【短編】悪魔と呼ばれた祝福者が冒険を続けることのドキュメント
一人の冒険者を知るために調べるべきことはなんだろう?
過去の生い立ちを調査する。
友達や恋人から話を聞く。
あるいはそのスキルや装備などでも、その一端を知ることができる。
どんなやり方でもきっといいのだろう。
ただ、私からすればそれはダンジョンだった。
その冒険者が、ダンジョンにどのように立ち向かったか、それを知れば相手が分かる。
ダンジョンをいかに攻略したか、それはその人の生き様を示すのだ。
とはいえ、ダンジョンに行く前の調査は必要だ。
幼い頃からダンジョンに潜る人間は希少だ、残念ながら。
調査対象は名前はアイゼン・アーベライン、一般的な魔都部中流家庭に生まれ、なに不自由なく育った。
通常、こうした魔都民は魔都圏内で生涯を終える。
安全な場所から飛び出し、あるかどうかもわからない栄光とやらを求めたところで、リターンは無惨な死に様だと知っているからだ。
そのような冒険は、他のものがやればいい。
馬鹿な賭けを行うのは馬鹿だけだ。
魔都民が、そのような危険を行う理由はない――
だが、アイゼンは、その馬鹿を行った。
ダンジョンへと挑戦する生涯を選んだ。
非常に喜ばしい。
しかし、「なぜ」という答えは不明なままだ。
「ふむ……」
だからこそ私は踏破済みの初級ダンジョンへと赴き、こうして調査をしている。
すでに魔素の枯れた「死んでしまった」ダンジョンだが、アイゼンは幼少期にここへと来た。
魔都民もダンジョンと完全に無関係になれるわけではない、どのような危険があるかを知らなければならないと、修学冒険が義務付けられていたからだ。
少し前までは危険で意味がないと非難されていたが、彼が幼い時分は、まだ必要なものだと見なされていた。
ダンジョンの氾濫が身近な脅威だった。
いつその脅威が起きるかなど、誰にも分かるものではなかった。
最低限の、「ダンジョン内での身の過ごし方」を学ぶ必要があった。
「本当に初心者用だな」
ダンジョンの基本構造は、入口、迷路、ボス部屋の三つだ。
入口は洞窟状であり中身も同様、迷路と呼べるものはなく、九個ある部屋をつなぐような形になっている。
その奥にボス部屋があるが、この程度の大きさでは強いコボルト程度のものだろう。
よほど調子に乗ったガキが馬鹿なことをやらかさない限り、問題は起きない。
「だが、事故は起きた」
それは、正確に言えば事故とは呼べないものではあった。
ダンジョンの構造、罠の存在、そしてボスを倒した際にどうなるかなどを実地で教えている最中、アイゼンが姿を消した。いつの間にやらいなくなっていた。
ダンジョン攻略における基本単位である六人体制、その内の一人は魔術を修めた大人だったというのに行方をくらませた。
さらに言えばその「魔術を修めた大人」は中級の冒険者だった。
異常を認識した途端、中級冒険者は捜査魔術を行使したが、ダンジョン内に姿が無いことを把握した。
ダンジョンから出ていったにしてはあまりに短時間すぎる。
地面は天然の岩肌、足跡の類も見つからない。
引率としても冒険者としても焦りに焦ったが、それでもアイゼンの姿は見当たらなかった。
たかが子供に裏をかかれたか?
そのように思ったが――違った。
それどころではなかった。
「……」
私はダンジョンの、その壁を調べた。
部屋全体はおおよそ立方体の形をしているが、それでも天然自然の歪さがある。
膝下にぽっかりとした凹みがあった。
ちょうど――子供一人が隠れることができる大きさだ。
あるいは、子ども一人をそこへと押し込めることができる空間だった。
地面を、丹念に調べてみる。
当然のことながらどのような痕跡も残されてはいない。
しかし、かつてここには魔法陣があった。
ここから、アイゼンは誘拐されたのだ。
初級ダンジョン探索には十分な安全対策が取られていた。
しかしながらその対策の大半は「ダンジョンの脅威に対するもの」であって、誘拐犯に対するものではなかった。
まさか、人がダンジョン内で息を潜めており、子供を誘拐してそのまま外へと連れ出す、そんなことが起きるなどとは想像もしていなかった。
非難するのは酷というものだろう。
だが、それでも悲劇は悲劇だ。
それも、口さがない者がなにか対策はあったはずだと訳知り顔で言う類の。
――まったく不用心にもほどがある。
――我々魔都民を害しようとする敵は多いのだから、備えるのは当然だ。
――邪教徒がダンジョン内に潜み、高レベル術者でなければ使えない転移陣を使って子ども一人を誘拐することも、当然予想ができたはずだ……
そうした馬鹿を述べる。
もっとも、アイゼンが攫われた事件は、ほどなく解決した。
これは間違いなく引率の中級冒険者の功績だろう、いち早く転移陣を発見し、事態の緊急性を理解した。
伝えた先が学校ではなく委託された冒険者ギルドである点も上手かった。
ゴタゴタした軋轢が生じるよりも先にチームが組まれ追跡を行った。
事態を知った学校側がオロオロしたり「だから私は言ったんですよ」と役立たず表明を行ったり金切り声で喚いている間に、とっとと魔力痕跡をたどって本拠地を見つけ、これを壊滅させた。
有能は必要なことを慎重かつ最速で行うからこそ有能だ。
こうしてアイゼンは戻った。
しかし、完全に無事というわけにはいかなかった。
彼は、「祝福」を受けていた。
邪教徒たちによるそれは真っ当な手順を踏んだものではあったが、知った教師、親、知り合いの全員が顔を青ざめさせた。
ここで祝福について説明をしておこう。
これは、ある種の才能の開花であると言われている。
その人間が持っている稀有な才能を無理やりに引き出す手段が「祝福」だ。
その結果はランダムであり、いいものもあればどうしようもないものもある。
しかし、魔都民のほとんどが試していない。
