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バンっとリビングの扉が開き、我が姉である和泉和歌が堂々と入室してきた。
「ただいま鉄!さあお姉ちゃんとおかえりのハグをしてくれ」
相変わらずのフルスロットルぶりになんと断ろうかと思案していると、向かいに座っている式が微笑みながら言う。
「おかえりなさい和歌さん。まず手を洗って着替えて来てくださいね。その間にご飯も用意しておくので」
「おぉ、式君いたのか。そうだな鉄に万が一にも菌を移すわけにはいかないものな。私としたことが鉄の健康面を慮ることを怠っていたようだ」
そのままUターンして洗面所に向かう姉さん。それを見届けて俺はほっと息を吐く
「助かったよ式、姉さんもあれさえなければ完璧超人なのになぁ」
「うふふ、いいのいいのじゃあ私は和歌さんのご飯よそってくるね」
席を立ち台所で味噌汁を温めなおし、姉の分の夕飯をこちらに配膳する幼馴染を見ながら俺は大根サラダをパクつく。うんドレッシングが美味いな、お手製なのかなこれも。
支度が済み席に着いた姉さんが口を開く。
「では、いただきます。式君いつもすまないな。私たち姉弟は料理がてんでダメでな。不在がちな両親に代わって改めてお礼を言うよ」
「いいんですよ私が好きでやっていることなので。それにおいしく食べてもらっている顔を見ているだけで私は幸せなんです。お父さんとお母さんも夫婦水入らずで夕食をとれて一石二鳥です」
俺たちの両親は家にいない。親父が外国へ単身赴任で行っているので生活能力の無い親父に付き添う形でお袋がそれに同行しているのだ。現在は確かモスクワだったかな?毎月に送られてくる外国の工芸品。トーテムポールやらドリームキャッチャー、スノードームなどうちの1部屋はお土産部屋と化している。俺が子供のころからなのでもう特に思うところはないが、幼少期はそれなりに寂しかった記憶がある。
それを埋めるべく母親代わりに愛情を持ってくれたのが我が姉、和歌というわけだ。
といっても家事はほぼ式が行っているので、姉は小中と同じ学生だというのに授業参観や三者面談、果ては体育祭にまで親ということで参加していた。自分の授業を仮病で休み、俺の授業で後ろで名前入り団扇を持ちながら他のお母さま方と和やかに話したり、面談では俺の担任にクラスでの様子を事細かに聞いたり、進路の相談を自分の面談時間を使ってまで2倍行ったり、体育祭で自分の出場する競技以外は父兄席にいてビデオカメラを回すという奇行を9年間してくれた際はもう最初こそ恥ずかしかったが、最後はカメラに決め顔を披露していたくらいだ。それでいて自分の事は完璧で成績は常に1位だったというのだから、さぞ姉の担任は頭が痛かったに違いない。ご愁傷さまです。
「鉄よ高校入学改めておめでとう。私もまた同じ学校に通えることになってうれしいよ。我が生徒会はいつでもお前の入会を待っているからな。副会長の席は現在空席だ」
「ありがとう姉さん。滑り込みだけど入れて俺もほっとしてるよ。でも生徒会には入らないよ」
恥ずかしがりだなあ鉄はと俺の背中をバンバンと叩く姉さん。うちの学校の生徒会が新学期早々に副会長不在だという衝撃の事実に直面して、本当にここに入学してよかったのだろうかと自問自答しているとデザートのメロンシャーベットを持ってきた式が言う。
「和歌さん。てっちゃんは生徒会に入りませんよ?私と一緒に調理部に入部するんです」
「鉄?どういうことだ?私が一年かけて用意した生徒会に入らないとは。先代生徒会の頭でっかちどもをちぎっては投げちぎっては投げ、大学への推薦などという不純な動機で私たち姉弟の愛の巣に入り込もうとしていたガリ勉どももついでに排除しておいたというのに」
こいつらには常識というものはないのだろうか?
俺は調理部に入部するつもりなんてこれっぽっちもないし、生徒会に入るつもりももちろんない。というか俺は帰宅部に入部するつもりなのだ。全国大会に向けてベストを日々尽くすつもりでいる。スポーツマンなのだ。
「2人とも落ち着いてくれ、俺は部活や生徒会に入るつもりはないんだ。でもそうだな。気が変わるかもしれないから少し考えさせてくれないか?」
秘技先延ばしである。これでその内うやむやになることを期待しての1手なのだ。孔明もびっくりの姦計だ。
「入学早々する話ではなかったかな。そうだなゆっくりと考えて答えを出してくれ。お前が生徒会に入った暁には校歌を鉄の応援歌に変えることをここに約束しよう」
「そうだね。私もてっちゃんがまず学校に慣れてから一緒に調理部の見学に行くね?少し先走っちゃったみたい。一緒に作ろうと思ってたレシピのノート7冊もあとで渡すから読んで予習しておいてね?」
「俺、帰宅部に入部するわ」
駄目だ、先延ばしにしていたら外堀を埋められて入らざるを得ない状況になりそうだ。誰だ先延ばしとか言ったバカはこの2人には無駄だというのに。
それからわーわーいう2人を尻目に御馳走さまと食器を流しに置き、部屋に戻ろうとすると姉さんが思い出したように俺の背中に声をかけた。
「そういえば鉄、デトロイトにいる両親から手紙を預かっているぞほれ」
そうか、モスクワではなく今はデトロイトだったか。なぜか胸の谷間から出されたその生暖かい手紙を手に俺は自室へと足を運んだ。