76. 国道4号(後編)
真姫と京香の過酷な旅が続いた。
一関市を出ると、すぐに聞いたことがある地名が、真姫の目に飛び込んできた。
平泉町。
(確か歴史の授業で習った……)
彼女はうろ覚えだったが、奥州藤原氏や源義経で有名な場所だと記憶しており、実際に中尊寺や毛越寺の標識が見えていた。
だが、先を急ぐ彼女たちは、あえなく通過。
4号線は、2車線の快適な道を真っ直ぐに北に描いていた。
だが、実はこの岩手県こそが、大変な道になる。
北海道に次ぐ全国2位の面積を持つ岩手県は縦に長い。
なかなか距離が縮まらないと思いながらも、奥州市、金ヶ崎町、北上市と、北上川に沿うように北上を続ける。
そして、一関市の出発から約1時間半後。
花巻市に入った辺りで、真姫はインカムを通して、京香に訴えた。
「眠い。どこかで休もう」
「りょーかい。道の駅に寄るよ」
京香はすぐに応じてくれ、最寄りの道の駅 石鳥谷 南部杜氏の里に入る。
時刻は夕方、16時40分を回っていた。
この変わった名前の道の駅は、広大で、敷地内には図書館や体育館、学習館や博物館、物産展などがあった。
だが、疲れ果て、眠気が襲ってきていた彼女たちは、それらをパスし、ベンチを探すものの。
広い駐車場や敷地内に反して、横になれるような場所はなかった。
「こういう時、車だと便利なんだけど」
「だよね~。まあ、ないものはしょうがない。別の所に行こう」
そう言って、京香が先導した場所は、そこからすぐの距離にあった。
JR石鳥谷駅。
国道4号からは少しだけ外れた、東北本線の小さなローカル駅で、無人駅ではなかったものの、レトロな切妻屋根が特徴的な、こぢんまりとした駅だった。
中に入ると、小さな待合室にいくつかの椅子が置かれてあるが、人影は全くなかった。
「ちょうどいいね。ここで寝よう」
京香の発言に、真姫はいても経ってもいられずに椅子に横になっていた。
京香はそんな真姫の様子に、小さく微笑みながらも、自身は背もたれに身体を預け、真姫の頭を自らの膝の上に乗せていた。
そのままあっという間に真姫は眠りに落ちる。
ローカルの短い編成の電車が来たような気がしたが、真姫も京香も眠りについており、気づいてすらいなかった。
そのまま時間は経過し、17時を回る。
やがて17時20分過ぎ。
再び電車が来て、数人がホームから駅構内に入ってきた。
そこでようやく目を醒ます真姫、そして京香。
「ふわあ。少しだけど寝れた」
「良かった。ちょっと寝るだけでも違うでしょ」
「うん。ありがとう、京ちゃん」
「どういたしまして」
にっこりと笑顔を見せる京香の眩しい笑顔が、真姫にはありがたかった。
夏の長い陽は、まだ沈んではいなかったが、徐々に辺りは暗くなり始める。
「休んだし、出発しよう」
「うん」
再び、4号線の長い旅路が続く。
そして、そこからが大変だった。
休んだことで、少なからず眠気は醒めていたが、岩手県の県庁所在地、盛岡市中心部では軽い通勤渋滞に遭い、そこを抜けるとひたすら田舎道になった。
岩手町を過ぎると、軽い上り坂になり、そこに「国道4号最高地点」の標識があった。標高はわずか458メートルの十三本木峠だ。
国道4号は、全体的に平坦な道が多く、山道はほとんどないから走りやすいが、ここだけは峠道だった。
すでに宵闇が迫り、辺りの木々が黒い影にしか見えない中、一戸町、二戸市と抜けて、ついにその標識を目にすることになる。
「青森県」
旅の終着点がある県に到着したが、すでに陽は沈んでおり、辺りは田舎特有の、漆黒の闇に包まれていた。
かろうじて、道の駅の標識を見つけた京香が、その駐車場に入って行く。
道の駅さんのへ。
時刻はすでに20時近くになっていた。
眠気覚ましと、体力回復に、自販機でコーヒーを買って休憩する2人。
互いにバイクの様子を軽く確認しながら、シートに座り、話をする。
「やっと青森県に着いたね」
「だねー。遠かったなあ」
「あと、どのくらい?」
