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街の本屋の中で、わたくしとオレグは、少し遠巻きにエロ本が置いてある棚を見ていた。
「オレグ……まだですの?」
正直わたくしはしびれを切らしていた。
「いや……うん」
オレグは“勇者シャルルの冒険”という物語の本を広げ、読んでいるフリをしながらエロ本の棚と勘定場をチラチラと観察していた。
「あとどのくらいこうしているつもりですの? いい加減覚悟を決めて欲しいんですけど」
「そうは言ってもだな、こういうのは適時適切があるんだよ。おれだって買うの恥ずかしいんだからな!」
わたくしはハァとため息をついて、エロ本の棚の方へ歩き出した。
「もうわたくしが買って来ますわ。どれを買うのか教えて下さいまし」
「待て待て! ここであんたが行ったら、まるでおれが買いに行かせたみたいだろ!」
「人にどう思われようと、どうでもいいですわ」
「あー、あんたはそーいう女だったな……」
わたくしの強行突破に覚悟を決めたのか、オレグは長い足でエロ本との距離を詰めると、一冊を手にし迅速に店主の元へと持って行った。
「まいど~」
今までわたくしたちのやり取りを見ていたのだろう、店主は「やっと買ったか」という様な呆れ顔で、わたくしたちを見送った。
「……ほらよ」
オレグはフゥとひとつ息をつき、買ったばかりの本をわたくしに渡した。
「ご苦労様。助かりましたわ」
「……じゃ、また」
“また”と言ったオレグだったが、一向に立ち去る気配がなかった。
道端に立っているわたくしたちを見て、通りすがりの若い男たちが何やらコソコソと話している声が聞こえた。
「おい、あれ……オレグじゃないか?」
「ホントだ。一緒にいる美人は誰だ? 物好きな女だな……」
「知ってるか? あいつこの前仕事場をクビになったらしいんだけど……クビにした店主が、その日ナイフで手を切ってケガしたって」
「マジか!? 完全にあいつの呪いのせいだろ!?」
わたくしは思わず、声がする方へ視線を向けた。すると、オレグがわたくしを自分の方へ引き寄せ、男たちの視線から隠す様にわたくしの前に立ち、噂話をしている男たちを睨みつけた。
「おい……こっち見てるぞ!」
「呪われる!」
オレグの視線から逃れる様に、男たちは逃げて行った。
「オレグ……」
「……やっぱり、あんたまで変な目で見られちまったな……ごめん」
オレグはそう言って、今度こそこの場を離れようとした。
「オレグ!」
わたくしはオレグの手を掴み、引き留めた。
「今日は……しないんですの?」
「……っ」
オレグはビクリと体を揺らした後、灰色の瞳をわたくしに向けた。
「ごめん、おれは……あんたを、満足させられないから……」
(ああ……また、そうやって謝るんですのね)
それでも彼の瞳は、“ひとりにしないで”と言っている様に見えた。
「……わたくしは、そんな事気にしませんわ」
わたくしはそう言ってオレグの胸に顔を埋めた。オレグの戸惑いが伝わってきたが、最終的に彼は、その夜もわたくしを抱いて眠った。
「持ってきましたわよ」
森にある城への抜け道を使い、わたくしは再び赤髪の男がいる地下へと来ていた。
「もう持ってきてくれたのか? ありがとう」
赤髪の男はそう言って、本を受け取って中味を確認した。
「“勇者シャルルの冒険”……? この本は頼んだ覚えはないが」
「それはオマケですわ。買う時に、関係ない本の下に忍ばせて勘定をしてもらうのが、エロ本を買う時の常套手段らしいので」
「そうなのか?」
「今度、自分で買う時に試してみたらいいですわ」
わたくしがそう言うと、赤髪の男は困った様に笑った。
「そういう訳で、盗品ではありませんからね」
「ああ、わかっている」
このオーガの男は、とても精悍な顔立ちをしていて、ガタイも良く強そうに見えたが、性格は温厚そのものだった。低くて少し鼻にかかった声は、聴いていると心が落ち着いて心地よかった。
