69. バイク禁止令
「真姫。あなたはしばらくバイク禁止ね」
母の鋭い眼光と、怒ったような口調に、真姫は反論していた。
「なんで? ちょっとコケただけじゃん」
「言い訳しない。あなたは女の子なんだよ。それも受験を控えている大切な時期。とにかく禁止ね」
「禁止って、いつまで?」
「私がいいって言うまで」
真姫の絶望が始まった。
きっかけは、数時間前にさかのぼる。
年が明けた1月。
真姫は、1人で土曜日に、バイクで出かけた。
とは言っても、路面凍結が怖い冬の時期。少しでも暖かいところに行きたい、と三浦半島から湘南海岸辺りを目指して走った。
その途中、とある坂道でUターンしようとして、盛大に転倒していた。
彼女自身にとって、バイクに乗って「初めて」の「立ちゴケ」だったが、運が悪いことに、坂の山側から谷側にコケて、しかも足をバイクと地面の間に挟んでしまった。
幸い、骨には異常がなく、打撲と捻挫程度で、バイクも無事に起こせたが、帰りに足を引きずるようにして帰ってきた娘を見て、母の南はすぐに気づいたのだ。
「真姫。立ちゴケしたね」
と。一応、ブランクはあるとはいえ、南は元・ライダーだから、その様子に感づいてしまった。
おまけに、かつてバイク事故を起こしたことがある、南はその点で、真姫には厳しかった。
そこで言い渡されたのが、冒頭の言葉だった。
彼女は、こういう点に関しては、特に厳しかった。
一方、父の直樹は、
「立ちゴケくらいで、厳しい」
と南に文句を言っていたが、彼女は思うところがあるらしく、
「ダメ。この際、しばらくバイクから離れなさい」
と頑として譲らなかった。
真姫は、仕方がないので、父を呼び、父とこっそり話すことにした。
父の部屋は1階の奥にある。
そこを訪れ、
「父さん。何とかして」
と訴えたものの、直樹は難しい顔のまま、
「ああ。何とかしてやりたいのは、山々だが、ああなったあいつはテコでも動かんぞ。無理だな」
と、にべもなかった。
「じゃあ、どうするの? 乗らないと、バッテリー上がっちゃうよ」
だが、その訴えに対しても、直樹は冷たく口に出していた。
「バッテリーは外しておけ。一応、俺が預かることになってるから」
南がそう告げたらしい。
「そんな」
バイクに乗れない。
それは真姫が思っていたよりも、はるかに重要な影響をもたらしていく。
まず通学に使っていたバイクが使用できないから、自転車通学になった。
府中市の真姫の家から、学校まではそんなに急な坂道はなかったが、「時間」と「労力」の意味で、かなりのロスになる。
さらに、「買い物」にも使っていたバイクが使えないことで、買い物も不便になっていた。
だが、バッテリー自体を取り上げられ、母の厳しい監視の目があるため、こっそり黙って乗ることは、実質的には不可能だった。
困り果てた真姫は、親友に相談することにした。
2年生のクラス替えから引き続き、同じクラスなので、彼女を呼びだすのは簡単だ。すぐに駆けつけてくれる、頼もしい彼女だ。
「どしたの、真姫ちゃん? バイクは?」
放課後に、教室の自席に呼び出していた京香に会うと、彼女は真っ先に聞いてきたが。
事情を説明すると、
「うわ。厳しいね、お母さん」
同情の目を向けながらも、彼女は机に頬杖を突いて、見守るように真姫を見ているのだった。
「で、そんなわけだから、バイクに乗れないし、どこにも行けない。でも、ツーリングには行きたい。どうすればいいと思う?」
そんな真姫の切実な願いに対し、親友の京香は、腕組みをしてしばらく考え込んでいたが、やがて。
「わかった。じゃあ、私が真姫ちゃんを連れて行ってあげるよ」
と、突拍子もないことを呟いた。
「えっ? 連れて行くって?」
「だから、タンデムだよ。真姫ちゃんのお母さんは、真姫ちゃんが『バイクに乗って運転すること』を禁止したんだよね。じゃあ、私が運転して、真姫ちゃんが後ろに乗るのはOKだよね?」
「うーん。OKなのか? かなりのグレーゾーンな気がするけど」
「まあ、いいじゃん。この京香先輩が、真姫ちゃんの行きたいところに連れて行ってあげるからさ」
イマイチ、「上から目線」なのが、気になる真姫ではあったが、これも「京香の優しさ」とは知っていた。
彼女は、彼女なりに真姫が「バイクライフ」で困らないように、考えてくれたのだろう、と。
そのため、真姫自身は、「妥協」することに決めた。
「わかった。ありがと、京ちゃん。それと、京ちゃんのご両親にも一応言っておいてね。ウチの親にはバレたくないから」
そのことを、念押しで頼む真姫だったが、京香はあっけらかんとした口調と表情で、
「わかったけど、大丈夫だよ。ウチの親、そんなの全然気にしないから。まあ、PCX150しか使えないけどね」
と言い放っていた。
「それで、十分」
「じゃあ、どこか行きたくなったら、遠慮なく言ってね。まあ、最近寒いから、あまり遠くまでは行けないかもだけど」
「わかった。いいよ、それで。改めてよろしくね、京ちゃん」
「うん。楽しいツーリングコース考えておく」
「ところで」
京香が、思い出したかのように、不意に切り出した。
「何?」
「何で立ちゴケしたの?」
真姫が、坂道の途中でUターンしようとして、立ちゴケしたことを説明すると、京香は、
「バイクは坂道、砂利道、土の上ではUターンしない方がいいよ」
先輩として、アドバイスをしていた。
さらに、
「立ちゴケしないコツってあるの?」
と尋ねた真姫に、彼女は、少し考え込んでから、明確かつ真姫には役に立つ「技術」を口頭で教えてくれるのだった。
「あるよ。真姫ちゃん。低速走行の時、バイクでは何が一番大事だと思う?」
「そりゃ、クラッチじゃない。クラッチで車体を安定させるから」
「それが間違いだね」
「どういうこと?」
「クラッチはもちろん使うけど、実は重要なのはアクセル」
「アクセル?」
「そう。アクセルを心持ち強めにして、クラッチで制御するの。それが正しいやり方」
「そうなの? でも、低速でアクセル開けるのは怖い」
「だから、クラッチで制御するんだよ。低速でもアクセルをある程度、開けると車体は安定するんだよ」
「なるほど」
京香の「理論」は真姫とは違った。むしろ、これは「教習所」で、特に一本橋走行で習うことだったが、真姫自体、そのことを忘れていた。クラッチを多用するのは、バイク初心者にはありがちな「罠」でもある。つまり、「怖がって」いると、自然とクラッチを多用してしまうのだ。
真姫は、「バイクに慣れた」つもりでも、慣れた頃が一番怖いし、本質的に「わかっていない」部分がまだ残っていたのだ。
なんだかんだで、真姫よりもバイク乗車経験が長い上に、仕事を通して、日常的にバイクに乗る機会が多い京香は、やはり「先輩」だった。
結局、ツーリングに行く約束を、漠然と交わして2人は別れた。
京香の乗るPCX150。それがしばらくは真姫の、「代用」となる「乗り物」となる。もっとも操縦は禁止されているから、後部座席に座るだけだが。




