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「とは言え……」


わたくしは、王都の本屋で考え込んでいた。


(正直、男が何に興奮するのかわかりませんわ……。まぁ個人の趣味もあるでしょうけど、一般的なエロ本って、どういうものなんでしょう……?)


わたくしは、エロ本が陳列されている棚の前でしばし考えていたが、本屋の店主や客が興味深そうにチラチラとこちらを見ている事に気付き、息をついて何も買わずに店を出た。


(まったく……女性がエロ本を凝視してるだけで興奮するんですの? こっちは真剣に吟味しているというのに)


その時、丸太を積んだ馬車が目の前を通り過ぎた。


(オレグに、訊いてみようかしら……。昼間は、森で木を切る仕事をしてるって言ってましたわね……)


けれど、わたくしはなぜか足が前に進まなかった。


(本の事を訊くだけで、別に他意はないですわ)


そう考える意思とは裏腹に、あの時のオレグの優しく緩んだ瞳が脳裏にチラついた。


『いつでも訪ねてくれ。……待ってる』


オレグの言葉を思い出すと、胸がトクトクと音を立てた。同じ様な台詞を昨晩あのオーガの男にも言われたが、オレグの言葉は、意味が全然違う様に思えた。いや、()()()()()()と言う方が正しいのかもしれない。わたくしは、オレグに“お詫び”以外の感情があればいいと思っていた。


(何を考えているのわたくしは……。相手は人間で、そばには、彼の事を好きな同じ人間の可愛い女性がいる)


わたくしはフルフルと頭を振り、気持ちを入れ替えると森に向かって歩き出した。




森では、何人かの男たちが木を切っていた。辺りを見渡すと、奥の方で斧を手に木を切っているオレグの姿を見つけた。長い前髪の銀髪を、作業の邪魔にならない様にひとつに結んでいた為、いつもよりも顔がハッキリ見えた。


(最初は、死んだ魚の様な目だと思いましたけど……意外と整った顔立ちをしてたんですのね……)


額から流れ出た汗が頬を伝い、斧を振るう腕や背中の筋肉が隆起する様子に、男らしさを感じた。


(細い様に見えて、案外体格がしっかりしてるなとは思いましたが、この仕事のせいだったのですわね)


あの腕に自分は抱かれたのだという事を思い出し、わたくしは急に恥ずかしくなった。


(わたくしとしたことが……何を生娘の様に赤くなっているんでしょう)


「オレグ」


わたくしは再びフルフルと頭を振り、オレグに声をかけた。振り向いたオレグは、とても嬉しそうな顔をした。


「クロエ!」


(何ですの、そのご主人様を見つけた犬の様な反応は……)


彼に尻尾が生えていたら、きっと風が巻き起こるくらい振っていたに違いない。そう思える程、オレグの感情はだだ洩れだった。


「ちょっとしたお願いがありまして……こうして訪ねて来たんですの」


「お願い? なんだ? メシを奢る事じゃねーのか?」


オレグはそう言いながら、水分補給の為、腰に下げていた水筒を手にし、口を付けた。


「エロ本を買って欲しいんですの」


「ぶはっ!!」


オレグが噴き出した水が、思いっきりわたくしにかかった。


「ちょっと! 汚いですわよ!」


「ゴホッ! ゲホゲホッ……いやっ! ご、ごめん! なんか聞き間違いをしたみてーだ。な、何が欲しいって?」


「だから、エロ本が欲しいんですの! 何度も言わせないで下さいまし! そういう趣味ですの?」


オレグは派手に咳込み顔を赤くした。それが咳込んだ事によるものなのか、エロ本によるものなのかはわからなかった。


「えーっと、一応訊くけど……何で?」


「わたくしにも色々事情があるんですのよ。ご飯は奢らなくてよろしいので、エロ本を買って下さいまし。玄人向けの物じゃなく、一般的な普通の物を希望しますわ」


「いや、一般的なエロ本ってなんだよ……。おれが訊きたいくらいだわ」


「オレグの趣味で選んで貰って結構ですわ。それともあなたって、もしかして物凄く異常な性癖の持ち主ですの?」


「おれは普通だ!! ……いや知らんけど……たぶん、普通だ」


口元を手で覆い、恥ずかしそうに下を向いたオレグだったが、顔を上げ、気持ちを切り替えるように大きく息を吸った。


「とにかく、買うのはいいが仕事が終わってからだ。夕方までちょっと待っててくれ」


「わかりましたわ。あそこの切り株で待ってますわ」


わたくしはそう言って、少し離れた所にあった切り株に座った。その場所からでも、オレグが木を切る様子を見ることが出来た。


(働く男って……なんかいいですわよね……)


