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悪食の聖女


「赤い髪の暗殺者?」



 豪華仕立ての大型馬車に揺られる貴人が一人。


 そこに、カッポカッポと並走するのは、きらびやかな鎧の男。彼は伝令だ。

 鎧に固定する所属団旗は、近衛兵団のもので、馬上から彼の報告を、貴人は気のないように受けていた。


「はッ。大賢者王からの至急伝であります」

「ご苦労。下がっていいわ」


 (よわい)30に差し掛かろうという妙齢の女性は、優雅な仕草で瀟洒(しょうしゃ)な封筒を受け取ると、馬車の座席に深く座り開いてみた。


 象牙のペーパーナイフでサクリサクリと封を開封すると───。


「あら?」


 フワリと香る匂いは、わざわざ紙に香水を掛けたと思われる小憎たらしい仕掛け。


「王様ったら……まだ、色目を使おうというのかしら」


 縁者でもある大賢者王の顔を思い出し、艶っぽく笑うのは──世間的に言えば穢れなき聖女。

 かつて、魔王討伐に赴いたころの様な若々しい美貌から綺麗に変化を遂げ、今は売れた果実の様にむせ返るような色香に満ち満ちた女になっていた。


「え~っと……──あらあらあら。まぁ、3人とも死んじゃったのね~」


 クスリと笑うと、ツラツラと紙面を追っていく。


「───これは、これは、また。外遊中に物凄いことになっているわね……」


 可愛らしげに首を傾げると、丁寧に手紙を折りたたみ、封筒に仕舞う聖女。


 あとはもう、どうでもいいとばかりに物憂げに馬車の外を眺める。

 手紙の内容からして、かつての仲間たちの訃報であったのは間違いないはず。

 しかし、そのことを憂いている様子はない。

 ボンヤリと窓の外を眺める彼女の視線の先には、牧歌的な風景が広がっており、その周囲には完全武装の近衛兵が規則正しく護衛位置についていた。


「………………いいわ。神聖都市行きは中止します。良しなに(・・・・)なさい」


 仕切りごしに控えている部下たちに、そう一言告げると、後は知らないとばかり。


 あとは、同乗するメイドたちに命じて午後のお茶の準備に取り掛からせるのみ。


 洗練された動きをみせる老練な執事と、テキパキと動くメイドたち。


「こちらを───」


 カチャリと音を立てておかれるテーカップと、御茶請け。


 執事はスパッと一礼しメニューを述べる。

 そう……メニューを───。


「───初物の処女の血を絞った赤い紅茶でございます。……こちらは15歳の少年の血を煮凝りにした、ゼリーで御座います」


「あら、おいしそうね───。この子はどこの子かしら?」

「紅茶は南方人。平民ですが、美人と名高いプラチナブロンドの娘です。ゼリーの少年は王国の没落した貴族の子弟を、手ごろな値段で仕入れました。ご覧になりますか?」


 コトリと、金属の箱を取り出す執事。


「あら? 興味深いわね……見せて」

「こちらです」


 カコンと開けるとなにか丸いものが……一つ。


 ツン───と、鉄錆びのような香りが辺りに漂う。


「あらあらあら。……知ってる子じゃない。懐かしいわね」


 スッと手をさし入れ、愛おし気に丸いものの頬を撫でる聖女。


「オーウェンの血筋だわ……可愛そうに。お家が潰されたのね」


 サラサラと、髪を撫でて感触を確かめると箱をテーブルに置いて、うっとりと鑑賞。


「あの人の縁者の血ね……。若さが戻りそうな気がするわ」


 ウフフフ……そう言っていっそう艶やかに笑う。


彼の分(・・・)はこれで終わりです。お好きな部位を取り揃えましたので、あとでご賞味ください。ところで……神聖都市行きをおやめになられるのでしたら、どこかで、そろそろ次の素材を補充しないとなりませんが───」

