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「あら、目が覚めたんですの?」


ベッドの上で、裸でぼんやりとしている男にわたくしは話しかけた。


「あっ、ああ……。あー……その、昨晩は……ごめん……」


男は横で着替えているわたくしを見ない様に、しどろもどろに昨夜の情事を謝った。


「別に……誘ったのはわたくしですし、というか、むしろ謝られた方が傷付くのですけど」


「あっ、ちっ、違うんだ! その、おれはっ……あんまりその……こういう事に慣れてなくて、あんたを……満足させられなかったんじゃないかと……」


「そうですわね、とても武骨で、稚拙で、早かったですわ」


「………」


男はわかりやすく項垂れた。


「でも、キスはとても優しくて甘くて、上手でしたわ」


わたくしがそう言って項垂れた男を見下ろすと、男の銀髪の隙間から、赤くなった耳が見えた。


「名前……」


「え?」


「おれはオレグだ。あんたは?」


そういえば、お互いの名前すら知らないままベッドを共にしたな……と、自分の奔放さに少し呆れてしまった。


「わたくしはクロエ」


「クロエ……いい名だな」


オレグの灰色の瞳が優しく緩み、わたくしの胸がトクリと小さく音を立てた。


「オレグも、いい名前ですわよ」


「ああ……。“祝福”って意味が込められてる」


その言葉とは裏腹に、オレグはまた暗い瞳をした。


「実際、この身に宿ってるのは“祝福”じゃなくて“呪い”だけどな」


そう言って自虐的な笑みを見せたオレグの隣に座り、わたくしは彼の顔を覗き込んだ。


「一体、“呪われた子”って何なんですの?」


わたくしの疑問に、オレグは言葉を詰まらせたが、やがてその重い口を開いた。


それは、北の国に昔から伝わる言い伝えで、月食の日に生まれた子は、その身に“呪い”を宿してしまうというものだった。月を神聖なものとして崇めている北の国では、月が隠れる月食は縁起が悪いとされ、その時に生まれた子は月の祝福を得られず、あまつさえ呪われてしまう……。わたくしは、そのくだらない言い伝えに呆れ、憤りまで感じてしまった。


オレグは、この言い伝えのせいで、小さな頃から嫌な視線を向けられてきたのだろう。その結果、人々の視線に怯え、自分の心を守る為に、わたくしを遠ざけようとしたのだろう。


「だから……おれとはもう関わるな」


そう言ったオレグの瞳には、諦めの様な色が浮かんでいた。


「そう……。やり逃げするつもりですのね」


「え!? いや!! 違う!! 決してそういう意味じゃっ……!! そのっ、あんたを満足させられなかった事は謝る!! だけど、その……これ以上おれと関わると、あんたまで数奇な目で見られるからっ……!!」


焦るオレグの顔がおかしくて、わたくしは思わず笑みを零した。


「わたくしはそんな事気にしませんわ。悪いと思っているなら、朝ご飯を奢って下さいまし」


わたくしがそう言うと、オレグは目を見開いた。


「あんた……変わってるな」


「……それは、誉め言葉として受け取っておきますわ」


わたくしたちは外に出て、朝ご飯を食べれる場所を探した。するとその時、後ろからオレグを呼ぶ声がした。


「オレグ!!」


わたくしたちが振り向くと、そこには、ひとりの女性が立っていた。


「クララ」


クララと呼ばれたその女性は、金髪にサファイアの様な青い瞳をした、目鼻立ちの整った美しい女性で、美味しそうな焼き立てのパンの香りと共に、オレグの元へと駆け寄った。


「昨日……お店に行ったら辞めたって言われて……家にも帰ってないみたいだったから、心配してたのよ!」


「ああ……、店は、()()クビになった」


「そんな……」


クララは悲しそうな顔をしたが、オレグはフッと息をついて目を伏せた。


「おれにはもう構うなって言ってんだろ。早く仕事に戻れよ」


「……っ! 私は……っ!」


クララは何か言おうとしたが、口を閉じるとオレグの隣にいたわたくしに視線を向けた。


「あの……この方は?」


「え? ああ、クロエだ」


「クロエ……さん?」


クララは、サファイアの様な瞳で何かを勘繰るようにわたくしを見つめた。昨夜家に帰らなかったオレグが女を連れて朝帰りなんて、情事があったと言っている様なものだ。


「……あー、あー! わたくし、用事を思い出しましたわ!」


思わず目を逸らし、大袈裟にポンと両手を打った。


「じゃあオレグ、わたくしはこれで!」


早急にその場から逃げ出そうとしたわたくしの手を、オレグが掴んだ。


「クロエ! 待ってくれ!」


(いやいやこの状況で待てません! まるで針の(むしろ)ですわ!)


「おれは……昼間はこの先の森で木を切る仕事をしてる。今度改めて、メシを奢らせてくれ」


チラリとオレグの方を見ると、彼の灰色の瞳がまた優しく緩んだ。


「用事のない時に、いつでも訪ねてくれ。……待ってる」


(どうして……わたくしにその様な目を向けるんですの……)


わたくしは何も言わず、オレグの手の温もりが離れていくのを少し寂しく感じながら、その場を後にした。




(あんな可愛い女性が心配してくれているのに、それをないがしろにして、たった一晩、行きずりの関係になったわたくしを引き留めるなんて……オレグこそ()()()()ますわ)


クララは、十中八九オレグの事を好きなのだろう。でもオレグは、傷付く事を恐れて彼女と関わらない様にしている。自分の“呪い”が彼女に降りかからない様に、距離を置こうとしている。オレグは、彼女の気持ちに気付いているのだろうか?


