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北の国を去ってから10年程経ち、わたくしは相変わらず盗みをしながら生きていた。上位のスキルも覚え、盗賊として日々の生活を楽しんでいた。
そんなある日、とある町で身なりのいい獣人の子供が、夜、ひとりでいるのを目撃した。
(あんな子供が、なぜひとりで……?)
胸には高そうなブローチを付けていて、お金持ちの子供だと宣伝しながら歩いている様なものだった。わたくしはスキルを駆使して、その子供を尾行した。子供相手に慎重になり過ぎかとも思ったが、獣人はカンが鋭く鼻が利く。念には念を入れて、注意深くその子供を見ていた。案の定、子供のくせに大金を持っていた。わたくしは、今夜の獲物を彼に決めた。
その子供が泊まろうとしていた宿屋で、わたくしは困ったか弱い女性を演じた。部屋が空いていないから、一晩だけ一緒に泊まらせて貰えないかとお願いした。獣人の子供は警戒しながらも、それを了承した。
「本当に助かりましたわ。ありがとうございます。何かお礼をしなければなりませんね」
「……別にいーよ。気にすんな」
「そうはいきませんわ。そうだ! 膝枕なんてどうでしょう?」
「ばっ……! 何言ってんだ!」
獣人の子供は、赤くなって狼狽えた。
「ほら、わたくしを母親だと思って……甘えてくれて結構ですのよ」
「いやっ、だから何言ってんだ! オレはっ別にっ……!」
そう言いながらも、無理矢理頭を膝に乗せ、優しく撫でると子供は大人しくなった。
動揺した喋り口調と銀色の髪の毛は、わたくしを少し懐かしい気持ちにさせた。
しばらくすると、子供は寝息を立て始めた。
(さて……“お仕事”を始めますか……)
子供が持っていた荷物を物色し、金目のものを探した。その時、ベッドから唸り声が聞こえ、わたくしは思わず手を止めて寝ている子供に目をやった。
「うぅ……キー…ラ……」
(うなされているんですの?)
獣人の子供は、胸元のブローチを握りしめ、苦しそうに眉間にしわを寄せていた。
「ごめ…ん……ごめ……」
何か、謝っている様だった。一体この子供に何があったのだろう。この子供が、今一人でいる事に関係しているのだろうか。
(何だか……銀髪の子に宿屋で謝られると……妙な気分になりますわ……)
わたくしは、子供の荷物を丸ごと持ち上げた。
(早急にここを立ち去りましょう。宿屋の分のお金だけは残して、後は全部頂くとして……。この子供も、荷物とお金が無くなれば、すぐに自警団に通報するはず。夜のうちに、ここを離れた方がいいですわ)
そう判断し、わたくしは宿屋を後にした。
もうとっくに忘れたと思っていたのに、オレグの事を思い出し、逃げ出したくなった。今頃彼はどうしているのだろう。クララと……上手くいったのだろうか? あれからもう10年経っている。きっとふたりは結婚して、子供もいる幸せな家庭を築いているのだろう。
「もしかして、あの子供ってオレグの子!?」
そんな事を口走り、わたくしは頭を振った。
(そんな訳ないでしょーーーー! あの子は獣人だったじゃない! オレグとクララは人間ですわ!)
どうやら、だいぶ動揺しているみたいだった。お金を持ってるからという理由であの獣人を狙ったはずだったが、もしかしたらわたくしは、あの銀髪に触れたかっただけなのかもしれない。
わたくしはその日、思い出に苛まれ眠れない夜を過ごした。
それから何日か経ち、わたくしは森で、まだ若い銀髪の獣人の青年に因縁を付けられていた。
「金を返せ! お前が盗んだことはわかってるんだ!」
(何を言っているんでしょうかこの人は……)
「あの……何か勘違いをしているのではないでしょうか? わたくしは、あなたと今、初めてお会いしましたが……」
(たぶん……)
正直、色んな人から盗みを繰り返していた為、相手の顔などいちいち覚えていなかった。けれどこの銀髪を見て、わたくしは数日前の事を思い出した。
(もしかして……あの獣人の子供の血縁者?)
