13.王太子妃の寝室、陰謀
一方その頃、モニカは私室のベッドに一人で横たわっていた。
結婚して三年間、一度も使われたことのないベッドだ。
石鹸の香りしかしないシーツに顔を埋めると、虚しさが一気に込み上げてくる。
(エルネスト様……)
たとえ抱き締めてもらえなくても、彼が隣に眠っているだけで幸せだった。
シーツの冷たさも、ベッドの硬さも、感じることなんて一度もなかった。
たとえ義務感から来る行為だとしても、彼が頬にキスをくれる度に、涙が出そうなほど嬉しかった。
(もう二度と、一緒に眠ることはできないかもしれないけど)
思い出は決してなくならない。
いつか――――遠い未来に『そんな事もあったね』と笑い合える日が来るかも知れない。そうであってほしいと心から願った。
「――――失礼いたします、妃殿下」
「ヴィクトル? 一体、どうしたの?」
ヴィクトルはモニカ付きの護衛騎士の一人だ。今夜はここで休むことを伝え、部屋の外で、相方のポールとともに護衛をしてくれている。
なにか急用でもあるのだろうか?
(――――ううん。そもそも、内側から鍵をかけたはずなのに、一体どうして……?)
「一人寝は寂しいでしょう? 俺が貴女を慰めて差し上げたいと思いまして」
ヴィクトルが微笑む。モニカは反射的に目を見開いた。
「何を言っているの⁉ わたくしがそんなことを思うはずないでしょう⁉」
こうしている間にも、ヴィクトルがモニカに向かってにじり寄ってくる。
モニカは急いで、ベッドから降りた。
「そんなことを思うはずがない? ああ、お可哀想な妃殿下。俺に対して嘘など吐かなくて良いのです。
王太子殿下にはちっとも愛されなかったうえ、侍女に浮気をされてしまうなんて、悲しくないはずがありません。苦しくないはずがありません。
妃殿下も俺と楽しみましょう。男性だけが浮気を許されるなんて、不公平ですから」
「ふざけないで! わたくしはそんなこと、望んでないわ!」
ヴィクトルがこんなことを言うだなんて、思っても見なかった。
真面目で誠実で、仕事熱心な護衛だと思っていた。
それなのに、どうして?
疑問が次々に浮かび上がってくる。
(でも待って)
今、彼に尋ねるべき大きな疑問が存在する。
モニカは身を乗り出した。
「ねえ、ヴィクトルはどうして、エルネスト様が今、侍女と過ごしていると知っているの? わたくしは貴方に『今夜はここで休む』としか伝えていないはずよ?」
「え? それは……その、」
ヴィクトルは途端に視線を逸らす。彼が言葉を濁しているすきに、モニカは出口に向かって必死に走った。
けれど、外に出ようとしたところで、ヴィクトルがモニカに追い付いてしまう。彼は背後から勢いよく扉を閉めた。
「ダメですよ、妃殿下。貴女には俺と既成事実を作っていただかなければ。不貞行為を働いたという事実をね」
「コゼットを正妃にするために? 貴方、自分が何をしようとしているか分かっているの⁉ 下手すれば、命を落とす可能性だってあるのよ⁉」
モニカには二人がどういう関係かはわからない。普段二人が会話を交わしているところだって見たことがない。
だけど、彼が今、コゼットのために動いていることは確かだ。
でないと、ヴィクトルが今夜のことを知っている説明がつかない。
モニカは一生懸命、ヴィクトルの理性に働きかける。
けれど、ヴィクトルは首を横に振りつつ、モニカの手首を強く掴んだ。
「命を落とす、ですか……ふふっ。それ、本気で言っていらっしゃいます?」
「え……?」
「だって、考えても見てください。心底嫌っている妃のために、王太子殿下はそこまでするでしょうか? 寧ろ、厄介払いができたとお喜びになるのではありませんか?」
馬鹿にしたような笑み。言葉の刃が胸を突き刺す。
(違う)
エルネストは確かに冷たい。
モニカに微笑んでくれることはなかったし、言葉の節々に棘があった。
けれど、彼はモニカがこんな形で居なくなって、喜ぶ人ではないはずだ。
絶対、違う。
「誰か……! ポール、そこに居るの⁉ お願い、助けて!」
「無駄ですよ。ポールは今、薬で眠ってもらっています。彼には後で俺たちの既成事実の証人になって貰う予定です。
それから、周辺の騎士たちには貴女の声は届きません。カステルノー伯爵様の采配で、今夜はこの部屋には近寄らないようになっていますから」
「嘘……」
カステルノー伯爵はそこまでして、自分の娘を妃に据えたかったのだろうか? モニカは言葉を失ってしまう。
「元々、妃殿下はこの部屋ではお休みになりませんからね。この時間帯に警備が手薄なのは当然です。他のエリアに移動させられたところで、騎士たちはなんの疑問も抱きませんし、助けになんて来ませんよ。
さあ、妃殿下。嫌なことは忘れてしまいましょう。仮初ではありますが、俺が男に愛される喜びを教えて差し上げますよ。エルネスト殿下では決して感じられない悦びをね」
「嫌よ」
エルネストの気持ちがどうであれ、モニカの想いは変わらない。
誰がなんと言おうと、モニカは彼の妃だ。
絶対、それだけは譲れない。
譲りたくない。
モニカがそう強く思ったその時だった。
「モニカ!」
背後の扉が勢いよく開く。
それから幾人もの騎士たちがやって来て、ヴィクトルを取り囲んだ。
「モニカ!」
誰かがモニカを抱き締める。
ふわりと香る慣れ親しんだ香り。振り向かなくても、それが誰かなんて分かる。
「エルネスト様……」
安心したせいだろうか。涙がポタポタと零れ落ちた。
エルネストの腕が宥めるようにモニカを撫でる。こんなふうに強く抱き締められるのは、はじめてのことだった。
「間に合って良かった……本当に良かった」
泣いているのだろうか。エルネストの声は小刻みに震えている。
モニカはそっと、彼の腕を抱き返した。