人間が持つ才能の発揮といえば聞こえはいいが、別の言い方をすると才能に振り回される生涯が約束されている。
祝福を受けた魔都民の68%が、「魔都から出てゆく選択をする」という統計が出ていることもあり、これは半ば呪いのように扱われた。
祝福を受けることは、「魔都から出てゆくことの意思表明」ですらあった。
それを、誘拐された子供が受けたのだ。
それはもう、呪いの印だった。
この先に仲間から外れることの証だ。
+ + +
邪教徒、と呼んでいるが彼らは実のところある種の宗教集団だった。
「すべての人は祝福を受けるべきである」と主張する類の。
そのパフォーマンスとしてアイゼンは攫われ、祝福を無理に受けさせられた。
つまるところアイゼン個人を狙ったものではない。
たまたまの偶然だ。
彼らとしては可能な限り多くの子供を攫い、祝福を受けさせるつもりだった。
中級冒険者が引率するという体制にそれを行えなかっただけだ。
隙をついて一人を連れ去るので精一杯だった。
彼らとしては「どうだ、祝福を受けたところで問題ないじゃないか、人は魔都に囚われるのではなく、個人の才能を発揮すべきなんだ」と主張したかったらしい。
もはや壊滅したため、正確な主張を聞くことはできないが、その期待は完全に裏切られることになる。
祝福を受けた次の日から、アイゼンは積極的にダンジョンに潜るようになった。
まるで、そこになにか大切なものを忘れたかのように。
あるいは、そここそが自らの生きる場所だとでも言うように――
この初級ダンジョンへと籠もった。
「すさまじいな……」
ボス部屋といえば聞こえはいいが、このように小さなダンジョンではモンスターも一匹や二匹程度だ。
ダンジョンを構成するだけで精一杯であり、外的を排除するための免疫システムであるモンスターを召喚するのも最低限のものにしかならない。
そのボス部屋の様子は、あらゆる意味で壊滅的だった。
そこには、叶う限りすべての工夫を試した様子があった。
壁にできた斜めの傷は、剣によってつけられたものだろう。
焦げ跡はおそらく魔術の類を使った痕跡か。
拳を打ちつけたような跡すらある。
なによりも、地面に染み付いて取れない血があった。
部屋中央のものが最も濃いが、相対するような位置にもちいさく有った。
アイゼンは、ここでモンスターを殺し続けた。
来る日も来る日も、絶えること無く毎日。
それがどのような日々であったのかは、残された痕跡しか物語らない。
ただ、私の想像でしかないのだろうか?
彼らは、とても「楽しそう」にそれを行っていたように思えて仕方がない。
互いを殺そうと全力を振り絞ったのだ。
それはこのダンジョンが壊滅するまで――この迷宮の魔素が枯れ果てるまで、続けられた。
「12年前の今日、アイゼンは泣いた」
その時のアイゼンはすでに親元を出て一人暮らしをしていた。
子供が肩を落とし、涙を流しながら歩く、血だらけの姿を何人もの人が目撃している。
馬鹿な人間が撮影した様子も残されているが、これを喜ぶほど恥知らずにはなりたくないものだ。
その子供は何人かに声をかけられたが、すべて無視して歩き続けた。
涙を流しながらも、その目は強く前を向いていた。
ダンジョンが枯れ果てたのだった。
保有マナのすべて振り絞った。
その最後の戦いで、どのようなことが起きたのかはわからない。
だが、戦い終えたアイゼンの悲嘆はすさまじかった。
友達を殺してしまったと、そう周囲にこぼした。
冒険者アイゼン・アーベラインの始まりは、ここからだと言っていい。
+ + +
アイゼンの得た祝福は、ほんの些細なものだった。
それは「経験を得る」ものだったと言われている。
通常のレベルアップに少しばかり色がつく、あるいは技や魔術を普通よりも早く獲得できる、その程度のものだ。
しかし、初級用とはいえ毎日ダンジョンに籠もり倒した彼の得た「経験」は並のものではなかった。
だからこそ、彼は同級生から完全に浮くことになった。
子供というものはある程度の差はあるが、そこには絶対的な違いはない。
大人のような体格の者はいても、プロ選手のような肉体と技術を持つ者はいない。
しかし、アイゼンと周囲の子どもたちの差はそれだった。
その気になれば周囲の友達を簡単に殺せる、それだけの差があった。
それをアイゼンがするかどうかは問題ではない。
それをアイゼンが可能であるかどうかが、問題だった。
周囲の彼らにとってはアイゼンこそが「モンスター」だった。
モンスターなのだから「人間」が倒さなければならない、そんな馬鹿な英雄願望すら生じた。
子供が結束する旗印となった。
いじめというのも生ぬるい、50人体制での「討伐」が行われた。
彼らは「仲間ではないもの」を倒そうとした。
アイゼンは――返り討ちにした。
初級ダンジョンへと潜り続けた経験は、その程度の差などものともしなかった。
彼は逃げに逃げ続け、罠を張り、あるいは人数による混乱を誘発させ、一人ずつ倒した。
彼の祝福もそれを後押しし、後半になるほど手際は良くなった。
ようやくやってきた警官が見たものは、たった一人に怯えて逃げ惑い、あるいは地面で泣き叫ぶ子どもたちの姿だった。
それを実行するアイゼンは、非常につまらなさそうな表情だった。
彼にとっては、彼らは実に倒しがいのない「敵」だったのだ。
このことは大きな問題となったが、誰も上手い解決法を見い出すことはできなかった。
50人以上で徒党を組んで1人を倒そうとするのは問題だ。
しかし、その1人が返り討ちにした、つまり彼らの懸念はもっともだった。
だからアイゼンは自衛をしてはいけなかったと? 黙って耐えるべきだったと?
そうは言っていない、問題になるより前に大人に相談するべきだったと言っている。
それは50人の方こそそうすべきだったのでは? 被害者側だけに上手く立ち回ることを求めるのか?