つくづく銀髪に縁がある。わたくしは、何とか誤魔化して切り抜けられないかと思ったが、次々と仲間がやってきて、どうにも逃げられそうになかった。
「何だか面倒くさそうですわねぇ……サッサと終わらせるとしましょうか」
わたくしは本来の姿に戻り、戦う事にした。
しかし獣人はやはり素早い。奥にいる金髪の男は魔力が高そうだし、前線に出てきたら厄介だと思った。
(こうなったら、このサキュバスの女を人質に取って優位に立つのが得策ですわ……)
わたくしは、銀髪の獣人を追って来たサキュバスの女に目を付けた。見た所、動きも鈍いしスキルを使う気配すらない。恐らくまだ若く、魔力の制御が出来ないのではないかと踏んだ。
そう考えていた矢先、サキュバスの女を捕らえられる好機が来た。わたくしは蛇の様な下半身で彼女を捕らえ、締め上げた。
本当に殺すつもりはなかった。少し脅して、逃げる算段がついたら解放するつもりだった。けれど、そのサキュバスの体が突然紫色に光り、わたくしは猛烈な睡魔に襲われた。
「何!? この光は!? 一体、何……を……か、体が……」
サキュバスが何らかのスキルを発動したのは明らかだったが、わたくしは襲い掛かる睡魔に抗えず、そのまま意識を手放した。
「ここは……どこでしょう……?」
気が付くと、わたくしは妖艶な雰囲気のする部屋のベッドの上にいた。人の気配を感じ、目を向けるとそこには先程のサキュバスの女がいた。
「な……何ですのここは!? これはあなたのスキルですの!?」
サキュバスの女はわたくしの問いには答えず、頬に手を添え顔を近付けてきた。
「……怖がらないで。私は……あなたに怯えたりしない」
「!?」
女は、いつだかわたくしがオレグに言った台詞を口にした。
「とても、寂しい目をしてる。貴方は、ずっとひとりで戦って来たのね……」
女はそう言うと、わたくしの頬にキスをした。
「な……何を……!?」
動揺するわたくしを女の紫色の瞳が捉え、目が離せなくなった。
「私は、貴方をひとりにしない……」
「あっ……やっ……!」
女はそう呟きながら、今度はわたくしの首筋に唇を寄せた。
(これは……サキュバスの“魅了”!)
サキュバスに、相手を魅了するスキルがある事は知っていた。魅了の方法は、相手に合わせ様々なやり方があると聞いた事があった。サキュバスは、それを本能で嗅ぎ分けるのだという。
このサキュバスの女は、わたくしの弱い部分を本能で嗅ぎ分け、そこを攻め蹂躙するつもりなのだ。まずいと頭ではわかっていた。けれど、気付いた時にはもう手遅れだった。
女の手が、唇が、吐息が、わたくしの心と体の弱い部分を容赦なく攻めた。
「あ……ダメ……ですわ、そんな……」
「私が……ずっとそばにいる……だから、だから私を……」
息も絶え絶えになりながらも、わたくしは襲い掛かる快楽に抗えなかった。
「私を、死ぬほど愛して」
「は、はい……ユーリ様……」
ユーリ様の紫色の瞳にわたくしが映り、わたくしは高揚感と幸福感に満たされていた。
わたくしが瞼を開けると、そこはユーリ様の自室で、目の前には耳まで赤くしたユーリ様が顔を手で覆っていた。
(ああ……目が覚めたのですわ……というか……)
「ユーリ様、大丈夫ですか?」
わたくしが声をかけると、ユーリ様は涙声で呟いた。
「わ、私……っ、ああああんないやらしい事をクロエに……!!」
どうやら、ユーリ様はわたくしをどの様な方法で魅了したのか知らなかったようだ。わたくし自身も、ユーリ様に魅了されたという事を、今の今まで忘れていた。元来、魅了とはそういうものだ。ユーリ様は毒で相手を魅了する事も出来るが、本来の魅了は死ぬまで解けない。というか、魅了された事に死ぬまで気付かないのだ。
「あの時のユーリ様は、そりゃあもう大胆で、わたくしが悶える様を愉しんでいるかの様に攻めて攻めて攻めまくって……」
「ややややめてぇぇぇ!!」
ユーリ様は赤い顔で耳を塞ぎ、ブンブンと頭を振った。本当にこの方は可愛らしい。こんな純朴なサキュバスは、きっと世の中にユーリ様だけだろう。
「それで……ユーリ様は、なぜわたくしが魅了されているという事を思い出させたのですか?」
わたくしがそう切り出すと、ユーリ様は困り顔のまま口を開いた。
「クロエは……あれからずっと、ずっと私のそばにいてくれて、助けてくれた。でも、クロエにはクロエの進みたい道……人生があったはず。だから……私が、クロエの人生を決めちゃいけない気がして……」
ユーリ様は少し唇を震わせながらも、真剣な表情でわたくしを見つめた。
「クロエが私を好きになったのは、クロエの意思じゃない。だから、魅了されてるって知って、本当はクロエがどうしたいのか、クロエ自身で決めて欲しい。どんな答えが出ても……私は受け止めるから」
わたくしが、どうしたいのか――――。
「……少し、考えさせて下さいまし」
「う、うん、もちろん……」
わたくしは、モヤモヤする気持ちを抱えたまま、ユーリ様の部屋を後にした。