「あらまぁ? そんなに頂いたかしら?」

「えぇ、御希望通りほとんどの種を──さすがにエルフは手に入りませんでしたが……」


 そう言って鞄を開けると、中から様々な種類の髪を並べていく。

 およそ王国と王国周辺で見られる民族の髪が、ほぼすべて。


「そう……エルフが手に入らないのは残念ね───紅茶の子は、まだ?」

「申し訳ございません。全てのマーケットに当たらせておりますゆえ……。あと、そうですね。彼女はまだ、もちます(・・・・)よ」


「そう。良いわ──……なら、神聖都市は避けて、王都に戻ります。在庫がないのならお急ぎなさい」

「は、よしなに」


 執事はスチャッと、完璧な動作で一礼すると馬車の中の仕切りの向こうに姿を消した。





 後には紅茶のよい香りと、かすかに生臭い血の匂いが漂っているのみ……────。




※ 王都ヴァルハラム ※



 王国の随一の都市で、言わずと知れた首都である。


 その主たる大賢者が住まう城は、巨大な尖塔がいくつも立ち並ぶ、威圧的でありかつ一種の荘厳さも醸し出す美しい造りであった。


 そして、城下町。


 城を囲むように家屋や商店が立ち並び、王城にほど近い地区には、貴族の住む屋敷が小さな城のようにいくつもそびえていた。


 当然、賑わいも王国随一。

 大賢者の治世が尊ばれ。彼の業績を讃える『像』が町中に建ち並んでいた。

 ……ザラディンたちを足蹴にしている、あの像である。


「3人とも逝ったか……」


 王城から、それらを見下ろす人物がひとり。

 尖塔の中でもひときわ高いそこは王のおわす場所。


 バルコニーから身を乗り出し目を細めて眼窩見下ろしているのは、()の『5人』のうちの一人。大賢者王その人であった。


「陛下───聖女様には伝令を出しておきました。じきお戻りになるかと……」


 豪奢な鎧に身を包むのは、この国における最大の軍事組織、近衛兵団を預かる長であった。


「……もう、戻らんさ」

「は? 今……何と?」


 聞き間違えたのかと、近衛兵団長は間抜けにも聞き返してしまう。


「何でもない───伝令、ご苦労。下がってくれ」

「はッ!」


 バシリと最敬礼し去っていく近衛兵団長の背中を見送りつつ、大賢者はゆっくりとバルコニーから離れた。


 そして、仕立ての良い椅子に腰かけるとその正面に据えられている肖像と、一振りの剣に視線を向ける。


 その剣は言わずと知れた聖剣。


 それは、()の悪名高き人類の卑怯者達のうちの一人───勇者ザラディンを討ち取った時に、討伐の証明として持ち帰ったものだ。


 大賢者は、剣を柄から刃先までスーっと眺めると、その上に飾られている肖像に目を向けた。


 描かれているのは、何所か広い場所で……練兵場のような空間を思わせる所。

 そこには、8人の人物が描かれており、小さくタイトルが刻まれていた。


 『聖戦の勇士』───。


 あの魔王討伐という、半ば絶望、そして勝利の疑わしい戦いに送り出す代償として、王国で行われた出発式を行った時のもの。


 当時、高名な画家にその瞬間を描かせたもので、その頃の国威発揚も兼ねたプロパガンダの一種だった。


 かつての英雄8人は、聖戦の勇士と呼ばれていたのだ。


 その勇士を讃えた……今はもうこの国に一枚しかない肖像画。


 そこには、微笑む勇士たちが描かれていた。

 その絵の中では、皆が信頼しあっており、大賢者も勇者も肩を寄せあって、魔王討伐を誓っていた。



「……………やはり、お前なのか? ザラディン──」



 ジッと見つめる先には一人の若者がいる。

 澄んだ目と凛々しい表情をした若武者。


 この時点で、まだ10代という若さ……。

 そして、稀代の天才で──────本物の勇者だった。


