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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

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刑事の鏡

掲載日:2026/04/19

 私は正義のヒーローだった。――少なくとも、そう呼ばれていた。

 

「えーパパまたおしごとなのぉ?」


「普通のパパがよかった」


「……私より仕事が大事なんだ」

 

 娘の背が伸びるにつれ、家の扉が重くなった。


 娘が小学生になると同時に、妻が死んだ。私が逮捕した大規模テロ集団、その残党による仕返しだった。

 私は決断を迫られた。私の前には、二台のモニターがある。一つには、監禁されている妻と娘の姿。別のモニターには、数百人の顔も知らない市民。

 数百人の命と二人の家族の命が、犯人によって天秤に乗せられた。天秤には豪華なネームプレートに『刑事』と刻印されてあった。

「刑事の鏡だよ」

 スピーカー越しに犯人が残した言葉。妻と娘のモニターが真っ白になった。

 奇跡的に、娘の命に別条はなかった。妻が覆いかぶさり、盾となったようだった。病院でそう告げられても、どこか物語を聞かされているようで、ただ頭を下げるしかできなかった。

「お前は正しいことをした。誇りを持て」

「犯人は必ず見つけ出し逮捕する」

 同僚の沈痛な表情を何度も目にした。だが、そのたびに「刑事の鏡だよ」という声がせせら笑っていた。

「最期まで、立派な母親だったんですね」

 助け出された女性から声を掛けられた時、悟った。私は、これでも本当に父親なのかと。

 

 それ以来、犯人を追い続けた。仕事に明け暮れる日々だった。娘とまともに会話できないことを、仕事のせいにして逃げてきた。

 真夏のある日。娘は学校指定の長袖ブラウスを着ていた。「体調が悪いのか」と久々に尋ねたが「そんなことも分からないんだ」と拒絶された。

 問い詰めようとしたが、無機質な携帯の音色が二人の間に割り込んだ。

 「了解」そう告げて「行ってくる」とだけを言い残し、錆びついた扉を体で押し開けた。娘の声は、ついに聞こえなくなった。

 

 娘が攫われた。妻を失ったあの時とまったく同じ犯行声明が、郵便受けに届いていた。以前にはなかった、私と犯人以外知らない呪いの言葉が添えられていた。

 車内で、私は無線を手にとり、助手席に投げ捨てた。すべてをなげうってでも、犯人は私が確保する。


 廃墟の突き当たりで、あの日と同じ天秤が現れた。右の皿からは娘のすすり泣く声が微かに届いている。左の皿にはあの日と同じ、数百人の命と、犯人の逮捕が乗っていた。

 『刑事』のプレートが、嘲笑うように鎮座していた。

 後悔の日々が脳裏によぎる。

 私は一方の通路に足を伸ばしかけ、反対側に引き返した。

 私は、その扉をこじ開けた。

 コートを羽織った、娘がそこにいた。

 

 私は娘に――拳銃を突きつけた。

 

「なぜ……爆弾はどこだ」

「……爆弾ね。そんなの、あると思う?」

 娘の鋭い視線に晒され、数秒後、理解した。銃口が自ずと下を向く。

「……パパ、私の自由研究、何だったか知ってる?」

「……そんなことより、早くここを」

「『お父さんの仕事』。パパが隠してた机の引き出し、開けちゃった」

 娘に歩み寄ろうとした靴が、床に縫い付けられた。

「パパが一番大事にしてる『事件』に、私がなってあげたの。そしたら、やっと私を見てくれた」

 娘はコートを脱いだ。下は半袖の制服だった。

 私は息を上手く吐けなかった。暴行を受けたような青い痣が腕を蝕み、左の手首には無数の切り傷があった。

「おい、それは――」

 ――そんなことも分からないんだ。いつかの声が、耳の内側で囁いた。

「安心して。復讐しようと思ったけど、できなかったから。――ママに悪いもん」

 娘の手に光る物体を認めたとき、履き潰された靴は地面を蹴っていた。娘は、迷いのない手つきで、それを腕から首へと向けていた。

 一歩、一歩、娘へ近づいてく。事件のためにすり減らした靴底。この時だけは、娘のためだけに。

 手を伸ばした。娘を助けるために、手を伸ばした。

 ――本当に、娘のためか?

「ほんと……刑事の鏡だね」

 娘が冷たく微笑んでいた。

 

 現場から這うようにして帰宅し、玄関の鍵を閉める。乾きかけた血が、指の隙間でひび割れていた。

 カチリ、と金属音が響いた。

 時計の針がゆっくりと進む音だけが、彼を迎えてくれた。

「おかえり。お仕事、お疲れ様」

 幻聴が、静寂に溶けていく。

 彼は壁に背を預け、人形のように崩れ落ちた。

 警察手帳が、冷たい床に転がった。――『正義』のヒーローがいた。

 窓の外では、赤い光を引いたサイレンが、見知らぬ誰かのために夜を切り裂いていく。その喧騒は、もう、この部屋の静寂を乱すことさえできなかった。


 家の扉から、光が差すことは、二度となかった。

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