79. 北海道を望む場所
その日は、さすがにホテルに直行し、風呂に入って、4人とも倒れるように眠りについていた。
いくら若いとはいえ、超長距離を1日で走り抜け、体力・気力共に限界だった。
翌朝。そのホテルの朝食を食べながら、それぞれの感想を言い合っていた。
内容は、「ガソリンスタンド」の話題になり、国道4号はいくらでもガソリンスタンドがあったが、杏・蛍組の方は、田舎すぎてガソリンスタンドを探すのが大変だったなど。
あるいは風景が綺麗だった、走りやすかったなど。
そんなバイク乗りらしい会話を交わしていた。
当然、その日はもう帰る予定で、帰りの打ち合わせや宿の話にもなっていたが。
バイキング形式のホテルの食堂コーナーに、一人の初老の男がいて、不意に彼女たちに声をかけてきた。
「おめたづ、どっから来たんだべ?」
思いっきり津軽弁だったから、驚きつつも、京香が代表して、
「東京です。バイクで来ました」
と返し、杏が、
「私は神奈川県」
と答えていた。
すると、
「わいは! けっぱったなあ」
いきなりバリバリの津軽弁が返ってきて、彼女たちが面食らっていると。
「もう帰る予定っすけどね」
杏が答えると、その初老のおじさんは続けた。
「いだわしい。せば、青森県を観光して行くといいべ」
なお、「いだわしい」は津軽弁で「もったいない」くらいの意味になる。
「観光って、何か面白いところありますか?」
社交的な京香が代表しておじさんに聞いていると、おじさんは考え込んだ後、
「んだなあ。単車なら津軽半島の龍飛崎と、下北半島の大間崎なんてどうだべ?」
と提案してきた。
「いいですね。確か北海道が見えるんですよね?」
喜び勇んで尋ねる京香に、おじさんは、
「んだ。今日は天気いい予報だべ。晴れればいいの。へば」
そう言い残し、おじさんはあっさりと踵を返していた。
残された彼女たちは、
「わいは? って何? ハワイ?」
「いや。芸能人じゃないんだから」
杏の一言に、真姫が突っ込んでいた。
ちなみに、「わいは」とは、津軽弁で、「あらまあ」くらいの意味の感嘆符に近い意味になる。
「いい情報が聞けたね。早速、今日は龍飛崎と大間崎に行こう」
京香は早くも行く気満々になっていた。
「でも、宿はどうするの?」
冷静な真姫が突っ込むものの、
「宿なんて、後でどうにでもなるだろ。まずは旅を楽しむ!」
杏に勢いよく制されており、真姫は内心、
(発想が茜音ちゃんと変わらない)
と呆れていた。
だが、地元の北海道が見えるということで、珍しく蛍が乗り気になっており、
「行こう、龍飛崎と大間崎」
と、いつになく張り切っていた。
結局、誰も反対するメンバーがおらず、その日は急きょ、津軽半島と下北半島に行くことになった。
宿はおいおい旅先で予約するという、行き当たりばったりの旅が始まった。
津軽弁のおじさんが言ったように、その日の天気は晴れ。夏らしい暑さと入道雲が見える、しかし夏の短い青森県の「残された最後の夏」のような1日だった。
まずは津軽半島から。
青森市中心部にあるホテルを午前9時に出発した4人。龍飛崎までは、これまでの超長距離走行に比べれば、「あっという間」の距離と時間だった。
距離にして、およそ70キロ、時間でも1時間半程度。
しかも、青森市の市街地を抜けると、後は交通量が少ない田舎道がひたすら続く。
ナビ通りに進むと、国道280号のバイパス道を通ることになるので、厳密には「海」、つまり津軽海峡を見ることはほとんどなかったものの、真っ直ぐな田舎道がどこまでも続く、快適な道だった。
インカムを通して、先頭を走る杏が歌を唄い始め、真姫は、
(ちょいうるさい)
と内心思いながらも、この快適な田舎道を走る行為自体を楽しんでいた。
外ヶ浜町からは、内陸の道に入るが、県道12号、14号と山の中を突っ切るような道を走る。