そんな事を思いながら、ぼんやりとオレグを見ていた。日が傾き始めた頃、わたくしの後ろから、パンの良い香りに乗って、女性の声が聞こえた。


「あの……」


振り向くと、そこにはパンを詰めたカゴを持ったクララがいた。


「あら……クララさん」


クララはぺこりとお辞儀をすると、わたくしの横に立った。


「……オレグを、待ってるんですか?」


「ええ、ちょっと……彼にお願いしてる事がありまして……。クララさんは、もしかしてオレグを迎えに来たんですの?」


「は、はい……」


そう言うと彼女は下を向いた。どんなに冷たくされても、彼女はオレグを心配し、そばにいようとしている。それ程彼の事が好きなのだろう。


「クララさんは、オレグが“呪われた子”だとしても、関係ないんですのね」


わたくしの言葉に、クララは急に声を荒げた。


「呪いなんてありません!! オレグは私たちと同じです!!」


自分の声の大きさにビックリしたのか、クララはすぐに頭を下げた。


「あっ、ごっ、ごめんなさい! 私っ……」


そして、一度キュッと唇を噛むと、静かに口を開いた。


「オレグは……幼馴染みなんです。私は学生の頃はいじめられっ子で、特に女生徒から意地悪をされることが多かったんです。そんな時オレグが、いつも助けてくれて……。“くだらないことするな”って怒鳴った彼は、私にとって物語の勇者様みたいにかっこよくて、私には、彼を“呪われた子”だって言う人たちの方が、悪者に見えました」


クララの美しい容姿は、同性に妬まれる嫉妬の対象だったのだろうと思った。


「でもある日、ある男子生徒が、私が目を付けられるのはオレグの“呪い”のせいだって言い出して……。それから、オレグから距離を取られるようになりました。私が、いくら呪いなんかないって言っても、オレグに聞き入れて貰えませんでした」


(そうか、オレグは……クララの事があって、余計に人を遠ざける様になったのですわね……)


「あなたは、誰かに怯えられた目を向けられた事がありますの?」


「え?」


わたくしの質問に、クララは一瞬ハッとした様な顔をしたが、すぐに目を伏せた。


「ないでしょう? あなたにはオレグの恐怖を理解できない。人々から恐れられ、蔑まれる気持ちがきっとわからない」


クララはギュッと拳を握った。彼女の華奢な体が少し震えていた。


「だけど……あなたは、人の“痛み”はわかる人だとは思いますわ。なぜならあなたは、いじめられる“痛み”を知ってるから」


わたくしの言葉に、クララは顔を上げた。


「痛みを知ってるあなたの優しさは、オレグを理解しようという努力に繋がってる。あなたみたいな人がそばにいてくれて……オレグは幸せ者ですわ」


そう言ってクララに目を向けると、彼女のサファイアの様な瞳が揺れていた。


「クロエさん、あなたも……オレグの事が好きなんですね」


クララはそう言うと、少し笑って目を伏せた。


「私は……クロエさん、貴方みたいな方が、オレグを支えてくれたらいいなって思ってしまいました。……今日の所は、帰ります」


クララは、元来た道を引き返していった。


彼女と話をして、わたくしは自分の気持ちに気付いてしまった。いや、きっととっくにわかっていたけれど、気付かないフリをしていた。




「クロエ! 待たせたな」


仕事を終え、わたくしの元へ歩いて来るオレグを見て、胸の鼓動はどんどんうるさくなった。


たった一晩、夜を共に過ごしただけ――――。お金持ち相手に、いつもやっている事だったのに。


(わたくしって案外……ちょろい女だったんですわね……)


人が恋に落ちるのは、いとも簡単で突然なのだと、わたくしは思い知らされた。



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