力がある方がそれをすべきなのは当然だ――
監督責任だ、教育の問題だ、親のせいだ、暴力で解決するのがそもそもダメだ。
そうした喧々諤々の議論は――
祝福のせいだ。
結局はそういうことにされた。
いつも通り、祝福のせいでこうなった、そんな安易な答えへと飛びついた。
ああ、まったく祝福ってやつはどうしようもない――
いつも口にしている言葉を、ここでも口にした。
そうすることが、全員の責任を軽くした。
大人の責任ではない、だって祝福のせいなのだから。
子どもたちのせいでもない、だって祝福が悪いのだから。
アイゼンのせいでもない、だって祝福を受けているのだから。
そして、いかに祝福を解除するか、その手段の検討が大真面目に行われた。
祝福とは教育に悪いものであり、魔都圏で生きるためにはふさわしくないものだ。
かわいそうなアイゼンのためにも、大人が責任をもって取り除いてあげなければ。
……おそらくは、この時だった。
この時の対処を誤らなければ、後の事柄は起きなかった。
アイゼン・アーベラインは出奔した。
年齢を考えれば家出と呼称するのがふさわしいのだろうが、それは紛れもない見限りだった。
アイゼンは魔都の人間が心底嫌いになった。
+ + +
魔都圏は厳重な防護で外敵から守られているが、そこから外へと出ればそうもいかない。
自衛こそが絶対のルールであり、協力とはその上に成り立つものだった。
アイゼンは実に一年以上も旅を続け、可能な限り魔都圏より遠く離れた。
下手に近くにいれば「親切な人」が彼を連れ戻そうとするからだ。
そうして様々な事柄を学んだ。
格上のモンスターとの戦い方。
悪辣な罠の見分け方。
あるいはダンジョンによる特性の違いと、そこから導き出される傾向。
なによりも、「悪人」の見分け方を。
職業として、あるいは心底からの性質としての「悪人」は滅多にいない。そんな人間がいれば排除をされる。結束して戦わなければならない場面で邪魔する人間は致命的だ。
だから、ほとんどの場合、悪人とは状態を指す言葉だった。
飢えてしょうがない者の前にパンがあれば、奪って食う。
金に困っている者の前に金塊の入ったバッグがあれば、どれほど真面目な人であっても盗む。
あるいは、それほど不自由していないとしても、あからさまに初心者丸出しの子供の冒険者がいれば、ちょっかいをかけてやろうとする――
「中級ダンジョンか……」
複数階層となり、部屋数としては総数80を越える。
ジャングルが展開されている地上階層と、隠された地下への通路が組み合わされている。
ここまで大きくなると、「冒険者が戻ってこない」ことなど日常茶飯事だ。
哀れな侵入者を飲み込むのを常態とするのが中級ダンジョンだ。
特に、魔都圏内ではありふれているが地方ダンジョンでは見かけない魔法具に身を包んだ子供など、格好の標的となる。
ここでもアイゼンは、当然のように返り討ちにした。
皮肉というか当然というか、その祝福が役に立った。
アイゼンは魔都圏内で過ごす最中、ほとんど常に悪意に囲まれていた。
多種多様なそれらを捌く経験が、先手を取ることを可能にした。
具体的には後からついて来る冒険者に向けて、こっそりと隠し持っていたワインを振りかける罠を作成した。
ロープをつかった簡単なものだった。
初心者でもかからないような罠にかかったのは、完全にアイゼンのことを舐めていたからだろう。
激昂した彼らはアイゼンを追いかけ、そしてひどい目にあった。
発酵の進んだワインは半ばビネガーだ。
そこに蜂蜜もいくらか混ぜていた。
そうしたものは、昆虫や虫の大好物だった。
地上階層はジャングルであり、虫たちからすれば、追跡者の彼らは生きて動く餌場だった。
彼らはしばらくの間、虫人間のような姿でうろつく必要があった。
アイゼンを非難するものも中にはいたが、大半はその行動を受け入れた。追跡者たちが当然行うべき虫対策を取らずにいたことを非難する者すらいた。
魔都外部において重要なことは正しいかどうかではなく、「危険に対処できるかどうか」だった。
アイゼンは、それが可能な冒険者であることを示したのだ。
+ + +
彼の青春はこの中級ダンジョンであり、ギャラールの街だった。
一般的な冒険者が忌避するジャングル型のダンジョンを根城に過ごした。
ここでの経験が、彼をさらに強くさせた。
単純な敵の強さだけではなく、過酷な環境下における過ごし方を学んだのだ。
そう、実のところダンジョンを攻略するとは、その大半が「いかに消耗なく移動するか」に当てられる。
その練達は勝敗に大きく寄与した。
もっともわかりやすい例で言えば、毒だ。
手足がほんの僅かにしびれてしまうものを受ければ、強敵相手の勝率を大きく下げる。
消耗せずに移動することは、優秀な冒険者の必須要素だった。
なにせ、ダンジョン内の活動の八割以上はこの移動なのだから。
この頃になると彼はバディを組んだ。
相手はピッツという、将来を嘱望された神官だった。
出会いのきっかけは、ギャラールの街にて一定年齢の子供を集めて祝福を与えているところを、目をまんまるにしてアイゼンが見ていたところだった。
アイゼンからしてみれば、それは信じがたい光景だった。
複数人の神官によって、一気に人々に祝福を与える。
子供たちは思い思いに「なにかに気づいた」ような顔をしたり、あるいは、なんの変化もないと首を傾げる者もいた。
それを「はぇえぇ……」という間抜け顔で見ていたアイゼンに興味を惹かれたピッツが、声をかけたのだ。
出会いとしては平凡だが、二人は気が合い、ついには一緒に冒険に出かけるまでになった。
ただ、このチーム結成には相当の反対があったと言われている。
魔都部圏内においては邪教とされたそれは、ここでは主流派だった。
むしろ、彼らが「魔都民たちを目覚めさせる」ために送り込んだのが、邪教徒と扱われた者たちだった。
その恩恵に与りながら、恩を仇で返すように壊滅の一助となったアイゼンのことを、彼らは決していい目では見れなかったのだ。
なにせ、「退治」された者の中には、彼らの親友や身内までもがいたのだ。
遠く名前も知らない魔都民ではなく、眼の前のアイゼンこそが憎みやすい対象だった。
「ほう……」
その逆風を押してでも組んだのだから、それなりに気が合ったのだろう。
実際、彼らが主に探索したと言われるダンジョン箇所を見れば分かる。
そこは、非常に整えられていた。
否、「人の通路とモンスターたちの場所」を明確に区分けしたと言ったほうがいいだろう。
ジャングルの木々を切り分け、ぐねぐねと作られた通路はモンスターたちの生息地を縫うように作られていた。
冒険者である彼らがそこを定期的に行き来することで「それぞれの生息域を確立させ」た。
実におかしな話だが、アイゼンとピッツがバディを組んでここを冒険することによって、この一帯の環境は劇的に改善した。
