05
「カニさんの中にはもう誰も入ってないよ?」
それと時を同じくして、ダンガンダイリの短い断末魔が聞こえた。
動かなくなったそれを無人らしいスパイダーは刺したまま引きずる。こちらに向かっている気がするその機体からは、相変わらず黒い液体が零れていた。
「カニさーん、おつかれー!」
結局、スパイダーは少女と止の前で停止した。手を振る少女に合わせて前足を上げるスパイダーは手を振り返しているみたいだ。
この時点でなかなかにツッコミを入れたい光景ではあるが、それ以上に止は気になることがある。
「あれ、大丈夫なの?」
あれ、とは今も胴体から滴り続ける液体のことだ。近くで見るとタールのように真黒く人の血とは似つかない。
「そんな気にしなくても大丈夫だよ」
ほら見てて、と彼女は落ちる液体を指さす。
すると地面に落ちた液体が蠢いて逆再生のように機体へ戻っていく。それも鳥黐のように周囲に小石を貼り付けて。
小石が機体の深い傷に吸い込まれていったと思ったら、ガチガチと強く石をぶつけ合わせる音がする。それが止んだ頃には、胴体に空いた深い穴は隙間1つなく塞がっていた。ただ接着剤のように傷跡をぐるりと1周囲う黒い塊が、そこに欠損があったことを示していた。
そこで止は気がついた。スパイダーに新しく取り付けられたと思っていた黒い部品はこうして生まれたのだと。破壊される度に周りの物で補ってきたのだと。
「帰ろう! カニさん!」
ピンクの日差しが降り注ぐ何とも不思議なこの世界で、少女の花のかんばせが生き生きとして見えた。
「あと君も」
少しの間の後に付け足された言葉に、そういえば名前を名乗っていなかったなと思い出す。
「止だよ。俺は渚止」
「スイヒだよ。よろしくね!」
忘れてたと笑う少女、スイヒ。その後を止とスパイダーが歩く。
どこまでも果てしないと思えたこの小石と苔の大地は案外あっさりと終わりが見えた。
川だ。つまり今まで歩いてきた道のりは全て広大な河原だったのだ。しかし橋の掛かっていないこの川をどうやって渡れというのか。
答えは簡単だ。スイヒはピョンと両足を揃えて飛び越えた。それは彼女のジャンプ力が人並外れて優れているわけではない。単にこの川は……河原こそ巨大ではあるが、川幅は人が飛び越えられるほど狭い。
……不気味な色だけど空だってあの色なんだ、ここじゃ普通なんだろう。
止は片目を閉じて、水の色を気にしないようにエメラルドグリーンの川を跨いだ。
たどり着いた場所は背の低い草が茂る野原だった。
そして足元に大きな動物の皮が数枚。この水色の皮は間違えようもない、ダンガンダイリだ。
その近くでスイヒは新しく狩ってきたダンガンダイリの死骸を、スパイダーのブレードから丁寧に抜き取った。
「ダンガンダイリのダイリはウチウラって意味なんだよ。すごく丈夫で色々なものに使えるんだけど、表はザラザラで触り心地が悪いでしょ? だから皮を剝ぎ取ったらひっくり返すの」
スイヒは懐から取り出したナイフを慣れた手つきで扱って、あっという間にこの巨体の皮を剝いでしまった。
「皮は洗ったりしなくちゃいけないなんだけど……その前に……」
スイヒの腹から控えめな音が鳴った。それをかき消すように彼女は大声を出す。
「お昼にしよう!! まず水を汲みにいかないと! トドメ、ついてきて!」
そう宣言した彼女の手には透明の水筒が握られていた。
「この水筒は?」
「カニさんの中でみつけたんだ。スイヒの水筒、便利でしょ?」
それ俺の水筒……。
水はあの川で汲んでくればいいんだろう。幸い俺の記憶力は悪い方ではない、道はもう覚えている。
「道なら分かるから案内は必要ないよ。やることが多いんでしょ? 俺は1人で行ってくるからスイヒはここに残ってて」
「いいの!? じゃあよろしくね!」
スイヒは嬉しそうに水筒を渡す。そしてダンガンダイリに向き直ると肉を解体し始めた。
……まさか、それを食べるのか? いや郷に入っては郷に従えだ。水も肉も、気にしないでいこう。
水を取って帰って来た時には、既にスイヒの獲物となったあれは原形を留めていなかった。途中までは割と丁寧に細心の注意を払って作業していたことが窺えるが、途中から失敗して諦めて適当になったという経緯が残骸から如実に語られていた。
「取ってきたよ」
水筒の中でエメラルドグリーンの鮮やかな水が揺れる。先入観からか異臭がするような。
「トドメ、この水は飲めないよ」
「飲めないのか? てっきり飲めるものだと」
「トドメはこんな色の水を飲んで育ったんだね……。でもここじゃ無色透明の水しか飲んじゃダメだからね」
「違う! 俺だって無色透明の水の星の生まれだ!!」
だからそんな引いた顔をしないでほしい。






