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悪役令嬢やめます――作者の私が言うんだから確実です

作者: 奇譚端
掲載日:2025/11/28

 そのノートを見つけてしまったのが、そもそもの間違いだった。


 年末の大掃除。アラサー独身喪女・私こと如月玲奈きさらぎれなは、部屋の片隅のダンボールを開けてしまったのだ。そこには、大学時代のプリントやら、よくわからないサークルの会報やら、そして──真っ黒な表紙のリングノート。

 表紙には銀色のゲルインクで、こう書かれていた。


『紅蓮の乙女と黒翼の騎士 ――運命に抗う純愛幻想譚―』


「……うわぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 悲鳴が自然に漏れた。思わずノートを閉じて放り投げる。だが、床に落ちたそれは、まるで怨念でも籠もっているかのように、存在感だけは消えない。

 私の、学生時代に書いた小説。厨二病真っ盛り、恋愛経験ゼロの喪女だった私が、必死で妄想と理想を詰め込んだ処女作。黒歴史以外の何ものでもない。


「捨てよ……こんなん、燃やそ……」


 ゴミ袋を手に取りかけて、ふと手が止まる。ノートの端っこから、折りたたんだルーズリーフが一枚はみ出していた。そこには赤ペンで「ここ最高!」と自分で書いたコメントが見える。


 最高、ねぇ。


「どんだけ自分に甘かったのよ、私……」


 自嘲しながら、私は結局また床に座り込んでノートを開いていた。

 パラパラとめくると、文字だけでなく、当時必死に描いたキャラ設定画まで出てくる。無駄に書き込まれたドレスのフリル、鋭すぎる顎のライン、キラキラしすぎな瞳。


 ――紅蓮色の髪を靡かせ、乙女は運命に抗う。

 ――彼女を護るため、黒翼の騎士は夜を駆ける。


「文章、痛っ……。絵も、下手っ……」


 しかし、読み進めるうちに、だんだん昔の感覚が蘇ってくる。

 好きなものを全部詰め込んだ。騎士、魔法、異世界、運命の恋、闇堕ち寸前のヒーロー。恋愛経験ゼロのくせに、「唇が触れそうな距離」とか書いている自分が、当時は妙に楽しくて仕方なかった。

 今読めば、キャラはテンプレで、心理描写は薄くて、展開はご都合主義のオンパレードだ。でも、それでも──ページをめくる手は止まらなかった。


「……はは、なにこれ。悪役令嬢までいるじゃん。時代を先取りしすぎでしょ、私」


 物語の中盤。ヒロイン・シルヴィアをいじめる典型的な悪役貴族令嬢、ロザリア・フォン・ローゼンバーグ。婚約者の王太子を巡ってシルヴィアと対立し、最後は舞踏会で派手に断罪される役。

 完全なる、噛ませ。

 当時の私は、あくまで「シルヴィアと黒翼の騎士カイン」の純愛しか考えていなくて、ロザリアはそのスパイスとして適当にでっちあげたキャラだった。


 適当。そう、あまりにも適当だったのだ。

 ロザリアの家族構成も、幼少期のエピソードも、まともに考えていない。ただ「性格悪いけど、ざまぁされて当然の嫌な女」として書き捨てた。


「……ごめんね、ロザリア」


 ぽつりと呟いたときだった。

 視界が、不意にぐにゃりと歪んだ。


「え――」


 天井が遠ざかり、代わりに紅い空が迫ってくる。耳鳴り、誰かの叫び声、聞き覚えのある詠唱。

『――〈紅蓮焔よ、我が剣となれ〉』

 それは、私が書いた一文だった。プロローグで、ヒロインが使う初めての魔法。


 意識が暗転する。

 そうして次にまぶたを持ち上げたとき、私の目の前には見知らぬ天井が広がっていた。


「お目覚めになられましたか、ロザリア様」


 耳元で、穏やかな青年の声がする。

 ロザリア?