 大賢者の声に肖像は答えるはずもなく、ただ一人、じっと佇む彼の姿は酷く小さく見えた。


「ザラディン……」


 疲れ切った声の大賢者。

 彼の傍には大量の資料があり、全て赤髪の暗殺者にまつわる情報で埋め尽くされていた。



※ ※



 再び聖女の馬車にて、


 ゴトゴトと音をたてる馬車。

 何度も不快に揺れる道は舗装が甘く、酷く乗り心地が悪いものだった。


 予定していた神聖都市から別ルートに変更したため、当初の快適な街道とは異なる田舎道を進むことになったためだ。


「最ッ悪……」


 もっと昔ならば、どんな環境でも眠ることができるくらいに覇気に溢れていたが、魔王討伐以来、聖女は戦いの場から身を引いていた。


 今の彼女は、主に大賢者の補佐として政務や外交に携わっているのだ。


「はぁ……あの頃は楽しかったわね」


 ポツリと呟き、魔王を討つべく冒険した頃を思い出した。


 神聖都市の教会本部で聖女として見出されて以来、彼女に自由はなかった。

 だが、魔王の攻撃によって世界は滅亡に瀕し、世界中から全ての英雄が集められた結果───まだ十代の乙女であった聖女にも白羽の矢が立った。


 元々王族で、当時は英才教育を受けているだけの箱入り娘。

 聖女が生まれる血筋の者として、純血統のみで育てられてきたこともあるだろう。

 聖女には、いわゆる普通の常識に欠けた浮世離れしたところがあった。


 そのためか、初めて自由を得たようなあの旅は、心が躍る楽しいものだった。

 誰もが苦境に嘆く中、一人───旅路を楽しむ聖女に、皆は勘違いしていたらしい。


 勇敢で愛情深い、聖なる乙女……と──。


 はッ、笑わせてくれる。

 聖女の肩書があるだけで、私は私(・・・)だ。


 自由に生き、やりたいことをやっただけだ。

 魔王とか、世界とか──そんなものは、クソどうでもいい。


「はぁぁ、もう一度あの頃に戻りたいなー」


 そう言って窓から差し込む光に手を翳すと、僅かに見える皺とシミ。


 あーあ……。昔はツルンとした卵肌だったというのに……。


「老いたくはないわねー」


 そうぼやいた時───。


 ガガガンッ!


「きゃ!」

 馬車が衝撃に包まれ、つんのめる様に停止した。


「な、何よ?!」

「も、申し訳ありません……その、乞食が」


 行者が住まなさそうな顔で謝罪する。


 彼の肩越しに前方を見れば、

「子供?」

 ボロを纏った子供が、道の真ん中でしゃがみ込んでいた。


 余りにもボロボロなもので、路傍の泥と見分けがつかなかったのだろう。


 先頭を行く近衛兵が急停止し、その制動がいっぺんに隊列に伝わってしまったらしい。


「申し訳ありません。すぐに退かせてまいります」


 間仕切りから顔を出した執事が一礼し、馬車を降りると慣れた様子で兵を指揮して、子供を道から追い払ってしまった。


 その子ども……。


 どうやら空腹らしいく──……フラフラと頼りなげに歩くその姿。


「待ちなさい」


 聖女が馬車から降り、ドレスが汚れるのも躊躇わずに近くまで寄り、兵を止めた。


「こ、これは……聖女さま!? お見苦しい所を───」


 近衛兵の一人が聖女に気付き、バシン! と敬礼。

 ついで、急いで子供を追い払おうとする。


「待ちなさいと言ったのですッ。あの子を、ここへ」


 その言葉に意味に気付いた執事が軽く頷くと、子供の背を軽く叩いて聖女の前に導く。

 フラフラとした足取りの子供は成すがままに───。


「アナタ……お腹が空いてるの?」


 汚れるのも厭わずに、聖女は子供の手をとり、ニコリと微笑む。


 その声に、ハッとしたように顔を上げる子供。

 その拍子にボロボロのローブのフードが、ハラリと脱げる。


(あら、やっぱり……!)


