよ。市内にあるらしいんだけど、私の知らない店だった。知ってる?喫茶『朧月夜』って」
お、ぼ、ろ、づ、く、よ。御拠はそのフレーズを幾度か頭の中で反芻した。
あれ?何処かで聞いたことが無い様な…ある様な?
「って、はぁ?あの店⁉」
御拠は思わず飲んでいたミルクティーを吹き出しそうになった。彼処だ。彼処に違いない。だって、雰囲気が胡散臭いし。
「アンタ、知ってんの?」
「知ってるも何も、ウチの隣よ」
「どんな店?」
「え、そりゃ…」
「?」
「…って、営業…してたっけ?」
そう言えば、お客さんが入ってるところを見たことが無い様な気がするのだけれど…。
一つ、物凄く大きな懸案事項である。
◇
「と、いう訳で哉灯。行くわよ」
その日の昼下がり。雨はぎりぎりで上がってはいたが、まだどんよりとした雲が空を埋め尽くしている。彼等は丁度彼等の家と家の間、詰り辻喜多道具店と神影際念寺に挟まれたある建物の前にいた。
「何処に?と言うか何故俺を誘うか」
そんな空と同じ位どんよりとした気分の哉灯はやれやれ、と言う風に頭を振った。御拠の方は何時もの如く、反論は許さないとでも言うかの様に仁王立ちになって、頭一つ分高い哉灯を見上げている。
「…ヒマそうで、可哀想だったから」
………何を。哉灯の頭の中で、ピキッという何かが割れた様な音が響いた。
「そーか、そーですか。良うござんしたねェ、どーせ俺はヒマで可哀想で寂しい男ですよ」
目から汗がダダ漏れである。
「卑屈になっちゃダメよ」
「テメーが言ったんだろうが!」
因みに、コレが学園名物の夫婦漫才であったりする。
「…で、何処に行くんだ?」
暫く現実逃避していた哉灯は、やっとの思いで現実に戻って来るなり怪訝そうな顔をしてもう一度当初の質問をした。
「此処よ」
それに間髪入れずに御拠が答える。
「…此処?」
すぐ脇の建物を見上げ、哉灯は眉間に皺を寄せた。本気か?この幼馴染は。
「そう!この営業してるかどうか、繁盛してるかどうか、外から見てもぜーんぜん判んない雰囲気胡散臭目のこの店『朧月夜』よ!」
どどーん、と、御拠は何やら勢いのありそうなものが幻視出来そうな位にまで堂々と(無い)胸を張った。
「ほーお、そういう風に見えているのか、この店は。ま、言う通り客が来ないから居心地が良いんだけどな」
しかし、その自信は直ぐに萎える事となる。
「ひゃ⁉アンタ誰?」
少々ヤル気の無さそうな目に銀縁眼鏡を掛けた男がニヤリと笑っていたのだ。
「誰も何も、客だ。この店の」
銀縁眼鏡は御拠の問いに、フン、と鼻で笑い乍ら至極真っ当でその割には的を得ない事を言ってのけた。
「ホラぁ、言わんこっちゃない。明らかに不審者ですよ、僕ら」
変な空気に気まずくなったのか、彼の連れだろう気弱そうな青年がバシバシと彼の背を叩く。
「気にすんなって」
が、彼には然程大した事では無いようだ。
「いやいやいや!僕まで不審者扱いとか、泣いても嫌ですから!」
「良い年こいたヤローが泣くのは俺だって勘弁だ」
「そーゆうイミじゃなくって!」
…どうやら彼等は彼等で大変らしい。
「…あの人達、いつから居た?」
彼等の漫才に暫く惚けて居た御拠は、近くで空気になっていた哉灯に尋ねる。
「え?始めから居たけど」
因みに彼、空気マイスター2級(自称)持ちである。つまり彼、空気を読むことと空気になることが尋常じゃなく上手い。
「…早く…教えなさいよ……」
御拠は怒りを通り越して呆れてしまった。
◇
からん、とベルが鳴り、薄暗い店に一筋の光が差す。御拠はごくん、と唾を飲み込んだ。しかし、店の中から誰かがそれに応対する気配は無い。
「オイ、起きろよ」
正直に言うと、その日の朧月夜は営業しているとはお世辞にも言えない状況だった。と言うのも、店主は奥の小部屋に引っ込んでるわ、たった1人のバイト店員は客に用意してある筈のソファの上で、漫画雑誌を顔に被せて昼寝をしていたのだから。御拠の後ろから入ってきた銀縁眼鏡は馴れた調子でバイト店員を叩き起こした。
「…青井さぁん、もちっと優しく起こしてくれませんかねェ」
バイト店員は眠そうに目を擦る。口の脇にヨダレの跡があるのはご愛嬌だ。
