第五話 REAL ACTION
ジャージを脱いだその男の体は、キッチリ絞られ「仕上がった」身体だった。
スキのない構え。涼しい朝の空気の中で、男の体からは軽く湯気が出ている。
アップは済ませてある、ってことか。足元はすでに軽くリズムを取り始めている。
「見せてみろよ。コイツらを秒で吹っ飛ばした技を」
「どうでもいい。徳子を放せ」
「手加減はナシだ。そっちが来ないなら、こっちから行くぞ」
軽く頭がズキズキし始める。家から取ってきた発動ドリンクを、車から降ろされたスキにコッソリ飲んでおいたが、もう効き始めたみたいだ。
初めて飲んだが、この発動ドリンク、やっぱり猛烈に辛かった。舌がビリビリ痛くて、思わず声を上げそうになったが、何とかこらえた。ワンボックスの男がこっちを振り向かなくて、本当に助かった。
…徐々に効いて、フル発動から効果ゼロまで30分、とか、あやめさん言ってたな。ということは、倍速モードのピークは10分から15分、ってとこか。
「シッ!」
一瞬こちらに背を向けた男の足が、こちらに伸びて来る。後ろ回し蹴りだ。
でも、その足の動きは、カカトが俺の鼻先に迫る頃には、もうスローモーションになっていた。
上半身を反らし、ゆっくりと(コイツにはそうは見えていないだろうけど)スウェイする。
男は相当な手練れだろう。回し蹴りでバランスを崩すどころか、そこから流れるように蹴りとパンチを次々に繰り出してくる。
体幹がしっかりしていて、身体が全くブレない。コイツ、プロだな。
でも、プロだから、技が正確に繰り出されるから、実に避けやすい。パンチも蹴りも、同じ的に向かって正確な軌道を描くから、スウェイだけで軽く避けられる。
「シッ! シッ!」
男の技はよどみなく続く。この体を見ればわかる。相当なスタミナだ。
いつまでもこうしてはいられない。効果が切れてただの人になれば一巻の終わりだ。俺は男が繰り出す何度目かのジャブをかわしながら、その手首を右手で叩き落とした。
男が左につんのめって倒れる。
「キョージさん!」
日下と小島が叫ぶ。キョージは起き上がるやいなや、前蹴りを出してくる。
なんだか嬉しそうだな、コイツ。やられてニヤニヤするって…どういう心理だ?
両手を交差させて前蹴りを受け、そのまま押し返す。キョージはバック転をするかのような恰好で、ゆっくり、ゆっくり空中で後ろに回って、そのまま古びた椅子をなぎ倒していく。
派手な土埃を上げて、地面に突っ伏すキョージ。だが、すぐさま立ち上がるその顔は、アドレナリン出まくってます、って感じに見える。
効果が切れたらおしまいだ。相手は四人。急がないと。
キョージの腕をつかんで投げ飛ばす。
今度は反対側に吹っ飛ぶキョージ。見事に鍛えた体は、もう土埃まみれだ。
とにかく、コイツを沈黙させないと。今度は足を掴んで放り投げてみる。
徳子が座るカウンターの横を抜けて、キョージの体が棒っきれのようにスピンしながら飛んで行く。
俺の背丈の高さくらいまで積まれた廃材の中に、キョージは上半身を突っ込んで止まった。
足を掴んで引きずり出す。
焦点の定まっていないキョージの顔。さっきまでのニヤケ顔は、もうどこにもない。
俺は右手を振り上げ、キョージの顔にストレートをお見舞いしようと構えた。
「ダメ! それ以上はダメ!」
徳子の叫び声で、ふと我に返る。
キョージはもう、自力で立ち上がれる雰囲気ではない。
あと三人!
後ろを振り向くと、バンを運転していた男は、怯えた顔をして手をかざしている。
「く、来るな、来るな、バケモノ!」
もう一方の日下と小島は、とっくに戦意喪失状態。徳子の座るカウンターの端に寄りかかってヘタリ込んでいる。
「次はないぞ」
二人の胸倉を掴んで囁く。うなづく二人だが、もう目を合わせようともしない。
バンの男は、ぐったりしているキョージに目もくれず、車の方へ走って行く。その時、バンの向こうから、大型のSUVが二台、猛スピードでこちらにやって来るのが見えた。
「慶太か。助かった…」
バンの逃げ道をふさぐように、Vの字に停まる二台のSUV。ドアが弾けるように開いて、中からSPみたいな屈強なオッサンが四人、飛び出して男と日下達を取り押さえる。
「よかった。間に合ったみたいだね」
微笑む慶太。お屋敷の規模を考えたらガードマンくらいはいるとは思ってたが、これほどですか…。
「徳子! 大丈夫か」
カウンターに走る。どれだけ時間が経ったのか、気づけばアタマのズキズキは止んで、走るスピードも普通に戻っていた。
「朝ごはん、もらっちゃた」
右手にパン、左手にコーヒー。目のやり場に困る恰好だが、服に乱れはない。無事か…。
「ごめん。徳子を巻き込んだ」
「何もされてないし。座ってただけだし」
「すごいな、徳子は」
その瞬間、俺は徳子に左肩を突き飛ばされた。
思わずクルッと向きを変え、徳子に背を向けた格好になる。
直後、俺のシャツの背中を思い切り引っ張る徳子。背中に、徳子の頭が当たる。
「…じてたから。タダシは絶対来るって。絶対…助けに来てくれるって…信じてたから」
シャツを掴む手が小刻みに震えている。
「徳子…」
「こっち向かないで!」
「…」
「大丈夫…大丈夫…だから…あとちょっとだけ、こうさせて」
「うん」
ひっ、ひっ、としゃくりあげる声を聞きながら、俺は徳子に背中を貸したまま突っ立っていた。
もっと強くならないと。
ただ、それだけ考えていた。
ご覧いただき、誠にありがとうございます。
よろしければ、またお付き合いください。
よろしくお願いいたします。