 声のした方へ顔を向けると、そこには銀髪の執事風イケメンが立っていた。青い瞳、柔らかな微笑み、完璧な物腰。そして、左目の下の泣きぼくろ。


(……え、なにこのイケメン。ていうか、この顔……)


 既視感がある。いや、既視感どころじゃない。

 この顔、私がノートの3ページ目に気合を入れて描いた「執事キャラ」のイラストそのまんまだ。


「……あの、ここ、どこ?」


「おや、まだ寝ぼけていらっしゃいますか? ここはローゼンバーグ侯爵家本邸、ロザリア様の御寝室にございます」


 呆れたような顔の角度まで、私が妄想して描いた通り。こいつ、私の小説に出てきた「ロザリア付きの執事」、ノワール・クレイドルだ。

 ノワールは微笑みながら、すっと私の背中に手を添え、起き上がるのを手伝ってくれた。

 視界に入ってくるのは、見慣れない天蓋付きのベッド、レースのカーテン、壁一面の大きな鏡、豪華なドレッサー。どこからどう見ても、貴族令嬢の部屋。


 そして、鏡に映ったのは――真っ赤な髪を縦ロールに巻いた、美少女。

 ……いや、正確には、私の感覚からすると「盛りに盛った痛々しい美少女」だ。真紅のドレス、背中まで届く紅い縦ロール、ばっちりメイク。目の色は、ルビーのような紅。

 イラスト通りの、設定どおりだ。


「ロザリア……?」


 口に出した瞬間、脳裏に情報が流れ込んできた。

 ロザリア・フォン・ローゼンバーグ。王国有数の富と権勢を誇る侯爵家の一人娘。わがままで高飛車で、劣等感の塊で、婚約者である王太子アレクセイに執着しすぎてヒロインをいじめる、典型的悪役令嬢。

 そして――舞踏会で断罪され、地位も名誉も全てを失う。

 そこまで含めて、全部、私が書いた設定。


「なんで、私が……」


 喉がひりつくように乾く。頭は混乱しているのに、ロザリアとしての記憶は妙に鮮明で、両親の顔も、幼少期に舞踏会で転んで笑われたことも、全部思い出せる。

 ああ、そうだ。私はさっき、黒歴史ノートを読んでいて――。


「……小説の世界?」


 ぽつりと呟くと、ノワールが少しだけ目を細めた。


「何か、気になることがおありですか?」


「い、いや、その……」


 ここで正直に「あなたは私が書いたキャラで、私は作者で、今は悪役令嬢に転生しています☆」なんて言ったら、確実に頭を疑われる。ていうか、これ、テンプレ異世界転生ってやつでは?

 なろう系を毎晩読み漁っていた私が、よりにもよって自分の黒歴史小説の世界に転生するなんて。神様のセンスどうなってるの。


「ロザリア様?」


「あ、えっと……なんでもないわ。ノワール、今日の予定は?」


 とりあえず、情報収集だ。この世界が本当にあの物語どおりなら、今が物語のどのあたりなのかを把握しないと、私は断罪まっしぐらである。

 ノワールは手帳を開き、慣れた仕草で予定を読み上げる。


「午前中は礼法の復習、午後からは王城にて、お茶会でございます。王太子殿下と、シルヴィア嬢もご出席の予定です」


「……シルヴィア」


 ヒロインの名前を口にすると、胸の奥がざわっとした。

 私が書いたシルヴィアは、天真爛漫で素直で、少しドジだけれど根は芯の強い女の子。シンプルに可愛い。読者として見ればとても好感度の高いヒロインだ。

 だが、悪役令嬢ロザリアにとっては──婚約者を奪う「女狐」扱いだったはず。物語どおりにいけば、今日のお茶会で私はシルヴィアに嫌味を言い、ささいな行き違いからヒロインいじめのフラグを立てる。

 最初の、分岐点。


(……やらないに決まってるでしょ)


 私は自分の脳内で、即座に赤ペンを走らせた。

 断罪ルート、破棄。悪役令嬢やめます。ていうか、あなた達のためにせっかく作った世界だけど、私は生き延びたいの。


「ノワール、お茶会のことなんだけど」


「はい」


「今日から私は、シルヴィア様と仲良くすることに決めたわ」


 一瞬、ノワールの表情が固まった。それもそうだろう。今までのロザリアは、ことごとくシルヴィアを敵視してきたはずだ。昨日までの私──いや、ロザリア──の言動が、頭の中に残像のように残っている。