なぜかモヤモヤとした気持ちになった。


(まぁ、わたくしが考える事じゃありませんわね……。それよりも、またどこかのお金持ちをたぶらかして、昨晩の分まで“お仕事”しないと……)


そうは思ったが、とても誰かを誘惑する気分にはなれなかった。ため息をつき顔を上げると、坂の向こうに大きな城が見えた。


(そういえば……ここは王都でしたわね……。お城の宝物庫に忍び込めば、しばらく暮らせるくらいのお宝を手に出来るかしら……)


そう考えたわたくしは、その夜城に忍び込み、衛兵に追われ城の地下で逃げ道を探していた。


(お城の警備を、完全にナメてましたわ……!)


後悔してももう遅かった。逃げ場を失ったわたくしは、使われていなさそうな部屋に入り、扉を閉めた。

ふうと息をついて顔を上げると、目の前に赤い髪をした大きな男がいた。わたくしはぎょっとしたが、男の方も、わたくしに驚いている様だった。


「どこ行った!?」


「こっちの方に逃げ込んだぞ!!」


外から衛兵の声が聞こえ、わたくしは青ざめた。


(終わりですわ、もう……。この男に突き出されて、わたくしは捕まるのですわ……)


覚悟したわたくしの腕を赤髪の男が掴み、部屋の奥へと引っ張った。そして扉から遠ざけると、男は自身の唇に人差し指を立て、わたくしに『声を立てるな』と合図を送った。


(えっ……?)


そして男は扉を少し開けると、外にいた衛兵に声をかけた。


「どうした?」


「あっ! いえっ! その……こちらに盗賊が逃げ込みまして……何か、ご存じないでしょうか……?」


「そんな奴は見ていないぞ」


「そっ、そうですか! 失礼致しました!」


バタバタと衛兵が去っていく足音が聞こえ、わたくしは不審に思いながらもホッと胸をなでおろした。赤髪の男はしばらく外を見つめ、衛兵が完全に去ったのを確認すると、扉を閉めた。


「行ったぞ。もう大丈夫だ」


(何が大丈夫なんでしょう……)


わたくしは、訝し気な目を赤髪の男に向けた。


「あなた……随分信用されてるんですのね」


ロクに調べもせずこの場を去った衛兵に、この男は信任されているのだと思った。


「信用? ……いや、恐れられてるだけだ……」


そう言った男は、目を伏せて少し悲しそうな顔をした。


(恐れる? この男は衛兵長か何かなのでしょうか……)


「お前は盗賊だと言われていたな? 何か盗んだのか?」


「盗む前に見つかったんですの」


「では無実だな。逃げ道を教える。早くここから去れ」


「え?」


男はわたくしを倉庫の様な場所へと連れて行った。そして石壁の前にしゃがみ込むと、壁にあった小さなくぼみに手をかけ、徐に引っ張った。すると、ゴトリという音と共に石壁の一部が綺麗に引き出され、その奥は坑道の様になっていた。


「この道は森に繋がってる。お前ならこの狭い道でも通り抜け出来るだろう。森に出たら飛んで辺りを確認しろ。王都の明かりが見えるはずだ。お前はメリュジーヌだろう? 本来の姿になれば飛べるはずだ」


魔族同士であれば、種族を隠蔽する特別なスキルを使ってなければ、お互いの種族を確認する事が出来た。わたくしにも、この赤髪の男がオーガだとわかっていた。


「わたくしを……逃がしていいんですの?」


「お前は何も盗っていないんだろう?」


何も盗っていなかったけれど、何かを盗もうとしていた事は罪に問わないのだろうか。とんだお人好しだと思った。


「借りを作るのは御免ですわ。わたくしに何かして欲しい事はありませんの?」


わたくしがそう訊くと、男は少し驚いた様な顔をした。一歩も引く気はないというわたくしの意思が伝わったのだろうか、男はしばらく考えた後、口を開いた。


「実は……孤児院の子供に、大人が読む様な本を持ってきて欲しいと頼まれた。どんな本がいいのか、俺には思いつかない。何かお勧めはないか?」


「はぁ!? 何ですのそれは」


わたくしは思わず呆れた声を出した。そんなのはただの相談で、わたくしを逃がす事の対価にしては安すぎる。


「いや、本当に困っているんだ……。具体的に、どんな本がいいのか訊けばよかったのだが……」


男は眉間にしわを寄せ、本当に悩んでいる様だった。わたくしはため息をついて、腕を組んで男を見上げた。


「子供が言う“大人の本”なんて、エロ本に決まっているでしょう!? そんな事もわからないんですの!?」


「えっ、エロ……本……」


男は固まってしまった。


「そう…なのか……。それを……手に入れるには……」


考え込んでいる男に、わたくしは再びため息をついた。


「わたくしが持ってきますわ。それで貸し借りなしにしましょう」


「いいのか?」


「仕方ないですわ。すぐには無理かもしれませんが、またこの道を使って本を届けに来ますわ。わたくしがいつでも来られるように、人払いをしといてくださいまし」


「わかった、待っている。ここには人は滅多に近付かないから、安心して訪ねてくれ」


そうしてわたくしは、エロ本を持ってくる事と引き換えに、城から無事に逃げ出す事が出来たのだった。



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