「って、うぇ?お客⁉」
「そうらしい」
一瞬、妙な沈黙が店中を支配した。あまりの事に、バイト店員の脳処理がストップしてしまったらしい。
「…ありゃま、ビックリ。うわー、俺恥ずかしー。…んまあ、ならシロ呼んで来るわ」
バイト君、再起動。彼はあたふたとキッチンに引っ込んでゆく。青井、と呼ばれた銀縁眼鏡はそれを見送ると、さっきまで彼が占拠していたソファにドッカリと腰を下ろした。連れの青年もオロオロしながらその近くの椅子に座る。御拠と哉灯は彼等に促される様に、対岸にあったソファに二人して腰掛けた。
「で、何で来た?傍目営業してる様に見えないからか?」
青井は肘を膝の上に立て、手を組んで
その上に顎を乗せ、気怠そうに御拠達を見据える。その隣では彼の連れがどこから取り出したのか、缶コーヒーを飲んでいた。営業しているかいないかは置いておいても、ここは一応喫茶店である。然し、彼はさも当然の様にコーヒーを啜っているのだ。…もしかしたら、実はこの中で一番図太いのかもしれない。
「…まあ、そうですけど…」
妙に迫り来る青井に、御拠はしどろもどろに答えた。隣では何故か、哉灯が「あの御拠様が恐縮しちゃってるよ…ははは」と現実から飛び発っている。本当に大丈夫なのだろうか、コイツは。
「だってよ!聞いたか、シロ」
其れを聞いた青井は店の奥に向かってそう叫んだ。店の奥からは、さっきからカチャカチャという音が響いている。
「聞いてますよ…ったく、一応これでもなんとかやってはいけてるんですけどねえ…」
暫くして、奥のキッチンからどうも店長らしき男が、上に人数分のグラスの乗った盆を持ってやって来た。黒いスーツに、少し長めの髪を後ろに束ねている。どうやらグラスの中にはコーヒーが注がれているらしい。
「涼さん、リクエスト通り水出しコーヒー用意しましたよ」
そう言うと、彼は一人一人の前にコースターを並べ丁寧にグラスを置いていく。御拠は一言礼を言い、差し出されたコーヒーに口を付けてフリーズした。あれ?青井?涼?どこかで聞いた様な…?
「お、ありがーー」
「って!青井涼遥助教⁉…ですか?」
思わず御拠は立ち上がると、そのまま前のめりになって青井の顔を覗き込む。
「あ、ああ、そうだが?」
「じゃ、お隣は…」
「コイツは乾玄也」
「はじめましてー」
乾はのほほんと笑って軽く頭を下げた。
「…は?わ、あわわ、私は辻北御拠って申します!しゃ、社会学部2年です!え、えと、あの青井助教と万年学生で有名な乾先輩で間違い無いんですよね⁉」
思わぬ邂逅にテンパる御拠。
「僕、それで有名って…」
乾は御拠のその言葉を聞いて、ガックリと肩を落とす。可哀想に、その背中は何となく煤けて見えた。
「ああ、隣の道具屋のね…そっちは?」
青井は顎をさすりながら、哉灯に尋ねる。
「あ、俺はそこの際念寺の市野原哉灯です」
「じゃあ両方ともお隣さんってワケか。なら挨拶しとかないとね」
そう言うと、店長は居住まいを正して御拠達と向き合う様に座り直した。
「私が店長の藤堂素也と申します。どうぞ御贔屓に」
と言い終えた彼は、後ろを振り向いて恐らくキッチン辺りにいるであろうバイト店員を探す。
「で、あっちのバイト君は…」
今まで忘れていたが、御拠のこの店に来た本来の目的は、この店でバイトしているらしい赤塚浬の捜索である。コーヒーを飲んでいた全員がバイト店員の方に顔を向けた。
「あん?俺か?赤塚浬だけんど?」
どうも、あの情報は正しかったらしい。何時の間にかまた別のソファに寝転がっていた彼は、のそりと起き上がってこちらを見ている。御拠はまじまじとその顔を覗き込んだ。
顔は…だいたい中の上から上の下ぐらい。
…中々良いじゃないの。
さっきまで引っ込んでいた御拠のオトコマヱセンサーがきゅぴーんと反応した。コレは案外良い物件かもしれない。
「え?何、アイドルみたいな自己紹介をご所望?」
ただ、残念なことに彼は所謂クールバカである。
「…で、どうだった?」
「いたわよ」
「どんな感じ?」
「顔は上々。でも…」
「でも?」
「…性格がねぇ、ちょっと…」