 でも、もう違う。ハッピーエンドがいい。ヒロインにも、悪役令嬢にも、作者にも。


「……素晴らしいお心掛けです、ロザリア様」


 ノワールは、ふっと微笑みを深めた。青い瞳に、どこか安心したような光が宿る。

 あれ、こんな描写、原作(私のノート)にあったっけ? 首をかしげる私をよそに、ノワールは静かに続けた。


「シルヴィア様は、とてもお優しい方です。きっと、ロザリア様とも良いご縁となりましょう」


「……そうだと、いいわね」


 このとき私はまだ知らなかった。ノワールが「執事」という役割以上に、世界そのものに深く関わる存在だなんて。


 身支度を整え、ノワールのエスコートで王城へと向かう。馬車に揺られること数十分、王城の庭園で開かれたお茶会は、絵に描いたように優雅だった。

 噴水、白いテラス席、色とりどりの花。そして、王太子アレクセイと、その隣に座るシルヴィア。


「ロザリア様、お久しぶりです!」


 シルヴィアが目を輝かせて、ぱっと立ち上がる。柔らかなオレンジ色の髪、翡翠の瞳、小柄な体格。あぁ、やっぱり可愛い。私が考えたヒロインだけあって、好みの全てを詰め込んでいる。

 ……でも、よく見れば、そんなに完璧でもない。笑うときに少し前歯が出てるし、ドレスの裾を踏みかけて危なっかしいし、お茶を淹れる手も微妙に震えている。彼女も、この世界で一人の人間として「生きている」んだと思うと、胸がきゅっとなった。


「ええ、お久しぶりね、シルヴィア様」


 私は、できる限り穏やかな声で答えた。本来の脚本では、ここで高飛車な嫌味を言うことになっていた。「まあ平民上がりには、王城のお茶はお口に合わないかもしれませんわね?」とかなんとか。そんなセリフ、死んでも言いたくない。自分で書いたくせに、バカバカしすぎる。


「今日は、あなたとゆっくりお話ししたいと思っていたの。よろしければ、隣のお席、ご一緒しても?」


「えっ、あ、もちろんです!」


 シルヴィアは慌てて椅子を引いてくれた。横目でアレクセイを見ると、彼は少し驚いたように目を見開いていた。


「いつになく、穏やかだな、ロザリア」


「殿下がそうおっしゃるときは、たいてい私のことを『面倒だ』と思っていらっしゃるときですわね?」


「……図星だ」


 アレクセイが苦笑する。金髪碧眼のザ・王子様、性格は真面目だけど少し不器用。これも、昔の私が「王子様といえばこう!」とテンプレートで固めてしまったキャラだ。

 でも、今目の前にいるアレクセイは、小説の中よりずっと人間臭い。薄く眉間に皺を寄せる癖とか、カップを持つ指先のささくれとか、そういう細かいところがやけに生々しい。


(……ほんとに世界として成立してるんだな、ここ)


 私がぼんやりとそんなことを考えていると、お茶会の空気がふっと変わった。庭園の入り口から、黒いマントを翻しながら一人の青年が現れたのだ。

 黒髪、黒い軍服、腰には黒剣。背中には、漆黒の翼を模した紋章。

 私の心臓が跳ねる。

 黒翼の騎士、カイン・ノクス。この物語のヒーロー。シルヴィアの運命の相手。そして、私が学生時代――誰にも言えなかった初恋のイメージを全部ぶち込んだキャラクター。

 その彼が、今、実在して、私たちの席に向かって歩いてくる。


「殿下、遅れて申し訳ありません」


「構わない、カイン。今日は私的なお茶会だ。楽にしてくれ」


 アレクセイが促すと、カインはこくりと頷き、席に着く。彼の視線が、一瞬だけ私をかすめた気がした。鋭くて、少し寂しげな、夜のような瞳。

 ……ああ、ダメだ。こんなの、惚れるに決まってるじゃない。私の中の喪女が、膝から崩れ落ちそうになった。


(落ち着け如月玲奈。これは自分の黒歴史の具現化だ。冷静になれ。彼はシルヴィアとくっつく運命の男。私は悪役令嬢。推しカプを崩すとか、作者として一番やっちゃいけないやつ)