希少な植物が多く生え、生態の均衡がほどよく取られた。
「アイゼンはバランス公平をを常に気にする――」
現在は神官長となったピッツは、アイゼンについてそう語った。
「それは我々にとって好ましいものもあれば、そうではないものもあった……」
五年ほどバディを組んだ後に、彼らは決定的に決別することになる。
+ + +
アイゼンの学習能力は、純粋な戦闘能力や魔術の行使、経路における過ごし方に加えて、神官能力にまで及んだ。
いつの間にか、神官が行う回復術を彼もまた行使することができるようになった。
それは――激震をもたらした。
通常それは神に祈りを捧げる対価として得られる力だ。
アイゼンにもそれなりに信仰心はあったようだが、あくまでも「それなり」だった。
その程度の祈りしか捧げていない者が手にできるはずがないものだった。
祈るからこそ、神は応える。
その大前提が崩れようとしていた。
才能の有無により、神は依怙贔屓をしていると示された。
そんなことが、認められるはずがなかった。
信仰を盗んだ――
そのように非難するものが増えた。
送り出した名誉あるギャラールの神官たち、本来は彼らが得るはずだった栄光をアイゼンが奪ったに違いない。
なんと恥知らずなことだろう。
決して許せない。
アイゼン・アーベラインは悪魔である。
そのように噂する神官が後を断たなかった。
それでも、ピッツは彼とバディを続けた。
そのような噂など気にするなと言ったが、アイゼンはただ不思議そうな顔をした。
彼は心底それは「どうでもいいこと」だったのだ。
彼らの亀裂は別のところにあった。
「モンスターには、違いがある」
ある時、アイゼンが言ったのだそうだ。
「だったら、ひょっとしたら――」
その後に続く言葉を、ピッツは許すことができなかった。
そのようなことをしてくれるな、いや、叶うならばそう思うことすらやめてくれと懇願した。
アイゼンは首を振った。
「それはできない、今でも思うことがある、もし、違っていれば、あるいはもし――」
アイゼン・アーベラインは悪魔である。
それは嫉妬混じりの言葉だ。
日々を真面目に信仰しているはずの自分たちよりも強い回復能力を行えるアイゼンを否定するための言葉だ。
ある種の揶揄であり、悪口でしかない。
決して「本当にそうかもしれない」などとは思ってすらいなかった。
悪い奴だから貶めて良いという言い訳にすぎない。
だが、この時の神官ピッツは明確に定めた。
アイゼン・アーベラインは悪魔であると。
このままこの世に放っておいてはいけない存在であると。
それは、良いやつであること、親友であること、恋人であることよりも重かった。
+ + +
領域を縫うように進む先に、大きな広間がある。
ぽっかりと開いた領域は、アイゼンとピッツの二人が戦った痕跡だ。
深く穿たれた穴は、地下階層すら貫通しさらに下にまで届いている。
すり鉢状というよりも凹状の形のため、大半は平坦だが、その平坦も一旦は焼き尽くされ、硬く均されている。
今では冒険者たちの一時的な休憩所として活用されているが、それでも中央の凹みには近づかない。
そこから地下階層へのショートカットにしようとする案もあったが、未だに実現していないのは、それだけの忌避感があるからだ。
たしかに、どこか異様な痕跡だった。
これはアイゼンが、神力と魔力を融合した力を使用したためだと言われている。
神と呼ばれる上位階層とのリンクを行い、力を行使したピッツに対抗するためにそれを行った。
その結果として、底が見えぬほどの破壊痕を作り出したが、「この程度の被害」で済んだことは幸いだった。
その力は未だに残留し、人も魔も植物ですらも寄せ付けぬ環境を作り出した。
「お願いだ、行かないでくれ。ここにいてくれ」
互角の衝突を叩きつけた後で、ピッツはそう言ったそうだ。
「できない」
アイゼンは首を振り。
「けど、この力は、もう二度と使わない。これは、駄目だ」
そう言って別れた。
このときに、直感的に把握したのかもしれない。
二種の異なる力を過度に混ぜ合わせれば、誰も望まない悲劇を起こすことを。
立ち去るアイゼンの背中を、ピッツはただ見送った。
以後、どれほどの危機に陥ったとしても、アイゼンがこの力を使ったことはない。
アイゼンはこの地を離れた。
行く先は、大迷宮ニヴルだった。
現存する中でもっとも深いダンジョンだ。
そこへと行き着く間にアイゼンはいくつかのダンジョンを踏破していたが、ここで少し面白いことがある。
徐々に、その破壊の痕跡が小さくなっているのだ。
通常、ダンジョンボスを踏破するほどまでに行けばその痕跡が残される。
ダンジョンのボスとはそれほどまでに強い相手であり、人は全力で挑戦しなければ越えられない。
しかしながら、一つ二つと近づくほどに、その戦った跡はわからなくなった。
それだけアイゼンの力が増したこともあるだろうが、それだけでは説明がつかない。
他から排斥されることが常であったアイゼンは、冒険者としても異端の道を歩もうとしていた。
+ + +
魔都において政治的な隆盛が繰り返されていた。
その中でもアイゼンの残した痕跡は、実のところ大きかった。
祝福を受けるだけで、50対1の戦力差を覆した。
魔都の外にウヨウヨいるこの祝福者を排除しなければ、安心して過ごすことなどできない。
我々で、彼らを潰さなければ。
そのような主張が主流となった。
彼が強かったのはダンジョンに籠もって鍛えたからであり、祝福を受けてすぐに強化されたわけではないとか。
全員が戦闘能力を上げる祝福を持つわけではない、むしろ大半が平和な祝福だとか。
危険だと思うから相手を殺していいなんて理屈はない、などという意見は一蹴された。
怖かったのだ。
あれは、とてもとても怖いものなのだ。
あんなものは人ではない、祝福は人間を怪物化させる。
今すぐにでも、排除し、消し去り、この世から根こそぎ抹消しなければならない――
かつて、集団でアイゼンをリンチしようとした首謀者はそう吠えた。
その声は真に迫ったものであり、切々と訴えるものがあった。
本人だけが信じる真実を、集団に感染させたのだ。
部分的に正しいからこそ、人々はそれを信じた。
民衆を狂奔させた。
すべての祝福者は、死ななければならない。
ただし彼らは、根拠のない恐れを抱く一方で冷静でもあった。
戦力差が明確にあることを理解していた。
かつての英雄願望の50人集結とはその点が違った。
だからこそ、より多くの人々を巻き込むことに腐心した。
祝福者への虐殺を忌避するものには、それ以外にもダンジョンの脅威もあるではないかと訴えた。
この対処のために戦力を整えることは、決して悪いことではない。
我々は防衛機能を軽視しすぎたんじゃないか?
