第二話 つまりはすべて夢のせいにすればいい
「な、何ですか、コレ? なんで俺、裸になんなきゃいけないんスか?」
あれから4日後の週末。東都生体科学研究所とかいう、お堅い施設の一室で、俺は全身にセンサーをつけられていた。
なぜか全裸で。
「まあ、気にするな。お前のは子供のころから何百回も風呂で見てる。私のもさんざん見てきたろ?」
テキパキと機材のセッティングをしながら淡々と答えるのは長谷川あやめ。幼馴染の長谷川慶太の姉にして、この国を代表する大企業のひとつ、ジャスティン・エレクトロニクスの創業者の孫娘だ。
飛び級でアメリカの大学に進学、卒業後はラボで生体工学の研究にいそしむという、我々凡人の右ナナメ上を行く才媛だ。
ついでに言うと、月並みな言葉だがモーレツな美人。凛とした目力のある顔立ちとスレンダーなスタイルは、立っているだけで周囲に人だかりができるほど。歳は7つしか違わないのに、何もかもが常人離れしたレベルにある。天が二物も三物も与えた、としか言いようがない。
「子供の頃の話は関係ないでしょ? なんで裸なんスか?」
「そう言いながら、しっかり脱いでいるではないか」
「だ、だって…」
「全身にセンサーを付けて測定するのだ。設置の手間を考えたら、裸の方が手間が省ける。それに…アレだ、この先、私も…慣れておかねばならんし、な」
言ってる意味が分からない。てか、あやめさん、なんで顔赤い?
「ハァ…ねえさま、早く始めてください。今日はいろいろテストするんでしょ?」
隣の部屋から慶太が声をかける。その横ではもう一人の幼馴染、京野徳子が両手で顔を覆ったまま、こちらに背中を向けている。
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あの日の夜。家族が寝静まったのを見計らって、俺は台所へとやって来た。
冷蔵庫を開け、中を見回す。
ハァ。そんな都合よく、大量のキムチなんてないよなぁ。
上の扉を閉め、下の野菜室を覗く。なんと、赤唐辛子が一袋あるじゃないか! 俺はその袋を掴んで部屋へ急ぐ。
キムチだろうが唐辛子だろうが同じだろ。まずはあの状況を再現しないと。
袋を破り、おもむろに唐辛子をかじる。
ウヒョーッ! 口から爆炎が出そうだ。でもあの時は、こんなもんじゃなかった。
…涙と鼻水まみれで5本目をかじったあたりから、段々と頭がズキズキしてきた。脈拍も早い。全身が心臓になったみたいだ。
そう、コレだ。この状態であの現象が…
あたりを見回す。何も変わらない、俺の部屋。そうか、対象物がないから、自分の動きが速いかどうかもわからないわけだ。
シャドウボクシングをしながら(といっても経験ないから真似事レベルだが)、軽く壁を打ってみようと、右の拳を出す。
ズドーン!
…一発で壁に穴が開いてしまった。
「なに、今の? 何の音?」
下から母の声がする。
「ごめん、体操してて足滑った。何でもない」
壁の穴をポスターでふさぐ。やっぱりそうか。そうなんだ…。
「それは、病院に行って話をしても信じてもらえないだろうね」
翌日、昼休み。隣のクラスにいる慶太と徳子に屋上で思い切って打ち明けてみた。学校で俺が話をするのはこの2人だけだ。
「でも、何かの異常かもしれないでしょ? 食品アレルギーみたいな」
あやめさんとはタイプが違うが、徳子もなかなかの美人だ。学校内で狙っているヤツも多いと聞く。
「そうかも知れない。でも、そうではないかも知れない。いずれにしても、その辺の病院ですぐ分かることでもなさそうだね」
姉に負けず劣らず、慶太も常人とは違うDNAの持ち主だ。姉同様のキリッとした顔立ち、スラッとした体形。なのに運動も、勉強もトップクラス。
どうして俺のまわりにはこんなヤツしかいないんだ? そんなことより、どうしてこんなヤツらが俺に構ってくれるのか? 不思議でならない。
「そうだ、ねえさまのラボで調べてもらったらどうだろう? 今度の週末とか。徳子サンも、行くよね?」
「そりゃ、まぁ…」
「決まりだね。じゃあ土曜日、迎えに行くよ」
こうして我々3人は、長谷川家のリムジンに乗って、山奥のこの研究所にやって来たのだ。
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「専門的なことを言っても分からんだろうから、簡単に説明しよう」
