67. 眠らない街にて
23時。
深夜とはいえ、週末ということもあり、渋谷は大勢の人で賑わっていた。
交通量も意外と多く、戸惑いながらも、真姫は先導する京香に従い、高架下にある宮下公園近くの、バイク駐輪場にバイクを停める。
「じゃあ、行こうか」
「いいけど、場所知ってるの?」
真姫は、ヘルメットで崩れた髪を直しながら、京香に尋ねる。
彼女は、携帯の画面を見せた。
「教えてもらってるから、大丈夫」
そこには、LINEの画面が広がっており、バイク共通アカウントではなく、個人的に彼女が杏とやり取りをした記憶が残っていた。
渋谷駅前。
スクランブル交差点は、こんな深夜でも大勢の人が横断歩道を渡っていく。交通量も渋谷の中心部は多い。まさにそこは「眠らない街」だった。
スクランブル交差点を越えて、センター街を通って行くと、やがて道玄坂に近い辺りに、そのカラオケ屋はあった。
24時間営業で、その日が週末ということもあり、多くの若者で賑わっていた。
そんな中、京香は杏に電話をかけていた。
「あ、もしもし、杏ちゃん? 私と真姫ちゃん、カラオケ屋に着いたんだけど」
そうしゃべっていると、
「あ、うん。わかったわかった。今から行くね」
彼女はあっさりと電話を切り、次いで慣れた態度で、カラオケ屋のフロントに行き、追加で合流する旨を伝えていた。
5階建ての大きなカラオケボックスの3階部分の角部屋に、彼女たちはいた。
しかも、友達と行くと言っていた割には、いたのは、いつもの2人、つまり杏と蛍だけだった。
「おつかれー、真姫ちゃん」
蛍が笑顔を返し、杏は歌っていながら目だけ向けて、微笑んでいた。
「なんで、2人しかいないの?」
早速ソファーに座り、端末から歌うべき歌を探しながら、真姫が尋ねると。
「ああ。学校の友達と行くつもりが来れなくなってね。結局、いつもの2人」
一応、一度家に帰り、着替えてから来たらしい2人は、私服だった。
もっとも、ライダーらしい格好をしている京香や真姫とは異なり、分厚いコートの下は、少しオシャレなブラウスのような物を着て、下もスカートだったが。
杏の歌が終わったようだ。彼女は、アイドルソングを歌っていた。
「んじゃ、2人も来たことだし、早速、真姫、行ってみよう!」
やたらと気合が入った声で、杏は真姫にマイクを渡す。
「まあ、待て。今、選んでる」
真姫は、端末から目を離そうとせず、杏のマイクも断っていた。
「しゃーないなあ。じゃ、京香」
今度は、京香がターゲットにされていたが、彼女は彼女で、
「いや、私もまだ選んでる」
と、断っていた。
「いいよ、杏ちゃん。私が歌う」
そう言って、スカートを翻して、立ち上がったのは、意外にもこの中では一番おっとりしていそうな、蛍だった。
しかも彼女が選曲した曲は、「津軽海峡」を歌った、某有名演歌だった。
「蛍ちゃん、渋い……」
「いいねー、蛍ちゃん」
真姫が驚き、京香が拍手を送る中、注目の蛍が歌い始める。
しかも、最初の歌い出しから、めちゃくちゃ上手いのだった。
拳を振り上げ、ビブラートの効いた、やたらと力強い歌い方だった。
(上手い)
カラオケが好きな真姫でさえも、驚愕するくらいに、彼女は「上手かった」。真姫は口には出さなかったが、杏は決して歌が「上手い」方ではないと感じていた。極端に下手ではないものの、テクニックでいえば、蛍の方が優れている。
ようやく歌が終わると、3人から拍手が響いており、蛍が照れ臭そうに微笑んでいた。
次は、真姫の番。
しかも彼女の場合は、「洋楽」だった。それもドイツのロックバンドの歌を、英語のまま歌いあげる。
それも、傍から見れば十分に「上手い」レベルだった。彼女自身からすれば、別段不思議なことをしているわけではなく、普段通りに歌っているにすぎないのだが、終わってみると3人からは、
「マジで。英語で何であんな滑らかに歌えんの?」
「相変わらず真姫ちゃん、カッコいいね」
「意外な才能だね~」
それぞれ、杏、京香、蛍が感想を述べていた。
さらに、続く京香。
彼女は、「アニメソング」だった。
それも、女性歌手が歌う、かなりの高音域を擁する、一見すると難しい曲だ。もっとも彼女自身も、練習はしていたから、難なく無難に歌い上げていた。
こうして、夜は更けていく。
途中、夜中に小腹が減った、と杏が言いだして、食事注文を取り、さらに歌い続ける。
彼女たちに聞くと、このコースは「23時から朝の5時までの6時間の深夜コース」で通常より安いという。
しかし、
(さすがに6時間は長い)
と思うと同時に、真姫は歌のレパートリーも考えると、そんなには歌えない、と思うのだった。
案の定、23時から2時半くらいまでは元気だった、彼女たちは。
深夜3時。
完全に寝静まる深夜になって、歌が途切れた。
「あー、疲れた。私、ちょい休むから後、よろしくー」
言ったまま、ソファーにだらしなく杏は横たわってしまう。
「もう、杏ちゃん。行儀悪いよ」
言いながらも、蛍もまた眠そうな顔をしていた。
「私も今日はバイクで走ってきたからなあ」
「そうだね。ちょっと寝ておいた方がいいかも。朝方、バイクで帰るから」
京香と真姫もそう、相談していた。
その時、ソファーで横になっていた、杏が不意に呟いた一言が、きっかけだった。
「ねえ。あんたらは、将来のこと考えてる?」
あの一見、不真面目そうな杏が、一番困ったような表情で、口にしていたその話題。
思春期真っ盛りの彼女たちにとって、それこそが「将来」を決める、重要な問題となる。
深夜の渋谷のカラオケボックスで、4人の不思議な対話が始まろうとしていた。