 ……なるほど、全体的に薄汚く、ドロドロに汚れてはいるが───素晴らしい美貌を持った少女だ。


 泥や煤で薄汚れているが、灰色の髪に、三白眼。すっきりとした鼻立ちの美少女だった。


「ぱ、パンを───パンをください……。どうかお助けください……」


 ヨロヨロと手を指し伸ばす少女の手を握りしめ、聖女は慈愛の溢れる笑みを浮かべた。


「もちろんよ。私はね、子供がとっても好きなの───ええ、とっっても」

 タラ~リと口の端から涎を垂らす聖女だったが、慌てて取り繕うと、

「さぁ、おいでなさい。私と一緒に、スープに、紅茶……ステーキに、そして、ゼリーにしましょうか」


「ほ、ほんと?」


「えぇ、ほんと(・・・)よ……アナタ、奥の馬車に案内してあげなさい」

「分かりました。……ちょうど空き(・・)ができた所ですよ」

「あら嬉しい。あの子はスープに?」


「左様で。紅茶とゼリー……ステーキも今夜の食事にします」

「よかったわね。貴方……とっても、おいしそうよ」


 フフフフフフフフフフ、ひとしきり満足げに笑う聖女は馬車へと戻る。

 その背後を、執事に導かれた少女が馬車列後方の粗末な馬車へと導かれていった。





 誰も気づかないうちに、少女が薄く笑っていることなど気付きもしないで……。




※ ※



 暗く沈んだ田舎道───。


 森のわきに設けられたのは、小さな野営地だった。

 そこで、身を寄せ会うようにして天幕を立てる聖女たち一行。

 街までに距離あり過ぎるため、やむなくここで野営することになったらしい。


「うふふ。いい子が手に入ったわぁ」

「左様で───珍しい瞳でしたな」


 野営地に立ち並ぶ天幕の一つで聖女はステーキを頬張りつつ、真っ赤なワインでのどを潤していた。


「あぁ、あの目。……そう言えば例の暗殺者も───」

「はい。赤髪、三白眼で小柄な少女と言う話でしたな」

「──だったかしら? どうでもいい話だけどね。ふふ……王は心配し過ぎなのよ」


 聖女は暗殺者騒動にも頓着しない。そもそも自分が狙われる理由などないのだから、と。

 大賢者王が心配しているのは魔王を討伐した──民衆に英雄と呼ばれる『5人』のこと。

 他愛もないことだが、その五人が狙われている可能性があると───そう言っているのだ。


 ……バカバカしい話。


 アホのベリアスは恨みを買って当然だし、エルランもゴドワンも、戦争で人を殺している。

 ならば、何処かで恨みを買って当然だ。


 一方、聖女は違うと思っていた。


 若さを保つ妙薬として。

 あとは趣味(・・)として、少年少女を喰らっているが、どれもこれも恨みを買う様な下手はしない。


 きちんとした正規のルートで購入するか、今日拾った少女のように、こうして身寄りのない哀れな孤児を──数日の安寧を与えてから、慈しみをもって調理()しているだけだ。


 今日の少女にしても、放っておいてもすぐに死ぬ。

 数日生きながらえるだけでも、慈悲深い所業だと思う。


「念のため、拘束しますか?」

「馬鹿ね。怯えだしたら血がまずくなるのよ。最後まで、優しく優しく絞ってやるのがコツよ」


「左様で」


 コポコポコポ──と血の入ったワインを注ぐと、喉を鳴らして聖女はワインを煽る。


「いいわね……若返る気がするわ」


 ニッコリとほほ笑み。箱に入った──今日、処理された少女の頭を愛でる。


「思い出すわね……こうして、転がっている頭を見ると……」

「はい?」


 執事は意味が分からず問い返すが、


「何でもないわ──」

 そう……なんでも、ね。ふふふ。


 大賢者によって切り落とされた『勇者』の首。


 あの驚いた様な、悔しいような、何とも言えない素晴らしい表情は早々見れるものではない。


 コロコロと地面を転がり、仲間たちにゲラゲラと笑われている最強の……いえ、最強だった男。


 最後に作ってあげたお手製のバームクーヘンを、喜んで食べていたのを思い出す。


 おいしい、おいしい──って。


(うふふふ。毒入りのバームクーヘン──どんな味がするんだか)


