66. 都心の灯り
そして、その日がやって来た。
12月初旬。
猛烈な寒気が入ったわけではなかったが、それなりに「寒い」冬の一日。太平洋側特有の「冬晴れ」の一日だった。
土曜日、21時。
事前に、日中にある程度、寝てから、「夜型」に体調を合わせて、わざわざ真姫は、京香の家に向かった。
「やっほー。寒いね」
とは言いつつも、いつものように元気いっぱいの笑顔を見せる京香は、それでも冬なりの装いをしていた。
厚手の登山用ジャケットのような服装に、ネックウォーマーをつけ、厚い冬用グローブを着用。下はライディングブーツに、ジーンズ姿。
一方の真姫も、冬用のライダースジャケットに、ヒートテック、分厚いグローブをつけていた。
外気温は8度くらい。
寒いことは寒いが、それでも真冬の朝ほど冷え込みは強くはない。
「京ちゃん。今日はよろしく」
「うん。任せておいて。とっておきの場所に案内するよ」
早速、京香は愛車のPCX150に、真姫はYZF-R25にまたがる。
出発は、府中の街中にある、京香の家。
そこからは、一気に高速道路を使うことになった。
京香曰く。
「この時間は道が空いてるから、都心まで下でもいいけど、信号機が多すぎてウザいから高速使う」
だそうで、信号機が嫌いな真姫にはちょうどよかった。
国立府中インターチェンジから中央高速道路に入り、そのまま「都心」を目指す。
だが、途中までは、真姫にはつまらない景色だった。
(ビルの灯りと、防音壁しかない)
まさにそんな状態の景色だけが、延々と続く。
幸い、ビルの灯り高速道路の街灯に照らされて、道は明るく、通行車両自体が少ないから、走りやすかったが。
そのまま、20分ほども走ると、高井戸インターチェンジの看板が見えてきて、そのまま通過し、首都高速道路に入った。
狭い道幅の、高速道路が続く中、前方には巨大な光源に照らされた、首都東京の副都心のビル群が見えてきた。
新宿だった。
京香は、その新宿を迂回するように、4号新宿線から左折して、C2と呼ばれる中央環状線に入って行った。
そのまま、真姫も後に続く。
しばらくは、トンネル区間が続くが、幸いなことに、トンネルの中は、常に「暖かい」。
(冬は、トンネルがいい)
寒がりな真姫は、トンネルの中にいる時が、一番心地よいと感じてしまう。
だが、間もなくそのトンネルを抜けると、再び眩しいほどのビルの灯りが両脇から迫ってくる。
どこに行っても、いくら走っても、見えるのは、ビルと灯りだけ。
ある意味では、つまらないと感じながらも、交通量が減り、当然、信号機もない首都高速は走りやすかったし、京香は、分岐点が少ないこの道を選んでいた。
そのまま都心を大きく迂回し、池袋から荒川の堤防沿いに走る。
その辺りになると、高架の上を走るため、視界が開けてくる。
無数の灯りに照らされた、メガロポリス、東京の夜景は想像以上に美しいものだった。
そして、やがて、右前方に一際目立つ、尖塔のような構造物が見えてくる。
(東京スカイツリーか)
すぐに彼女はわかった。
荒川と隅田川に挟まれた一角に、一際目立つ青白い電波塔、東京スカイツリー。ここは深夜まで常にライトアップされている。
巨大な街に浮かび上がる、不思議な形のタワーが、しばらくの間、視界に常に入ってくる。
しばらく走って、やがて葛西ジャンクションから海が見えたところで、大きく回り、首都高湾岸線に入ると、道幅が一気に広がる。
そこは、首都高で最も走りやすいと言われる、快適な高速道路であり、真っ直ぐ行くと、お台場に入る。
その途中の小さなPAに京香は入って行った。
辰巳第一PA。
残念ながら、ガードレールと防音壁に囲まれており、視界は遮られているものの、それらの上からは、巨大なタワーマンションがいくつも、天にそびえる姿が見えた。
「着いたねー」
バイクを停め、ヘルメットを脱いだ京香が微笑む。
「途中でスカイツリーが見えたね」
「だねー。たまには、こういうのもいいもんでしょ」
京香の微笑みに頷きながらも、2人は自販機でコーヒーを買って、ベンチに腰掛けた。
だが、そこにはすぐに「爆音」が響き、無数の高級スポーツカーが集まってきていた。
(うるさい)
と思いながらも、京香に、理由を聞くと、
「ああ。知らないの? ここは、都内有数のスポーツカースポットだよ」
との答えが返ってきた。
「スポーツカースポット?」
「そうそう。車好きが週末によく集まるんだ。あまりにもうるさいから、近隣住民から苦情が来て、防音壁が設置されたらしいよ」
「なるほど」
それらの車を見ると、確かに「高級スポーツカー」であり、恐らくはウン百万はするだろうという、高級外車や、国産スポーツカーだった。
「ちょっとうるさいけど、カッコいいよね」