 私は自分で自分を殴りたい衝動を抑えつつ、紅茶を一口飲んだ。手が少し震えているのを、カインがじっと見ていたことには気づかないふりをした。


 そんな緊張感の中、どうにか平穏にお茶会を終えることができたが、試練は帰り道に待っていた。馬車へ向かう庭園の裏手で、カインに呼び止められたのだ。


『……ロザリア様、少々よろしいですか』


 周囲には誰もいない。風に揺れる木々の影と、遠くから聞こえる噴水の音だけが静寂を満たしている。


「どうされました? カイン様」


 私はできる限り平静を装った。心臓は、さっきからバクバクとうるさい。カインはしばらく黙ったまま、私をじっと見つめていた。夜のような瞳に、私の顔が小さく映る。


「……今日のあなたは、いつもと違っていた」


「そうかしら?」


「シルヴィア嬢に対して、これまでのような敵意を見せなかった。殿下にも、妙に落ち着いて接していた。まるで――」


 カインは言葉を区切り、少し迷うような素振りを見せた。


「まるで、この世界の台本を知っている役者が、急に別の演技を始めたように見えた」


 ……台本。私は、思わず息を飲んだ。カインの言葉の選び方が、あまりにも「メタ」すぎる。


「それは、どういう意味で?」


「さあ、どういう意味だろうな」


 カインは肩をすくめる。


「ただ、違和感があったと言っているだけだ。だが――その違和感は、悪くない」


「悪く、ない?」


「シルヴィア嬢が怯えていなかった。殿下も、以前より自然に笑っていた。何より、この私が……」


 黒翼の騎士は、一瞬だけ視線を逸らしてから、ぽつりと続けた。


「あなたのことを、はじめて『興味深い』と思った」


 心臓の音が、また一段階うるさくなる。やめて、そういうの。こっちは喪女耐性しかないんだから。


「私は、ただ……自分のしたことを、少し反省しただけですわ」


 私がそう言うと、カインはじっとこちらを見て、ふっと笑った。

 その笑みは、原稿の中では一度も描かなかったものだ。ほんの少しだけ口元が緩み、夜の瞳に柔らかな光が宿る。


「なら、その変化がどこへ向かうのか、しばらく見届けさせてもらおう」


「カイン様は、そんな暇がおありで?」


「殿下の側近には、観察眼も求められるのでな」


 軽口を一つ残して、カインは踵を返した。その背中を見送りながら、私は心の中で頭を抱える。

 フラグが立ってしまった。シルヴィアと結ばれるはずの彼と、悪役令嬢の私。私の書いた筋書きから、世界が少しずつズレていく気配を感じながら、私は屋敷への帰路についた。


 それからの日々は、あっという間に過ぎていった──と言いたいところだが、実際にはいちいち心臓に悪いイベントの連続だった。

 カインとの会話が引き金となったのか、私を取り巻く環境は目まぐるしく変化していく。数日後には、なんと私はシルヴィアの私室に招かれていた。


「ロザリア様、このドレス、どう思われます?」


 ベッドの上には、色とりどりのドレス生地が広げられている。どれも可愛い。けれど、シルヴィアの肌の色や瞳と相性がいいのは――。


「こちらの、深めのグリーンがよろしいかと存じますわ」


「えっ、こっちですか? でも地味じゃないです?」


「いえ、シルヴィア様の髪と瞳を一番引き立ててくれますもの。殿下のお隣に立たれたとき、きっと『落ち着き』と『品』が出ますわ」


 自分で言いながら、内心で苦笑する。前の私なら、『ヒロインは明るい色でふわふわドレス!』で済ませてたよね……と。今は違う。隣に立つ相手や、場の空気まで考えてしまう。


