第2話「錬金術師の教え」
異世界で「トウガ」と呼ばれるようになった男は、
朝の冷たい空気の中、蒼天国の城、蒼穹城 の廊下を歩いていた。
昨日、皇帝との謁見の末、「役立たず」と判断されたものの、処刑は免れた。
「せめて何か使い道があれば」と、城の後方支援部隊に配属されることが決まったのだ。
そしてその第一歩として、蒼天国で唯一の錬金術師である趙破岳の指導を受けることになった。
「錬金術……そんなのどうやって......」
トウガは、自分がこれから学ぶことに対して半ば諦め気味だった。
錬金術と聞けば、ゲームや漫画で見たことはあるが、現実の技術として扱うイメージがわかない。
しかし、これが自分の唯一の武器になるかもしれないと思うと、無視するわけにもいかない。
蒼穹城の西棟にある錬金術研究房と呼ばれる場所へ向かう。
そこは鍛冶場のような作業場に、大量の薬瓶や鉱石が並べられた、雑然とした空間だった。
天井からは怪しげな巻物がぶら下がり、まるで魔術師の隠れ家のような雰囲気がある。
「お前が例の召喚者か?」
重々しい声が響いた。研究房の奥から現れたのは、貫禄のある男だった。
長い白髪を後ろで結び、鋭い眼差しを持つ、蒼天国唯一の錬金術・師趙破岳その人である。
「わしが趙破岳だ。蒼天国一の錬金術師にして、お前の指導役となる者だ」
低く響く声には、厳しさと威圧感が滲んでいる。
トウガは思わず姿勢を正しながら名乗った。
「松風闘雅……いや、トウガです」
趙は腕を組み、じろりとこちらを睨む。
「名などどうでもいい。重要なのは、お前に錬金術の才があるかどうかじゃ」
その言葉に、トウガは苦笑する。
「俺に才能があるかなんて、俺が一番知りたいですよ」
「錬金術とは、神力と物資を掛け合わせ、イメージを具現化する技術じゃ」
趙はそう言いながら、鉱石を指で弾いた。
「だがな、錬金術は特別な血統を持つ者にしか扱えん」
「……血統?」
トウガが眉をひそめると、趙は冷ややかに笑った。
「全ての者は少なからず神力を持っている。だが、それを錬金術として扱えるのは、限られた家系だけじゃ」
「じゃあ、俺みたいな異世界から来た奴が使えるわけないじゃん……」
「それがなぜか、お前さんは錬金術のスキルを授かっていたと聞いておる」
趙は腕を組み、じろりとトウガを見下ろす。
「まぁ、お前さんがどこまで本物かなのか見定めてみようじゃないか」
「試しに錬成してみろ」
趙は机の上に置かれた鉱石を指差した。
「やり方は簡単だ。手をかざし、神力を流し込む。そして、イメージするんじゃ」
「イメージねぇ……」
トウガは半信半疑のまま、鉱石に手をかざす。
集中しようとするが、何も起こらない。
「ほらな、血統のない者に錬金術は扱えんのだ」
趙が鼻で笑い、腕を組む。
しかし、トウガはふと、昔ゲームで見た「合成システム」を思い出した。
(待てよ……ゲームのクラフトシステムって、大抵「素材+エネルギー+設計図」みたいな構成だったよな)
(もしこの世界の錬金術が似た仕組みなら、「何を作るか」だけじゃなく、「どう作るか」まで明確にイメージしないとダメなんじゃないか?)
トウガは深呼吸し、改めて鉱石に手をかざした。
(まず、神力を流す。エネルギー供給の役割だ)
(次に、この鉱石の構造をイメージする。硬さ、質感、重量……)
(そして、変化後の形を具体的に想像する。「ただ変われ」じゃなく、「こう変わる」まで細かく)
「……やってみるか」
トウガは再び手をかざし、今度は明確なイメージを持って神力を流し込んだ。
トウガは静かに目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
さっきまでは、ただ「何か起これ」と念じるだけだった。
だが今は違う。ゲームのクラフトシステムを思い出し、素材の特性を考え、変化の過程をイメージする。
(この鉱石は硬い。だったら、一部を柔らかくして形を変えて……再び硬化させる)
(形状変化だけなら、分子レベルの結合をイメージすればいいはず)
トウガはゆっくりと神力を流し込む。
途端に、手のひらがじんわりと温かくなり、鉱石が淡い光を放ち始めた。
「……っ!?」
趙の目がわずかに見開かれる。
鉱石の表面が、まるで溶けるように形を変え始めたのだ。
鉱石の表面が、まるで溶けるように形を変え始めた。
トウガは焦らず、イメージを細かく調整する。
(このまま、形状を滑らかに整えて……硬化!)
