12.招かれざる客
エルネストは憤っていた。
危うくモニカに――――愛しい妻に、側妃を勧められるところだったからだ。
これまでも、側妃を持つよう仄めかされたことはあったが、ハッキリと言葉にされたのはこれがはじめてだ。昨夜はとてもじゃないが冷静で居られなかった。
日中、何をしていても昨夜の出来事ばかりを考えてしまう。あの時のモニカの表情が目に焼き付いていて、胸がとても苦しくなった。
(僕にはモニカ以外の女性なんて考えられないのに)
モニカはそうではないのだろうか?
側妃ができても平気だと言うのだろうか?
もしもモニカが他の男のものになることを想像したら、エルネストは気が狂ってしまいそうになる。
彼がそうであるように、モニカにも自分を愛してほしい――――エルネストはそんな風に想っていた。
(今夜、モニカに話をしてみよう)
胸を巣食うわだかまり。
今回ばかりはなあなあで済ませられそうにない。
言葉少なに夕食を終え、湯浴みをし、寝室へと向かう。
けれど、そこで彼を待っていたのは愛する妻のモニカではない――――別の女性だった。
「お待ちしておりました、エルネスト殿下」
ベッドに腰掛け、女性が微笑む。
肌を大きく露出したネグリジェ、甘ったるい香水の香り。艶やかに濡れた瞳がエルネストを見つめる。
あまりにも思いがけない出来事に、エルネストは大きく目を見開いた。
「誰だ、お前は。一体誰の許可を得てこの部屋に入った?」
「嫌ですわ、殿下。私はコゼット。カステルノー伯爵の娘でございます。殿下も当然ご存知でしょう?」
「カステルノーの?」
当然伯爵のことは知っている。
昨日もモニカとの話題に上がったぐらいだ。
けれど、エルネスト自身は伯爵にも、その娘にも、全くもって興味がない。
最近では側妃云々の話のせいで、彼の排除対象になりつつあった。
「それで? カステルノーの娘が、どうしてこの部屋にいるんだ?」
「まぁ……野暮ですわね。そんなこと、見ればお分かりになるでしょう?」
コゼットは頬を染めつつ、エルネストの元へと擦り寄っていく。彼は嫌悪感をあらわにし、数歩後ずさりをした。
「愚かな。僕が側妃を求めていないと、父親から聞いていないのか?」
「もちろん聞いておりますわ。
けれど、私にはその理由が分かりません。だって、殿下は正妃であるモニカ様をあんなにも嫌っていらっしゃるんですもの。いつまで経っても子もできませんし、執着する理由なんて一つもないでしょう?」
「…………は?」
その瞬間、エルネストは驚愕に目を見開く。
(嫌っている? ……モニカを、僕が?)
言葉の意味は理解できても、状況が、言わんとしたいことが、全くもって理解できない。
(本当に、一体この女は何を言っているんだ? 僕がモニカを嫌っているだなんて、そんなこと、ある筈がないのに……)
エルネストの困惑ぶりに、今度はコゼットが目を瞠った。
「もしかして、無自覚でしたの? 周囲はとっくに気づいておりましたわよ?」
「無自覚……? 気づいて……? お前は一体、何を言っているんだ?」
エルネストはモニカを嫌っているどころか、心の底から愛している。
無自覚だとか、そういう次元の話ではない。
完全なる誤解だ。
けれど、目の前のコゼットは、エルネストがモニカを嫌っていると信じて疑っていない。
おまけに、彼女だけでなく周囲までもがそのように誤解をしているというのだ。
(もしかして、モニカもそう感じているのか?)
エルネストが彼女を嫌っていると。
だとしたら、早くモニカの誤解を解かなければ――――彼は勢いよく踵を返す。
「ねえ、エルネスト様。そんなことより、私と未来のお話をしましょう? 嫌っている女性と寝室を共にするより、このまま私と朝を迎えていただいた方が、ずっとこの国のためになります。私がきっと、エルネスト様の子を産んで差し上げますわ。モニカ様のように、貴方の機嫌を損ねること無く、きっと愛される妃になりますから――――」
「僕はモニカを愛している」
縋り付いてくるコゼットの手を払い、エルネストがきっぱりと宣言する。
「え……? そんな……嘘でしょう?」
コゼットはその場に尻餅をつき、口の端を引き攣らせる。
「嘘じゃない。
僕はモニカを愛している。
これから先も、彼女以外を愛することはないし、寝室を共にする気は全くない。
分かったら、さっさとこの部屋から出ていけ。不愉快だ」
冷たい眼差し、冷たい声音。
普段それは、モニカにのみ向けられているものなのに――――コゼットはどうしても今の状況が信じられない。
諦められるはずがなかった。
「――――今、私がこの部屋にいることが、モニカ様の思し召しだとしてもですか?」
コゼットの言葉に、エルネストの胸が激しく痛む。
彼女がこの部屋に居た時点で、そうだろうと察しはついていた。
けれど、事実を突きつけられるのはあまりにも辛い。エルネストは苦痛に顔を歪めた。
「モニカ様は、エルネスト殿下に側妃ができても良いと考えていらっしゃいます。
――――いいえ、寧ろ作って欲しいと考えていらっしゃるのではないでしょうか?
だって、妃としての務めを果たせていないんですもの。己の不甲斐なさに、さぞや苦しんでいらっしゃる筈です。
殿下も、モニカ様を気の毒だと思いませんか? 重責から解放してあげるべきだと思いませんか?」
「それは……」
モニカが不妊に苦しんでいることは、エルネストが一番良く知っている。
責任感の強い彼女のことだ。
側妃を立ててでもエルネストの子を、と考えるのは想像に難くない。
モニカを重責から解放すべきだという考えだって理解は出来る。
しかし――――
「それに、モニカ様は今も御自身の寝室に、男性を連れ込んでいらっしゃるぐらいですし……」
「……は?」
その夜一番の衝撃がエルネストを襲う。
彼の心臓は今にも止まってしまいそうなほどバクバクと大きく鳴り響き、呼吸すらままならない。
(モニカが……そんな、まさか!)
ありえない。
そんなこと、絶対、あるわけがない。
急いで寝室を飛び出そうとするエルネストを、コゼットが抱きつき、引き止める。
「お待ち下さい、エルネスト殿下。不貞を犯すような妻、嫌でしょう? 要らないでしょう? ですから、私を貴方の妃に――――」
「モニカはそんなことをする女性ではない!」
エルネストはきっぱりと断言をし、寝室の前に配置された護衛騎士にコゼットを引き渡した。
『だって、今も御自身の寝室に、男性を連れ込んでいらっしゃるぐらいですし……』
ありえない。
貞淑なモニカがそんなことをする筈がない。
そもそも、コゼットがそれを知っている事自体がおかしいのだ。
不安と焦燥感がエルネストの胸を強く焼く。
「モニカ……!」
エルネストはモニカの私室へと急いだ。




