2.王家の憂い
初日の出来事はさておき、城で父親の仕事を手伝うことは想像以上に楽しく、モニカは充実した日々を送っていた。
まだ正式な女官ではないため、具体的に政務に携われるわけではないが、国が今、どういう方針を立て、どのように動いているのかを間近で見ることができるし、実際に仕事の流れを学ぶことが出来る。
モニカが尋ねれば、皆嬉しそうに自分の仕事について語ってくれた。彼女が宰相の娘であることに加え、真に国を想っていると分かるからだ。
軍事に経済、農業、福祉、外交、文化教育など各分野のエキスパートを紹介してもらい、直接話を聞くこともできて、モニカの夢はどんどん膨らんでいく。
そんな中で、モニカはこの国が直面している喫緊の課題を知ることになった。
王太子エルネストの結婚問題である。
エルネストは御年十八歳。本来なら婚約者が居てもおかしくない年齢だ。
他所の国では幼い頃から婚約者を定め、妃教育を施すという。そう考えれば寧ろ、遅すぎるぐらいである。
(今から数年間妃教育をすると考えれば、お相手はまだ若いご令嬢ってことになるわよね……)
望ましいのは十四、五歳の令嬢だろうか。
しかし、当然ながら大事なのは年齢だけではない。
候補に上がるのは伯爵以上のご令嬢。見た目の美しさや教養、国への想いに加え、政治的な配慮――――父親の立ち位置なども関係する。
「殿下は現状、結婚に興味を示されていない」
宰相が嘆息する。モニカはそっと首を傾げた。
「何故でしょう? いずれは結婚をしなければなりませんのに」
王族であるエルネストに自由はない。結婚をし、世継ぎを残す責務が有る。
彼だって当然、そんなことは分かっているだろう。
「分からん。
だが、王家は当然焦っている。
夜会に婚約者候補の令嬢を呼び、さり気なく出会いの場を設けているが、現状、殿下のお眼鏡に叶う女性は居ないのだ」
王家の憂いは宰相の憂い。モニカの父親はガックリと肩を落とした。
「正直言ってお手上げだ。殿下がその気になるのを待つしかないのだろうが、一体いつになることやら」
「……そうですわね。
もしかしたら殿下は女性がお嫌いなのでは?」
モニカは登城初日以降、エルネストには会っていない。
けれど、彼の冷ややかな眼差しを思い出すに、そういう可能性もあるのではと感じてしまう。
「それは無いだろう。これまで特段女性を嫌っている様子はなかったし、御自身の婚約者候補に対しても、常に穏やかで優しく接していらっしゃる」
(穏やかで、優しく……)
つまり、他の令嬢に向けたエルネストの態度は、モニカに対するそれとは違うらしい。
(あの一瞬でわたくしは殿下に嫌われてしまったのね)
父親にバレぬよう、彼女は密かに肩を落とした。
***
父親とそんな会話を交わした数日後、モニカはとある夜会に出席した。
婚約相手を探すために開かれる若年層向けの夜会とは異なり、父親や母親世代が多く集った社交の場。普段は領地で暮らす貴族なども、多く訪れている。
将来女官として働きたいモニカにとって、彼らとの関係を良好に保つことは重要だ。
父親の隣について周り、たくさんの貴族たちに挨拶をする。
公爵令嬢の割に控えめで、謙虚な印象のモニカを、彼らは快く受け入れてくれた。
(良かった。エルネスト殿下のような反応をされるのではと心配していたけど)
彼女の礼儀作法が特別間違っているわけではないらしい。モニカはホッと胸を撫で下ろす。
けれどその時、会場がにわかにざわついた。
「殿下だ……」
「エルネスト殿下がお出ましに……」
耳を突くささやき声。モニカは静かに息を呑む。
(エルネスト殿下が来ていらっしゃるの⁉)
モニカの中で、初対面でのやりとりが尾を引いている。
これ以上彼に嫌われたくない。エルネストに取り入ろうと集まっていく貴族たちとは反対に、モニカはこの場から逃げ出したくなった。
「お父様……お父様は今夜、殿下が招待されていることをご存知でしたか?」
「いいや、知らなかったよ。
そもそも招待したところでお出ましになるかは分からないし……今夜は気まぐれに立ち寄られただけなのかもしれないな」
宰相はそう言って、会場の入口、エルネストが居るであろう人垣の方をちらりと見やる。
エルネストが来たのであれば、挨拶をしないわけにはいかないだろう。モニカはゴクリと唾を飲みつつ、父親の後へと続く。
「ロべーヌ――――それからモニカ」
エルネストはすぐに二人の存在に気づき、声を掛けてきた。
宣言通り、彼はモニカを覚えていたらしい。
モニカは深々と膝を折り「こんばんは、エルネスト殿下」と挨拶をする。
(今度は大丈夫、よね?)
エルネストをじろじろ見たりしていないし、お辞儀の角度等、些細なことにも気を配っている。
彼の機嫌を損ねていないと思いたい。祈るような気持ちで、モニカは頭を下げ続ける。
「珍しいですね……殿下が自ら夜会に赴くとは」
「――――気が向いたんだ。
なあ、ロべーヌ――――少しの間、僕とモニカと二人きりにしてくれないか?」
(へ?)
けれど、頭上から聞こえてきた思わぬセリフに、モニカは静かに顔を上げる。
見ればエルネストは、こちらを真っ直ぐに見つめていた。その瞳は相変わらず冷たいが、モニカは何故かドキリとしてしまう。
「もちろんでございます。
モニカ、くれぐれも殿下に失礼のないようにな」
「はい、お父様」
正直、父親が居なくなるのは心もとない。けれど、そうと伝えるわけにもいかない。
モニカは微笑みを浮かべつつ、去りゆく父親の背中を見送った。