一般の人々にはアイゼンの例を持ち出し、その危険性を訴えた。
あなたの子供が、いつ邪教徒の手により祝福を受けるかわからない。
過去に身近でおきた実例がある、二度目三度目がないと、どうして言える?
大量生産、大量消費は経済的なチャンスでもある。
関係ないと見過ごすのは、あるいは反対をする立場を取るのは悪手じゃないか?
そう、侵略は関連企業にとっては金になる――
そうして体勢が整えられた。
支持と金銭の後に求められたのは装備だった。
祝福を持たないただの人間が、異常な力を持つ者たちに対抗する手段の構築だ。
魔都民が無為に死ぬことを、誰も望まなかった。
攻撃を弾き返す防御能力、毒や状態異常にかからないようにするための防護、精神的な操作に対抗するための心理障壁。
それでいて筋力増強や反射神経の鋭敏化などの回復や補助だけは通し、それぞれの兵科に合った武具を調達し、この数を揃える――
それは、中世の鎧をバージョンアップさせた形となった。
人によってはパワードスーツとも呼んだだろう。
それを一万体、用意した。
魔都の外へと侵攻するために。
+ + +
そうした動きをアイゼンが知っていたかどうかはわからない。
だが、彼はまっすぐ大迷宮を目指した。
あるいは、心のどこかで把握していたのかもしれない。
魔都の人間たちは、遠からず破裂すると。
閉じ込められた人間は無意識化でストレスを溜める。
多くの動物がそうであるように、あまりに過密な人口環境は自滅を誘う。
ダンジョンにおける氾濫――過密化したモンスターたちが一斉に外へと溢れ出す現象が、魔都でも起きると睨んだ。
実際、事態はそうだと言っていい。
大迷宮ニヴルの部屋数は実に6500を越え、それらが複雑に連結されていた。
階層は100を越えると言われるが確実ではない。
最難関のダンジョンであり、同時にどうしようもないほどに深い場所だ。
そう、ダンジョンにおける大半は移動に当てられる。
その移動こそが大きく立ちはだかった。
通常のダンジョンアタックのように、物資を整えて行く方法ではとてもではないが立ち行かない。
ダンジョン内で生活を続ける方法が求められた。
そして、そうした「学ぶ」ことに関してアイゼンは誰よりも得意だった。
大迷宮とはいえ多くの人間が挑戦する場所でもあったため、上部におけるアイゼンの痕跡は残されていない。
だが多くの時間をここで過ごし、いろいろと試していたようだ。
水の確保をどうするか。
寝場所をどのような位置に置くべきか。
夜間の襲撃に対処するための方法論はなにか。
食料源として狩れる対象はどのようなモンスターか。
学習しなければならないことは膨大にあった。
それらをアイゼンは順調にクリアした。
しかし、それでもアイゼンはここでも排斥された。
「あんな馬鹿な奴、オレは他に知らないね」
当時からいた古参の冒険者から、愚痴まじりの話も聞いた。
「たしかに、たしかにな? あいつは英雄かも知れないぜ? だけどよ、普通は考えないだろ、やろうとすらしないだろ、それを可能にする奴がいるとすら思えねえ」
きつく目を閉じ、酒を呷った姿は、未だにその現実を認められていないようだった。
「モンスターを仲間に、大迷宮に潜ろうとかよぉ……」
+ + +
アイゼンがどうしてそれを行おうとしたかはわからない。
いや、あるいは最初はそんなつもりはなかったのかもしれない。
その相手だったからこそなのは、確かだ。
大迷宮の第3層、まだ上部層と言って良い位置にそのモンスターはいた。
通常は集団で徒党を組むはずの、弱い敵だった。
しかしそれは単独で、歴戦の風格を醸し出していた。
コボルトだった。
アイゼンは思わず武器を落とした。
コボルトの方は不審そうに構えた。
彼からすれば、その「構え」はとても見慣れたものだった。
何度も戦いを続ける内に、自然とそのスタイルへと収束した。
初級ダンジョンのボスの、その姿にまったく瓜二つだった。
モンスターが倒された後、いったいどうなるかはわかっていない。
ダンジョン内では同一の個体が記憶を保持したまま復活する。
だから、魔素として変換されたそれがどこか別の場所で復活することも、ないことはない。
だが、それは可能性としては極小以下だ。
通常であればあり得るはずのない事柄だった。
だが、アイゼンからすれば、そうだとしか思えなかった。
その魂が、そこにあった。
三日三晩、戦いながら口説き落としたと伝えられている。
最終的にはほとんどコボルトの側が根負けする形になった。
モンスターを倒さず仲間にするという経験を、彼は得た。
「どういう理由なのかは知りません」
そのコボルト氏に話を聞くことができた。
「けどね、あそこで逃げて巻いても、また追跡されると確信できたんです」
ため息をつく姿には、知性を感じさせた。
小柄で犬の頭部を持っているが、細かい所作は力を伺わせる。