ただ、東京周辺とは大きく異なり、県道とはいえ、道幅も広く、交通量も少ないので、走りやすい道が続く。
今別町のコンビニで、休憩を取った後は、再び国道280号を走り、次いで国道339号に入るが。
「海だ!」
元気がよく、テンションが上がっている杏が、インカムを通して叫んでいた。
「海だねー。津軽海峡だよ。蛍ちゃん、ちょっと懐かしい?」
「そだねー。まあ、私の故郷の北見は、この海を越えたはるか先だけどね」
「まあ、北海道は広いからねー」
「時間があればもう一度行きたかった」
それぞれ京香、蛍、そして真姫が答えながらも、右手に海を見ながら走る快走路がどこまでも続く。
そして、青森市の出発から1時間半後、太宰治の文学碑が見える頃。龍飛崎の案内板が現れる。
先頭を進む杏が、不意に龍飛漁港の駐車場前でスピードを緩め、堤防前にバイクを停め、3人もまたバイクを停めた。
大きな堤防に囲まれ、背後にはごつごつとした岩肌を持つ山がそびえている。
「杏ちゃん。まだ龍飛崎じゃなくない?」
問いかける京香に、調べてきたのだろう、杏が自信満々に答えていた。
「ここでいいんだ。ここから階段国道を通って、龍飛崎に行ける」
「階段国道?」
「知らないのか。日本で唯一の、歩道の国道らしくてな。階段なのに国道っていう面白いところらしい。そこを越えると龍飛崎の灯台があるはずだ」
「へえ。面白そう!」
すっかり乗り気になっている京香、歩くのが億劫だと感じている真姫、そしてまだ見ぬ龍飛崎にワクワクしている蛍。
それぞれが思い描いている岬の光景を目指して、案内板を頼りに歩き出した。
鬱蒼とした森の中を抜けるように、階段が設置されており、それをどんどん登っていくと。
本当に、国道の標識がこの明らかに「歩道」の道の上に現れ、4人は感嘆の声を上げていた。
そして、登りきると、すぐ近くに石碑が立っていた。
「あ、これ。蛍がいつも歌ってる歌の碑じゃん」
あざとく見つけた杏が近寄る。
「そだねー。でも、これって失恋の歌なんだよね」
「失恋?」
「そう。東京に出てきて、男性と恋をして、何らかの原因で失恋して、北海道に帰る女性の心情を歌った悲しい歌」
「まあ、演歌なんて、失恋の歌が多いんじゃない?」
蛍が歌詞が描かれた石碑を見て、隣の真姫に説明する。
つまり、元々は東京の上野から青森まで夜行列車が走っており、青森から函館までは青函連絡船が走っていた。この歌が出来た頃には、青函トンネルはなかったので、東京~北海道への旅は今よりもはるかに大変だったという。
石碑を見た後は、すぐ近くにある龍飛崎の灯台に向かうことになった。
そこからは、海が見渡せ、そして遠くに北海道の稜線が見えるのだった。
「おお、あれが北海道か」
杏が大袈裟に感情を露わにしていた。
「近いね。何キロくらいだっけ?」
「19.5キロだったかな。こうして晴れてるとよく見えるね。ちなみに、向こうに見えるのは、北海道最南端の岬、白神岬だったかな」
蛍が呟くが、彼女にとって故郷の地をこんな形で眺めることになり、真姫が見るとどこか感慨深いような、複雑な表情に見えた。
一通り回った後。
「じゃあ、次は大間崎だ」
一番元気な杏がまたも先頭に立ち、目的地に向かうが。
そこからは、想像以上に「遠かった」。
つまり、津軽半島最先端のここ龍飛崎から、津軽海峡を挟んで、正反対の下北半島の、さらに最先端まで行くのだ。
距離にして、212キロ。時間にして、4時間半近くはかかる。
朝に出発した彼女たちは、ちょうど昼頃に青森市に戻り、ここで昼食を取って、出発。
真姫・京香組が通った、浅虫温泉を経由し、国道4号を走り、野辺地町から下北半島縦貫道路という、無料の高速道路のような道をひた走る。
海沿いではないものの、交通量の少ない、田舎の2車線の高規格道路は走りやすく、青森市から1時間半ほどでその場所に着いた。