わたくしは、なぜか自分の中の切ない気持ちを、この男に聞いて貰いたくなった。
「あなたは……“呪われた子”の言い伝えは知ってますの?」
“呪われた子”の話を切り出した瞬間、赤髪の男から、今まで感じた事がないような切迫した空気が流れた様な気がした。
「ああ……よく知ってる」
「北の国の者にとっては、あたりまえの言い伝えですわよね……。あなたも信じているんですの?」
「いや、俺は……その言い伝えを、払拭したいと思ってる」
その言葉を聞いて、わたくしは思わず嬉しくなった。
「あなたみたいに考えている北の国の人もいるんですのね。わたくしは北の国の者ではないですが、こんなくだらない言い伝えは、即刻排除すべきだと思いますわ!」
そう言った後、わたくしは少し俯いている男に自分の悩みを切り出した。
「実は……わたくしが好きになった人が……“呪われた子”なんですの……。彼は、そのせいでわたくしや、他に彼を大事に思ってくれてる人をも遠ざけようとする時があって……。わたくしは、彼を救いたいと思ってるんですの……。どうすれば、彼を……彼の心を救えるのでしょう……」
赤髪の男はわたくしの話を聞いて黙り込んでいたが、やがて静かに口を開いた。
「お前では……救えない」
「え……」
男は山吹色の瞳でわたくしを見据えた。
「“呪い”は、救うものではない。打ち勝つものだ。恐れや怯え、好奇の目に晒されても、本人が強い心を持って立ち向かわなければならない」
「そう……かもしれませんけど……でも……」
「お前の様に、救いたいと思ってくれる人がそばにいてくれる事が、強味にも弱味にもなる。だからこそ、どちらに転んでも揺るがない強さが必要になる。周りが変わらないのなら、自分が……変わるしかない」
男は、まるで自分自身に言っているかの様に強い口調でそう言った。
「あなたは見た目通り……やっぱり“強い”んですわね……」
この男に呪いが降りかかっても、きっと傷付きながらも立ち向かうのだろう。変化を恐れず、自分を変えるのは容易な事じゃない。けれど、恐れて立ち止まっていては、前に進めない。
「……本当は、そんな偉そうな事を言ってるだけで俺も…迷って……もがいているだけなのかもしれない……」
「え?」
赤髪の男が最後に呟いた言葉は、よく意味がわからなかった。けれど、赤髪の男と話をして、わたくしは自分の考えを見つめ直した。
きっとわたくしは、オレグを理解した様なフリをしているだけなのかもしれない。人々の好奇の目なんてどうでもいいと思っても、それは根本的な原因に目を瞑って、見ない様にしているだけ。
『呪いなんてありません!! オレグは私たちと同じです!!』
そう強く言い放ったクララは、きっと、呪いを払拭したいと言ったこの赤髪の男と同じ強さがある。
(クララ、わたくしは、あなたのような人が、オレグを支えてくれたらと思ってしまいましたわ……)
いつだかクララに言われた様な言葉を、わたくしも心の中で呟いた。
そしてそれから数日後、王都で凄惨な事故が起こった。
丸太を運んでいた馬車が荷崩れを起こし、通行人が何人か巻き込まれたというものだった。わたくしがその道を通りかかると、まだ丸太が散乱した状態で、地面に血だまりが出来ている様な場所もあった。相当酷い事故だったのだろう。現場はまだ混乱していて、野次馬も集まっていた。
「酷ぇ事故だ……」
「何でも、あのパン屋の可愛い子が巻き込まれたらしいぜ」
「え!? クララちゃんが!?」
「森に行く途中だったみてぇだ……。血だらけで、何やら男の名前を呟いてたって聞いたぜ。オレグ……とか何とか……」
集まっていた野次馬が言った言葉に、わたくしは思わず立ち止まった。
「今、何て?」
「は?」
「今、何ておっしゃいましたの!? 誰が事故に巻き込まれましたの!?」
「いや、ほら、角のパン屋のクララだよ。金髪に青い目の可愛い子……」
わたくしは、血の気が引いていくのを感じた。