「なぜかって? あの目ですよ。なんぜあんなに切なく親しげな目をモンスターに向けたのか、意味がわからない」
それでも同行を許可したのは――
「繰り返し言うんですよ、もう二度とお前を殺さない、殺したくないんだって。正直に言えば、少し怖かったですよ」
目を閉じ、酒を呷るように飲んでいた。
その姿は、けれど、どこか嬉しそうにも見えた。
「それでも、戦いたくないと、大切にしたいんだと、そう言われたことは初めてだった。だから、飽きるまでは付き合ってやろうと、そういう気まぐれを起こしました」
このつながりは今でも続いている。
+ + +
アイゼンのダンジョン探索が加速したのは、この「モンスターを仲間にする」という手段が一因にあったことは間違いない。
モンスターとは、言ってみればダンジョンにおける原住民だ。
そこでどのように過ごすのか、どのように生存するか、どんな人間よりも知悉している。
最良の水先案内人を彼は得た。
ダンジョンを下へ下へと潜るたび、その階層に詳しいものを仲間にした。
それは一時的な案内役としての繋がりもあれば、最後までついて行く頼もしい相手もいた。
強くなる、ということに関して言えば、アイゼンについて行けばそれが叶うのだと気づいたものが、自ら参加希望した例すらあった。
この頃になると、どうやらダンジョン内でもアイゼンのことが噂になっていた。
そう、強くなったのだ。
もちろん全てのモンスターがそうではない。
誰もが戦いの才能を持っているわけではない。
しかし、中にはそのようなモンスターもいた。
かつてアイゼンは初級ダンジョンでコボルトと戦った。
そのコボルトは、他ダンジョンのものと明らかに違った。
中級ダンジョンにてピッツと仲違いした。
ピッツからすれば、アイゼンのアイディアは許しがたいものであり、実行すれば悪魔として扱わなければならないものだった。
そして上級ダンジョンにて、アイゼンはそれを行った。
アイゼンは神官としての能力も得ていた。
そう、仲間となったモンスターに、彼は「祝福」を施したのだ。
これにより、彼らは才能を開花させ、さまざまな能力を発揮した。
近接戦闘能力。
棍棒の最大ダメージを与えるコツ。
魔術適正。
魔力の拡大。
あるいは転ぶたびに小銭を拾う祝福などだ。
魔都において忌避され、否定されているそれが、ここでは盛大な喜びとなった。
アイゼン一行の戦闘力は大幅に増大した。
同じ階層の同じモンスターであっても大幅に超越した。
子供の頃にアイゼンが50対1を覆したような有り様となった。
そして、それだけであれば、実のところ大した問題ではなかった。
所詮はただの戦力増強だ、一時だけで終わる。
ただ強い戦力のことを指して悪魔とは呼ばない。
そんなことのためにピッツも、殺し合ってまでの否定をしなかった。
「あ、できた」
問題は、その開花させた才能の中に、「神官能力」が含まれていたことだった。
他へ「祝福」を行うことができれば、もはやアイゼンは必要不可欠ではなくなる。
そうして続けていれば、また別のモンスターも神官能力に目覚める。
繰り返し繰り返し、神官の数は増え続ける。
大迷宮ニヴル内だけではなく、他にも波及しかねない。
すべてのモンスターが祝福を得る――
紛れもなく、モンスター種族の改革だった。
神と呼ばれる上位存在は、人間とモンスターとの間に違いを見出すことはなかった。
すべての命を平等に扱ったのだ。
だが、アイゼンが最初に仲間にしたコボルトがその能力に目覚めたことは、何らかの因縁を感じさずにはいられない。
以降、ニヴルにおけるモンスターの知力と実力は大幅な上昇を迎えた。
+ + +
「本当に、いつの間にか変なことになってたよ」
長くニヴルを根城とする古参冒険者は、当時のことを振り返って言う。
「勝っても負けても恨みっこなし、モンスターと戦う時の冒険者の心意気ってやつを、オレ達は持っていた」
手のひらを広げた。
「まあ、言い訳だ。アイツは強い奴と戦った、最後の最後まで勇敢に。だから復讐なんてダセエ真似すんな、そんな暇があれば宝求めて迷宮潜れ、もっと強いモンスターを倒して見せろってな、だがな――」
だが?
「それを、モンスターの方まで言い出すのは、違うだろ……」
いつの頃からから、モンスターが出会い頭に彼に向けて言ったのだそうだ。
――やあ、久しいな! 前にオレを殺して以来か! 此度も存分に戦い合おうではないか!
「やりにくいなんてもんじゃねえよ、ただの敵として見てたやつが、いつの間にか友達みたいな顔すんだぜ? オレは、オレ達は、そんな風に戦ってたわけじゃねえよ……」
酒を呷った。
その顔の赤色は、相当根深く張り付いている。
「冒険者の心意気ってやつが、どっか行きやがった。これは倒していい敵かどうかなんて、イチイチ考えたくもねえ。それは――外で戦争やらかしてる連中となにも変わらねえ」
あなたにとってニヴル迷宮は、もう冒険する場所ではなくなった?