「まあ、カッコいいのは認めるけど」
真姫にとっては、先日の茨城県での「爆音」バイクと共通するような複雑な気持ちだった。
もっとも、茨城で見た「爆音」バイクは、どちらかというと、昭和の香りがする、古びたバイクが多かったが、こちらは、現代的に洗練された、高級車ばかりだった。
(金持ってるなあ)
というのが、真姫の素直な感想であり、ある意味では羨望の眼差しを向けていた。
「真姫ちゃんも、将来医者になって、お金稼いだら、きっと買えるよ」
京香は、そんな真姫の眼差しを見て、けらけらと笑っていたが、
「いや、別に医者になるつもりないし」
真姫は、否定していた。
医療関係には進みたい、と漠然と思いつつも、別に「医者」になるつもりは、今のところ彼女にはなかった。
しばらく休んだ後、再び出発した2人。
湾岸線を一気に高速で走り抜ける。
お台場の有名なフジテレビの本社ビルやレインボーブリッジを右手に見て、橋を渡り、南下していくと、巨大な灯りが右手に見えてくる。
空には爆音が轟き、夜空に光が舞い上がっていく様子が見てとれた。
羽田空港だった。
さらに走り続け、両脇を無数の工場地帯が広がる様子を見ながら、広い道幅と交通量の少ない湾岸線を堪能。
ただし、深夜に差し掛かり、猛烈なスピードで駆け抜けて、右側車線を駆け抜けていく、スポーツカーに、内心では真姫は冷や冷やしていた。
長い橋を渡ると、円形の巨大な構造物が見えてきた。
その、まるでとぐろを巻いた蛇のような丸い形をした、道をぐるぐると周り、京香はそこへ入って行った。
大黒PA。
すでに、神奈川県横浜市に入り、目の前には煌びやかな、横浜ベイブリッジが見えていた。
バイク専用の、白線が引かれた、細い駐車場に停める。
深夜にも関わらず、週末ということもあり、車もバイクも、真姫が思っていた以上に、多く集まっていた。
ただ、そこには辰巳第一PAで聞いたような、「爆音」がなかった。
週末の夜を楽しむ、若者たちの笑い声は響いていたが。
ここは、本館と2番館に分かれており、本館の1階にある、フードコートはさすがに営業時間外だったが、2番館にあるコンビニは24時間営業でやっていた。
そこへ向かい、寒さを紛らわせるため、肉まんとココアを買って、外のベンチで食べることにした2人。
「これで大体、終わりだけど、楽しかった?」
「うん。まあ、思ったよりも」
いつも通りのクールというか、落ち着いたな口調で、真姫は頷いて肉まんを頬張った。
「良かった。本当は一旦降りて、スカイツリーとか、お台場行くのもいいんだけど、一度降りると面倒だし、また料金が発生するからね」
京香もまた、ココアを口に含んで、飲み込んだ後で、真姫に説明をするのだった。
「ただ、楽しいけど、みんなかなり飛ばすね」
「それなー」
真姫にとっては、必要以上に思えるほど、周りの車が「飛ばす」のが目についたが、京香に言わせると、
「まあ、これだけ交通量も少ないし、湾岸線はただでさえ走りやすいからね。気持ちはわかるよ」
とのことだった。
「警察来ないの?」
「来るよ、たまに」
「それでも飛ばすの?」
「うん。オービスはあるけど、湾岸線には一部オービスがない区間があってね。首都高の達人は、そこでよくスピード出すらしい」
「何、首都高の達人って?」
「あはは。まあ、この街に住んでると、色々とストレス溜まるでしょ。深夜くらい思いっきり走りたくなるんだよ。真姫ちゃんもいつか大型バイク買ったら、多分首都高を思いっきり走りたくなるよ」
「いや、そもそも大型バイク乗るかわからないけど」
肉まんを食べ終え、ココアを傾けていると、京香がそんなことを言ってきたが、真姫は将来はわからない、と思いつつも否定していた。
「真姫ちゃんは、きっと乗るよ。私の勘」
「何だよ、それ」
と言いつつも、真姫は内心、京香の「勘」が今までほとんど外れたことがないことを思い出していた。
明るくて、社交的だが、どこか「本質」を見抜く目を持っている、京香を彼女はよく知っていたからだ。
「そんじゃ、そろそろ渋谷に行こうか?」
京香が立ち上がる。
携帯の時計を見ると、出発から1時間半くらいが経ち、22時30分を回っていた。
杏と蛍から聞いた話だと、彼女たちは23時頃から、朝までカラオケで歌うという。
「久しぶりに真姫ちゃんの美声を聞きたいし」
「いや、別に聞かなくていいけど」
と否定していると、
「またまたー。真姫ちゃんは、イケボなんだし、歌上手いじゃない?」
京香は笑っていた。
確かに、真姫は歌が「好き」なのは、間違いなかった。
あまり社交的ではない性格だが、ストレスが溜まる時に、たまに「歌う」と気分が晴れることを彼女は知っていたし、その時間を好んでいた。
2人の深夜の旅は、意外な方向に進んで行く。