5.結婚とエルネストの笑み
二人の結婚式は、異例の早さで執り行われることになった。
ドレスやブーケ、アクセサリーの準備や、式典の段取り、招待客の把握等に加え、数ヶ月にギュッと圧縮された妃教育。毎日、目まぐるしい勢いで準備が進められていく。
多忙なモニカのために、早速専属侍女が付けられた。
名前をジュリーといい、穏やかでとても気がきく。既に子供が成人しており、子育ての面でもモニカをサポートできるようにとの配慮である。
「貴女の淹れてくれるお茶が一番美味しいと思うわ」
「あらあら。そんなに褒めても何も出ませんよ、モニカ様」
格式張った城の中でも、彼女と一緒にいれば、温かな家庭的な雰囲気を味わうことができる。この上ジュリーは、その場の雰囲気に合わせた応対ができるため、モニカはとても心強かった。
「さあ、モニカ様。そろそろシャンとなさってください。殿下がいらっしゃる時間ですよ」
「……そうだったわね」
どういうわけか、エルネストは毎日モニカの休憩に合わせ、彼女の様子を覗きに来る。二人の間に大した会話はないのだが、それでも来れば応対をしなければならない。
緩んだ気持ちを引き締めて、モニカは背筋を凛と伸ばした。
「――――元気にしていたか」
「――――はい、おかげさまで」
まるで数年間会っていなかった他人のような挨拶。ジュリーは苦笑を漏らしつつ、静かに部屋を後にする。
「結婚式まで、あと少しだな」
「はい、エルネスト様。今日は衣装の調整を行いました。繊細な刺繍がとても美しかったです」
「そうか」
「…………」
毎日繰り返される似たような会話。共通点が少ない上、生活を共にしているわけでもないから話題が広がらないのは仕方がない。
モニカとて広げるための努力はしているが、エルネストはいつも不機嫌そうだし、必要以上に懐に踏み込むことができないのだ。
(だけど、エルネスト様はこれで良いのかしら?)
モニカよりもエルネストの方が余程多忙だ。貴重な時間をわざわざモニカのために割いてもらう必要はない。彼女はエルネストが気の毒に思えた。
「あの、エルネスト様。こんなに毎日、来ていただかなくても良いのですよ? なんならわたくしの方からお部屋の方に向かいますし、なんだか申し訳なくて……」
「断る。いつ、何処に向かおうと、僕の勝手だ」
「そうですか。……そうですわね」
本人が納得しているなら、モニカから言うことは何もない。
とはいえ、どうせならばもう少し楽しそうな表情を浮かべてほしいところである。
(エルネスト様はどうやったらわたくしに笑いかけてくださるのかしら)
側近たちに対しても、護衛騎士たちにも、侍女にも、どんな人に対しても柔らかく微笑みかける彼が、モニカに笑顔を見せてくれたのはたった一度だけ。
初対面の、ほんの一瞬のことだ。
それだって、元々は父親に対して笑いかけていたのだから、ノーカウントと言って差し支えないだろう。
(せめて結婚式では笑顔をみせてほしいものだわ)
相変わらず何を考えているのかちっとも分からない婚約者に向け、モニカは苦笑を浮かべた。
***
からりと晴れた春のある日のこと、モニカとエルネストは結婚式を挙げた。
豪華で美しいウェディングドレス。宝石がたくさんあしらわれたティアラを載せ、今日のために集まってくれた沢山の人々の祝福を受ける。
たくさんの花で彩られたバージンロードの向こう側、エルネストはいつものように、冷めた表情を浮かべていた。
(やっぱり、今日も笑顔を見せては貰えないのね)
覚悟していたこととは言え、悲しくないと言ったら嘘になる。
モニカは微笑みを浮かべつつ、一人密かに息を吐いた。
「新郎エルネスト――――貴方は病める時も健やかなる時も、喜びの時も悲しみの時も、互いを愛し、敬い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」
たとえ政略結婚であっても誓いの言葉は必要らしい。
エルネストはモニカを愛してくれないだろうに――――それでも隣から「誓います」とはっきりとした返事が聞こえてきて、モニカは目頭が熱くなった。
「新婦モニカ――――貴女は病める時も健やかなる時も、喜びの時も悲しみの時も、互いを愛し、敬い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」
今度はモニカが誓う番だ。エルネストのことをチラリと見上げつつ、モニカはそっと笑みを浮かべる。
「――――誓います」
誰がなんと言おうと、今日から二人は夫婦だ。
少しずつでも歩み寄りながら、妻として、妃として、エルネストを支えていきたいとそう思う。
「それでは、誓いの口づけを」
その途端、モニカの心臓がドキンと跳ねる。
(本当にするのかしら?)
リハーサルの時には、誓いの口づけは省略されていた。エルネストはあんな調子だし、モニカに触れるところを想像できないのだが。
「モニカ」
エルネストがモニカのベールをゆっくりと上げる。
緊張と興奮で、頭と身体がおかしくなりそうだった。
エルネストの美しい顔が、瞳が、唇が近づいてくる。
ずっと見ていたくて。
とてもじゃないが見ていられなくて。
モニカは思わず目を瞑る。
すると、柔らかな感触が唇を覆った。
ほんの数秒間のはずなのに、ひどく長く感じられる。
いつ終わるか分からなくて、チラリと目を開ければ、エルネストの瞳と視線がかち合った。
勘違いかもしれない。
けれど、いつも氷のように冷たいエルネストの紫色の瞳が、今日は熱を、愛情を孕んでいるように見える。
(ほんの少しでもいい。こんなわたくしでも、エルネスト様は愛情を抱いてくれるかしら?)
湧き上がる拍手喝采。
モニカはハッと我に返る。
隣を見れば、エルネストは参列者に向かって満面の笑みを浮かべていて。
嬉しいような、悲しいような。
何とも言えない気持ちになった。