「ああ、その通りだ。少なくとも、こっちにトドメを刺す寸前で「ああ、そういえばお前たちは復活しないのだな、次を期待する」だなんて言い出すモンスターのいる場所に行くのは、もう冒険じゃねえ」
「まあ、そう言うな友よ」
「うるせえ、人の酒を飲んでんじゃねえよ」
「はっはっはっ!」
古参冒険者の肩を叩いてるのはライオンの頭を持つモンスターだ。
先程から隣で酒を同じように呷っていた。
最近では、このような光景も珍しくなくなっている。
迷宮が制覇され、モンスターへの縛りが無くなったからだった。
+ + +
アイゼンが最下層に到達する頃には、すでにもう軍団に近い有り様となっていた。
相対しているのは巨大なボスだった。
モドグンと呼ばれているそれは巨体にふさわしい声量で聞いた。
「何用か」
「祝福を受けませんか?」
ある程度は理性的だったのだろう。
モドグンは彼の話を聞き、その上で首を振った。
「私はこの地に封じられた。その怨みは深い。いまさら神とやらの慈悲にすがりつくつもりはない」
「神を利用するとは思えませんか?」
「私自身を騙せと? それは己を越えるのではなく、己を欺いているのだ。最大の困難より目を背ける生き方だ」
「なるほど」
アイゼンは、このモドグンに敬意を持ったと伝わっている。
それは、魔都の人々とは正反対のあり方だ。
「ならば、あなたを越えます」
「そうだ、今、この場において、私こそがお前の最大の困難だ」
巨人はその身を起こし、莞爾と笑った。
理解者へと向ける笑みだった。
その戦いの詳細は、わからない。
残るものが失われているからだ。
大迷宮ニヴルの最下層は丸ごと消失している。
戦いに参加した大半のものも、共に消え去っていた。
ただの人間であるはずのアイゼンが、どのようにして越えたのか、それもまた不明だ。
たしかに神力と魔力の融合を使った様子はない。
特有のおぞましい感触は残されていない。
純粋な力の衝突のみが残され、いまだに残存していた。
それは、その痕跡は、まるで巨大な自然現象の痕をみているようだった。
ニヴル最下層手前より下を覗き込めば、それがわかる。
茫漠たる白ばかりがある。
未だに紫電を散らし、力が充満している。
神がかつてそこで戦ったのだと言われれば、私は信じる。
「悔しかったですよ」
他といっしょに居残りを命じられたコボルト氏はそう述べる。
「なによりも悔しいのは、十回層も下の戦闘余波を感知しただけで、私にはそれがついていけない戦いであることを理解したことです」
ダンジョンボスは通常、倒したところでしばらくすれば復活する。
同じ記憶、同じ個性のままで。
しかし、今に至るまで大迷宮ニヴルのボスであるモドグンが復活したとは伝わっていない。
「そうでしょうね」
コボルト氏にとってそれは、不思議でもなんでもないことのようだ。
「声が聞こえたんです。とても美しく、おぞましく、そして、楽しそうな笑い声だった」
モドグンは、満足して逝ったのだ。
+ + +
魔都の尖兵が目指す先は、かつて邪教徒を送り込んだ場所であり、アイゼンが青春を過ごした場所、ギャラールだった。
遠く離れているからこそ手出しができなかったが、これだけの戦力を整えた今となっては相応しい「制覇目標」だった。
形だけでも文明的であろうとしたのか降伏するための条件を突きつけた。
それは、土台無茶な要求事項だった。
宗教の断絶、祝福を行うことの撤廃はもちろん、祝福者の絶滅も条件にあった。
それは、言葉を飾らずにいえば虐殺の宣言だった。
どうやら魔都圏の人間は、「住人の全員が祝福を受けていて当然」という状況を想定すらしていなかったようだ。
彼らは魔都外の情報を徹底的に軽んじた。
無理解を変えることのないまま、傲慢な軍団は突き進んだ。
ただ、その技術力は確かだった。
黒い巨体の集団が、通る経路のすべてを踏み潰し、ただまっすぐに行進する。
それはさながら黒い運河だった。
どのような反抗も、どのようなモンスターも、どのような地形もものともしない。
そして、どのような相手であれ容赦なく殺した。
すべての祝福者は殺さなければならない。
魔都の外とは、その祝福に溢れた異端の地だ。
我らがそれを清めなければ――
ただし、その進行速度はあまり速くはなかった。
魔都の外で食料を得るなど言語道断であり、水ですらも汚染されているに違いない。
定期的な補給を必要とした。
その補給活動に手間取ったのだ。
パワードスーツによる護衛はされていたが、それでも本隊に比べれば防備は低い。
襲撃する側はこれを積極的に狙った。
最大の攻撃目標であるギャラールの冒険者ギルドや神官たちもこの後押しをしたと言われている。
「はて?」
「さあ?」
もっとも、それを公式に認めたことは一度も無いが。
そうした遅延行動は本来であればただの時間稼ぎにしかならない。
その進行を止めることなどできはしない。
最大の防御がすべてを無効化し、ただ歩いて進み続ける。
「そこまで」
アイゼンが立ちふさがるまでは。
+ + +
ギャラールに到着する手前、ブルー台地と呼ばれる場所で相対した。
魔都の集団はほとんど数を減らさず一万の兵力を抱えたままだ。
その一方で、アイゼンたちの集団はモンスターだらけではあったが数は2000程度だった。
多種多様な集団の様子に目をむいたものの、明確な戦力差を確認し、首謀者は顔を歪めた。
歓喜の笑みだった。
ああ、アイゼンは今や、こんなにも弱くなってくれた。
「久しぶりだなアイゼン! 今すぐ頭を下げろ、地面に埋まるほど深く! そうすれば楽に殺してやるぞ! これは、魔都民からお前への最大の慈悲だ!」
「引け、後悔したくないなら」
「なあ、どういう気持ちだ、どんな気分だ、教えてくれよ。今やお前は狩られる側だ。ああ、やっぱり俺は間違ってなかったんだ、今のお前を見れば誰だってそう思う! お前はあの時、死ぬべきだったんだよ!」
「……そうか、たしかお前、あの時に真っ先に逃げた奴だったよな?」
「――――死ね、撃て! 嘘つきのあいつを殺せ!」
喚く声に辟易しながらも、軍勢は歩を進めた。
いつものように、ずっとこれまでそうしていたように。
対するアイゼンの方は、非常につまらなさそうだった。
彼にとって魔都民は以前と変わらず、非常に退屈な敵だった。
たしかに、その防御力は卓越している。
適当な攻撃など弾き返す。
その対応力も相当のものだ。
あらゆる絡め手を跳ね除ける。
移動という作業を無理なく安全に行うという点において、その装備はまったく隙のないものだった。
