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マリエラは恋の足音に気付かない

作者: 真朱マロ

 雪って、冷たいのか暖かいのか、わかんないな。

 道の脇に寄せられて、こんもりと山と積まれた真っ白い雪に身体半分埋もれながら、マリエラは空から落ちてくる粉雪を呆然と見つめていた。


 マリエラは国家公務員で、伝令部に所属する市井担当の郵便配達員である。

 北の街に赴任した初めての冬は、南部生まれのマリエラの想像をはるかに超えていた。

 一瞬で冬が嫌いになるぞ。と配属直後にヘラヘラ笑っていた上司の顔を思い出し、アレはただの事実だったのだと身に染みる。


 初任給は防寒具につぎ込めとか、夏の暑い盛りから雪道の歩き方をミッチリ叩きこまれるとか、本来の仕事から離れた数々の言動に最初はあきれていたのだ。

 確かに北の街が豪雪地だとは聞いていたけれど、通りは数時間ごとに除雪され、魔法で管理された排雪孔に処理され、雪に強い街の家屋は保温機能も高い。

 けれど、ヘラヘラ笑いで発せられた「生死にかかわるから」という冗談が、まったくもって冗談ではなかったと冬の訪れと同時に知る事になった。


 当たり前の一日に、当たり前に仕事をして、当たり前に道を歩いていただけなのに、気が付いたら雪に埋もれているだなんて、これはもう声を大にして「冬なんて嫌いだ」と言っていい案件だろう。


 チラチラと舞う初雪は幻想的で綺麗だったが、初めて見る雪にはしゃいだ気持ちは、すぐに「冬の悪魔め!」と呪いの言葉を吐くまでに変わっていた。

 ほんの一週間で身長よりも高く積もるなど、なんの冗談なのか。

 いや、冗談ではなく、事実だから呪わしいのだけど。


 南部生まれのマリエラも赴任から半年経ち、手に地図を持たなくても歩けるようになった街並みも、雪に埋もれてすっかり様変わりしていた。

 夏の間はやたら高い所にあるな、と思っていた二階の窓横にある看板の数々も、雪に埋もれない位置に設置されているのだと今ならわかる。


 なぜなら今、現在地を見失い、正真正銘の迷子になっているからだ。

 目印になっていた赤い屋根も、夏の間は花の飾られていた宿のベランダも、にぎわっていた喫茶店のテラスも、すべてが雪の下だ。

 頼りになるはずの看板も、横から吹き付ける雪がへばりついて、もっさりとした雪の塊にしか見えず、配達迷子となるのがこのところマリエラの日課だった。


 しばらくは内勤に変えてほしいと願ったけれど、上司が「とにかく慣れろ」と追い出すのでしぶしぶ外回りを頑張っているが、ちっとも慣れない。

 朝から晩まで頑張っても先輩方の半分も配れない現実に、このところマリエラは落ち込んでいた。

 それでも手紙を待っている人がいると気持ちを奮い立たせて、雪道に挑んで歩き続け、あと一件残すばかりとなったところで、ツルリと滑ってしくじった。


 滑って転んで落ちたのが雪かきされて集められた雪山だったから、痛くはないし骨折のようなケガもしなかったが、勢いが良すぎて斜めになった格好で突き刺さっている。

 右手は突っ張った形で埋もれ、頭が下になっているから、ジタバタと空を蹴る自分の足が見える。


 冗談みたいな格好だけど、冗談にすることもできない。

 心は折れる寸前だったけれど、それでもいつまでも凹んでいるわけにはいかない。

 なにより雪は、強風を遮ってくれるからあたたかく感じても、確実に体温を奪うぐらい冷たいのだ。


 ふん、と気合で身体を起こそうとして、それが容易ではない事にマリエラはすぐに気が付いた。

 足は完全に宙に浮いていたし、サラサラとした粉みたいな雪はつかみどころがなく、ジタバタもがいても抜け出す方法がわからない。


 不幸なことに、夕方の人通りは少なく、近くに人の気配はなかった。

 気温がほんの少し上がる昼間はそこそこ住人も歩いているが、冷え込んでくる夕刻になると出歩くような物好きは減り、雪かきの当番か仕事帰りの帰宅を急ぐ人に限られる。


 ジタバタともがきながら、もしもの時のためにと渡されていた警笛を取り出したけれど、もこもこと分厚い手袋ではうまくつまめず、口にくわえる前に取り落としてしまった。斜めになった際に身体の下に埋まっていた警笛の紐を、無理やり引っ張って取り出したから切れて、崩れる雪に埋もれてどこかに消えてしまった。