日も暮れた18時過ぎ。コーヒーを片手に、あやめさんはラボの隅からホワイトボードを引っ張って来る。
「ひと口で言うと、タダシ、お前は心臓が人並み外れているんだ」
よく分からん化学式やら、樹系図やらをホワイトボードに書いていく。
「体は並。中の中。ま、何の取柄もない」
「悪かったな。並ですみませんねー」
「気を悪くするな。普通が悪いわけじゃない。問題はお前の心臓と血管。これがちょっと、普通じゃないんだな」
化学式の横に、心臓の模式図を描き出すあやめさん。
「言ってみればタダシ、お前はそこらにある普通の車みたいなものだ。でも、その普通の車に、F1のエンジンが乗っかっているんだよ」
「F1?」
「そう、F1だ。普段はアクセルを全開にすることなんてないから、マシンは暴走することもない。ところが、だ。特定の要件下になると、リミッターが外れて、アクセルのレスポンスが速くなるわけだ…」
化学式がホワイトボードいっぱいに広がっていく。
「で、そのきっかけが、多分コレだ」
C18、H27、NO3…。そう書いてあやめさんが振り向く。
「カプサイシン。アルカロイドの一種だな。唐辛子に入っている成分だ」
「それでキムチ…」
「一般には、カプサイシンは脳に運ばれて神経を刺激して…アドレナリンを活発に分泌させる。普通の人なら、汗をかいたり、体が熱くなったり、程度なんだが、お前はたぶん、このアドレナリンの分泌量が人とは違うのだろう」
徳子も慶太も俺の方を見ている。
「そして、それを受けて発生する強心作用で、人並外れた心臓と血管が爆発的な活動を開始。心臓の脈拍が常人の倍…いや、3倍近くまで上がり、身体が一時的にブーストされた状態になるようだ。本人は普通に動いているつもりでも、パワーも、スピードもケタが違うということだ」
「ねえさま、仕組みは何となく分かりました」
慶太が割って入る。おいおい、俺、全然わかってないんですけど?
「それで、タダシは結局どうしたらいいんですか?」
コーヒーをひと口すすって、あやめさんが続ける。
「まず大前提として、辛い物を避ける。これが平和に過ごすコツだ。ただ、まだ調査の途中だ。タダシがほかの物質でこの反応を示す可能性もあるだろう。そこで…」
ここで初めて、俺にも分かる単語がホワイトボードに書かれた。
「トレーニング。体をとことん鍛えておく必要はあるだろう」
「は? なんで? 発動しなきゃいいんじゃないの?」
「そのスイッチがどこに転がっているか、正確に判明していないだろう? それにだ。さっき、お前の体は並、と言っただろう?」
「ああ」
「普通の体のままでは、その大パワーを受け止めきれないぞ。馬鹿力で何かをしたり、猛烈なスピードで動いたりしたら、お前の体にはその反動が来る」
「反動?」
「エネルギー保存の法則だ。仮に猛スピードでお前が動いて急に止まった、としよう。そこで発生した運動エネルギーは、急停止したお前が全部受け止めることになる。分かりやすく言えば、その衝撃で体が傷む、ってことだ」
「だからトレーニング…?」
徳子が久々に口を開いた。
「そう。筋肉を鍛え、骨格を強くして、衝撃に強い体を作らないといけない…ただ、お前のスピードが常人の3倍なら…何か補助的なものは必要だろうな」
「補助的なもの?」
「たとえば強化スーツだ。発動時に着ておけば、ある程度衝撃を和らげてくれる。ちょうどウチの会社で作業用のものを作っているから、それをベースにある程度の試作品は作れるだろう」
「よいのですか、ねえさま?」
あやめさんの目が光った。
「考えてみろ。衝撃吸収強化スーツ。完成すれば、作業現場だけでなく、スポーツにも、警備にも、軍用にだって転用可能かもしれない。これは大発明だ。そうすればわが社の利益が…ストックオプションが…」
「ねえさま、ヨダレが」
「オホン。まあ、そういうことだ…タダシ、身体の強化メニューを渡しておく。毎日欠かさずやれ。あと、できれば放課後、毎日顔を出して欲しい。データ採取、分析、スーツの採寸やら、やることは目白押しだ」
病気でないのを喜ぶべきか、普通でないのを悲しむべきか。ともあれ、俺には毎日の筋トレとランニングが課せられることになった。
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