35通目 リネッテから姉姫二人へ
『鷲の大崖』より
親愛なるアンフィーサお姉さまと、ベラお姉さまへ
拝啓 同じ手紙を送ることを許してください。
シーバスレリアが意味深なことを、そしてあたしたちにとってはとっても大事なことを言い残して去っていったその夜、あたしと陛下は『鷲の大崖』の寝台の上で何故か正座をしながら、語り合うことになっていました。
「………我は、我が一族郎党の為にそなたを娶った。そなたはそれをあの城で、是と言ってはくれたが、それは、若く闊達な娘からより良い未来を奪ってしまったことにほかならぬ」
陛下の、少し苦しそうなお顔を見るのははじめてで、なんて言葉を返せば良いか、あたしにはわかりませんでした。
「……我は決して若くはない。人間族やエルフ族のように小麦のような色の肌もなければ、優しく抱きしめる腕も背丈もない。ゆえに、そなたがこの平原で日に日に輝けば輝くほど、我が心は苛まれるのだ。そなたは、我には出来すぎた妃である、と」
そんなことないのに、どうして。
でも、あたしも正直に言うことにしました。
「……あたしだって、あの時はものすごく失礼なことを考えてたわ。『このまま一生誰にも愛されないくらいなら、ゴブリンの王様と結婚した方がマシなんじゃないかしら』って。お互い様よ」
「そなたを愛さぬ男がいるものか。シーバスレリアがそれを証明してくれた」
「…………」
「リネッテよ。我は怯懦であり、貪欲なのだ。たとえ他の誰かが相応しくとも、他の誰にも渡せない」
二人用の大きさに掘られた寝室の、木の枝と藁と麻布、エルフ族の毛布(あの冬山の冒険の後にベラお姉さまが贈ってくださったものです)そしてシュトラスレートル城から持ち出した絨毯やカーテンで出来た寝台に、せっかく晴れているのに何も言ってはくれない月の光だけが差し込んで、何だか月が恨めしくなりました(こういう時になにかうまいこと言えるようになるのって、月の光のおかげだとずっと信じていたのよ、あたしときたら!)
あたしは思わず言いました。
「あたし、好きになったのは陛下だけなのよ。でも、誰かを好きになるのに慣れてないの。だから、好きになることを、遠慮されちゃうと、困るわ……」
「そうか」
「子供時代は、シュトラスレートル城に置いてきたつもりよ。この顔だって、そばかすが消えれば、もっと大人っぽくなるはずだけど」
「何故に人間族の女性は顔にある愛らしい証を、自ら消そうと躍起になるのだ?」
「……ゴブリン族的にはそばかすって『あり』なの?」
「我が種族において、これは顔に咲く『花』である」
陛下が片膝を立てて伸ばした緑色の長い人差し指が、鼻先に触れました。長い、長い沈黙。
「そなたは、我が一族を毛嫌いせず、何事にもよく立ち働いてくれている。これ以上、何を求めようか。………だが、施政者ではない、我の中に棲まうひとりの男が言うのだ。『それ以上のものを』と」
鼻先から、頬へ、遠慮がちに、でも、何だか熱い指先が、髪に触れます。お姉さま達と違って、なんの特徴もない、ただの茶色の髪なのに。
真っ赤に燃えるような美しい赤い髪だったら、森の緑のように美しい緑の髪だったら、もしくは、せめて、太陽のように明るい金色の髪だったら、あたし、なんかもっと『ふさわしくあれた』のかしら。
そう考えた途端に、何だか涙がぽろぽろとこぼれ落ちてきてしまって。
「リネッテよ。無理は………」
「あたしなんかで、ほんとうに、いいの?」
「『なんか』とはなんだ。我はそなたでなければ嫌だ」
ちょっとご立腹したような声で陛下は言って、座ったままのあたしを静かに抱きしめてくださったのです。
「……我とて、ドラゴン族の如き強さも、エルフ族の如き賢さもなければ、人間族には毛嫌いされることもある。だが、誰か一人を愛することにかけて、誰かに負けることがあるとは、ひとかけらも思っておらぬ」
抱きしめられるって、こんなにも熱いのね。
「陛下、あたし………」
あの時、何を言おうとしたか、思い出せないのだけれど、次の瞬間、『鷲の大崖』の地下の方から、ものすごい轟音が響き渡ったのです。何か巨大な生き物が咆哮するような声のような音と、土の崩れる音が。
部屋中が大きく揺れて、陛下があたしを庇うように、毛布を手に掴んで私の上にひっかぶせました。
反射的に息を飲んで、片手で涙を拭いながら、聞きます。
「……ど、土砂崩れ………かしら」
「否、否、どうも妙だ。聞いたことのない音がした気がする」
『いつもの』陛下の顔に戻っているのに気付いて、あたしは陛下の服の裾から手を離して言いました。
「……着替えて、様子を見にいった方がいいんじゃないかしら」
「……そうだな。この崖は容易くは崩れないはずだが、下の様子と、それと、住民の点呼も取らねばならぬ。……リネッテよ、手伝ってくれるか。もう夜も遅いが、カンテラの灯に、例の魔除けの香油を垂らして行くとしよう」
「あたし、陛下のそういうところも好きなのよ。もちろん行くわ」
立ち上がろうとして、思わずよろめいたのを支えてもらって、あたしと陛下は顔を見合わせました。
「…………それで、その、お返事は、落ち着いたら、で、いいかしら」
「我は、そなたのそういうところも好いておるのだ。もちろんである」
それなりに、おそらくは、すごくロマンティックだったはずの夜が文字通り急転直下して、あたしも陛下もびっくりしたけれど、部屋の出入り口の扉の木枠が衝撃で歪んでいて、二人で慌ててこじ開けた時に、事態の重要性を同事に悟りました(『木叢の館』と違って扉や窓に硝子がなかったおかげで、怪我をすることはなかったのだけれど)
とにかく、やらなきゃいけないことがこれから山積みです。ここには子どもから老人、お姉さまのような妊婦まで揃っているの。皆の無事と、崖の状態を確かめないと。手紙を書いている間はマリィが代わりを務めてくれています。大丈夫。
でも、どうしても、こんな時だけど、今夜の出来事は書いておきたかったの。心の中で陛下にはお詫びするわ。心の中だけでいいのかは、わからないのだけど。 敬具
あなた達の妹
リネッテ・ブリンク




