54通目 ゴブリン王ボトムの手紙
ドラゴン族アルベリッヒ王、
並びにエルフ族の長フィロストレリア・エルフェンノルン殿
両名へ
粛啓 この世には、綺羅星よりも美しく、野に咲く花よりも愛おしい、そういう者が存在するということを、僭越ながらこの身で世に広く知ろしめすことが出来たこと、両兄には感謝の極みである。
あとはただ、我が身に起きたことなどを記す次第。
華やかな宴、事実上の我ら三妃の『華燭の典』が果てた後、リネッテと共に、シュトラスレートル城の廊下を腕を組んで歩むことになった。
「お父様もお母様も、ほとんど、貴賓席でうとうとしていらっしゃったけれど」
「『我らが義父上、義母上には、僕が持っている中で一番の「最高の酒」をお贈りした次第。もちろん、美味しさだけではなく「度数」もですがね』と、フィロストレリア兄上が言っておったな。我は出来の良い弟ゆえ、兄の判断に謹んで従ったまでのこと」
リネッテが吹き出した。
「………全く、お義兄さまったら!」
「内緒、ということでここは一つ」
「そうね。もちろんよ」
そして、寝室と、中庭へ向かう通路の分かれ道で、足を止めた。
「…………リネッテよ」
「何かしら」
同じように足を止めたリネッテが廊下で振り返る。月の明かりが、美しいドレスを彩って輝くが、その顔には、それ以上の、そして、今まで以上の輝きがあった。
「我は、一族郎党を守るため、まだ年若きそなたを娶った。改めてその件、詫びようと思う」
「いいのよ」
「破壊された『鷲の大崖』に大トロルを埋めて、皆で平原に引っ越すことを考えておる。鉱脈からそう遠くない場所に、もう一本砂金の採れる小川があり、花畑も近い」
「オリバーが煉瓦を調達してくれるわ。雨季の平原って本当にぬかるみやすいのね。身をもって知ったのよ」
「我の判断で、危険な目に遭わせてしまった」
「それでも、生きているわ。………今夜ほどに、生きているって実感したことはないの」
「ならば今あらためて告げよう」
「告げる?」
腕を組んで、立ち止まったまま、掌だけを取った。
「愛している」
小さな美しい掌(この美しい掌を『小さな』と表現できるのも、今宵限りであろう)けれど平原にいる間に少し荒れた爪の先が、何とも愛おしい。
「あたしもよ。………しっかり言わないとって、思っていたの。愛してるって」
中庭から、ビーゼン老が奏でるドワーフの竪琴の音が微かに響く。
「…………リネッテよ。ここに、『満月草の種』がある。食べれば、永遠に姿を変えることが出来る………そういうものである」
「…………永遠、に?」
「我らが採取した瓶の中に転がり落ちていた一粒を、『木叢の館』の学者達が発見したのだ。つまり、我が食べれば、そなたを胸の中に抱いて毎晩眠ると言う夢を、果たすことができる」
リネッテが息を呑んだ。そんなリネッテに言う。
「この姿で、我がそなたを抱いて寝るか、そなたが、いつもの姿の、矮小で緑の肌の我を抱いて寝るか。まさしく、難しい問題ではあるな…………」
リネッテが、我の腕を取る。気が付くと、抱きしめられていた。あの雪山以来の出来事である。栗色の愛おしい髪が、胸の中で揺れる。
「あなただけなの。あたしが、愛しているのはあなただけ。きっと一生そうよ。…………そう、今日のあなたはとんでもなく素敵よ。本当に、くらくらするくらい。ずっとこうしてたっていいくらいよ。………でも、それでも、あたしが好きなのは、『どっちの』あなたか、もう、わかっていると思っていたわ」
思わず、苦笑が漏れてしまう。
「愛しいリネッテよ。前にも言ったが、我は怯懦なのだ」
リネッテが顔を上げて、中庭へ続く通路から差し込む月の光が映り込んだ大きな瞳で、我を見る。そして、言った。
「………背丈が届かなくっても、肌が緑色でも、それがなんだっていうの。あなたは、夢も何にもなかったあたしに、夢以上のものをくれたわ。……五回も、永遠をくれたわ。………だから、言うわ。『本当のあなたのやり方で、あたしを愛して』」
この言葉以上の喜びを、我は知らない。
「リネッテ」
そのまま、愛しい、誰よりも愛しいこの、我が妃を抱き上げる。そして、中庭へと向かう。
「中庭に、良い酒がある。フィロストレリア兄上秘蔵のものだ」
「最高ね」
「永遠が五回で足りぬなら、五百万回でもくれてやろうぞ」
「待ってるわ」
「今宵はこうしてそなたを膝に抱いたまま、たっぷりと、美酒を味わうとしよう」
「悪い人がよくやってるやつじゃないかしら、それ」
「我は悪い男ゆえにな?」
中庭へと出ると、ビーゼン老が目を丸くする。
「やや、大きなボトム王よ。そなたの寝台を彩るには、我が竪琴の腕の技量は足りなんだか……」
我は片目を閉じて言ってやった。
「良き音色である。平原の新しい館の寝室で、ゆるりと聴きたいものよ」
「すなわち、今宵は………」
「あたし、『いつもの』陛下が好きなのよ。今宵の陛下も、とっても素敵なんだけど!」
そこにやってきたのは、アンフィーサ義姉上だった。
「答えは出て? わたくしの可愛い妹」
「たった今、答えが出たの。不思議ねお姉さま。すごく不思議。あたし、きちんと、正しい道を選べたわ」
「そう、わたくしも、決めたのよ」
そんな義姉上に、恭しく『満月草の種』を渡す。
「もしかして………」