「ん。ご馳走様、デザートは何かしら」

「こちらです」


 昼間も見たゼリーだが、少し手を加えたように乳清がかかっているらしい。

 だが、何度も同じ味を食べるのは少々面白みがない。


「またゼリーなの? ちょっと別なものが食べたいわね」

「もうしわけありません──すぐに」


 そう言ってゼリーを下げた執事だったが、


「はて……? 何やら甘い匂いが……」

「あら、そうね」


 食後の運動と言わんばかりに、匂いに興味を覚えた聖女が立ち上がる。


「こちらからですな」


 一応の警戒として、護衛が一名ついていくがそれほど気にすることはなかった。

 国内のことで、しかも最強と名高い近衛兵の護衛が付く聖女一行を襲うものなど、いるはずがないから───。 


 香りを辿っていくと、どこか懐かしい思いにとらわれる聖女。


「あぁ、この香り───」


 見れば、焚火を起こした先で兵士たちと談笑する少女がいた。

 彼女は与えられた食事で元気になったのか、夜には馬車を降りて焚火に当たるくらいには回復していた。


 どうやら、その焚火でおやつを作っているらしい。

 暇を持て余した兵士が、手慰みに持ち寄った材料を使っているのだろう。

 たまらない、香ばしい香りが漂っている。


「こんばんわ」


 ゆっくりと、焚火に明かりに照らされながら現れた聖女に、兵士と少女がビックリしている。


「こ、これは聖女様──このようなところに、」


 慌てて立ち上がり最敬礼する兵士。それを押しとどめて、同じく車座になって腰かける聖女。


「いいのよ。……懐かしいわね───こういうのって」


 目を丸くした兵士たちが何事かと執事を見るが、彼が手で制するのでそのまま何も言わなくなった。


「これ、アナタが作っているのね?」

「は、はい……田舎料理ですけど」


 棒に刺してクルクルと回転させながら、焼かれているバームクーヘン。

 小麦や砂糖などの材料があれば野外で作るのもそう難しくはない。


 そのバームクーヘンが回る様子と焚火を見て、目を細める聖女。


「あ、あの聖女様……?」

「気にしないで、……魔王を討伐した日を思い出しているだけ」


 そうだ……あの時は私がこうしてバームクーヘンを焼いていたっけ。

 ありあわせの材料で──串焼きにサンドイッチ。保存食ばかりだったけど、手を凝らせば中々豪華になった。


「…………」


 ボウ、とした頭で聖女は思い出す。

 三人の勇敢で最強だった者達を───。


 カサンドラ、

 オーウェン、


 そして、ザラディン────。


 当時のこと。

 魔王を討伐し、疲れ切った彼ら。

 それを癒すためと称して、真っ先に食事をとらせた。


 ボロボロの彼らは、逃げた聖女たち5人を責めるでもなく、力なく笑うだけで、礼を言って食事を取っていた……。


 あとは────。

 そう、あとは………………。


 もはや、5人だけが知る事実。

 ……いーえ、いまは二人だけ。


 大賢者と聖女。

 残った二人だけ…………。


 そう、あの日の真実。


 ……毒で苦しみだした彼らをズタズタにした。

 狂ったような笑い声をあげて─────。


 聖女も笑った。

 

 笑ったなー……。

 だって、本当に楽しかったんですもの。


 思いだすのは、血の味。


 無防備なザラディンの耳を思わず齧りとってしまったが、その時に口に広がった、えもいわれるぬ多幸感。


 焚火を見つめながら、薄く笑う聖女は、そっと立ち上がると、


「───ねぇアナタ。完成したら私にもわけてくれないかしら?」

「え、そ、そんな! め、滅相もない……」


 少女の三白眼が不安げに揺れる。

 とてつもなく美しい少女が、言葉だけで困惑にうち震える。


 その(さま)に愉悦を感じる聖女は、


「気にしないで。私が食べたいのよ……あとで、湯浴みもさせてあげるわ」


 そう言って立ち去る聖女。


 さすがに少女の薄汚れっぷりは酷い。

 調理前(・・・)に食材を洗うのは当たり前のこと。


 聖女の天幕には湯浴みのできる桶もある。

 ついでに洗ってしまえばいいだろう。

 そう言って天幕に下がると、メイドに命じて湯を準備させた。


 先に自分が入ってしまい、さっと体を手早く洗っていく。


 王族ならこういったとき、人にやらせるものもいるらしいが、聖女はかえって面倒なので湯さえあれば自分でやってしまった。


 そのため、男はもちろん。

 メイドすらも下げて人払いをするのが常だった。


 仕切り幕で分けたスペースに大きな風呂桶があり、並々と湯が注がれていた。

 そこからでる湯気が濛々と天幕の天井に溜まっている。


「やっぱり、外遊はいいわねー。……つまらない政務はウンザリ」


 湯船に浸かりながら、独り言を溢しつつ天を仰ぐ聖女。

 愚痴を零せるのも、人がいないからだ。


 常に監視の目があるのも、鬱陶しくて仕方がなかった。


「また、魔王が現れたら冒険できるのかな」


 チラリとあの日々を思い出し、愉快な気分になる。

 あの冒険と刺激的な日々。

 懐かしい……。


「さぁ、そろそろ上がらなきゃね」

 湯が冷めてしまっては、あの子が体を洗えない。とはいえ、少女は平民っぽいので、水でも平気かもしれないけど。


 手早く着替えると、仕切り幕を抜ける。

 すると、


「あ! ご、ごめんなさい」





 バームクーヘンの大きな切れ端を皿に持った少女がそこにいた。



※ ※



 天幕の中に佇む少女をみて、聖女は少し驚いた。

 突然、天幕に入ってきたことはもとより、少女の態度が不躾(ぶしつけ)というよりも、今まであまりこのような事態がなかったからだ。


 子供とはいえ、部外者だ。

 そのような者が聖女と単身向かい合うなど、調理前にはありえない。


 調理後ならいわんや。全くないとは言えない。

 今のところ、単身で聖女に向かいあったのは、調理後の箱詰めの首(・・・・・)くらいしかなかった。


(……っと、危ない危ない)

 そっと生首入りの箱を閉ざし、少女の目に触れないようにする。


「あらあら、こちらこそごめんなさい」

「し、執事さんが中で待ってろって」


 あらら、あの執事が?