「うーん。大体110キロ、2時間ってところかなあ」
「さすがにおなか空いたなあ」
「そうだねー。ファーストフードにでも行く?」
その京香の問いに、真姫は首を振っていた。
「いや。せっかく来たのに、ファーストフードは味気ない。コンビニで買って、さっきみたいに、ローカル駅で食べよう」
「いいね、それ。駅は旅情をかき立てるからね」
京香は、あっさりと合意し、破顔していた。
再び夜の国道4号をひた走る。
五戸町、十和田市、七戸町と抜け、約1時間後。ロードサイドのコンビニで弁当を買った2人。
駐車場で携帯を見ていた真姫が、あることに気づいた。
「ねえ、京ちゃん。この野辺地って地名、面白そう」
「野辺地?」
「そう。ここ」
自らの携帯の地図アプリを見せ、この先にある海沿いの小さな街を、真姫は指差していた。
「野辺地かあ。多分、アイヌ語だね」
「アイヌ語って、北海道だけじゃないの?」
「ううん。実は北東北、特に青森県にはいっぱいあるらしいよ。まあ、私も聞きかじった知識だけどね」
「へえ」
妙なところで博識な、京香の意外な一面を見た気がした真姫であった。
そして、コンビニを出て間もなく。
その場所に入った。
青森県野辺地町。
青森県内でも有数の豪雪地帯で知られる街で、人口は約12000人ほど。
野辺地の由来はアイヌ語の「ヌプンペッ」(野中を流れる川)と言われている。古くから交通の要衝として栄えていた街でもあった。
国道4号を少しだけ外れ、到着する。
野辺地駅。
あおい森鉄道と、JRの共同使用駅だが、駅前は、お世辞にも「栄えている」とは言えない、こぢんまりとしていて、むしろ「何もない」にふさわしいくらい閑散としていた。
特に、夜遅いこともあり、タクシーがかろうじて1台、駅前ロータリーに停まっているだけの光景だった。
もちろん、小さな駅舎には人影はなかった。
構内に入るものの、なんとも物寂しい駅だった。
そこのベンチで、2人は揃って弁当を広げる。
コンビニで暖めてもらった弁当は、少しだけ冷めていたが、ずっと走ってきて、あまり食事を摂っていなかった2人にとって、待ちに待った夕食であり、ごちそうでもあった。
「空腹は最高のスパイス」という。
超のつくほどの、過酷なロングツーリングで疲れ果てていて2人は、一気に夕食を食べていく。
気がつけば、お互いがほとんど無言のうちに、平らげていた。
食後。
「いよいよだね」
「長かったなあ」
感慨深げに呟き、お互い、この旅で最後の区間に挑む。
時刻はすでに21時30分を回っていた。
残り区間は約43キロ、時間にして50分強だった。
野辺地町から、海沿いを走り、平内町を通り、浅虫温泉の標識を見る頃。
ようやく「青森市」という案内看板を見つけた2人。
「やっと青森だ!」
「あともう少しだね」
インカムを通して、京香のテンションが高い声が聞こえてきた。
青森市街地に入ると、あとは簡単であっという間だった。
広い道幅と、ロードサイドの店舗が建ち並ぶ街中を駆け抜ける。
すでに夜の22時を回っているから、車は極端に少なかった。
今日、予約していたホテルの前を通過し、青森市役所を左手に見ながら、ようやくそこに到着した。
青い森公園。
青森市中心部にあり、国道4号と7号の国道碑が建っている。そこが、4人が前もって決めた「ゴール地点」だった。
予想通りというべきか。
到着した時には、すでに杏と蛍のバイクは停まっており、手持無沙汰気味に2人が携帯を見ていた。
バイクで近づくと、杏が右手を上げて合図をし、蛍は穏やかな笑顔を見せていた。
東京、日本橋の出発から18時間30分。時刻は22時30分頃だった。
ついに2人は744キロを走り抜け、国道4号の最終地点にたどり着いた。
無事の再会を喜び合うものの、感想を言い合う気力は、4人には残されていなかった。
そのままホテルへと向かったのだった。
こうして、真姫・京香組の、果てしなく長い旅は終わる。