次の瞬間、光が収束し、鉱石が完全に別の形へと変わっていた。
トウガが手を離すと、そこには丸みを帯びた小さな鉄製の将棋の駒が転がっていた。
「……なっ!?」
趙が思わず腰を抜かし、後ろに尻もちをつく。
「……ば、馬鹿な……? 初めての錬成で、ここまで形を制御できるじゃと……!?」
助手として働いていた青年が、驚愕の表情で趙を見た。
「師匠! 俺たちでも、こんな精度の錬成は無理ですよ!」
趙は鉄製の駒を手に取り、何度もひっくり返しながら確認した。
「……密度も均一、強度にもムラがない。まるで熟練の錬金術師が仕上げたかのような出来栄えだ……!」
その声には、もはや呆れと驚愕が入り混じっていた。
トウガは腕を組み、満足げに頷く。
「まあ、理屈が分かれば、こんなもんじゃない?」
趙がトウガを睨む。
「貴様ぁ、錬金術の経験がまったくないと言っておったなぁ?」
「ええ、まったくないです。でも、なんとなくだがやり方は分かりました」
「……フン、ふざけたことを言う」
趙は頭を抱えながら、大きくため息をついた。
「異世界の者だからといって、何でもできると思うでないぞ」
趙は鋭い視線を向けながらも、未だに驚きを隠せていない様子だった。
「普通ならば、錬金術の基礎を習得するのに数年はかかる。なのに貴様は、たった一度でここまでの精度を出した……」
「まあ、俺に錬金術の才能があったってわけだ」
トウガは肩をすくめる。
助手の一人が、驚きの表情のまま呟いた。
「師匠……こいつ、本当に化け物じゃないですか?」
「……信じたくはないが、そのようじゃな」
趙は鉄駒を握りしめながら、何度もため息をつく。
「お前さんのその才能、本当に偶然か……? それとも、何か……」
趙はしばらく考え込み、鋭い目でトウガを見据えた。
「……いいだろう。ならば、もう一つ試してもらおう」
そう言うと、彼は棚から普通の水が入った瓶を取り出し、トウガの前に置く。
「次は、ただの水を変化させ、神水を作ってみろ」
「神水……?」
「神水は傷や神力をわずかだが回復させる特殊な液体じゃ。」
「つまりこれを作れれば、より高度な錬金術が使えるってことか?」
「そういうことじゃ。だが、これは錬金術師にとって最も基本でありながら、最も難しい錬成の一つ」
趙は腕を組み、じろりとトウガを見下ろす。
「ま、できるものならやってみろ」
トウガは瓶の中の水をじっと見つめた。
(普通の水を神水に変える……? いや、そもそも神水がどんなものか分からないんだけど?)
戸惑いつつも、さっきの要領で神力を流し込んでみる。
だが、水はまったく反応しない。ただの水のままだ。
「……は?」
「ハッ、無理もない。何も知らずに作れるほど神水は単純なものではない」
趙は冷笑しながら腕を組む。
「神水とは、神力を純粋な形で液体に定着させたもの。単に神力を流し込むだけでは何の意味もない」
「つまり……ただエネルギーを入れるんじゃなく、"どう変化させるか"までイメージしなきゃダメってことか」
「その通りだが、そんなことは言われずとも分かっているはずだろう?」
(ただの水を変化させる……)
トウガは瓶の中の水をじっと見つめた。
「普通の水に神力を入れてもダメってことは……水そのものを変えなきゃいけないってことか?」
「ま、理屈ではそういうことじゃ」
趙は興味深そうに頷いた。
トウガは試しに水の分子構造をイメージしてみる。
(例えば、温度を変えたらどうなる? 氷みたいに固めるか、蒸発させて気体にするか……)
「蒸発……?」
ふと、トウガの脳裏にゲームの「精錬」システムの記憶がよぎった。
(そうだ、水をいったん蒸発させて、神力と混ぜてから凝縮すれば……純度の高い液体ができるかも?)
トウガは深く息を吸い、静かに神力を集中させた。
「まず、水を蒸発させる……」
瓶の中の水がわずかに震え、ふつふつと気泡が浮かび上がる。
蒸気となった水がゆっくりと宙へと舞い上がるのを見届けながら、トウガは次の工程へ移った。
(この蒸気に神力を混ぜて……純粋な力だけを残す!)
手をかざし、神力をゆっくりと蒸気に馴染ませていく。
すると、漂っていた蒸気が淡い青い光を帯び始めた。
「……っ!」
トウガの心臓が高鳴る。
(これだ!)
トウガは慎重に神力の流れを調整し、蒸気を凝縮させていく。
漂っていた青白い霧が、次第に一点へと集まり始める。
そして——ポタリ、と瓶の中へ純粋な雫が落ちた。
まるで光を内包したかのように、透き通った液体がゆらめく。
それは、紛れもなく神水だった。
「……バカな……!」
趙が思わず後ずさる。
「まさか、本当に神水を作り出したというのか……?」
助手が慌てて瓶を確認し、震えた声を上げる。
「師匠……これは間違いなく、純度の高い神水です!」
トウガは瓶を持ち上げ、神水をじっと眺めた。
ゆらめく透明な液体は、まるで生命を持っているかのように輝いている。
「……よし、できた」
満足げに微笑みながら、トウガは瓶を趙の前に差し出した。
「これで合ってるよな?」
趙は無言のまま、瓶を受け取った。
恐る恐る香りを嗅ぎ、指先で軽く触れる。
その瞬間、彼の目が驚愕に見開かれた。
「これは……神水ではない……!」
「ん? どういうことだ?」
趙の指先がわずかに震えていた。
「おいおい、何が違うんだよ?」
トウガは瓶を覗き込むが、見た目はただの透明な液体だ。
しかし、趙破岳は小さく息を呑み、低く呟いた。
「……純度が異常に高い」
「純度?」
「通常の神水は錬成者の神力がわずかに混じるため、色合いや流動性に個体差が出る。だが、これは……まるで大自然が生み出した原初の神水そのもの……!」
「つまり?」
趙はじっとトウガを見据え、そして言い放った。
「神水のさらに上、聖神水じゃ」
趙の言葉が、静まり返った部屋に響いた。
助手たちも言葉を失い、ただトウガと瓶の中の液体を交互に見つめる。
トウガは眉をひそめながら、手元の聖神水をじっと見つめた。
まさか、異世界に来てたった数日で、前代未聞のものを作ってしまうとは。
だが、これが偶然ではなく、必然なのだとしたら——?
「お前、本当に……何者なのじゃ?」
趙の呟きが、トウガの耳に深く響く。
こうして、トウガは異世界で初めての"異端"として、その名を刻み始めたのだった。