 珍しいわね……。私の許可なく人を通すなんて──。


 まぁ、いいか。

 どうみても、ただの浮浪児だし……。


「そう、楽にしてちょうだい。───あら、これがアナタの焼いたバームクーヘンね?」

「は、はい……お口に合うかどうか」


 モジモジとした様子の少女を見ていると、被虐心がムクムクと沸き起こるが、グッと堪える。

 明日以降は、この子から血を搾り取るのだ。


 恐怖して逃げられても面倒……。


「いーえ、頂くわ。お湯は隣の仕切りにあるから、好きにお使いなさい」

「は、はい……! 何から何までありがとうございます」


 パァァ……と笑う少女を見て、どこか懐かしさの様なものを覚えた聖女だが、


「え、ええ。気にしないで。私、子供が好きなのよ……(味がね)」


 ニコニコと笑って、少女を湯あみへと誘った。

 屈託なく笑う少女の手をひき、奥の湯桶へと案内した。


「さ、残り湯で悪いけど、身を清めなさい」

「は、はい! わぁ……お湯だぁ」

 温いお湯をみて、ペコリと一礼した少女を見送る。

「ご堪能なさい」

 シーツで間仕切りをきると、席に戻った聖女は皿に盛られたバームクーヘンの香りを嗅いだ。


 フワーっと、甘い香りが鼻をつき、優しい気持ちになれそうな……とても良い香り。

 それは食欲を刺激し、思わず喉が鳴った。


 しかし、なんだろう。

 さっかから何かを思い出しそうな気がする。


(あら? 色、艶。そして、この香りって──)


 それがなんなのか……。

 聖女はその記憶がなにか思い出せないまま、椅子に腰かけると早速バームクーヘンを一つ口にした。


「あーん」


 普通なら毒見が必要なんだろうが、兵士のいる前で作っていたし、執事も監視していたのだから問題はない。


 パクりと上品に一口。

 途端に、ホロリと崩れる生地───。


「あら! 美味しいわねッ」


 口にしたとたん、柔らかな甘みが舌に踊り、しっとりとした触感がまた美味しい。

 ほろりと崩れる生地は上質の絹のよう。

 そこに、カラメルの香ばしさも相まって手が止まらない。


 香ばしさと甘さと香りのハーモニーだ。


 そして、

 どこか懐かしい味──────。


「あら、やっぱり……この味って」


 フと記憶に引っ掛かるソレ。

 だが、なんだろう……。


 視線を泳がせて記憶をたどっていると、仕切りの先が影絵となり、少女が服を脱いでいる所が見えた。


 着替えを覗いているかのような背徳的感を覚えるも、聖女にそっちの趣味はさすがにない。

 なので、それを見るともなしに見ていた。しかし、なんだろう───……同性だというのに、妙に胸がさわぐ。


 パサリ……。

 パサリと───。


 少女はローブをとり、ボロボロの服をも脱いでいく。

 その下には薄く細い体の線がみえた。


(本当に綺麗な子ね……)


 そのまま湯につかり、ザバア──と、桶から汲んだら湯を頭から被るところまで見ていると、

 不意に、仕切りの先から声を掛けられた。


「……おいしいですか?」

「え?……えぇ! とっても美味しいわね。だけど、これ──どこかで……」




 思案顔の聖女に対して、




「ふふ。忘れたのかい? メルシア。───君が作ってくれたんじゃないか。14年前にね」



 じゅ…………?




「──────え?」




 い、今、なんと?



「思いだすなぁ。メルシアの作ってくれたバームクーヘン……美味かったよ。本当においしかった。………………死ぬほど──ね」


 口調がやけに砕けていく少女。

 いや、それよりも……。


「あ、アナタ……私を名前で呼んだわね?」


 そうだ。聖女様や、猊下といった呼び方をせず──。


 ただの…………。



 ただの「メルシア」と……。



「ん? そりゃあ、名前で呼び合った仲じゃないか。最後は酷い目にあったけど、……君の陽気な態度は、あの旅の中では唯一の癒しだった気がするね」


 旅……。

 メルシア……。

 バーム……クーヘン────。


「ッ!」


 チリリリと、頭の中が警鐘をうち鳴らす。

 何かがおかしいと──!


