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「お邪魔しますわよ」
「クロエ!? どうしたんだ急に……」
ユーリ様に過去の夢を見せられてから、わたくしは北の国の王城、バルダーの元を訪れていた。
「少し、相談したい事がありまして……というか、あなたまだこの地下で暮らしていたんですの?」
「ここは静かで、考え事をするのに丁度いいんだ」
バルダーはそう言いながら、わたくしの為に紅茶を準備してくれた。お互い椅子に座り、向かい合わせになった。
「それで、相談とは?」
この男の声は相変わらず心地いい。宝物庫に盗みに入り、衛兵に追われていたわたくしを助けてくれたオーガの男と、10年ぶりに鉱山で偶然出会い、そこでようやくお互いの名前を知ったのは、何年か前の話だ。
「バルダーは……ユーリ様とやりたいと思いませんの?」
「ぶはっ!!」
わたくしの質問に動揺したのか、バルダーは思いっきり紅茶を噴き出した。
「ちょっと! 汚いですわよ!」
今回は距離があったから体にはかからなかったが、わたくしの周りにいる男は、よく液体を噴き出すと思った。
「す、すまん……」
バルダーは顔を赤らめながら、噴き出した紅茶を腕で拭いた。
「バルダーは、まだユーリ様の事がお好きなのでしょう? ユーリ様を手に入れたい……やりたいと思いませんの?」
「いや、うん、まぁ好きは好きだが……彼女には伴侶がいるし、その、彼女とどうにかなりたいという訳では……」
バルダーはしどろもどろに説明し、最終的には恥ずかしそうに口元を手で覆った。
「俺は……彼女にずっと笑顔でいて貰いたい」
「え?」
「優しい彼女が、幸せそうに笑ってくれたら嬉しくてホッとする。たとえその笑顔を引き出したのが、俺じゃなくとも」
「……あなたって……本当にお人好しですわ」
わたくしがそう言うと、バルダーは困った様に笑った。
「お前はどうなんだ、クロエ」
「え?」
「お前は、使い魔としてユーリに忠誠を誓っているだろうが……それ以前にユーリの事が好きなのだろう?」
「わたくしは……」
思わず、口を噤んだ。
「どうした? ……“相談”とは、その事か? 俺で良かったら話を聞く」
バルダーの優しい声色は心を溶きほぐす。わたくしは、ユーリ様に魅了されていた事、それを知ってわたくしがどうしたいのか決めろと言われた事を話した。
「わたくしがユーリ様を思う気持ちは、魅了のせい。わたくしは……ユーリ様の好きな所をたくさん挙げられますが、それが本当に自分の意思なのかどうかわからなくなってしまって……」
「それが……答えなんじゃないのか?」
「え?」
バルダーは、山吹色の瞳でわたくしを見据えた。
「魅了は、好きになるきっかけだっただけで、それだけがお前を支配してる訳じゃない。“魅了”は“使役”とは違う。お前は、ユーリの言う事全てを肯定している訳じゃないだろう?」
「それは……そうですわね……」
「魅了されていたと気付いた今、普通なら我に返り、その者へ何の感情もなく離れて行くものだ。でもお前はそうじゃない。それは、お前自身が自分の意思でユーリを好きになってる証拠なんじゃないか?」
心の中に、何かがストンと落ちた。
「ユーリは、きっとお前を大事に思ってるからこそ、お前が自分で道を選べるように過去を見せた。けどお前はそれを突き放された様に感じ、逆に寂しかったんだ。その気持ちは、ちゃんとユーリに伝えた方がいい」
「バルダー……あなたって……本当に、相談のし甲斐がありますわ」
「そうか? お前の心が軽くなったのなら、よかった」
その時、部屋の扉の向こうから、従者らしき声が聞こえた。
「バルダー様、面談の準備が整いました」
「ああ、今行く」
「面談?」
「ああ。実は、国で学校を新設する事になって、入学希望者の面談を随時行ってるんだ」
「そうだったんですのね。お忙しい中、わたくしの話を聞いてくれて感謝しますわ」
そう言って例の倉庫に向かおうとしたが、バルダーがわたくしを引き留めた。
「俺も中庭で面談をするから、途中まで送る。ちゃんと門から出てってくれ。お前は俺の友人だからな」
「それもそうですわね」
バルダーと共に城の中を歩き、中庭に差し掛かった。これから面談をするという親子が、中庭の東屋にいるのが見えた。
目をキラキラさせながら、お城の庭に釘付けになっている子供を、両親が優しく見守っていた。金髪にサファイアの様な瞳をした美しい母親と、銀色の髪に灰色の瞳の父親……。
「あの父親は……“呪われた子”として辛い思いをした時期もあったそうだが……あの笑顔を曇らせない為にも、俺はこれからも助力したいと思っている」