 どうしてこんなことに! と焦ったけれど、どうしようもなかった。

 埋もれていた雪山が排雪孔に向かって崩れ始めると、マリエラの身体もズルズルとそちらに滑り落ちていく。


「だ、誰か助けてー!」


 救援を求めて叫ぶと同時に、崩れた雪がドサッと顔に落ちてきて、もうだめだと思った瞬間。

 両足をつかむ何かがいて、傾いたまま身体が止まる。


「そのまま動かないで」


 低い声が聞こえると同時に、力強く引かれたマリエラの身体はスポンと綺麗に引っこ抜かれていた。

 それはもう、見事なぐらいスポンと抜けた。


 驚きすぎて意味もなく「あ、あ、あ……」と声が漏れたけれど、マリエラの足をつかんだのが救援者であることは間違いなかった。

 足首をつかまれているから宙づりで逆さまになった視界に、大きな男物のブーツが見えた。

 ビックリしすぎて言葉もなく、バンザイの格好でプラプラと揺れていたけれど、よいしょとばかりに上下が戻り、自分の足で立たされたことで、ようやく思考が戻ってくる。

 

 固まって人形のように動かないマリエラに、事情がなんとなく想像できたのだろう。

 親切な救援者は、全身についている雪をパンパンと払い落としてくれていた。

 あっという間に雪だるまから、人間の姿に戻っている。

 茫然と固まっている場合ではなかったと、マリエラは慌てた。

 はじかれたように「ありがとうございます」とお礼を言って、ぺこぺこと何度も頭を下げる肩を、大きな手が止めた。

 

「当たり前のことだから、別に」

「あなたにとっては当たり前でも、死ぬかと思ったから」


 そう言って顔を上げて、マリエラは目を丸くした。

 見上げるほどに大きな男の人だった。

 なるほど、これだけ上背があれば、マリエラを宙づりに出来るはずだ。

 地元民らしく一寸の乱れもなく完璧な防寒具を身に着け、大きな体が更にもこもこと大きく着ぶくれて、顔も良く見えない。

 けれど、低めの声はよく通り、心地良く耳に馴染む。

 

「大変だね、仕事」


 途端に、マリエラは恥ずかしくなった。

 支給された制服を着ているから、郵便配達員だというのは一目でわかる。

 いたたまれなさで返事に窮して、マリエラは「ええ」とか「いや、まぁ」とか、煮え切らない返事をもぞもぞと返す。

 確かに外回りの配達は大変だけど、大変な部分は自然環境とそそり立つ雪の壁である。

 仕事そのものの大変さというより、全部全部冬が悪いのだという気持ちが強い。


 そんな気持ちを感じ取ったのか「地元民でも冬は嫌いだよ」と男は笑いながら、傍らに刺していたスノーショベルを肩に担ぐ。

 大きな通りは除雪機が使用されるけれど、店や家屋の玄関につながる細々した通り道の除雪は住人の仕事である。

 排雪孔に除雪した雪が落ちて詰まらず流れているか、住民がローテーションを組んで管理しているので、タイミングが良くてちょうど良かったと男は笑った。

 それじゃぁ、と去ろうとした背中を、マリエラは慌てて引き留めた。


「迷惑ついでに教えてください! ここ、どこですか?! あ、私はマリエラです。今、正真正銘の迷子です」


 現在地を見失っているとマリエラが赤裸々に告白すると、立ち止まってしばらく無言でいたその男は、ブハッと凄い勢いで吹き出した。

 耐え切れないというように笑い出し、それでも悪いと思っているのか「ごめん、本当にごめん。ツボって止まらない」と謝りながら、ひとしきり笑い転げる。 

 ヒドイと思いながらも笑われるのも当然で、マリエラは「ひーん」と泣き笑いで男が落ち着くまで待った。

 