「……ロザリア様って、本当に王宮のこと、よく見ていらっしゃるんですね」


「褒めても何も出ませんわよ」


「でも、本当です! 前は、ちょっと怖いなって思ってましたけど……最近は、頼りになるお姉さまって感じです!」


 シルヴィアが無邪気に笑う。胸の奥が、ちくりと痛んだ。

 この子を、私は物語の都合で泣かせる予定だったんだよね。黒歴史ノートの中の自分を、心の中で殴り飛ばす。


「……シルヴィア様」


「はい?」


「今後、何か理不尽な目に遭われたら、必ず私に仰ってくださいな。私が、できる限りお守りします」


「えっ、ロザリア様が、私を……?」


 目を丸くするシルヴィアに、私は少しだけ視線を逸らした。


「勘違いなさらないでね。殿下の大切なご友人が傷つくのを、婚約者として見過ごすわけにはいきませんもの」


「ふふ、そういうことにしておきますね」


 部屋の隅で控えていたノワールが、かすかに微笑んだ気がした。


 変化は昼間の関係だけではなかった。

 またある日の夜会。慣れない社交に疲れた私は、少しだけ外の空気を吸おうとバルコニーに出ていた。夜風は心地よいが、コルセットの締め付けがきつすぎたのか、視界がふっと揺れる。


「――っ」


 足元がふらつき、手すりを掴み損ねた、その瞬間。


「危ない」


 低い声とともに、強い腕が私の腰を支えた。金属と革の匂い。見上げれば、漆黒の瞳。


「カイン様……?」


「まったく。あれほど無理をするなと言っただろう」


 そんなこと、言われていない。けれど、彼の口ぶりは妙に自然で、思わず言い返す気力が削がれた。


「……少しくらい、外の空気を吸っても罰は当たりませんわ」


「罰は当たらんが、落ちたら骨が折れる」


 さらりと、とんでもないことを言う。そのくせ、支える腕の力は丁寧で、私が完全に体勢を整えるまで離そうとしない。


「ありがとう、ございます」


 かろうじてそう言うと、カインは小さく息を吐いた。


「殿下もシルヴィア嬢も、君がいなくなったら困る」


「……そこに私を入れてくださるのですね」


「当然だ。最近の君は、なかなかに“興味深い働き”をしているからな」


 どこかから、ノワールの視線を感じる。振り向いても誰もいないのに、監視というより「見守り」に近い気配。

 この世界、やっぱりちゃんと“見てる誰か”がいる。そんな確信めいたものが、胸の奥で静かに形を成り始めていた。


 そうして日々は積み重なり、季節は巡っていく。

 私は「悪役令嬢やめます宣言」を自分なりに実践した。シルヴィアに嫌味を言う代わりに、礼儀作法をそっと教えたり、ドレスの色合わせを一緒に考えたり。表向きはツンツンしながらも、こっそりフォローする「ツンデレお姉さまポジション」に軌道修正した。

 結果、シルヴィアはすっかり懐いてしまい、アレクセイとも政治の話ができる程度には関係が改善した。


 そして何より、カインとの距離が縮まってしまった。

 夜の廊下でばったり出くわしては他愛ない言葉を交わす日々。

 私はただ、この世界のみんなに幸せになってほしいだけ。その中に自分が入るなんて、最初の設計にはなかった。そう言い聞かせていたのに、気づけば彼が他の令嬢と話しているだけで胸がもやっとする。

 それはもう、分かりやすく、恋の自覚だった。よりにもよって、自分の創作したキャラに恋するなんて。二重三重の黒歴史である。


 そうして、避けられない運命の夜がやってきた。

 王城で行われる盛大な舞踏会。物語のクライマックス。原稿どおりなら、ここでロザリアは断罪され、全てを失う。


「ロザリア・フォン・ローゼンバーグ! お前の数々の蛮行、この場で断罪する!」


 本来なら、アレクセイがそう宣言するはずだった。シルヴィアに対する嫉妬から、陰湿ないじめを繰り返した罪で。

 だが、現実は少し違っていた。

 舞踏会場がざわめきに包まれる中、アレクセイは玉座の前に立ちながら沈黙を保っている。その隣には、シルヴィアとカインの姿。

 そして、王の前に引き出されたのは――私ではなく、一人の男爵令嬢だった。彼女は震えながら、涙まじりに叫んでいる。「私はロザリア様に命じられただけです!」と。


 会場がざわめきに包まれた。視線が一斉に私へと向けられる。軽蔑、好奇心、憐れみ――混ざり合った色。

 その空気を切り裂いたのは、シルヴィアの澄んだ声だった。


「――お待ちください、陛下!」


 小さな身体を震わせながらも、まっすぐ王の前に進み出るシルヴィア。彼女は男爵令嬢の証言を真っ向から否定し、私が黒幕ではないと訴えた。「ロザリア様は最近、私に対するいわれのない噂をおやめになるよう、周囲に釘を刺してくださっていました」と。