そう言ってわたくしを見下ろしたバルダーは、一瞬息をのんだ。わたくしが泣いていたからだろう。けれど彼は何も言わず、優しくわたくしの背中をさすってくれた。きっと、悲しくて流している涙ではないと気付いたからだ。
『優しい彼女が、幸せそうに笑ってくれたら嬉しくてホッとする。たとえその笑顔を引き出したのが、俺じゃなくとも』
バルダーが言った言葉に、わたくしは“お人好し”だと言ったけれど、あの銀髪の父親の笑顔を見た今、バルダーと同じ気持ちだった。
彼に、その名の通りの“祝福”が、この先もずっと訪れますように――――。
「ありがとうバルダー。わたくし、今すぐユーリ様に会わないと」
「ああ、またいつでも訪ねてくれ。今度はちゃんと門から」
「ふふっ、承知しましたわ」
バルダーに別れを告げ、わたくしはユーリ様の元へと向かった。
「ユーリ様ぁ!!」
「ひゃあ!!」
突然目の前に現れたわたくしに、ユーリ様は驚いた。
「申し訳ありませんユーリ様……。ユーリ様に早く会いたくて、召喚の扉を使い飛んできてしまいました」
「あ、う、うん、だいじょーぶ」
ユーリ様は驚いて鼓動が速くなった胸を押さえながら、わたくしを見つめた。
「えと……それで……」
不安げにわたくしを見つめるユーリ様に、わたくしはひとつ息を吸ってから問いかけた。
「ユーリ様、ユーリ様は、わたくしの事が好きですか?」
「えっ?」
ユーリ様は一瞬目を見開いたけれど、すぐに優しい表情になった。
「好きだよ」
たった一言だったけれど、わたくしの胸はキュウと締め付けられた。
「わたくしは……大好きです!!」
「うっ、うん、ありがとう……」
「だって、ユーリ様は……可愛くて、優しくて、思いやりがあって、わたくしの事を、すごく大事に思ってくれて……だからわたくしは、ユーリ様に自分で道を決めろと言われた時、凄く凄く寂しい気持ちになったんです!」
ユーリ様は、わたくしの告白を聞いてハッとした様だった。
「ユーリ様は……もしわたくしがユーリ様から離れると決めたら、それでもいいんですか? 本当に何も言わずに受け止め、送り出すのですか?」
「クロエ……」
「わたくしは、自分の気持ちよりも、ユーリ様の気持ちを尊重したいのです! ユーリ様が好きだから……ユーリ様に、ずっと笑顔でいて貰いたいから……! それが、わたくしの決めた道ですわ!」
ユーリ様の紫色の瞳が涙で潤み、開いた唇が震えていた。
「そばに……いて欲しい……」
ゆっくりと紡がれる、わたくしを必要とする言葉は、わたくしの存在を肯定してくれる。
「そばにいて、ずっと支えて欲しい……。クロエが好きだから……頼りにしてるから……私も、クロエに頼って貰える様に頑張るから……ずっと、一緒にいて欲しい……」
ユーリ様から発せられた消え入るような心の声は、わたくしを潤し、満たし、癒した。
「はい、ユーリ様。ユーリ様の仰せのままに」
わたくしはそう言って、ユーリ様の頬を伝う涙を拭った。
「ユーリ様がそばにいて欲しいと願う限り、わたくしはユーリ様から離れません。ユーリ様はわたくしにとって、とても大事な存在です。もちろん、生まれてくるこの子も」
わたくしは、ユーリ様の大きなお腹を優しくさすった。すると、ドンと蹴られた感覚が伝わってきた。
「……ママを泣かすなと叱られましたわ」
「……ふふっ」
ユーリ様は小さく笑って、自身の大きなお腹を見つめた。
「この子に……恥じない母親でありたいと思って、クロエに全てを明かす決意をしたの……。傷付けるつもりじゃなかった……。ごめんね、クロエ」
「まったくユーリ様は、いつもひとりで考え過ぎです! わたくしとユーリ様は一心同体なんですから、悩む前に相談してください!」
「……私って……何だかクロエに怒られてばっかりだね?」
「ええ、ユーリ様。わたくしが、魅了ではなく、わたくし自身の意思でユーリ様を大事に思ってる証拠ですわ!」
わたくしがそう言うと、ユーリ様は困ったような照れたような顔で笑った。わたくしは、我が偉大なる主にずっと笑顔でいて貰いたい。その笑顔を守る事が、わたくしの幸せに繋がっているのだから。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました!
クロエの過去についてはなんとなく考えてはいたのですが、タイミングを逃したままシュリの過去が始まってしまい、そのままエンディングを迎えたので、別にもういいかな……と思っていました。
けれど、“大人が読む本”の入手経路など、本編ではご想像にお任せしていた部分を確定したくもあったので、後日談として書かせて頂きました。
本編よりも切ない内容になってしまったような気がしなくもないですが、もし本編を読んでない方に興味を持って頂けたら、ぜひ“サキュバスに普通の恋愛は無理なんでしょうか”も読んで貰えたら嬉しいです。
鳥居塚くるり