 この少女がおかしいと……!!



「───あ、貴方何者!?」


「おや、おや……察しが悪いな。3人ともここまでくれば気付いたよ?」



 シャッと、仕切り幕を払って姿を現したお湯を滴らせた少女。


 三白眼で、スッキリとした鼻だちの美少女で──────。





「赤い……髪」



※ ※



「あ、赤い……髪?」


 少女の髪はしっとりと濡れており、まだ肩からはポタポタと雫が垂れている。

 そこには、どす黒い汚れが混じっていた。


 しかし、流れる水滴からのぞく少女の髪色は灰色のそれではなく、汚れのその下には赤い髪がはっきりと現れていた。


 ───ま、まさか?!


 その様子を見て、驚愕に目を見開く聖女。


「ひ、ひぃ!? あ、赤い髪の暗殺者?!」


 ガタンと立ち上がった体……──た、立ち上が、る?


 あ、あれ?

 な、なんで……?


 どうして、ち、力が────。


「あはは。美味しかったかい? 僕の特製バームクーヘンは?」


 な、ななななななななな!


 ───コイツ?!


「……だ、誰か! 誰かぁ!! け、警備ッ! は、早く来なさい! はやーーく!」

「ははははは、誰も来やしないよ。みんな朝までぐっすりオネン寝さ」


 そう言って、ゆっくりと聖女───メルシアに近づく少女。


 そのままゆったりと歩き、地面に転がったバームクーヘンを拾い上げると、

「やぁ。この味に仕上げるのに、随分苦労したよ……」

「なんな、なんなななな、何者なの?!」


 大声を出しても誰も来ないことに気付き、顔面蒼白のメルシア。

 ブルブルと恐怖で体が震える。


 ───え?


 き、恐怖──? こ、ここの、この私が?

 ───恐怖でうち震えるですって!?


 ち、違うッ。

 ここここ、これは……毒!?


 ───お、おえええ!


 ブワッ! と、嫌な汗が全身から溢れる。


「どうだい? 寒くなってきたかい? 身体が段々動かなくなるだろう?……そのウチ、クソもションベンも垂れ流しになるよ。あはは、僕の経験則だから間違いないよ」


「う、うそよ────こ、こんなもの」 


 メルシアは自身の魔法で解毒を試みる。


 伊達に聖女なんて言われていない。──エルランやゴドワンも回復魔法を使えたが、メルシアのそれは桁が違う。


 どんな毒でも、たちどころに───。


「無駄だよ。……苦労したんだ、これを作るには、」


 拾ったバームクーヘンを割いて見せる。

 層にそってポロリポロリと。


 そして、


「──バター、卵、砂糖、香り葉、ナッツ、小麦粉、イースト、お酒。そして────最後に、毒」


 バラバラにしたバームクーヘンを、ポイっと捨てると、


 ニッコリ───、

「……で? どうだい?──自慢の解毒魔法は効いたかい?」


 く! このぉ!!


 ぐぐぐぐ……。

 は、吐き気が止まらない。


「ば、ばかな────オエエエエエエッ!」


 ベシャベシャと吐き戻すメルシア。

 みっともなかったが、その吐瀉物の中にバームクーヘンが混じっていたので、ホッとする。


 そ、そうだ!!


 こんなもの、

 は、吐いてしまえばいいのだ。


「あはは。残念……」


 無造作にメルシアを見下ろすと、くったくのない笑顔で美しく微笑む少女。


「───言っただろ? いろんなものを垂れ流すって……。僕らも吐いたんだ、当然ね。それに、事前に魔王対策として高価な万能薬も飲んでいたんだよ──毒に、呪いに、魔法耐性を高めるためにね」


 だけど、と少女は続ける。


「お前ら5人は狡猾だったね。……まさか魔王軍の毒まで使って合成毒(ミックスポイズン)を作ったなんてね──ほんと、完全に殺す気で準備していたとしか思えないよ」


 な、なんで、それ……を。


「だ、誰なの……あ、あなた」


 吐しゃ物でドロドロになった顔で見上げるメルシア。

 目の前の、赤い髪の少女は惜しげもなく裸体をさらしているが、その顔に見覚えはなかった。


 ───なかったが……。


「はぁ……。今のところ、君が一番察しが悪いね」


 呆れたような口調で言う。




   「帰って来たよ──メルシア」




 ニィ……とイタズラっぽく笑う少女。


 その仕草───。

  そのしゃべり方。

   その…………。



 ───ッッ!!