しかし、そんなことなど気にせずに、いくつもの集団がアイゼンから別れて左右へと行った。
人数として不利な側が数を分けたのだ。
馬鹿なことをすると嘲笑し、これに対処することはなかった。
ただアイゼンだけを狙った。
背後から攻撃したとて、そんなものは豆鉄砲にしかならない。
やれることは足止め程度だ。
だからこそ、黒い軍団はただ前を行く。
すべてを踏みつけるために。
すべてを蹂躙するために。
それぞれの杖を、銃器を、魔機を構え、消し飛ばそうとし――
「なんだ……?」
地面が光った。
アイゼンが分けた集団が四隅に陣取り、ひとつの術を行使したのだ。
もちろん、そんなものは効かない。
効くはずがない。
そのはずだ。
いかなる攻撃も届くことはない強固な防備の鎧だ。
しかし、それは「攻撃」ではなかった。
止まることのはずのない黒い集団の行進が、止まった。
彼らの顔は覆われてはいたが、中には「なにかに気づいた」ような顔をしたり、あるいは、一体どうしたと不審がる者もいた。
「お、お前、まさか――」
一万人の半数、約五千人が「それ」を自覚した。
首謀者である彼も、今まで以上に説得ができると把握した。
アイゼンは、やはりつまらなさそうに仲間へと告げた。
「引くぞ」
「まさか、まさか、お前、アイゼンッッ!」
狂乱して向かおうとしたができなかった。
混乱した集団に阻まれ、それどころではなかった。
「悪魔が、この、悪魔がッッ!!!」
最初の静けさは徐々に騒がしくなり、その騒動は加速度的に大きくなった。
そう、彼らは気付いたのだ。
さきほどアイゼンたちが行ったことは、神官を四方に配置しておこなう大規模「祝福」であり。
今や自分たち全員が祝福者となってしまったことを。
全員がその才能を開花させた。
魔都民としてはふさわしくない、魔都との決別と受け取られる行動をした。
敵の策略だという言い訳も通用しない。
彼らが遠征の理由として上げたアイゼンは、望んで行ったわけではなかった。
祝福者を虐殺するための集団が全員、祝福者となる。
そう、彼らはもはや胸を張って魔都へと凱旋することができなくなった――
+ + +
この情報は、いちはやく魔都へと伝えられた。
なんとしても隠さなければならない情報は、冒険者ギルドを経由して大々的に伝達された。
討伐遠征隊、祝福者となるの報だった。
世論は割れに割れた。
やっぱり言ったじゃないかと訳知り顔で言うものがいた。
敵の策略でありこれに乗るべきではないと諭すものがいた。
俺達の税金は、彼らを祝福者にするために使われたと揶揄するものがいた。
とりあえず現政権を非難するものもいた。
こうした混乱を収めるものはいなかった。
それらの人材は遠征隊に参加していた。
ピクニックに行くだけで英雄になれるのだから、彼らが参加しない理由がなかったのだ。
そこに覆いかぶさるように、ニヴルダンジョンが「国としての独立」を宣言した。
使者として訪れたゴブリンの携える親書を受け取った者たちは、誰もが酷い冗談を見たような顔をしていたが、これを本当に冗談として廃棄するわけにもいかなかった。
知性と力を持ち、ダンジョンボスを取り除いた彼らは集団として結束を行い、一個の独立した勢力であると定義づけたのだ。
これを「知性のない烏合の衆」として扱うわけにはいかなかった。
突如として、「無限に戦力を湧き出し続ける国」が隣に現れたようなものだった。
下手をすればその牙がこちらに向けられる。
ニヴルを国として認めるかどうか、この決着はまだ付いていない。
冒険者ギルドは中立を宣言し、宗教団は断固とした否定を行い、商人ギルドは両手を上げて歓迎し、魔都は未だに結論を出していない。
ただ、誰もが認めざるを得ないのは、ニヴルダンジョンのモンスターたちは統制されている事実だった。
跳ね返りもいるが、それらはいち早く処理される。
よほど酷いものとなれば監獄へと繋がれる。
殺し殺されることがダンジョン内での復活に繋がる場所であるにもかかわらず、ルールがきちんと機能していた。
実際にニヴルに訪れた誰もが、時代の変化を肌で感じた。
そして、時と場合によってはモンスターが敵対者に「祝福」を与えることもあった。
この騒ぎにより、遠征隊が祝福者となった件も有耶無耶となったが、参加した彼らの存在は以後、非常にちいさなものとなった。
歴史という舞台から姿を消した。
あるいは、そうした騒ぎの行く末まで含めたものがアイゼンの策略であったのかもしれない。
+ + +
なぜこうしようと思ったのか、それについてアイゼン・アーベラインに直接聞く機会があった。
彼は今もさまざまな場所へ赴き、ダンジョン攻略を続けている。
モンスターたちに祝福を与え続けている。
「そうですね……」
目を閉じ考える彼は、どこにでもいる普通の人間に見えた。
その装備、あるいは立ち居振る舞いに特別は見い出せない。
違いがあるとすれば、その周囲をモンスターたちが当たり前の顔をして行き来していることだけだろう。
「選択肢が二つしか無いのが、つまらないからです」
二つ、ですか?
「ええ、魔都の人間として過ごすか、外でモンスターと戦うか、その二択しかなかった」
私は、正直に言えば意味がわからなかった。
現状でも、そう大した差はないのではないか?
「それぞれの場所は独立し、それほど頻繁に行き来する必要はありません、けれど、選択できたっていいじゃないですか」
あなたは魔都から外へと出ました。
それについて言っていますか?
「少し違いますね、それ以外にも、魔都民がモンスターとなる選択肢があってもいいと、そう言っています」
私は、その言葉にすぐに返答ができなかった。
だが、ああ、考えてみれば彼は常に人よりもモンスターに心を寄せていた。
親友と呼べる相手はコボルトであり、人は常に彼を排斥した。
多くの仲間と最大の敵と戦った際にも、その隣にいたのはモンスターだ。
では――
「もちろん、現状では難しいですよ? けれど、このまま魔都、地方、ダンジョンのそれぞれが独立し、技術と知識を蓄えたなら、そうした選択もできるんじゃないですかね」
人間からモンスターへの転換。
どのようにすればそれが叶うのかはわからない。
しかし、私にはアイゼンの言っている言葉がただの夢物語だとは思えなかった。
「まあ、こんなことばかりやろうとしているから、僕は悪魔と呼ばれているんですよ」
それは、たしかにそうだった。
彼はまだ冒険を続けている。