「……私は夫を愛しています。きっと一生変わらない。けれど、この人間の姿では決して成し得ないことがあります。だから、愛と、貴方達の持ってきてくれた一粒の奇蹟に、魂だけでなく、肉体も全て委ねる、ただそれだけのこと。ああ、でも、美しいドレスは今宵で着納めかしら……」
ゴブリン達がやってきては、口々に言う。
「姫姉様は平原でわしらを助けてくれた」
「間違いなく、立派なドラゴンになれますわ。赤くて、とっても美しいドラゴンに!」
「平原に、いつでも遊びに来てくださいですよぉ! 我ら一同、お待ちしておりますですからして!」
腕の中からリネッテが飛び出して、アンフィーサ義姉上を抱きしめた。
「お姉さま、お姉さまはとうとう本当に、本物のドラゴンになるのね………!!」
「ええ、そうよ。それが出来ることも、そして、ドラゴンになっても尚、己の力を存分に役立てることができることも、あなたと皆が、証明してくれた。わたくしは自信を持って、これから先の一生を、人間ではない姿で、生きていくことができます」
「お姉さま……」
「これからのお手紙は、妖精便の子の代筆になるわ。いつでも送ってちょうだいね」
そこに、ヒトの姿のアルベリッヒ王がやってくる。
「………朕らは本当に、良き妃を娶ることが出来たというわけだ。それと我が妃はこうも言った。『わたくしの妹は決して見誤らない。故に、あの種は必ず、わたくしのものになります』と。あの日汝らに雪山で課した試練が、今こうして身を結ぼうとしている。深き感謝を」
リネッテがドレスの裾を持ち上げ深々と礼をして、答えた。
「あたしの大事なお姉さまを、どうか、宜しくお願いします」
シーバスレリアとフィロストレリア兄上が、エコールとベラ義姉上と共にやってきた。
「言ったじゃないか兄上、賭けるまでもないって」
「まあ結局皆こうして、中庭に来たってわけだ。人間で言うところの『二次会』ってやつだね」
「シーバスレリア、あんたの兄さんは本当に良く出来た悪党だねえ。奥様の前で言うことじゃないけど」
「ふふ、知っていてよ? 母体にお酒は禁物だけど、そのかわり、素敵な恋物語や、とびっきりの冒険物語はたっぷり聴かせてあげたいものね」
ドラゴンやエルフやゴブリン達が、あちらこちらで愉快に飲み明かす庭で、ビーゼン老が陽気に笑う。
「今宵一晩で百曲は作れるであるぞ! さあ、さあ、皆が首を長くして待っているであるぞ!」
中庭に入場すると、種族を超えて飲み明かしていた一同が沸く。
「何て美しいお妃様達だろう!」
「うちの王様まで『でっかく』なるとはなあ!」
「とうとう我らの『小さき』お妃様も、我らと同じようにドラゴンのお姿になるらしい」
「そいつは頼もしい限りだなぁ! 上の姫姉様にはずいぶん平原で助けて貰った。どうかこれからは、お前さん達、上手いこと助けてやってくれよ!」
「慣れねえこともあるだろうからなあ!」
マリィとオリバーが駆けてくる。
「うわあ、すげえな、ボトム王。本当に、人間になったのか………」
「これは今宵一晩限りの夢である。だが、我が臣下よりも背が高いというのは、良きものであるな」
するとオリバーが言った。
「平原に引っ越すんだって? 必要な資材はうちの協会が中心になって運ばせるよ。………だから、その、ちょっとの間、忙しいところ悪いんだけど………マリィを借りても良いかな。きっとうち、人手が足りなくなるからさ」
「まあ、もちろんよ! しっかりね、マリィ」
「は、はい! もちろんですわっ!! 煉瓦協会でもしっかりお勤めさせていただきます!」
「ドラゴン便もあるからね。どうぞ宜しく」
「頼もしい。まさに千人力である」
あっという間に酒や、庭で焼いていたらしい肉や、新鮮な果実が運ばれてくる。
「あの水車小屋を移転して、粉だけは早く挽けるようにせねばな」
「またあのパンが食べられるのね!」
リネッテが腕の中に戻ってくる。
「水車小屋も増やすか。客人が増える予感がするゆえに。そうすれば、どこに出しても良い食事を、すぐにいつでも提供できる」
「良いことだわ」
「良いことだとも」
妃を抱きしめて、膝の上に載せて、今後の話をする。それだけでなんと幸せなことか。
そして幸せな一夜というものは、何と早く過ぎていくことか。
月が落ち、賑やかだった宴も閉会となり、酒にしたたかに酔ってうつらうつらと眠るリネッテを、城の寝台へと運ぶ。
靴の踵の音が、静かな廊下に響く。
この靴の音というものは、心地よくもあり、夢の終わりへの導きの音のようでもあった。
柔らかいリネッテの身体を寝台に降ろし、腰を屈め、この愛しい妃の髪に、額に、瞼に、頬に、そして唇に接吻を落とす。囁くべきことを、耳元で囁いてやった。
夢が覚めても、これからは夢ではない場所を共に歩むのだ、と。
そして、次の瞬間に、我はいつもの、元の姿に戻っていたというわけである。
寝台にいつものようによじ登り、この一日で起きた幸せを嚙みしめている内に、瞼が落ちた。
こうして、世にも幸せな一日の幕が閉じていったのである。
最後に、両兄には、限りない感謝を。
我を兄弟として迎え入れてくれたおかげで、今日という日がある故に。
我らゴブリン族にとってはこれからが正念場ではあるが、いかなる困難も、素晴らしき妃と兄弟に恵まれた今、必ずや一族と共に乗り越えることが出来るであろうことを記して、ここでペンを置こうと思う。 頓首啓白
貴兄らの忠実なる弟
ボトム・ゴブリンロード