横浜町。
そこの道の駅よこはま 菜の花プラザで。
「青森なのに、横浜か!」
杏がバイクを降りた途端に、楽しそうに叫んでいた。
「青森県にも横浜があるんだね。しかも、神奈川県の横浜とは大違い」
蛍も頷くが、彼女はむしろこの田舎の「横浜」を気に入ったようだった。
「あとどれくらい?」
休憩スペースでジュースを飲みながら、真姫が口を開く。
「うん。1時間半くらい。ちょうど青森市から半分くらいまで来たね」
「遠い」
「まあまあ、真姫ちゃん。夕方までには着けるって」
京香が不満顔の真姫をなだめていた。
時刻は14時30分を回ったところ。このペースだと大間崎に着くのは、夕方近くになってしまう。
10分ほどの休憩だけで、彼女たちは北を目指した。
そこから先は「むつはまなすライン」とも呼ばれる国道279号を通るが、片側1車線にも関わらず、交通量が少ないため、バイクで走る分には、快適な道がどこまでも続く。
ところどころで、津軽海峡の海を左手に眺めながら、やがてむつ市に入り、そこを越えると、少しだけ山道に入る。
さらにいくつかの集落を抜けた後。
「海だ!」
またも、インカムを通して、杏が叫ぶ。
「はいはい、海だ。そんなに珍しくもないだろ」
「真姫ちゃん、辛辣ー」
呆れたような声の真姫、突っ込む京香、笑う蛍、そして不機嫌になる杏。
4人の青森県の旅は、順調に続いており、天気にも恵まれていた。
やがて、海沿いから、小さな大間の集落に入り、さらに走り、ようやくその目的地にたどり着く。
大間崎。
そこは、龍飛崎のような、荒々しい丘の上ではなく、海が間近に見える、開放感に溢れた「岬」だった。
まぐろの像と、石碑が立っている。
バイクを岬のモニュメント近くに停め、4人はバイクを降りて、石碑に向かう。
石碑には、
「ここ本州最北端の地」
と書かれてあった。
「着いたな、大間崎!」
「わかったから、うるさい」
「何だと」
「まあまあ」
杏と真姫のやり取りの間に、蛍が入って、なだめ、4人で石碑の前で記念撮影をすることになり、たまたま近くにいた観光客に写真を撮ってもらうのだった。
その後。
「ここから北海道は、確か18キロしか離れてないんだって」
「へえ。龍飛崎より近いね」
京香と真姫が、海の先に見える、北海道の稜線を眺めながら、言葉を交わし、
「対岸は汐首岬だね。青森から函館に行くより、大間から函館に行く方が近いんだよ」
「いいなー、北海道。時間があれば行きたかった」
蛍の説明に、杏が羨望の眼差しを、海の向こうに見える北海道の稜線に向けていた。
「大間と言えば、マグロだ! マグロ食いたい!」
突如、杏が叫んでいたが、それを制したのは冷静な真姫の一言だった。
「今回は時間ないから、諦めな。大体、今日の宿はどうするんだ?」
すると、杏は渋々ながらも、「わかった」と頷いていたが、次に彼女の口から出た一言は意外なものだった。
「実はさっき予約してきた」
「えっ? どこ?」
京香の問いに、杏が自信満々に、大きく宣言していた。
「青森県には、ライダーが集まる、ライダー宿があるらしいって聞いてさ。運よく空いてた」
「だからどこだって聞いてるんだけど」
真姫の鋭い質問に、彼女は、あっけらかんと、
「弘前の下あたり」
と答えていたが。
「弘前? ここから4時間かかるけど」
真姫がすぐに携帯で調べ、発した一言に、杏は、
「マジか。結構遠いけど、まあ、今日中に着けばいいし、大丈夫だろ」
事も無げに言い放っていた。
(これから4時間って、夜になる)
真姫にとっては、また青森市まで戻り、さらに弘前市の先まで行かなければならない、この先の道のりが非常に億劫に思えてならなかった。
旅の2日目。
最後の行き先を目指して、彼女たちは、大間崎を後にする。
旅は終局へと向かっていた。