 シルヴィアの頬は強張っている。それでも一度も俯かず、ただ真っ直ぐに真実だけを並べていた。深く礼をするシルヴィアの背中を見ながら、私は胸の奥がじんと熱くなるのを感じていた。


 それでもなお、会場の空気は私を「黒幕」として見ている。

 アレクセイが、ゆっくりと口を開き、「ロザリア。お前には、この件について弁明の機会を与える」と告げた。

 ここで私は、原稿ではヒステリックに叫ぶ。「私は悪くない! 全部あの女が悪いのよ!」と。だが、私はそれをしなかった。代わりに、深く深呼吸をしてから、ゆっくりと前に歩み出た。


「殿下、陛下、皆さま」


 ドレスの裾をつまみ、私は優雅に一礼した。膝はガクガク震えているけれど、なんとか顔だけは上げていられる。


「まず最初に、お詫び申し上げますわ。この世界の台本を、あまりにも雑に書いた愚か者に代わって」


 会場に、ぽかんとした空気が流れた。そりゃそうだ。台本? 愚か者? 何を言っているのか分からないだろう。でも、いい。これは、私の懺悔だ。


「私は、ロザリア・フォン・ローゼンバーグとして、この世界で生きてきました。けれど同時に――この世界を『作った』記憶も持っておりますの」


 どよめき。貴族たちがざわつき、王が眉をひそめる。アレクセイもシルヴィアも、目を見開いて私を見ている。

 カインだけが、静かに目を細めた。その瞳には、驚きよりも「やはり」という、納得したような色が浮かんでいた。

 私は自分が別の世界から来た「喪女」であり、黒歴史の結晶としてこの世界を書いたことを語った。


「シルヴィア様は、私の理想を詰め込んだヒロイン。アレクセイ殿下は、テンプレートな王子様。カイン様は、誰にも言えなかった初恋の面影をなぞった騎士」


「初恋……?」


 カインが小さく呟いたのが聞こえた。顔が熱くなる。知ってた、絶対言うんじゃなかった。

 けれどもう止まれない。私は、自分が「ざまぁ」されるためだけに作った悪役令嬢であることを告白し、その上で、この世界で生きる彼らが私の設定を超えて悩み、生きていることを称えた。

 拙い願望で彼らの人生を決めてしまったことを謝罪し、そして、この世界の行く末を私の黒歴史のままで終わらせないでほしいと懇願した。


「どうか、ロザリア・フォン・ローゼンバーグという女の人生を、『ざまぁ要員』だけで終わらせないでほしいのです」


 言い終えた瞬間、会場の空気が揺れた。

 その中で、一歩を踏み出したのは、カイン・ノクスだった。黒翼の騎士は王の前に進み出ると、ロザリアへの断罪を保留とするよう進言したのだ。


「彼女は今、自らの過ちを自覚し、それを言葉にして認めました。自分を『黒歴史』と呼び、なお、この世界で生きることを望んだ。そんな彼女を、私は見捨てたくありません」


 黒翼の瞳が、まっすぐに私を捉える。

 カインは、「この世界が誰かの拙い夢の産物だとしても、俺たちはここで確かに息をしている」と語り、作者が未熟であろうともこの世界と人生を肯定したいと告げた。

 長い沈黙の後、王は頷き、私に「贖い」として王立孤児院への支援を一任した。処刑でも追放でもない、第二の人生が与えられたのだ。


 シルヴィアが駆け寄ってきて手を取り合い、アレクセイは私との婚約を解消し、改めてシルヴィアへの想いを宣言した。


「俺の未来に、お前の姿があることを、ここで宣言しておく」


 その言葉に、シルヴィアは目を潤ませ、深く頭を下げた。

 拍手が、静かに、しかし確かに広がっていく。その光景を見ながら、私は胸の奥でそっと安堵の息を吐き――そして同時に、ある事実に気がついた。


(……そうか、そういうことか。原作のシルヴィアは、私の陰湿なイジメに耐えかねて心を閉ざし、同じく孤独を抱えるカインに惹かれていった。傷を舐め合うような、共依存に近い恋。