 ま、

 まさ、か……。


 そんな。う、嘘────。


「思い出したかい? そう、僕だよ」


 ざ、ザラ───。


「正直な話……──君のことはどうしようか悩んでいたんだ」


 少女は少し困ったような顔をすると、


「ベリアスは、カサンドラを殺した。エルランとゴドワンは、オーウェンを──」


 そ、そうだ!

 そうだわ!


「──わ、私は誰も殺していないッ!」


 そうよ、そうなのよ!


「わわわ、わ、私はアイツに(そそのか)されて──お前を押さえつけただけよ?!」


 殺してない!

 殺してない!


 ノーカン!

 ノーカンよ!?


 セーフ。

 セーフよ、私はぁぁぁぁあ!


「そうだね……だけど、」


 ドンと、少女がテーブルを蹴り飛ばすと、さっきまで愛でていた──今日のディナーになった少女の首がコロコロと転がり落ちる。


 その様が、

 その音が、

 その表情が、

 

 あの日の記憶を呼び起こす────。


 転がる勇者の……首!






 あああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!






「わ、わわ────私は貴方を殺していない! そうでしょぉおおお、ザラディぃぃぃぃぃン!!!!」


 うん、そうだね。 


「───だから、毒で苦しむといい……。同じ毒(・・・)を与えたよ。あの時、もしも、僕らに対して殺意がなければ……生き残れるかもね」


「あああああああああああああああああああああああ!!! 待って! 待ってよ!! 待ってよ、この野郎ぉぉお!!!」


 待てっっっ、つってんだろうが!

 この野郎ぉぉぅぅぅぅうううッ!!!





「さようなら──────メルシア」





 ザラディンはメルシアに背を向けると、仕切りに使っていた布を拝借し体に巻き付ける。


 そうして、振り返るとこもなく悠々と天幕を去っていった。


 その背後でメルシアが怨嗟の叫びを上げ続けている。





 ザラディィィィィィィィン!!!!!!!





※ ※


 翌朝。

 意識を取り戻した近衛兵達が発見したのは、地面を掻きむしり──あたり構わず垂れ流して事切れている聖女メルシアの姿であった。

 

 それは、それは随分長い時間、苦しんだことが分かるもので……。


 声のかぎりに解毒魔法をかけ続けていたのか、喉をかきむしり、それでもかなわず、誰かに縋るようにして地面をかき回し、爪が割れて血だらけになっている。


 眼は黒く濁り、耳や鼻から大量出血……。

 喉には吐瀉物があふれて詰まり、歯はほとんどが割れていた……。


 それは、もう───。

 血と泥に(まみ)れた哀れな死にざまであったという。




 その様子を、遠くから見ている小柄な人影がひとつ。


 身体には、不似合いな二刀を背負い。

 全身には、ホルスターに収まる大量の拳銃を纏った異様な風体。


 赤い髪と三白眼。

 すっきりとした鼻立ちの、怖気を振るうほどの美少女───。



「……これで、4人」



 聖女メルシアの死を確認すると、何事もなかったかのように歩き去る。

 向かう先は王都──……。


「行こうか──カサンドラ、オーウェン」


 背の二刀を撫で、全身を弄る様に拳銃を撫でる。


「残り一人……」


 その呟きを最後に、騒がしくなり始めた近衛兵達の天幕地区はいつまでもいつまでも悲鳴と怒号が響いていた。


 この日を境に、王都の警戒レベルは最大級にあがる。


 赤髪の暗殺者は、その身長、容姿を徹底的して分析され、人情描きが各関所や営門に伝達された。

 それだけでなく、似たような容姿の者でも徹底的に取り調べが行われるようになった。


 それでも、ようとしてその姿は掴めず。


 ついに、大賢者王は戒厳令を敷き、予備役を動員した大規模な軍が王都を警戒することになった。

 それでも、二刀に大量の銃を持った少女など見つかるはずもなく────。






 今日も王都に、夕日が暮れなずむ……。

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