 待ち続けて、五分。

 やっと止まったが、さすがに笑いすぎて悪いと思ったのだろう。

 配達先まで案内してくれると言い出したので、ありがたくマリエラは頭を下げた。

 むしろ、ここで逃がしたら配達の仕事どころではなく、迷子の達人として街をさまようこと確定なので、とてもありがたい申し出だった。


「俺はクリムト。そこの角のパン屋」

「それで! いい匂いがすると思った」


 横に並ぶとクリムトからほんのり漂う香ばしい小麦の匂いが、とにかく美味しそうでソワソワしていたので謎が解けた。

 納得したかわり胃袋が刺激されて、クゥとお腹が鳴る。

 どうしてこんなタイミングで! と恥ずかしさといたたまれなさに、両手で顔を覆いツルッと滑ったところで、グイと腕をつかまれて引き戻された。


「落ち着けって。慣れないと地元民でも迷うから。そして俺の店のパンは美味い。いつでも買いに来て」


 どうだとばかりに晴れやかに言い切ったクリムトに、ありえない出来事続きでざわついていた心が、不思議とストンと落ち着いてくる。


 道に迷うなら、迷わなくなるまで、慣れると良い。

 そして、冬は嫌いでいい。

 それがこの街の真理。


 そして、スノーショベルを担いで先導してくれるクリムトに、マリエラは生まれたばかりのヒナに似たヨタヨタとした足取りでついていった。

 あれほど迷ったのに配達先は隣の区画で、あっさり辿り着いた。

 そして、当然のごとく帰り道も見失っているマリエラを、迷いようのない大通りまでクリムトは案内してくれた。


 感謝の言葉をこれでもかというほど重ねるマリエラに、クリムトは袋を押し付けた。

 郵便を配達してからいったんクリムトはパン屋に寄って、スノーショベルの代わりに持ち出した紙袋だ。

 それほど大きくはないけれど、抱くようにして持つと小麦の香りでパンだとわかる。


「これでも食って、せいぜい頑張りな」

「ありがとうございます」


 本来、仕事中だと断るべきところだったが、マリエラの手はあっさり裏切った。

 無意識のうちに受け取って、嬉しくなってぎゅうっと紙袋を抱きしめたところで「返しなさい」と囁いてくる善良な天使の心に気が付いたけれど、すぐさま「無理!」と叫んで飛び蹴りする悪魔の心に倒された。悪魔の完全勝利である。

 なにより、お腹がすいていたのだ。


 食べずとも香りだけでわかる。

 クリムトさんの焼いたパンは美味しい。

 絶対に美味しい。


 お互いに完全装備の防寒具を纏っているせいで、顔も年齢もわからなかったけれど、それでも声や雰囲気で伝わるものがある。

 パンへの期待で浮き立つ気持ちとか、年齢もさほど離れていない事とか、冬は嫌いでもこの街が好きだということまで。

 なんとなくだが、わかるものなのだ。


「今度、迷ったなら屋根の上を見ればいい。何番通りか示す看板は雪が積もらない魔法がかかってる」


 え? と屋根を見上げて確かめるマリエラに、やっぱり笑いながら「じゃぁ」と手を振ってクリムトは帰っていった。

 スタスタと足場の悪い雪道もものともせず遠ざかっていく大きな背中を、ぽうっとしながらマリエラは見送った。


 親切な人だった。

 なにより、声も良かった。

 街中で雪に埋もれて遭難寸前という不幸を、一瞬で稀に見る幸運に塗り替えてくれた、マリエラにとっての救世主である。

 ヘラヘラの笑顔で「迷子上等、根性出して頑張れ」しか言わない上司と違って、今後は迷わぬためのヒントまで教えてくれた。

 もうそれだけで、好意が爆発して当然である。


 知らず速まる鼓動が、駆け足で近づいてくる恋の足音だと、不器用なマリエラは気づくことすら出来ないのだった。



【 おわり 】

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