 けれど今の彼女は違う。私が教えたマナーと、彼女自身が勝ち取った自信を身につけて、堂々と王太子の隣に立っている。

 悲劇のヒロインじゃなくなった彼女には、もう、悲劇の騎士ヒーローは必要ないんだ)


 皮肉な話だ。私が彼女を幸せにしようと頑張れば頑張るほど、カインとの「運命の恋」は消滅する運命だったなんて。

 ――そして、あぶれた「黒歴史カイン」が、私のところに来てしまったというわけ?

 私の思考を遮るように、カインが周囲の視線をものともせず、私の前へ歩み寄った。


「ロザリア」


「……はい」


「先ほどの言葉。『初恋のイメージをなぞった』というのは、本当か?」


 逃げ場を塞がれ、私は観念して頷いた。すると彼は、「ならば、その『黒歴史』を、今ここで塗り替えないか」と告げた。理想の騎士ではなく、一人の不器用な男として、これからのページを隣でめくりたい、と。

 物書きを目指して挫折し、会社員としてくすぶり続けていた私にとって、その比喩はあまりに劇的すぎた。


「お願いします、カイン様。私と一緒に、この世界の続きを書いてください」


 私は、自分の黒歴史ごと、カインの手をぎゅっと握り返した。


 その夜、舞踏会は予定よりずっと遅くまで続き、多くの人の価値観が書き換えられていった。


 その喧騒から遠く離れた屋敷の一室で、ひっそりと綴られるもう一つの物語があった。

 ノワールは一人、古びた帳簿を開いていた。本来なら『ロザリア・フォン・ローゼンバーグ、断罪』と記されるはずだったページ。

 だが、現実に記されたのは『舞踏会にて、世界、黒歴史を書き換える』という一行。


「……やはり、あなたは面白いお方だ、ロザリア様。いいえ――如月玲奈殿」


 ノワールは満足げに呟き、帳簿を閉じることなく、新しいページを開いた。「管理者」としての彼は、私たちが選んだ物語の続きを記録し続けることを決めたようだった。窓の外には、庭園を歩くロザリアとカインの影が、月明かりに並んで映っていた。


 それから、数日が過ぎた頃。

 私は王立孤児院の支援に奔走することになった。

 シルヴィアは目を輝かせて手伝いに来てくれるし、アレクセイもぼやきながら協力してくれる。カインは相変わらず多忙だが、ときどき顔を出しては子どもたちに剣術を教えている。

 ノワールは、私がこっそりノートに日記を書いているときに、紅茶をそっと差し出してくれる。

 私は知っている。彼がこの世界の「管理者」のような存在であることを。でも、それを口に出すことはしない。これはもう、私だけの世界ではないから。


 時々、ふと思う。あの日、黒歴史ノートを開かなかったら。あの日、転生なんてしなかったら。私はきっと、現実世界で相変わらずくすぶっていたのだろう。

 でも今は違う。私はこの世界で、喪女であり、作者であり、悪役令嬢であり、一人の女として生きている。


「ねぇ、カイン様」


 夕暮れの庭園。並んで歩きながら、私はふと問いかけた。


「もし、いつかこの世界が物語として終わるとしたら、どうします?」


「簡単なことだ」


 カインは、私の手をそっと握る。


「その先を、また一緒に書けばいい」


 その言葉に、私は笑った。

 黒歴史でも、いい。私はきっと、何度でも書き続けるのだろう。

 異世界恋愛小説の世界で、自分の黒歴史ごと恋をして、それを誰かと分かち合いながら。


 喪女の私が学生の時に書いた小説(黒歴史)の世界に転生した結果。そこは、私の人生で一番甘くて、ちょっとだけ痛い、最高の物語になったのだった。

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